この頃、グルニア郊外にてライト率いるシレジア軍と、グルニアを牛耳る女将軍ヌヴィエムが激突した。
「シレジアの愚帝さんの腕前を見せてもらいますよ。」
不気味に呟くヌヴィエムだが、戦の趨勢はグルニアにとって芳しくはなかった。ライトの親衛隊長ライが固める堅陣テルシアスをくり抜くことができないでおり、それでいてセイラ天馬騎士団に横撃されているとあっては勇猛なグルニア軍も攻めあぐねているのだ。しかしヌヴィエムは笑みを絶やさない。
「さすがに敵も攻め手に欠けているようね。」
盾だけでは敵に打ち勝つことはできない。それは決め手がないことと同義である。ヌヴィエムもそのことを理解しており、だからこそ無理に強襲して犠牲を強いたりはしない。ライト陣営で剣の役割を担っていたアルド傘下のヴェスティア軍はロレンス要塞に、戦歴抜群のリーヴェ騎士団もライトの意志に反して独自行動を取り始めているために攻め手はないに等しかった。もっとも盾だけでも勝つ手段はないわけでもない。それはトラキアの動く盾・ハンニバル2世の戦い方、つまり敵に焦りを与えながら前進していき圧殺してしまおうというものである。ハンニバル2世はこの戦法は「盾でぶん殴る」戦法と自分で笑い飛ばしていたが、テルシアスにはまだそこまでの器用さなどなかった。自然とこの会戦は長期化していく。何度かの睨みあいを経て、数日後の合戦、ようやく戦局が動いた。度重なるセイラの強襲が効いたのか、俄かにグルニア軍の一部が崩れ始めた。膠着する戦線にいらつくライトはこの変化を見逃さずに総攻撃を敢行、一角が崩れて動揺するグルニア軍をじわりと押し始めたのだ。
「こうでなくては面白くありません。」
敗勢にも関わらずヌヴィエムは笑みをたたえている。周囲では貴族たちがギャアギャア騒いでいるが、彼女は気にするまでもなく愛馬に乗って戦場を後にした。残ったグルニア軍のその後は悲惨だった。もともと指揮系統がヌヴィエムに集中していたために彼女の遁走が広まると、その後を追うように退いていく。そこには騎士の誇りなど微塵も感じることはできない。だがライトは手を緩めようとはしない。
「裏切り者を徹底的に討て!!」
それは事実上の虐殺命令である。ライやセイラはやり過ぎだと思うも、命である以上はやるしかない。温厚をそのままにしたシレジア軍も、後方の裏切りに心底怒っておりライトの命で目の色が変わっている。堅陣テルシアスを大きく崩して、鉄騎兵も風魔道士も天馬騎士も全てがごちゃごちゃになってグルニア軍を追う。逃げる方も必死だが、ここではシレジア軍の怒りからの執念の方が勝っていた。逃げ遅れたグルニア兵はシレジアの大波に呑まれ、そこここで悲鳴があがる。それはもう会戦などではなく、殲滅戦であった。
 そして悲鳴の大津波はグルニア王都まで達した。王都はグルニア軍の大潰走、シレジア軍の猛追のために大混乱に陥った。なぜか市民は少なかったものの、それでも逃げ遅れたものは数多くおりシレジア軍の目に付いたものは問答無用で襲われた。これにはセイラも制止しようとするが、怒り狂う波濤はそうそう止まるものではない。ならばと主ライトに制止させてもらおうとしたのだが、
「裏切り者を後方に置いておいて安穏と戦ができるか。」
と血走った目で怒鳴り返されてしまった。そんなライトを見た瞬間、セイラは己の中で積み上げてきた何かが音を立てて崩れていくのを感じた。呆然とするセイラに、ライトは一瞥を与えただけで軍の采配に戻っていく。
 しかしグルニアでの惨劇はまだ序章に過ぎなかった。しばらくして周囲の山や森から新たなる軍勢が現われたかと思えば、王都で暴虐の限りを尽くしている軍に襲い掛かった。それはヌヴィエムが率いる真のグルニア軍だったのだ。先ほどの会戦はシレジア軍の油断を誘うための擬戦であり、崩れたように見えたのも意図的に負けたように見せただけだった。このグルニア軍は30万、未だ60万を数えるシレジア軍とは数の差が歴然としているが、奇襲と包囲、そして地の利を活かした猛攻でグルニア軍が圧倒的優勢であった。シレジア軍はしばらくは陣形を大きく乱していたものの、しばらくしてどうにかテルシアスを再形成して守りを固めるも全方向全てが敵となっているこの状況では盾も破られるのを待つばかりとなる。

 そんな光景を眼下に見ながらレイラは槍を握り締めている。しばらく考え事をした後、彼女は母フィーのもとへと向かっていった。
「お母様、申し訳ありませんが、先に行きたいと思います。どうかお母様は陛下を正しい方向へ導いてあげてください。」
その言葉は歴戦のフィーですら、息が呑まれる迫力がある。
「セイラ、あなた、まさか・・・。」
「それと、ライとセリアのこともお願いします。」
そう言ったきり、セイラは手勢を置いて、ある一点を目掛けて滑空していった。
「セイラ・・・。」
寂しそうに呟く母はふと頬に涙を伝わせた。
 「あれは誰だ?」
ヌヴィエムは己に目掛けて降ってくる白き騎士を見つけた。側近も首を傾げたまま、判然としないようだ。
「味方ではないな。シレジアの天馬騎士のようね。さしずめ天馬騎士長のセイラあたりかしら。」
それを証明するかのように白き騎士、セイラが叫んだ。
「ヌヴィエム殿、私の名はシレジア天馬騎士長を務めるセイラと申します。天上への道案内をヌヴィエム殿にしていただきたく、参上しました。」
そして悠々とヌヴィエムの前に着地して、槍を構える。あまりにも優雅な動作に周りはみとれていた。ヌヴィエムを例外ではないが、すぐに気を取り直して高飛車に言い放つ。
「グルニアの名家の出身たる私と槍を交えられることを光栄に思うといい。」
その言葉で忠義の騎士と反骨の騎士による対照的な二人の命のやり取りが始まった。
 先攻はやはり槍を構えていたセイラである。直線的に突くが、余裕を持ってヌヴィエムは交わす。
「そんな攻撃で倒せるほど私は甘くはありませんよ。」
グルニア世界随一の槍騎士の国である。その名家として産まれたヌヴィエムもその槍捌きは尋常ではなかった。一度窮されただけで流れは一気にヌヴィエムに傾いた。貴族的な華奢な体をしているヌヴィエムであるが、その槍の遣い方は独特で、突くのではなく振り下ろすように攻めてくる。ちょうどヌヴィエムが締め上げているテルシアスの鉄騎兵の専用武器ハルバートと同じ使用法である。そのためにセイラはヌヴィエムの戦い方に戸惑い、戦術を練り直さねばならなかったのだ。必死に思考をまとめようと間合いをつけようとするセイラだが、ヌヴィエムはそれを許そうとはしない。
「フフ、やはりあなたはその程度の人間ですね。あなたの姉は最強の天馬騎士、弟は三精霊を司る大賢者、所詮あなたはどちらにもなれはしない。忠義だけは立派と認めてあげてもいいけど、それだけで生きていこうなど虫が良すぎるわ!!」
そして振り上げたヌヴィエムの槍がセイラの左腕を襲った。瞬間、激痛がセイラの全身を駆け回り、手に持っていた槍を落としてしまう。すぐに取り直そうとするも左腕の神経が切れているのか、思うように力が入らない。
「利き腕でなくて、幸いしたようね。でも片手で何が出来るの!」
言い放つや、鋭い突きを入れてきた。振り下ろしの攻撃にようやく馴染んできたセイラにこの攻撃は文字通り、不意を突かれた。どうにか槍でかばったものの、その衝撃で愛槍は彼方へ吹き飛んでしまった。
「終わりね、セイラ。」
勝利を確信したような笑みでたたずむヌヴィエムに、セイラは左腕をかばうことしか出来ない。改めて槍を構えなおしたヌヴィエムは一気にセイラの胸を目掛けて、銀槍を突き出した。そして穂先が深々と突き刺さった瞬間、ヌヴィエムの意識も彼方に飛んでいった。
「言った・・・はずで・・す。天上への・・・道案・・内をお願・・いすると。」
途絶え途絶えに話すセイラはどこから取り出したのか、緑色に輝く剣をヌヴィエムの首筋に差し込んでいたのだ。それは壮烈なる相討ちだった。
 槍を取らせては女性では最強と言われるレイラ、軍略を取らせてはセーナからも一目置かれているルゼル、それに対してセイラは忠義の騎士としか呼ばれてはいなかった。それ以外は決して優れているとは思われていなかったのだ。だがセーナはしっかりとセイラを評価していた。
「彼女は忠義だけの人ではないわ。もし彼女がグリューゲルにいればリーネよりも早く十勇者入りしていたでしょう。」
姉レイラが憧れていた天馬騎士リーネ、その彼女よりも高い評価をセーナはしていたのだ。しかし条件がある。
「彼女はたしかに天馬騎士としては疑問符はつくかもしれない。しかし魔道士としての素質はミカ、ゲインと同じくらいにある。」
言うまでもないが、セーナの人相眼は神がかりの精度である。もちろんそれでも何度か見落としこそあるものの、セーナとセイラの付き合いはライトを通じて何度もあったので十分セイラの内面を知っていた。そんなセーナの評からすれば、セイラは母の栄光の前に己の岐路を誤ってしまった悲劇の将ということになる。もしセーナの言う通りにセイラがシレジアの誇る風魔道士をまとめていれば、もしかしたらシレジアの未来は更に栄転していたかもしれなかったのだ。そしてミカ、ゲインと匹敵する素質を持って、セイラは最初で最後の切り札『魔法剣ウインド』を作り出してヌヴィエムを斬ったのだ。しかしヌヴィエムの放った突きもセイラの胸に深々と突き刺さっており、それを証明するかのように魔法剣ウインドは次の瞬間には消えていた・・・。

 そしてセイラとヌヴィエムの相討ちは劇的な変化をグルニアの地に呼び込んだ。突如、西方から離脱していたリーヴェ軍が参戦、包囲殲滅せんとするグルニア軍を外から襲い掛かったのだ。
「これでノルゼリアの恩は返せそうだな。」
穏やかに言うのはリュナンである。連合軍の上陸地点での惨状を見て、とりあえず再確保するために留まっていたのだが、
「あの皇帝、見ていられぬな。」
と、愚痴をこぼしながらも手勢のほとんどを率いて駆けつけてきたのだ。
(これも皇帝の人柄か。大した器ではないのに、なぜか駆けつけたくなる。不思議な男だ。)
リュナンはもう戦いを始めているのに、なにゆえにソリの合わない男のために参戦してきたのか考えていた。そして上のように思い至ったわけである。
 何かとリーベリアを蔑視するライトは、カナンのセネトをはじめとしてなかなか友好的な間柄を作れずにいるが、ユグドラルでは意外と人気はある。セーナ十勇者フィードもセーナからライトへ鞍替えしたことがあるように(結局、レイラと結婚して元に戻ったが)、時にはセーナを上回る魅力を醸し出すことがあるらしい。しかもフィードの時はイードでのマリアンとの苦闘、今にいたってもヌヴィエムに相当苦しんでいるなど、なぜか危機に瀕しているときほど諸将から助けられるのだ。
(見てはいられない。)
多くのものはリュナンと同じような思いで駆けつけてくるからなのだろうが、それとて立派な魅力なのだろう。
 ともあれ参戦した以上は精一杯働くのがリュナンの信条である。すぐに馴染みの女騎士を呼んで命じる。
「カリナ、君はガルダ勢を率いて皇帝を救出するんだ。私が行っては怒鳴られるかもしれないからな。」
苦笑混じり言った相手はかつてはヴェスティア・ガーディアンフォースの副隊長を務めたこともあるカリナである。後ユグドラル後継者戦争でミーシャを補佐した実績を持つが、ガルダ島に持つヴェスティアの利権を全てリーヴェに移譲した際にカリナもリーヴェに籍を移していた。もっともカリナ自身は大いに反発したものの、やがて主ミーシャに直々に説得されると仕方なくリュナンを頭に戴いた。その後はナロンの下でリーヴェの軍略を学び、リィナとともにリーヴェになくてはならない人材になっていた。
「お任せください!」
元気良く返事をして駆けていくカリナを見送って、リュナンは采配を振るう。
「さぁ、我らは包囲網を打ち砕こうではないか。」
それに応えるリーヴェ軍は意気揚々と進んでいった。
 リーヴェ、シレジア、グルニア、三大陸の勢力がぶつかりあうことになったグルニア包囲戦だが、すでに大勢は決していた。セイラとの戦いでヌヴィエムが死亡したことで先の会戦同様にグルニア軍の指揮系統が粉砕されたのだ。ここに同数以上のリーヴェ軍が駆けつけてきたことで、まともな抵抗も出来ずにグルニア軍は一気に潰走していった。カリナも手勢を繰り出して、ついにライトのいる本陣に到着した。
「皇帝陛下、リュナン様の遣いとして参りましたカリナです。リュナン様が西から攻めあがっておりますので、どうか西方向に退避してください。」
すでにカリナの見たところテルシアスは崩壊寸前であった。セイラの夫で、近衛隊長を務めるライも全身に切り傷を負いながらも未だに戦い続けているのだ。しかしライトは何も返答もせず、呆然としたままでいた。目を白黒するカリナに、すぐ隣に控えていた女性が声をかける。
「リュナン様が来ていただけたのですか、感謝いたします。これよりシレジア軍は当面はリーヴェの傘下に入りますので、気兼ねなく命じください。」
そう言ったのはフィーである。セイラの死はすでにライトたちの元に届き、ヌヴィエムの策略に打ち負かされた以上の衝撃をライトは受けていたのだ。そして己を見失ったライトはすでに采配を取る気すら失せており、フィーが駆けつけてこなければシレジア軍も崩壊していたと言えた。つまりセイラ一人の死で、グルニア・シレジア双方の軍が崩壊しかけたのだ。
 しばらくしてカリナに先導されたシレジア本軍はゆっくりと西進を開始、主を失ったセイラ天馬騎士団はフィーの命ですでに戦場を離脱していたために、遊撃部隊がいないので苦労したが、リュナンの援護もあって2時間後には無事にグルニア王都を離脱することに成功した。一方、リーヴェ軍は当たるを幸いにグルニア軍を蹴散らしていったが、すでにグルニア軍が軍勢として機能していないと見るや、すぐに兵を返した。ようやくグルニアの戦いが終了した瞬間である。この戦いの後、幼少のグルニア国王はリュナンとライトに謝罪して無条件降伏を求めた。これ以上、異国で血を流したくないリュナンも否を言うはずもなく、即座に認められた。こうしてカミュとロレンスが愛した国グルニアはここに一度、幕を閉じることになる。

 一方、グランベル大陸のミレトス半島西の海上には、ロイトによって派遣されたタリス水軍と、それを防ぐためのヴェスティア海軍とミレトス武装商船団が睨み合っている。数としてはタリス水軍1000艘、ヴェスティア海軍と武装商船団が合わせて800艘とわずかに劣っているが、ニ方面から追い込んでいるので戦力的には互角と言っても良かった。
「まさか私が再び戦場に立つことになるとは。」
そう呟くのはグレンだった。この海軍の臨時の総大将に請われて、今は彼の補佐をしている。もちろん船戦の知識はほとんどないが、それ以外の経験ならば現在ヴェスティアに残っている騎士たちの中では群を抜いているので頼まれたのだが、ヴェスティアにはまだ元十勇者で、しかも宰相経験者のゲインが残っているにも関わらず、まさか半身不随の自分が頼られるとも思っておらず自分自身でも目の前の光景には久しぶりの血の滾りを抑えきれずにいる。
「さぁ若様、予定通りに行けばいいですが、いざという時はわかっておりますな。」
そう言われ、臨時の総大将は頷く。
「尻尾を巻いて逃げるんだね。いくら数を揃えようとも相手も歴戦の水軍衆だからね。でも逃げるのはグレン、君が先だからな。」
あくまで思いやりを示すのは先日、突如としてヴェスティアを訪れたシレジアの王子クレストなのである。これが初の戦いというのに妙に落ち着いているあたり若き頃の父ライトに似ていた。ヴェスティア海軍は数こそ揃えているが、この海軍の精鋭はセーナと共にすでに出発しており、ここにいるのは中小の軍船ばかりでとても戦力になるものでもなかった。一方のタリス水軍は海運国として国を支えてきた水軍の精鋭中の精鋭をぶつけて、今回のセーナの本拠地ヴェスティア奇襲に勝負をかけているので技量、意気ともに高いと思われている。ミレトスの援軍がいるとはいえ、ヴェスティア海軍は苦戦必死だったが、今の彼らは別に勝つ必要などなく、要は彼らの奇襲をすでに把握し、万全の迎撃態勢を整えていることを敵に伝えれば良かった。実際にこの海戦を突破されても、ヴェスティア宮殿にはセーナ三男のハルトムートとアトスが守りを固めており、エバンスにはヴェスティアの要請を容れて北上してきたラケル率いるヴェルダン軍、更に後方のノディオンにはエルトシャン2世の遺児リードが精鋭クロスナイトと共に控えている。ヴェスティア単体だけでも十分余力を残しており、タリス一国でどうにかなるレベルではとてもなかったのだ。
「お、軍使がきたようですな。王子、いよいよ外交デビューですぞ。」
そんな雰囲気を察してか、タリス水軍から軍使を乗せた船がこちらに向かってきていた。
 「・・・というわけで我々、タリス水軍は国許に撤退いたしますので、追撃はお控えくださいませんか。」
捕縛されたロイト軍の軍監を差し出して、タリス水軍提督ダガマは神妙な面持ちでクレストの返答を待った。一度、グレンの反応を見たクレストは彼が委任を任せた意の頷きを返したのを見てから言い放つ。
「国を見捨ててきたものに我々は手を緩めるつもりはない。帰国したければ実力で退路を切り開いて帰るがいい。ただし帰国したところで君たちには帰るべき国はありませんがね。」
温厚な表情に合わず、非情な言葉を投げかけるクレストだが、ダガマは何を言われているのか分からなかった。キョトンとしている彼らにクレストが懐から書状を取り出して、広げて見せた。
「これは妹エレナが君たちの国王との間に取り交した無条件降伏の書状だ。」
「何と!!」
ダガマはその書状を鷲掴みにして取り上げて、隅から隅まで走り読みした。そして最後には見慣れた国王のサインがあることに、その書状が本物であることを知り、ようやく事態の変化を呑みこんだのだ。最初の頃の堂々とした態度はどこへやら、ヘナヘナと座り込んでしまったダガマにも哀愁が見られるが、クレストは表情を緩め、助け舟を出す。
「国のことはもう仕方がないだろう。不覚を取ったことに同情するわけではないが、一応君たちの要望には応えようとは思う。」
硬柔自在の対応が出来るクレストに場は支配されつつあった。グレンもここまでクレストが交渉に長けているとは思わず、ここまでの成り行きには驚いていた。
「その代わり、条件が一つある。」
要望を容れるという言葉で反射的にダガマは顔を上げ、安堵の表情をしたが、条件という言葉にまた顔が曇った。もうクレストの言うがままだった。
「その条件とは?」
「ダガマ、君がシレジアに新たに仕えることだ。それさえ呑んでくれれば、他に帰国を望むものは追撃もせずに帰国を許す。食糧などが足りなければ我々の方で援助も致します。」
要はクレストはダガマが欲しいのだ。その思いはシレジアを支える身として、そしていずれは導かねばならない立場ゆえに今のシレジアに足りないものを理解していた。それこそが水軍である。ヴェスティアにヴェスティア海軍、ノディオン海軍、オーガヒル海軍と3つの連合艦隊を持ち、トラキアですら直属ではないが武装商船団という艦隊を持っているのだが、シレジアには彼らに匹敵する海軍どころか水軍も持ち合わせていない。それをダガマを取り込むことで、新生シレジア海軍の礎となる水軍を作らせようと考えていたのだ。今でこそ三カ国は手を取り合っているが、100年後、200年後はどうなるかはわからない。だからこそ子孫たちのために弱点の補強を今のうちにやっておこうとクレストは考えたのだ。いつまでも天馬騎士団に頼るわけにはいかないのだ。しかし最初からそう申し出ればダガマも承諾しただろうが、それでは客将という位置づけとなり、決してクレストの意に従うとも思えない。ならば一度負けを告げて敗北感を与えると共に、そこで手を差し伸べれば人というものは必死にすがって来る。当然クレストとの間にも歴然とした上下関係が生じ、またタリスを見捨てたという引け目を与えることで心身共にシレジアに忠誠を尽くすようになるだろうという非常に深い読みをクレストはしていたのだ。
 当然のことだが、ダガマはクレストの要求を呑んだ。しかしダガマに従って国許に戻ったのはわずか1割あまりで残りは全てダガマと共にシレジアに組み込まれることになった。厳しい自然の中で生きていくために、もともと団結力の強い水軍なのだが、これだけの人員を一気に獲得できるとはクレストも思っておらず、ダガマの人望の厚さを実感すると共に思わぬ拾いものをすることとなった。以降、ダガマは残りの半生をシレジアに捧げ、一代でシレジア水軍を他国の海軍に比肩する海軍に仕立て上げていった。
 「さすがは王子ですな。このグレン、感服いたしました。」
もう少し頼られると思っていたグレンは思わぬクレストの器量に驚き放しであった。兄アルドはアカネイアで勇躍し、妹エレナはアーサーの援助があったとはいえ電撃戦のもとにアカネイア西部を席巻、弟ハルトムートは獅子と称されグリューゲル№0001を背負っている。それに比べると地味な役回りの多いクレストだが、セーナが早くからシレジアの後継者に指名した実力は伊達ではなかったのだ。今回のやり取りではあくまで交渉ごとのみだったが、グレンが見たところだと現皇帝ライトよりも一回りも二回りも上だと見ていた。それは共に手を結んでいる今でこそたくましい存在そのものであるが、いずれユグドラルの将来に重大な一石を投じることになるような気もする。そう言った意味ではある程度、人物的に評価が固まってきた他の兄弟に比べて不気味な存在でもある。そう思うと、なぜかワクワクするグレンであった。

 グルニアのロレンス要塞に久々にブラミモンドが帰ってきた。しかしアルドには会わずに、まずはルゼルに報告した。
「そうか、ついに時が来たのだな。ありがとう、ブラミモンド。セーナ様に万事おまかせあれ、と伝えてください。」
そして瞳を爛々に輝かせて、アルドの元に向かうのであった。
「アルド様、ご報告が・・・。」
ついにもう一人の眠っていた大器が動き出す。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年09月11日 01:29