リグリア要塞を飛び出したアルド軍はレダの谷を奪回すべく、北上を開始した。先鋒は復仇に燃えるリチャードとティーネ率いるレダ本隊が、第二陣は左右に分かれてエルマード率いるIグリューゲルとセリアのシレジア天馬騎士団、第三陣にシロウを主将とするサリア軍、次にアルド率いるヴェスティア軍とクレスト率いるシレジア軍がまとまり、殿をリョウのブルーバーズが固めていた。
すぐにクレスはジーク率いるゾーア帝国軍をぶつけた。クレスからして見ても質より量のリグリア担当エインフェリア軍だが、彼に対してはそれなりに武勇を評価しているらしい。
しかしそんなジークでも怒れるリチャードの前では脆かった。獅子王の猛攻の前にジーク隊はすぐに後退を始める。
「やはり釣りだしか。エルマードとセリアにレダの横を守らせよ!」
いくらリチャードの攻撃が鋭くとも、あまりにも脆いジーク隊の後退にアベルはすぐにこれが策であることを見抜いた。
実際にジークの後退に付け込む形で、レダ軍は縦に伸びきった態勢となってしまっていた。そのため、後続のミュー軍がレダ軍を取り囲んで、包囲しようとしていた。しかしアベルの指示で第二陣のエルマード、セリア隊の援護によってミュー軍はレダ軍だけに構うわけにはいかなくなった。
「やるな、だがまだ初手に過ぎない。」
アベルの的確な指示で劣勢を覆せないクレスだが、まだまだ余裕はあった。眼下の戦いではレダ軍の中で突出していたリチャードのもとにティーネが合流したことで、もともと兵士の質が劣悪なここのエインフェリア軍では彼らを押し込むことはできなくなった。そして両サイドを猛烈な勢いで押してくるエルマード・セリア隊の活躍もあって、エインフェリア軍は壊滅して逃亡を始めた。
復讐の炎を燃やすリチャードと、若さ溢れるエルマード、セリアたちはそのまま追撃を続け、あっと言う間に先日辛酸を舐めたレダの谷へと突入した。
「まだ懲りずに引っかかるとはな。限りある命を持っていると、すぐ感情に身を委ねようとする。」
戦場の移動に付いていったクレスはすぐに合図を送った。するとアルド軍の右方から崩れるようにして大軍が襲いかかってきた。右翼を担当していたセリア隊は即座に高度を取って回避したものの、かえって先鋒の中心戦力たるレダ軍に襲いかかる危機を迎えた。
更に少し遅れ、左方からも伏兵が襲いかかり、エルマード隊に奇襲をかけた。
「ジェロムめ、あれほどベロニカとタイミングを合わせろと言っておいたのだが。姉のベロニカともども使えない姉弟だ。」
かつてガーゼルとの戦いの直前でリチャードを苦しめた実績のあるジェロムだが、実は彼は何が起きたのかわからないまま既に第二の死を迎えていたのだ。
「釣りだしに、埋伏陣。クレスよ、お前は本当にその程度だったのか。」
アベルのつぶやきはもちろんクレスの元に届くはずもなかった。そして直後、アルドたちの目前でクレスの想像を絶する事態が発生する。
左方からエルマード軍を襲うと思われた軍勢はなぜかエルマード軍を取り込んだ上で、更にレダの谷の北上を再開したのだ。これで余裕が出たレダ軍は全軍を右手から襲いかかるベロニカ隊に対応することができるようになった。
「何っ!」
驚いたクレスが見たのは炎の紋章の旗印であった。
「さすがはアイバー女王、セーナ様が手を焼いただけのことはある。」
この展開を読んだアベルは抜群の好機で出てきたアイバーの判断に感服していた。
アカネイア軍を率いてセネーに上陸したアイバーは数日の情報収集の後、イストリア国境でにらみ合いを続けていたサリア・ウエルト連合軍に合流。ヴァルス、レオンと会った後、この戦線の指揮を執ることになったアイバーは巧みな進退で瞬く間に国境戦線のエインフェリア軍を粉砕、更に電光石火の進撃でイストリア北部までのグレース平原までも制圧していた。
クレスもこのことはしっかりと探知していたが、リグリア戦線に出てくるにはまだ時間がかかると踏んでいた。アカネイア軍は長駆遠征のため疲労が抜け切れておらず、サリア・ウエルト軍とて長期の戦いがとりあえず終わったと見て、油断していると判断したからだ。しかしそれは都合のいい思いこみであることをようやく知った。
アイバーはヴァルスやレオンが進言した一時休息の進言を聞かず、そのままリグリア戦線に乗り込むことにした。クレスやヴァルス、レオンの言うように兵たちの体力が厳しい段階に来ていることはアイバーも承知している。しかし緊張した空気が一度緩んだ場合、また戦闘できる状態に戻すまでには余りにも時間がかかる。リグリアの戦線が緊迫している以上は多少不満をもたれても、進撃を続くべきだと彼女は主張したのだ。戦で疲れつつあった二人ではアイバー相手に論破できるわけもなく、そのままリグリア戦線に向かうことになり、この地で伏せていたジェロム率いる奇襲隊を密かに壊滅させていた。
なおセーナからアベルに与えたヒントの正体はこのアイバーのことである。彼の推理の通り、「日沈むところ」とは正しく西であるイストリアを示していた。そして「紅き天を駆ける騎士」とは、サーシャに譲り、かつてはアイバー自身の異名であった蒼天騎をもじっている。アベルがサーシャをヒントに解析した後は、諜報衆を西に遣わして密かにアイバーと接触、今回の連携に至るのである。
「ふん、確かに俺は貴様等のことを憎んではいるが、同じ失敗を繰り返すほどマヌケではないわ。」
ドラゴンスピアをしごきながらリチャードは静かに言う。あたかも猪武者のように単純な突撃を繰り返してきた彼は本人も驚くほど冷静な指揮を取っていた。その振りをしていたのはあくまでクレスを油断させるためである。
(悔しいがどう逆立ちしても俺がヴェスティアにかなわないことはわかった。ならば、この俺の覇道を妨げた奴に八つ当たりするまでだ。)
彼もまたアルドとアベルのことを認め、ティーネと図り道化を演じていた。そしてその怒りの矛先がクレスたちエインフェリアとなったのは至極当然であった。彼のせいで愛する妻と有為な人材を多く失い、あまつさえ復興途上の国土を荒らされたのだから。
「ゆくぞ!レダ軍の強さを見せてやれ!」
リチャードの檄にレダ軍は大歓声で応え、勢いよく右手から迫るベロニカ隊に反撃した。空からはセリア隊から放たれるピラムの雨によって既にベロニカ隊の足は止められており、ここに逆襲を期すレダ軍が突撃してきた以上はどうしようもなくなる。ベロニカ隊はわずかな時間しか保たずにあっさりと壊滅することになった。
これで敵方の攻撃は終わった。リチャードたち主将らは油断しないで周りを見渡していたが、激戦をくぐり抜けた兵たちは緊張の糸が切れたのか、多くのものが座り込んでいた。この様子を見たアベルはクレスの意図を悟った。
(さすがに人の心を読むのが上手いな、クレスよ。)
直後、北と南から地響きのような轟音と共に新たな軍勢が襲いかかってきた。言うまでもなく、クレスが用意した軍勢である。
「勝ったと思った時、人間は最大の隙を見せる。」
それは本来のクレスの戦術にはないものであった。人の心理につけこむこの戦術はカインとして仕えた主セーナの得意とするものである。だがそれはアベルとて承知している。
「確かにこれでレダ軍の士気は大いに落ちてしまっただろう。・・・・だがな、あんまり俺を甘くみないでもらいたい、クレス!」
クレスとアベルの読み通り、リグリアからずっと戦い通しのレダ軍とエルマード・セリア両隊の士気は大きく落ち、動きは目に見えて悪くなった。レダ軍の一部では逃げようとする動きも見られた。こんな状態で戦うことになれば壊滅は必至だったであろう、あくまで戦うことになればであるが。
アベルはここまでの戦術を完璧に見切っていた。最初は先鋒にあったレダ軍も回り込んで先陣に躍り出ていたアイバー軍のおかげで、クレスの仕掛けた軍勢と戦う必要はなくなっていた。
また南から迫る軍勢についてはもっと心配する必要はなかった。もともとレダ軍の奮闘で後方の部隊は温存されていただけでなく、アベルたちが最も信を置く部隊を配置していたからだ。
だがクレスとて後方に精鋭を置いていることは察していた。だから思わぬ部隊を送り込んできていた。それがブロー率いるラグナ神軍である。ミューとブローの確執は敵・味方問わず知れ渡っているが、それはあくまで主将同士のことである。ミューの信を得るためにあくまで勝利を勝ち取りたいクレスは自らブローと交渉を持ったのだ。これにアルフレッド以来の汚名を雪辱したいブローの思惑が合致し、ミューの知らないところで思わぬ共闘が出来上がっていた。
ラグナ神軍の強さはラグナ直属の精鋭だけあって、四竜神直属の竜部隊よりも強力である。いくらアベルが信を置く部隊を置こうが、クレスにはラグナ神軍の奇襲を防ぎきることは不可能だと確信していた。
だがアベル軍にも強大な力を持つ竜がいた。暗黒竜ロプトウスのもう一つの器、ロキである。戦うことが嫌いな彼ではあるが、妹を守るためについにその竜石に魔力を投じる。
「ロキ、君の勇気が人類の希望となり、人と竜をつなぐ架け橋となるんだ。」
リグリア要塞内部の軍議にてアベルの策を聞いて逡巡するロキに、アルドはこのような言葉を言って励ました。
「だから力を貸して欲しい。このままでは人は竜に対して憎しみを抱き続けることになる。・・・竜と人が手を取り合えることを示せるのは君だけなんだ。」
その時の言葉を思い出し、見守るトウヤと妹ユキに言う。
「私も戦います。トウヤさんは援護をお願いします!」
心を固めたロキに迷いはなかった。そして轟音と共に、アルド軍を守るようにして翼を広げた黒き竜がラグナ神軍の前に立ちはだかった。