アルドが激情に駆られるまま、リーベリアへと向かっている間、ハルトムートはふとルゼルに呼ばれてヴェスティア宮殿へと向かっていた。傍らには静かにアトスも付いて来ている。
「アトス、ちょっと前までどこに行ってたんだ?」
実はこのアトス、今でこそしなくなったものの、つい最近までふいと姿を消すことが多くなっていた。しかもそういう時に限ってセーナ昏睡・ラグナ侵攻という大事件が起こるものだから、目の見える者はアトスがラグナと関与しているのではという疑いの目を向け始めていたこともある。しかしハルは彼を微塵も疑ってはいない。もともと未知のものを見つけると、とことんのめり込む彼の性格を知っていることもあって、そういった声を懸命に打ち消している。が、それでもどうも最近はアトスに吹く風は厳しさを増す。
「リーベリア北方の新大陸へ。」
よりにもよってアルサスたちが失踪した大陸にいたというのだから、更に彼を批判する勢いは強くなる。
「全く、グリューゲル№0002が、ヴェスティアを留守にしてるなんて。」
さすがのハルトムートもいわれのない批判をかわすのも疲れてきている。今は原因を究明している暇などないというのに、アトス批判に終始している者にも腹は立つが、明確に新大陸で何をしていたかを言わないアトスにも正直ハルは苛立ってもいた。アトスとてそれをわかっているのだが、どうしてもハルには言えない事情があったのだ。アルドら兄たちとは経緯は違えど、彼らもやり場のない怒りから迷いを増幅させつつある。
そんな二人はアトスに言われた部屋に入ると、アトスと思わぬ人物が二人を出迎えた。
「う、嘘だろ。母上・・・・?!」
ハルトムートは思わず声を上擦らせて、その人物に近づく。それは紛れもなく母セーナの姿であったのだ。しかしアトスがハルトムートの肩を掴んで、制止させる。
「師匠、これはどういうことです?」
沈着冷静なアトスはセーナの正体を理解していた。何しろ目の前のセーナからは全く魔力が発せられていないのだ。
「ち、違うのか?だってソックリだぜ?!」
魔力を感じることの出来ないハルはアトスの制止に思わず驚いた。しかし奥で控えているルゼルが苦笑いしているのを見ると、どうやらアトスの見破りは本当ということのようだ。
「ナルセス殿、そろそろネタ晴らしを。」
ルゼルの言葉に頷いたセーナはいつの間にか、一人の男へと変わっていた。その変わりようにアトスですら若干驚いていた。
「ハル殿は落ち着いておられると思ってましたが、やっぱり心のどこかでセーナ様を求めていたようですね。」
ルゼルは後ろにいる金髪の男に尋ねた。
「そりゃ、無理もないだろうな。あんな立派な母親が急に倒れたと聞けば、誰だって不安になるだろう。」
「?」
ハルトムートはその男をどこかで見た気がした。そう、かつてノルゼリアでのディスティニートーナメントで戦ったヴァルスだ。しかし髪はヴァルスよりも長くなっており、如何にも年を重ねた感がでている。そう考えると、彼は父ホームズではないかと半分確信につながっていた。
「あんたはリュナン王と双璧を為したというホームズなのか?」
これにはルゼルが応える。
「その通りです。もともと数カ月前にふらっとヴェスティアを訪れられて、このヴェスティア宮殿に客将として滞在されていたのですよ。」
「それは知らなかったなぁ。」
「ホームズ様たっての希望で、隠匿されてたもので。これを知っているのはセーナ様と私、そしてミカ様のみでしたから。」
これにアトスが珍しく怒気を籠らせて問う。
「それで今日呼び出したのは我々をからかうためだけだったのですか?」
これには思わずルゼルも溜め息を漏らした。それからルゼルとホームズの悪戯の種明かしが始まる。
つまりは二人が企んだ悪戯はハルたちの心に巣食う隙を炙り出して、ゆとりを持たせるために行ったのである。アトスの内通疑惑によってヴェスティア黄金コンビとすら言われていたハルとアトスがぎこちない関係になっていることは、ヴェスティアの裏事情にを精通するルゼルの妻カリンによってルゼルの知ることとなっていた。それでいて長兄アルド、次兄クレスト、姉エレナの三人が揃って母が倒れたことで己の道を譲らなくなり、収拾がつかなくなっている現在、彼らにまでその余波が回ってくればより酷い事態になると踏んだルゼルがホームズに相談した結果が今回の悪戯で、それぞれの心の弱さを敢えて偽セーナを使って炙り出させて、それぞれに見せつけることになった。
「アトスも、今まで腹に溜めていることを吐き出したらどうだ。我らがそれほどベラベラ喋る人間だとでも思っているのか?」
ネタ晴らしをしながら部屋を移したルゼルは開口一番にアトスに聞く。いつの間にかルゼルの隣には先日のアルドたちの会議にいたサブちゃんがちょこんと座っている。それを見つけたアトスが思わずアッと言いかけたが、それをルゼルは見逃さなかった。
「やはりナバダに行っていたのだな。」
「ナバダ?どこだ、それは?」
ハルトムートの問いにルゼルが新大陸の地図を広げ、南西の方の半島を指した。
「このサブちゃんが言うには、ラグナに虐げられてきた竜族がこの地で『ナバダ』という組織の下で抵抗しているそうです。」
「そんなこと、姉貴からは聞かなかったぞ!」
それを聞いて少しだけサブが照れた。
「あまりにもあの時の空気が悪かったから、言う前に逃げだしたらしいんだ。」
ルゼルが苦笑いして添える。
「そういう問題かよ。こっちにとっては重要すぎる話じゃないか。」
馬鹿馬鹿しくてハルはもう何も言えなかった。コホンと一つ咳をして、ルゼルが空気をまた調える。
「とりあえずアトス、君はその場でチキ様に会ったのだろう?」
「!!」
サブちゃんは目の前で飄々としていながら、その情報網は恐ろしく精緻を極めていた。アルドやエレナの鍔迫り合いに逃げだすなど信じられないほどである。
「そこで何をしたのだ?サブちゃんは状況からの推測だが、チキ様の御子を預かっているのではないか?」
これにはアトスも完全に兜を脱いだ。完璧な情報網に、推理能力、多少性格に難があろうともかつてヴェガがその伝手を頼りにしただけのことはあった。
「すべてその通りです。」
「それで、チキ様の御子は?」
ちらりとサブちゃんを見るが、彼もこういうのは慣れているようで
「知られたくない情報ならば、耳を塞ぐさ。」
と耳栓をした。
「今はロキ・ユキ兄妹の元にお願いしてあります。」
アカネイア大陸のタリスで保護されたロキ・ユキ兄妹は今はウエルトでサーシャ・トウヤ夫妻に守られて穏やかに暮らしている。
「サーシャ様はご存じなのか?」
「もちろんです。今はトウヤ様がお守りしていると思います。」
サーシャはウエルト国王となった弟レオンの要請の元にリグリアに向かっており、残ったトウヤが一人で彼らの面倒を見ていることになる。
「まさかチキ様に御子がいたとはな・・・。しかしそのことをどうして黙っていたんだ?」
「チキ様の覚悟を知ってしまったからです・・。」
「覚悟?」
「御子を預かった時は正直その理由がわからなかったのです。しかしラグナが動いたことでその辻褄がガッチリと合いました。チキ様は己の命を賭けてでもラグナを止めようとしているのです」
おそらく竜族たちの間ではラグナの動きはアカネイア動乱終結の時点で、ある程度は察していたのだろう。セーナ昏睡2週間前にアトスと接触したチキは産まれたばかりの子を彼に託し、彼女は最後の戦いへ向けて準備を整え始めたことをようやく知った。そしてアトス自身は彼女のためにどうにかならないものかと一人悩んでいたいたのだ。
「女々しいな、アトス。そんなことならどうして俺に言わなかった。」
ようやくハルトムートが口を開く。直情径行型に思われているが、やはりセーナとライトの子だけあって頭の回転は速い。
「言えば、間違いなく行くのでしょう?」
苦笑いをしながらアトスが聞く。長い付き合いだからこその阿吽の呼吸である。
「もともとラグナの元に殴り込みに行く予定だったんだ!どこに不都合がある。」
そしてハルは耳栓をしているサブちゃんに頼みごとをした。
「サブちゃんとか言ったか。頼みがあるんだ。」
どうにか何か言いたいのを察してサブが耳栓を取った。
「チキ様と繋ぎを取ってくれないか?ヴェスティアの獅子が力を貸すってな。」
さっきまで友に苛立っていたハルトムートは既になく、若干勢いが付き過ぎているとはいえ以前のハルトムートに戻っていた。
「新大陸に行くのならオーガヒルに行くといいでしょう。フォード殿とレイラ様が残っておられるので何かと力を貸してくれるでしょう。」
サブちゃんを送り出したルゼルは何と新大陸へと向かうハルトムートに便宜を図ってくれていた。ただし厳しい条件がつく。
「ハル殿、アトスの手勢のみで向かってください。軍勢を率いることはなりません。」
「その方がこちらとしても都合がいいや。アイはオーガヒルに残しておくのがいいな。レイラに鍛えてもらえば、更に伸びるだろうし。」
ハルトムートの提案に、ルゼルも頷く。
ハルの言うアイとは、彼が見つけてきた女竜騎士である。もともとはトラキアの孤児院でシスターをしていたが、ハルが一目ぼれをしてそのままヴェスティアへ連れてきてしまったのだ。セーナは彼女の資質に疑問を抱いていたものの、儀式もしっかりとこなしてPグリューゲル入りを果たし、竜騎士としてサルーンやフリードの訓練を受けることになった。まだまだ荒削りだが、訓練している二人からは素質の高さが伝えられており、将来のグリューゲル空軍の核になり得る逸材となりつつある。
しかしアイの家系は実はヴェスティア家に縁のある一族であった。アイの母はかつてはセーナの侍女として仕え、マリクとの戦争時にはシグルド2世に事実上監禁されていた十勇者グーイを救う働きをしていたのだ。最もそのことはアイ本人も知らず、セーナですら覚えていない有様で、時の風化が伺える。
「そうそう、さっきの悪戯、なかなか面白かったから。姉貴にもやっておいてくれないか。」
今、姉エレナは休憩がてらユングヴィに一時的に戻っていたが、もちろんルゼルはそのつもりだ。
「いやぁ、それにしても似てたなぁ。化け終えた後が年食った男じゃなければ、尚更良かったんだがな。」
これには同席していたホームズも吹き出してしまった。
ようやく動き出したヴェスティアの反撃。その一歩は非常に小さいものだが、決して無視できない影響を後に及ぼすことになる。
サブちゃんの仲介でチキとの繋ぎを確保したハルトムートたちは急遽オーガヒルへと向かい、大反撃のための牙を研ぐことになる。