リグリアでの妙な静けさはそのまま3日も続いた。こうなると行動を諌めていたアベルやサーシャにもリチャードたちを止められなくなってきた。リチャードはすぐにレダ奪回作戦を練り始め、そのための部隊編成もアルドと共に行い始めていた。そんな中、ヴェスティア軍をどう分割するか考えていたアルドの元にミルが訪れてきた。
「ミル、何のようだ?」
セーナ昏睡時を知る唯一の証人であるミルはその心に母ミカが受けた衝撃以上のものを受けていたのだが、健気にもアルドのリグリア出征に付いてきていた。そして今ではアルドの侍女として仕えていた。
「レナ様がレダ奪回戦の部隊編成についての意見書をまとめたとのことで、こちらを持ってきていただきました。」
リチャードとアルドが共同してレダ奪回戦の開始を宣言したので、既に慎重論のアベルやレナたちも静かになっており、建設的な意見を寄せてきたのだ。
ミルから意見書を受け取ったアルドはそれを走り読みした。ミルがそれを覗き見ると、その意見書にはアベルや、ガーディアンフォース隊長ミーシャなどヴェスティア軍の幹部の名が連署されていた。そして出撃を想定するメンバーが事細かに理由まで添えられて書かれていた。下手に面と向かって喋ってアルドに反発されることを嫌った彼らは、敢えて距離をおいて理詰めの書状で冷静に判断してもらいたかったのだろう。
意見書を一通り読んで、それを机に戻すとミルに向かって言った。
「ミル、君はハノンやフリードと一緒にサーシャさんの傘下に入って、リグリア要塞でいるんだ。」
「えっ、ちょっと待って下さい!私はアルド様にずっと付いていきます!!」
ミルが驚いて、懸命に反駁する。しかしアルドは冷静に返す。
「駄目だ。これ以上の戦いは君に負担をかけるだけだ。」
だが口ならミルも負けない。
「何でですか、ここリグリアにだって来れたんです。すぐ先のレダにどうして私がいけないというんですか?!」
「ここからは厳しい戦いになるんだ。これにも君は外れた方がいいと書いてあるし、それは私も同意だ。」
「ですが、厳しい戦いとなれば、なおさらです!医療・治癒部隊も必要ではないですか?!」
確かにミルは叔母ミキの後方医療支援部隊MPの半分を率いてきていた。だが、
「後方支援部隊はレダに出してもらう。ティーエさんも、ティーネ女王もそういったことには不慣れではないし、彼らはレダの地理に精通している。」
珍しくアルドの論理は久しぶりに整然としていた。レナたちの思いがまっすぐに伝わっているのだろう。だからこそミルは反論する言葉を失っていた。
「ミル、君が辛いのは僕だった同じさ。しばらくはここで休んでいるといいさ。」
あくまで思いやりを示すアルドだが、ミルには無能の烙印を押されたように感じていた。元々普段から失敗続きでよく母から比較されて、それが悩みの種になっていたのだが、セーナを守り切れなかった件から更に己を追い込むようになっていた。そこでミルはアルドへの忠義を糧にしてリグリアまで懸命に付いてきたのだが、今そのアルドからも見捨てられたとミルは感じてしまっていた。涙を浮かべるミルに、しかしアルドはそれ以上は省みることはしなかった。
「わ、わかりました。これからサーシャ様のところに行って参ります。」
静かにアルドの元を辞した頃にはミルの涙は止まらなくなっていた。
静かにアルドの部屋を出たところ、すぐ外にはレナが申し訳なさそうに待っていた。
「ごめんね、ミル。あなたは全然悪くないわ。」
そして優しくミルを抱きしめて慰める。
「あなたの無念は私もミーシャもアベルも、そしてアルドも知ってるわ。あまり自分を追い込まないで。」
レナとミルは決して長い付き合いではないが、レナはしっかりとミルの心の動揺を把握していた。だからこそアベルたちと練った意見書にミルのリグリア待機を勧め、サーシャにも話を取って、賛同を得たのだ。
「ミル、まだ話したいことがあるの。ちょっと私の部屋に来てくれない?」
ミルが落ち着くのを見計らって、レナは彼女を自室に連れて行った。そこにはアベルやミーシャ、共にリグリアに残ることになったハノンもいた。更に奥にはレナが呼んでいたサーシャまでも同席している。
「ミル、実はあなたにリグリアに残ってもらうにはもうひとつの理由があるの。」
互いに席についたレナがミルに言った。視線を挙げたミルに、アベルが続ける。
「実はな、このレダ奪回戦は非常に危険な匂いがしているんだ。余りにもかつてのレダ解放戦争に状況が似過ぎるのでな。」
アベルはこのリグリアへ来るに従って、再びリーベリアの歴史を振り返っていた。
「レダ解放戦争・・・リュナン様の父君グラムド様らが戦われた戦いですね。」
40年前のことである。かつてガーゼル教国に圧迫されていたレダにリーベリア諸国からそれぞれの国の方針を無視して、レダを憂う勇者たちが当時リグリア砦と呼ばれていたこの地に集結した。リュナンの父グラムドやセネトの父アーレスなどが参加し、サーシャの両親が結ばれたきっかけにもなった戦いである。
大戦は終始義勇軍が圧倒していた。終盤にレダの魔竜クラニオンが襲撃してきたころもあるが、グラムドとアーレスの奮闘で辛くも退けることには成功したものの、義勇軍は事実上分断されることとなり、ガーゼル教国の跳梁をわずかに食い止めたに過ぎなかった。
「義父上は魔竜クラニオンに相当することがレダ中心部で起こると見てるんです。」
レナが付け足し、戦略・軍略というものに疎いミルに噛み砕いて説明する。
「もちろん無ければ無いに構わないが、最悪の事態に備えるのも必要だからな。」
アベルが一つ息を付いてから、レナにあるものを出すように促した。
「もし私たちが全滅することになった場合、あなたとハノンがこれをヴェスティアに届けるの。」
一枚の折りたたまれた書状がミルの前に置かれた。
「これは?」
「次期ヴェスティア皇帝にエレナ皇女を推すための血判状です。」
ハッとして広げてみると、そこにはアベルたちレダへ向かうだろう将兵の血判が押されていた。よく見るとエルマードのものもあった。
「これを受け取るなんて出来ません。皆さんでヴェスティアに帰りましょうよ。」
「ミル、君の気持ちは嬉しいが、国のことを考えると受け取ってもらわないといけないんだ。」
これに今まで静かに聞いていたサーシャがようやく口を開いた。
「ミル、よく聞いて。一年前のアカネイア・パレスの戦いの時に、四竜神の襲撃を悟った義姉さんがアルド皇子を後継に指名するであろう遺書のようなものを託していたのよ。でも結果はあなたも知っての通り。」
ここで一拍おいて続ける。
「ミル、あなたがそれを受け取ってくれればこそ、アベルたちも心おきなく戦うことができるの。皆の気持ちをわかってあげて。」
サーシャの言葉はアベルたちの気持ちを最も的確に示していた。そしてレナが補足する。
「もちろん私たちも死ぬつもりは毛頭ないわよ。アルドたちと一緒にヴェスティアに戻るつもりだからね。」
ここまで言われて分からないミルではない。先ほどから溜めていた涙を拭い、
「我が侭を申してすみませんでした。皆さんの意見に従います。」
そしてサーシャの方にも向いて
「サーシャ様、よろしくお願いします。」
と頭を下げて、この場は和やかに決着した。
アベルたちが危惧するレダ奪回戦、それが杞憂となればいい。しかし彼らはミルにヴェスティアの未来を託し、敢えて死地にその身を投じる。