四竜神と名乗る者たちの襲撃を辛くも退けたセーナたちはパレスに登り、リュートと事の次第を報告、そしてこれからの予定を改めて協議した。そしてプラウドを護衛に付けて、日が変わる頃にはセーナたちは無事に本陣に戻ることが出来た。すると、やはり心配だったのか、自陣に戻っていたはずのアルドがやきもきしながら母の帰りを待っていた。さすがにアルドも一人前の年なので飛びつくようなことはないが、心から安堵した表情を見せていた。それを見たことで今夜帰って来たものたちは強大な相手と戦ったことを実感し、改めて生きていることを感謝するのであった。それからはセーナ本陣ではささやかながらも宴が開かれたのは彼らだけの秘密である。
ここでパレスを取り巻く布陣を整理する。パレスには名目上とはいえ総大将リュートがミリア、プラウドと共に詰めており、その関係でグルニア黒騎士団もここにいる。パレス北面にはヴェスティア軍20万を率いるアーサーが、アイバーの叔父アディルス20万の兵と睨み合っている。アーサー軍にはサーシャ、トウヤ夫妻が支えているが、暫定的にアーサーの妻フィーもいることからシレジア軍5万も後詰としてここに控えている。北西にはこの大戦を引っ張ってきたアルドとロイトが対峙しており、兵力はアルド軍が10万、ロイト軍が20万と言ったところだが、南カダインの戦い以降、ロイトは表立った行動は起こしておらず、戦意は決して高くない。南西には事実上の総大将セーナと、アカネイアを背負うアイバーが沈黙の対峙を続けている。アルフレッドの傭兵団はセーナ直属の位置づけである。パレス南方にはこの戦いで大活躍をしてきたリュナン率いるリーヴェ軍40万が、敵方の名目上の総大将アカネイア国王軍と向かい合っている。なおリーヴェ軍の中には途中参加のレオン率いるウェルト軍20万も後に控え、数で圧倒されているセーナ軍を補佐する形を取っている。一方、アカネイア国王軍の背後にも傘下のオレルアン軍が控え、その兵力は40万、侮れる数ではない。南東にはグラの女王ジャンヌがアカネイアを牛耳ってきたフレイと対峙し、兵力は20万と40万と倍の差がついている。最後の北東戦線はガーラント率いるマケドニア軍50万がレギン軍40万を圧している形となっている。
そしてこのパレスを少し離れると、エレナがデーヴィド、レクサスという双龍星二人に、グリューゲルの勇者たちを引き連れた、大精鋭軍25万(内訳ワーレン軍20万、デーヴィド軍・レクサス軍各2万、残りはエレナ勢)が潜んでいるはずであったが、いつの間にかレクサスの軍勢はどこかに消えていた。
パレス北にあるアーサーの陣では久しぶりにアーサーとフィーの夫妻が水入らずで、会話を交わしていた。副将格のサーシャ夫妻もセーナ本陣に詰めているので、本当に二人きりのはずだったのだが、思わぬお客の到来に二人は落ち着かなくなった。それはマケドニア国王ガーラントである。
「ようやく同年代の仲間が現われたので、茶飲み話でもしたかったのだが、お邪魔だったかな。」
ガーラントの言葉に、アーサーとフィーは苦笑しながら、ガーラントを招き入れた。護衛として付いてきたフレディを自陣に戻すと、大分仲間も少なくなったセリス世代のもの同士のしみじみとした会話が始まる。
「それにしてもヴェスティアは若々しい国ですな。こんな遠くまで来ても、あそこまで元気に活躍されるのには本当に驚いた。」
それは偽らざるガーラントの思いである。マケドニアもアイリとフレディという両輪が負けない働きをしているのだが、歴戦のガーラントからすればやはり足りないのだろう。だがアーサーとフィーは苦笑しながら
「我々も楽はさせてもらえないらしいですがな。」
と言う。セーナたちに振り回されながらも、ついにアカネイア大陸まで踏み込んできたのはこの二人が圧倒的に最年長である。もっともアーサーにはもう一つアカネイアに来る理由があったのだが、ここではあえて触れないことにした。
「まぁ私たちはまだ年を考えてもらってるからいいけど、大変なのはセーナと同じ年代のものたちでしょうね。」
フィーが呟いたことも一理ある。前にも触れたが、この時代の平均寿命は50を超えればいい方と言われている。そしてセーナ世代は基本的にもう40代に入っている。老いが始まっていてもおかしくない時期に、世界を巻き込んだ戦いに前線で戦い続けなければならないのだから体力的に辛いだろう。もっとも今回の戦役では最前線はアルドら若いものたちが担っているので、それでもまだ救いがある。だがセーナ世代最後の雄と言われる、アーサー嫡子のルゼルはアルドと共に常に最前線で戦い続けたために、アカネイアに着く頃は若干グロッキー気味であると父に愚痴をこぼしていた。これを思い出したアーサーは日頃、冷静沈着なルゼルと対比して思い出し笑いをしたが、かえってガーラントとフィーに見つめられてしまうことに。どうにかコホンと軽い咳をして誤魔化し、どうにか話題を変えることが出来た。
「ガーラント王、あなたの見込みではこの戦いはどれくらいで終わると見てますか?」
フィーが訪ねると、ガーラントはすでに戦の趨勢を把握しているのか、あっさりと答えを出した。
「もう1週間もすれば、お互い、それぞれの国に帰っているだろう。」
「たった1週間で!?」
これにはフィーもさすがに驚いた。仮にもこのパレス近辺に300万という大軍がひしめいているのだ。それが1週間で決着がつき、しかもそれぞれ撤退が始まろうというのだ。
「セーナ殿はアカネイア軍などもう敵として見ていない節がある。」
「我々もそう見ているが、一週間は余りにも早過ぎないか。」
アーサーが当然にも思える疑問だが、ガーラントはそれも一蹴する。
「むしろ遅いくらいなのでは?そう思える位、セーナ殿の心の奥底には焦りが感じる。」
『焦り?』
セーナと焦りとは全くつながらない言葉に、二人は思わず首を傾げる。
「どうもセーナ殿は我々の気付かないところで別の敵と戦っているようだ。」
「そういえば、ルゼルもそのようなことを言っていたな・・・。」
アーサーも思い当たる節があるようだ。そしてフィーも
「どうしてライトを急に排斥したのか、その答えもそこにあるのかしら。」
と呟く。セーナのアリティア奇襲以降、ライトは公式の場で一言も発しておらず、半放心状態である。確かに最近のライトは短気で、思考も短絡的になっていたのは認めるが、こんな状態にしたセーナにも何かしら責任を感じて欲しいと思っていた。だがガーラントの言うことが正しければ、それも止む得ないことと思える。
「ともかく、この戦いが終われば表向きは世界中の全ての勢力がセーナ殿と手を結ぶことになる・・・」
それはすなわち、ガーラントはセーナの勝ちを疑っていない。おそらく戦の終わらせ方も目途をつけているのだろう。
「そしてそれと共に世界は新しい局面を迎えることになるだろう。セーナ殿がそれをいつ言うのかは分からないが、そう遠いことではないだろう。」
そう言うとガーラントは一気に出されたお茶を飲み干すと、また好々爺の顔に戻っていた。
「いや、なかなかおいしいお茶をいただいた。もう夜も遅いから、お互いに休むことにしようか。」
言いながら立ち上がるガーラントに、二人は見送ろうとするが、
「気を使うことはない。これでもまだ槍を振るうのでな。」
と言って、腕っ節を見せては二人を苦笑させた。とにかくガーラントは愛竜に跨り、颯爽と去っていった。
夜が白み始めた頃、ようやくセーナ本陣の宴も落ち着いて、多くの者が仮眠を取っていた。
「全く、勝手に騒いで、勝手に寝るなんて、誰が親かしら。」
いびきをかいて眠りこけるアルドたちを見て嘯くセーナに、ミカも苦笑する。
「それよりもセーナ様、せっかくヴェガが見つけてくれた伝手を失うのは痛くはありませんか?早く後任を見つけないと。」
「そこが問題ね。ヴェガほどの力量を持つものとなればアルフレッドくらいだけど、彼は傭兵。頼るわけにもいかないわね。」
二人が直面している問題は、ヴェガの後任問題である。今まで全幅の信頼を寄せてきただけに今回の彼の死は今までの積み重ねてきたものを失いかねないのだ。
「カリンなら十分こなせるかもしれないけれど、そうすると諜報衆を差配できなくなるわね。」
唸るセーナに、当のカリンが駆け込んできた。
「リュナン様がお帰りになられましたが、あの方からレダ軍の扱いをどうするのか、あとで書状にまとめて送って欲しいとの言伝を。」
レダ軍はレフカンディの戦いでセーナ軍の後方を脅かしたものの、今はナロン率いるリーヴェ軍に完全包囲を喰らって動きを完全に封じられている。リチャードがナロンと折衝に当たっているが、戦の活躍を没収されたナロンの怒りようは尋常ではなく、とにかくレダからの交渉は門前払いしておりこのパレスでの戦いが終わるまで拘束されることになるはずであった。しかしレダと聞いてセーナはふと閃いた。
「そうよ、レダよ!レダには彼がいたんじゃない!!」
ポカンとするミカとカリンだが、セーナは近くの紙を取るとササっと書いてカリンに手渡した。
「これをリュナンに渡して。」
何はともあれ、受け取ったカリンはすぐに風のように飛び去っていった。残ったミカは未だに釈然としていない。
「まだ思い出せないの?あなたの方が印象残っているでしょうに。それとももうボケが始まった?」
からかうセーナに、一瞬怒りかけたミカだが、セーナの言うことがようやく理解できた。
「アジャスのことですか!まさか彼を引き渡してもらうだけで、レダをお許しになるのですか?!」
「当然でしょ、それだけの価値を彼は持っているわ。」
アジャスは今ではシュラム出身の最後の剣士であり、ヴェガの愛弟子にあたる。今はレダのノール5世のもとで仕えているが、剣士としての技量は間違いなく一級品である。決して存在感も際立っているわけでもないので、影の特務諜報の後任には最適であった。
「それにレダと事を構えるだけの余裕はまだないわ。」
その言葉にミカは思わず驚いた。200万からなるアカネイアを手玉に取っておいて、未だに復興途上のレダを手こずるというのだ。
「何を驚くの。当然でしょ、レダにはアイバーみたいのが5人はいるんだから。」
おそらくセーナは、一応リチャードたちを評価しているようではある。意外な言葉に空いた口が塞がらないミカだが、思わず一言呟いた。
「本当にフリージで負けておいて良かったですね。」
20年前のフリージの奇襲戦で、兄に敗れたからこそ、セーナは負けることを恐れなくなった。そしてそれが選択に幅を広げることにつながっていた。それが顕著に現われたのが南カダインの一戦である。もしあのまま南フリージの戦いがなければ、セーナはより強引に今回の戦役を進め、要らぬ犠牲を強いていたのだろう。そう思うと、ナディアたちに感謝したくなる気持ちもどこかにあった。
「さ、私たちも仮眠しましょ。明日は山登りがあるんだから。」
どうやら先ほどのミカの呟きは聞こえなかったようで、セーナはその場で横になってしまった。
「あ、セーナ様、こんなところで寝ないでください。」
長い夜が明け、朝日が昇り始め、アカネイア軍が朝餉を取ろうとした頃、突如、南に陣取る国王軍の背後で騒ぎが起こり始めた。悲鳴も響いていることから、なにやら戦いが起きているらしい。しばらくしてオレルアン軍の中央を南に突っ切った重装騎馬隊の姿があった。その旗印はヴェスティア五武王の一つ、アグスティー家のもので、紛れもなくレクサス率いるグラオリッターであった。そしてグラオリッターの突破を許したオレルアン軍にデーヴィド率いるトラキア竜騎士団・ドラゴンナイツが突っ込んだことで、この日の戦いが始まった。
実はその前夜、セーナが決死の戦いをしていた頃に、レクサスは市民軍を装ってアカネイア国王軍に堂々と進入。四名臣がいないのをいいことに、ひたすら国王を煽てあげることで不審を拭い、あろうことか国王軍とオレルアン軍の中間に陣取ることに成功していたのだ。大胆にもほどがある策だが、だからこそ成功したと言える。そして今朝、一気に混乱しているオレルアン軍を突破し、その後にエレナ軍の精鋭をぶつけたのだ。デーヴィド軍は分断されたオレルアン軍を強攻することでこれを壊滅させて、後続のエレナ率いるプレヴィアス・グリューゲルに道を譲った。むき出しになった国王軍にエレナ隊が突っ込んだことで、国王軍は大混乱に陥った。しかし数が少ないエレナ隊は一当たりしただけで、さっさと元の陣地へと去っていった。それ以降、エレナ軍の攻撃はなりを潜めたが、そんなことを知らない国王は隣に陣取るアイバーとフレイに救援を求めた。
これから駆け下りてセーナと決着を着けるべく意気込んでいたアイバーであったが、この救援要請を受けたことで完全に目算が狂ってしまった。しかし見捨てるわけにはいかず半数の10万を向かわせ、残りの10万で逆落としにセーナ軍を粉砕すべく采配を下ろそうとした瞬間、彼女の部隊の背後にも敵が忍び込んでいた。
「後方より敵襲!ラティ傭兵団と思われます。」
「こんな時に出てくるの?!」
思わず悲鳴のような言葉をあげるアイバーにも、後方からの喚声が聞こえてきた。リュートの親友で、ミカの夫でもあるラティはアリティアでゲインと分かれた後はまず傭兵団の集結と、情報の調達を主にして働いてきた。ロイトとの戦いでは裏方で働いていたためにあまり目立っていないが、南カダインの戦いは彼の働きがなければセーナ軍は間違いなく道を失って迷っていたとさえ言われており、縁の下の力持ちを演じていた。しかし目立ちたがり屋のラティはさすがにこれだけでは飽き足らず、ミカを通じて今日のアイバー奇襲に踏み切ったのだ。数は少ないが、ラティ傭兵団はアカネイア大陸でも名実共にトップの実力を持つ傭兵団であり、決して侮ることはできなかった。
「落ち着いて、とりあえず後方の傭兵を退治するのよ。それから駆け下りても全然問題ないわ。」
すぐに我を取り戻したアイバーは冷静な指揮で、ラティ隊を深入りさせることはなかった。
「チッ、さすがは代々名臣の名を欲しいままにしてきたアイバーだな。全然隙を見せない。仕方ない、一旦退却だ。」
ラティもさすがに剣を振るえば、歴戦の勇者である。すぐに状況を見極めて、撤退に移った。それを見てとったアイバーはすぐさま追撃に移り、これ以降痛い背後を突かれないように、痛めつけておこうと思っていたのだが、事態は思いも寄らない方向に向かっていた。
「アイバー様、前方からセーナ軍が上ってきます。」
あろうことか、セーナは高地の有利を知らないが如く、目の前の山を登り、アイバー軍に迫ろうとしていたのだ。しかしラティによって後掛かりになっていたアイバー軍は備えを有効に機能できず、軍勢を反転させている間にセーナ軍に接近を許してしまう。だがまだ時間はあり、十分迎撃する時間は残っていたので、決して守りは不完全ではなかった。これならば防げると、アイバーが安堵した瞬間、セーナ軍はそのまま山を下りて後退していった。
「どういうつもり?・・・・まさか!全軍、再び後に気をつけなさい。」
アイバーが気付いた瞬間であった。セーナが登ってきただけで前掛かりになっていたアイバー軍に後ろからラティ傭兵団が再び襲い掛かったのだ。先ほどの撤退は偽りであり、セーナとの共同作戦をより完璧にするために仕掛けたものであった。しかもラティ隊は完全に山を下りずに中腹で待機していたのだから、今度はさっきの半分の距離でアイバー軍に接近できたため、後方への備えが戻るのが間に合わず、ついにアイバー軍への侵入を果たした。そしてこれと同時に及び腰だったセーナ軍も一気に勢いをつけて坂を駆け上がり、アイバー軍へと乱入。一気に乱戦へと持ち込まれると、個々の力量がものを言う。セーナ、ミカ、アルフレッド、マーニが前面で暴れ、ラティら傭兵団の面々も後方で敵を撹乱する。こうなると10万という大軍は機能しなくなり、一部では逃亡も始まった。国王へ救援へ行っていた別働隊10万が急を察して戻ってきたことで、セーナ軍もラティ傭兵団も撤退していったが、結果は目も当てられない大敗であった。アイバーは改めてセーナの強さを思い知らされた。
「ふわぁ、さすがに山登りは疲れたわねぇ。」
本陣に戻ったセーナもまた疲れ切っていた。アイバーに先手を取られないようにこちらから仕掛けたが、やはり急峻な山登りはさすがのセーナでも堪えたようだ。セーナですらこれなのだから、配下の将兵はもう立つ気力すらない。こんな状態で攻められれば、とても持ち堪えられないはずなのだが、敵もセーナの智謀にしてやられていたので、攻める気力は毛頭ない。
「セーナ様、もう急な山登りはよしましょう。」
ミカもぜぇぜぇ言いながら提案すると、セーナも苦笑して頷くしかない。
「もう急いで山登りする必要はないと思うわ。明日にはもうセネトとフィリップが到着するみたいだし。」
そう言っていると、ブラミモンドがやってきた。
「北の戦場はどう?」
アイバーが仕掛けようとしていたことを知っていたセーナは北面のアーサーたちにも注意を喚起していた。ブラミモンドはその担当である。
「アーサー様は守りの戦に終始され、最初は逆落としの勢いに押されていましたが、マケドニアのフレディ殿の活躍もあって撃退しました。大きな戦果はお互いになく、我らのやや勝利、と言った形です。」
「あまり大きくならなかったようね。それならいいわ。それじゃミカ、私はもう寝るわ。」
またしてもあらぬ所で寝始めるセーナに、しかしミカも何も言わなかった。何しろブラミモンドの報告を受ける途中で、眠りこけてしまっていたのだ。二人の寝息がスゥスゥ言っているのをブラミモンドは苦笑しつつ、闇に溶けて消えていった。
戦場とは思えない、長閑な風景がそこには広がっていた・・。