リーベリア北東部にある要衝・ソニア要塞はレダとゾーアの境目とも言える場所にあり、付近の山岳の狭間を利用して作られた巨大な要塞である。ゾーアの魔女と呼ばれたカルラがこの地を統治してからもこの要塞は修復と拡張が続けられ、同じように拡張が続けられたリグリア要塞、リーヴェ水軍の本拠地グラナダと共にリーベリア三大要塞に数えられている。
今回の大戦に及んではゾーア地方のほとんどの地域はラグナ軍の竜たちに蹂躙され、現ゾーア公国当主シェラはまともな抵抗も出来ないままこの要塞に逃げ込むしか出来なかった。しかしシェラの夫シゲンは各地で奮戦し、難民となったゾーアの民たちを必死に救出していた。
これにカナン本国のセネトも素早く動いた。すぐさま隊長サン率いる精鋭・黒騎士部隊を編成し、また自身も精鋭の竜騎士部隊を率いてソニア要塞へと向かった。ただこの時もユグドラルのトラキアと同じように竜騎士の相棒たる飛竜たちが不穏な動きを見せていたために、竜騎士が主力のソフィア公国などの動きはどうしても鈍くなっていた。ソフィア当主レシエから行軍中のその報せを受けたセネトは思わず苦虫を噛みしめたものの、無い物をねだっても仕方ないことを彼は知っていたために焦ることはしなかった。そのためカナン軍の援軍第一陣はわずか20万程度に留まったものの、誰もそれを非難するものはいなく、むしろ果断で的確な指導者と後に評価されることにもなる。ここにいきなり200万も動員したアルドとセネトの経験と器量の差が出ていた。
ソニア要塞で合流したセネトに、今までの失態を詫びるシェラだが、彼は気にもしなかった。
「この奇襲は仕方がない。私がここに来るまでにようやくヴェスティアから事の真相を知ったのだからな。」
セネトも素直な思いをシェラに吐露した。ここに来る途中でヴェスティアからセーナ昏睡の報せと、今回の奇襲がラグナの手の者だと知らされたときは正直戦慄したことを今でも覚えている。
「サン、黒騎士団を率いてゾーアの難民たちを助けてくるんだ!」
引退したシルヴァの後継として後任を任されたサンもまた、かつてホームズと共に戦った実績がある。だからこそ未だにゾーアで戦うシゲンとの折り合いも良い、と考えたのだろう。
「ハイッ!」
元気な返事を残して、サンはすぐさまソニア要塞を北に飛び出した。
その後、シゲンと合流したサンは各地で竜たちと必死の戦いを演じた。シゲンの鋭い剣技と、衝撃力だけでなくサンが隊長になって身につけた身軽さを持つ黒騎士団は2週間近く戦い続け、10万近くの難民をカナンに逃すことに成功している。ただしそれだけの期間を戦い続けた代償を二人は被っている。これ以上の戦いは全滅につながると判断したサンはシゲンを連れてソニア要塞に戻ってきた。
「シゲン、君がゾーアにいてくれて助かった。おかげで多くの難民が救われた。」
「何、サン、いや今はサン隊長だったな。彼女がいなければ、俺もやばかったな。」
ここにサンが割り込む。
「昔みたいにサンでいいよぉ。」
もうそれなりにいい歳をしているサンが昔みたいな口調で言うから、シゲンもセネトも含み笑いをする。とはいえ、実際に戦場では妙に貫禄を増していたサンに、シゲンが抑え込まれることもあったらしい。それだけサンはカナン軍の中枢にいて成長していたのだ。
「そうだ、セネト王に会わせたい人物がいるんだが、よろしいか?」
こういう堅苦しい場面が苦手なのか、シゲンの言葉もしどろもどろになっていた。
「シゲン、私のことはセネトと呼んでもらって構わんさ。周りもそんなことを咎める奴もここには連れて来ておらん。」
そしてセネトはシゲンの言う人物と会うことにした。シゲンが合図を送ると隅で待っていた二人の男女が進み出てきた。まずはシゲンが女剣士を指していう。
「こっちが一人娘のジルだ。」
「魔剣士の後継者か。異名に合わず、綺麗な目をしているな。」
ジルは静かに頭を下げた。
「そしてこっちがホームズとカトリの次男のダンだ。ずっと俺の下で修業してきた間だ。」
「おお、ホームズの息子か、それは頼もしい!」
しかしダンはソッポを向いて、そのままさっきいたとこに戻ってしまった。これにはシゲンも頭に手を当てて苦笑いする。
「すまない、セネト。あいつはなぜか父親の名を出されるのが嫌いらしい。許してやってくれ。」
ダンはどうやら今は反抗期に入っているようだとシゲンが笑っていうものだから、こちらも二児の父であるセネトも心当たりがあるのか、気にはしなかった。
この会合の数日後、ノルゼリアから分派してきたジョセフ率いるヴェスティア別動隊が合流してきた。
「ヴェスティア、アグスティ公国当主ジョセフと申します。ヴェスティア勢40万を含めて、セネト様の指揮下に入りますので如何様にもお使いください。」
実直なジョセフは自身の力量もしっかりと把握しているのか、いきなりセネトに従うと宣言した。寄せ集めの指揮系統分裂という弊害を防ぐための手立てとしては最良の手段と言え、セネトはジョセフの参陣を心から謝し、その労を丁寧に労った。
「ヴェスティア五武王と呼ばれたあなたがいてくれれば心強い。」
しかしジョセフは自嘲する。
「五武王など名ばかり。実際には息子にいいようにされてますがね。」
『暴龍』レクサスのことである。今のアルドにすら刃向かおうというのだから、覇気のない父に対しての態度は言わずもがなである。
「レクサス公子のことか。しかしそんな彼を育てたのはあなたでしょう。」
一応ジョセフを立てるセネトに、またジョセフは苦笑いする。
「あいつはセーナ様たちに育てられましたから、私は関係ありませんよ。」
セネトはこの一連のやり取りだけでジョセフが生まれ故郷のドズルを離れることになった理由がわかった気がした。あまりにも人として卑下し過ぎるのだ。表向きは現バーハラ家に与えるという理由で移されたが、セーナの本心としてはヴェスティアのすぐ隣となるドズルを任せるには頼りないと思ったのだろう。
ただしセネトはジョセフの真の器がわからない。卑下をするからといってジョセフが凡庸というわけでもない。昔のライトのように性格が邪魔をしてその実力が発揮できないだけなのかもしれないからだ。
ともあれ今のセネトにはそれはどうでも良かった。自分に従ってくれることで、指揮できる手勢が大幅に増えることになり、立てられる作戦も大きく幅を利かすことができるようになった。
「いや、余談が過ぎたようだ。ジョセフ殿とその手勢は今夜は要塞南面に布陣してください。」
行軍の疲労を考慮しての配慮にジョセフも素直に笑顔で感謝する。
「それはありがたい。では私も手勢に戻ることにします。」
若くしてエネルギーを漲らせるダンとジル、そして老練ながらに卑屈なジョセフ、対局な二組を扱うのには相当に癖はありそうだが、それを扱うセネトとてかつてはリチャードや数多の驍将と共に歩んできた英傑である。操縦に苦心して、気後れするような人物ではない。彼の手腕に、このソニア要塞の防御力が加われば、如何な竜とて迂闊に手は出なくなるだろう。
ジョセフが合流した3日後、ついにセネトが動いた。カナン本国から更なる援軍が到着し、嫡子セトが共に持ってきたシューターを組み立てて反撃に出たのだ。ラグナ軍の飛竜部隊は飛んでくる巨大な槍に次々と落とされ、彼らの援護を失った地上竜部隊もまたセネトたちの猛攻に押されることになった。
懸命に押し返すカナン軍はセネトの号令の下、一気にゾーア地方制圧に乗り出していく!完全に流れはセネト軍が握っており、圧倒的多数を持って竜たちを人と言う奔流が押し流していく。すでに数日の戦いでゾーア地方の中央まで抑え、勝利はあと少しというところまで来ていたその時である。
突然、前方から『人』の大軍が押し寄せてきた。しかもその旗印にセネト軍は大いに混乱することになる。一番前に翻っているのはかつてセネトが戦ったゾーア帝国のものである。それだけでもわけがわからないのだが、その後方には更なる衝撃が待っていた。
「聖剣の旗印だと!」
前方からの知らせにセネトはその耳を疑った。
聖剣の旗印、それはかつて存在したユグドラルの名家・シアルフィ家のものである。つまりはセーナの元の実家の旗印なのだ。しかも更に調べていくと奥にはイザーク家の旗印まであるという。
「ゾーアだけならまだしも、なぜシアルフィとイザークの軍勢が・・・。」
呆然とするセネトは指揮もままならなかった。そしてその軍勢も最早抵抗する術を持つはずがない。
今まで竜だけと戦うと信じていた兵たちはその軍勢の出現に戸惑い、そして何も知らないまま打ち倒されていく。軍勢の後方を固めていたジョセフはすぐに馬を駆ってセネトの元に急行する。
「セネト王、ソニア要塞まで急いで引くべきです!」
あまりにも切迫した言葉に、ようやくセネトも我に返った。
「そ、そうだな。深く考えるのは後だ!」
「私が殿をつとめましょう。」
ジョセフは一番辛い殿軍を申し出てきた。戸惑いながらも譲り合っている場合でもないセネトはこれを即諾する。
「頼む!そうだ、シゲンたちにも支援させる。」
「感謝します。」
その後、セネト軍はジョセフとシゲンたちの奮闘もあって、ソニア要塞に帰還した。案の定、ソニア要塞も攻められてはいたものの、守りについていたセトら籠城部隊の奮闘で持ちこたえることも出来たものの、反撃の原動力となったシューター部隊は見るも無残に破壊されてしまった。
「さすがにソニア要塞までは間に合わなかったか。」
セネト軍を追撃する謎の軍勢の指揮官は再びゾーア地方を制して、ソニア要塞を睨む形となった。
「仕方がないわ。ベロニカがセトに打ち取られたみたいだし。私たちもヴァーサを討たれたしね。」
指揮官の言葉に、付き添う女性がやや項垂れながらも事態の状況を把握する。
「でもソニア要塞に押し戻しただけでも十分な効果だったわ。敵方も混乱しているでしょうしね。」
「そうだな、ナディア。では俺はミュー様に連絡してくる。」
「こ、これは間違いなく、かつてゾーアを牛耳っていたヴァーサとベロニカのものです。」
ソニア要塞ではセトが打ち取ったベロニカの遺体と、ジルとダンが持ってきたヴァーサの首に再び混乱になっていた。この二人の正体を割ったのはゾーア帝国に軟禁させられていたゼノンをセーナと共に救出したきっかけを作ったナリドである。また後日にはなるが、駆けつけてきたシオンも二人のことを認めている。
「ち、ちょっと待って下さいよぉ。二人はともにセーナ様が打ち取ったんじゃないんですか。」
黒騎士隊長のサンがやや顔を青ざめさせて聞く。これにセネトが表情を厳しくして答えた。
「間違いないはずだ。しかし百歩譲って生きていたとしよう。なぜこんなに若い・・。」
二人の遺骸はどう穿った目を見てもゾーア時代に生きていた頃の肉体の若さそのままであったのだ。ここでダンが出てくる。
「親父伝手だが、聞いたことがある。ラグナの配下・四竜神の一人は死者を蘇らせる力を持っていると・・・。」
それを聞いて、周りの将兵の顔が目に見えて青くなっていった。誰も笑い飛ばそうともしないあたり、本気で見ているのだろう。これに普段は冷静沈着だったナリドがやや声を震わせていう。
「ということはあの外の軍勢、シアルフィ軍とイザーク軍とは・・・まさか。」
これにセネトも頷いて言う。やはり彼とて恐怖というものを感じているのだろう。
「断定はしない。しないが、あの軍勢は、ヴェスティア決戦で散ったセーナの兄君・シグルド2世とその妻ナディアが率いているのだろう・・・。」
そしてこの直後に軍使が敵軍からやってきた。その使者は公然と改めて宣戦布告しに来たのだ。
「我らエインフェリアはラグナ様、及びミュー様に選ばれ、天上から舞い戻ってきたものたちなり。それゆえに遠慮せずに存分にかかってこられたし。我が主シグルド様は楽しみに待っております。」
不敵に言い放った使者はナディアの筆頭重臣だったアラニスであった。青ざめる一同を見渡しながら、悠々と軍勢へと帰っていった。
グランベルの軍神シグルド2世、かつてゼノンとナロンの黄金騎士二人が決死の覚悟で倒した相手が、セーナの双璧と言われた妻ナディアを引き従えてセネトの前に現れた。彼は目の前が暗くなるような衝動を必死に抑え込んで、周りの将兵たちを引き締めさせることくらいしか出来ず、とても反撃に出るような意気は出ずにいた。
ここに人竜戦役における第一段階が終結を迎え、戦局は新たな舞台へと突入していくことになる。