「主ミューから援軍の御礼を代わって申し上げます。」
レダでの包囲戦を見下ろしながら、二人の男女が淡々と主ミューの伝言を伝えに来ていた。その相手はいつの間にか戦列に復帰していたブローである。
「ミュー本人は何も言わないのか、なぁエイナールよ?」
穏やかな表情をしている女性エイナールは、ミューにエイルと呼ばれながら彼女を支えている重鎮だ。
「ミュー様はリグリアの戦いを差配なさるためにここをすでに発ちました。」
「発ちました、ってことはいたということだな?ふん、まぁいいだろう。これでラグナ様の命も果たしたからこれからは勝手にさせてもらう。」
このブロー、アカネイア戦役頃からセーナたちに苦杯を舐めさせられてばかりで、すっかり心も荒んでいた。ただでさえ素行が悪かっただけに、これに輪がかかると四竜神とその部下たちも失脚しているブローには同情の目もくれなくなる。実際にエイナールと付添の男はブローの言葉を聞き流して一瞥するや、さっさと去っていったのだ。残されたブローは怒りの瞳で眼下のリチャード軍を凝視した。
「まずはレダの獅子王を血祭りにしてやる。」

 ミューの軍勢と、ブローの持つ精鋭・ラグナ神軍の攻撃は既にリチャード軍を混沌のるつぼへと落としこんでいた。中軍のヴェスティア軍は後方においておいた『フリーダムウイング』の奮闘もあって、どうにかアルドらは懸命に切り開いて危地を脱しつつあるが、レダ軍がその切り開いた穴にねじ込んでいる間には敵軍が猛攻を仕掛けてきていた。
 父ライトの時と同じように、アルドもまた奇襲を受けた時は呆然自失としていた。辛うじて包囲こそ抜け出たものの、これ以降は厳しい追撃を受けることになる上に、出遅れたレダ軍をも助ける必要がある。つまりはこの地獄の地にまだ誰か残らねばならないのだ。当然のようにアベルやサルーンら命を惜しまない歴戦の勇者たちが名乗り出たものの、彼らの声を抑えたのは意外にもミーシャだった。
「アベルもサルーンもここでいなくなれば、ヴェスティアはこれからどうなるんですか?それならば私が殿へと残ります!」
仮にもミーシャは故キュアン二世の妹で、ヴェスティア内でもガーディアンフォース隊長だけあって地位も高く、思慮も深い。しかし今回の動乱では夫アベル、嫁レナほどに積極的に発言せずに流れに任せてきた感があったとはいえ、その裏ではしっかりとヴェスティアのこれからを見据えていたのだ。そしてその中でアベルとサルーンはヴェスティアの立て直しに必要不可欠と見て、己を犠牲にしようと名乗り出た。確かにガーディアンフォースの実力を持ってすれば、それなりに敵軍を食い止められることも可能だろうから、最もこの場面では適していると言える。だが女性騎士を残すことにはアベルたちも抵抗があった。
「細かい意地でヴェスティアを潰すつもりですか?!」
今まで物静かだったミーシャの言葉にアベルたちは思わず呑まれていた。
「ここで殿軍を決め合っている暇はありません!私が残ります!」
決然とした言い方にアベルたちも事態を把握して、認めざるを得なかった。
「レナ・・・、私はあなたのような花嫁さんがいて幸せだったわ。アルド皇子のことをお願いするわね!」
最後に言われたレナはしばらく俯いていたが、数秒と経たずに目を真っ赤にして顔を上げた。義母に叱責されないようにとの配慮でもある。
「義母上、後はお任せ下さい!」
これに笑顔を振りまいたミーシャはアベルたちに後を任せると、踵を返して敵軍の襲来へと備えることにし、残った者たちはアベルとレナを一番後ろにそえてリグリアへの帰路へと着いた。
 ヴェスティア軍の撤退を見届けたミーシャは事態の掌握に努める。
「やっぱりレダ軍の撤退を助けないと・・・。」
すぐにミーシャの采配が一閃し、ガーディアンフォースは躊躇うことなく、混沌の戦場へと舞い戻っていった。その先にはレダの迷える獅子王リチャードがいる。

 レダ軍もこの乱戦で指揮系統が見事に寸断されており、撤退など上手くはいかなかった。ひたすらリチャードたちが「南へ」と言っているから、軍勢自体は辛うじて南を進んでいるものの、軍勢の体を為していないからその進度は恐ろしく遅かった。
「ええい、何をしているんだ!リグリアへ戻るんだ!留まろうとするやつは槍をくれてやる。」
リチャードも懸命に叱責するが、混乱に陥っている軍勢には効果はあまり見られない。
「父上、今は軍勢をまとめなければなりません!」
ティーネが現状を把握して、レダ軍の掌握を図ろうするが、リチャードは自論を譲らない。
「そんなことをしている間に壊滅するぞ!」
リチャードの言うことももっともだが、今のこの状況をみるとやはり軍勢をまとめる方が早いと言えるだろう。それをリチャードに言おうとしたところ、突如彼がティーネの方に倒れかかってきた。
「父上?!」
その背後には母ティーエの姿があった。
「ティーネ、早く軍勢をまとめてリグリアへ戻りなさい!ここは私が食い止めるわ!」
二人の口論を聞いていて埒が明かないと思ったティーエはリチャードの気を失わせたのだ。その上でティーエは娘にレダの未来を託すという。
「しかし母上は?」
「あなたが軍勢をまとめている間に、私がサイファードとブラックストライクで敵を食い止める。そしてその後は殿軍となるわ。」
「それでは母上が?!」
「仕方ないでしょ。こうなってしまったのは私たちレダの責任。と言ってもリチャードがいなくなれば、戦後のレダは勝ったとしても他のリーベリア諸国に埋没してしまう。ならば私が残らなくては・・・。」
ティーエもヴェスティアのミーシャと同じように今回の混乱ではあまり口を開いていない。それは心の中に死を覚悟していたからなのかもしれない。
 「ティーエ様、それはなりません。ティーエ様とてレダの至宝です。決して失ってはなりません。その役目は私が引き受けます。」
名乗り出てきたのはレダ三姉妹長女ライラである。だがティーエは澄み切った瞳でライラを見据えて言う。
「ライラ、あなたにこの猛襲を食い止めることが出来るの?絶対、じゃなければここは任せられないのよ?」
こう言われ、ライラは言葉に窮した。彼女はしばらくヴェスティアに詰めていたために、レダ軍の全てを把握しているわけでもない。それに妹二人もそれぞれ分かれている今とあっては、ティーエの言う『絶対』はどうしても出なかった・・・。
「ライラ、辛いことを突き付けてごめんね。でもここは守れると言い切れないとどうしても出来ない仕事・・・、だから私がやるしかないの。」
この場においても適格な戦術を次々と出すティーネもおそらくこの場を凌ぎ切れるとはティーエも思っているが、彼女は次代のレダを背負う身である。母としては任せられなかった。
 「ティーネ、あなたはレダ女王なのよ。リチャードの言うことなど気にせずにこれからはあなたが国を引っ張っていきなさい!いいわね。」
そう言っただけで、ティーエは一気に駆け出して行ってしまった。
「母上・・・。ありがとう。」
ティーネは母の言葉を心に刻みつつ、すぐにライラと共に軍勢の立て直しを進めることにした。

 ようやくレダ軍が軍勢としてまとまり、撤退に入ろうとしたが、ミューとブローの軍勢も黙ってはいない。更に押し込んで、撤退路を狭めようとしてきた。ここに期せずしてミーシャのガーディアンフォースと、ティーエの指揮する精鋭サイファードとブラックストライクが猛烈な勢いで反撃に転じて来た。両者とも死を賭しているだけに迫力が違っていたのだ。
 「母上、ミーシャさん・・・・、ありがとう。おかげでレダ軍は完全にまとまりました。皆さん、二人の分まで南に走るのです!後ろを見ることはなりません!!」
「全軍、南方へ全軍突撃!!」
ティーネ、ライラの叫びと共に一つになったレダ軍の中央突破が始まった。ティーネとライラの魔法が閉じかけられていた撤退路をこじ開け、そこにレダ軍が生を求めて殺到する。しかし敵軍も逃すまじと懸命に追いこもうとするも、しようとすると横腹をミーシャやティーエの精鋭が突いてくる。いつの間にかレダ軍はレダの谷を抜けつつあり、危地を脱しつつあった。こうなるとブローたちも性根を据えざるを得なかった。
 「小賢しい女どもめ!」
怒りに震えるブローはすでに標的をミーシャとティーエに定め、自慢の魔竜軍団を送り込んだ。空から漆黒の火炎を叩きつけてくる魔竜相手には弓兵・魔道士なしのガーディアンフォースには絶望的であった。ティーエもミーシャと合流して懸命に支えるも、自身の魔道騎士部隊サイファードにも限界がある。しかもブローが地上竜部隊にもサイファードの掃討をさせているから、竜族に鍵となる魔道部隊が次々と討たれていくために、ティーエたちの抵抗も次第に弱まってきた。
 「潮時ね・・・。でもこれだけ食い止めることができれば・・・。」
ミーシャは既に勝敗が付いたことを理解していた。既に右腕は魔竜の火炎に襲われ、かなり重度の火傷を負っている。片腕で懸命に馬を駆ってティーエの元に寄せた。
「ティーエ様、私たちが最後に食い止めますから、ティーエ様だけでも逃れてください!」
ミーシャの切実な願いに、しかしティーエは首に振る。
「ミーシャさん、気持ちは嬉しいけれどもそれは無理よ。もう私たちの部隊にこれだけの包囲を突破する力は持ってないわ。それにね・・・。」
南の方を指差して、ミーシャは愕然とした。既に二人の軍勢は死に体と判断したのか、一部の竜たちが南下を始めたのだ。飛竜たちの速さを持ってすれば、まだ追撃は間に合う恐れがあった。
「そんな・・・私たちの奮闘は無駄に終わるのですか。」
ミーシャの言葉に、ティーエは彼女の肩をポンと叩いて、笑顔で言う。
「そんなことはさせないわ。ミーシャ、私の残った精鋭を最期までお願いしてもいい?」
「? 何をするつもりですか?」
「フフ、ちょっと考えがあるのよ。軍勢にはそのまま西か東に行かせてあげて、もしかしたらリグリアへ迂回して逃げられる者もいるかもしれないから。」
「わかりました、ティーエ様。ご武運を。」
「あなたもね。」
 ミーシャは精鋭三部隊をまとめて西へと突撃を始めた。空を駆ける飛竜や魔竜はどうしようもないが、地を這う竜たちならば彼らでもまだどうにか出来た。決死の思いで槍を突くミーシャたちは空から降り注ぐ火球を無視しながら遮二無二突き進んで行く。直後、ミーシャの背後から巨大な魔力が天を突き抜けた。思わずミーシャが後ろを見て、再び驚愕した。
「あれは・・・まさか・・クラニオン!!?」
 レダを巣食う魔竜とされてきたクラニオンは20年前のガーゼル滅亡とともに姿を消した。しかしそれはティーエが大叔母ティータの呪縛を解き放ち、クラニオンを解放したことによる。それ以来、リングオブレダは他の3つの指輪と共に力を失われていたはずだった。
「リングオブレダよ、どうか力をください!」
ティーエは必死に天に祈った。すると心に響く声があった。
『私はユトナ。大地を愛する娘レダとティリアスの末裔よ。あなたはその心が魔に染まろうともレダを守るというのですか?』
これにティーエは即諾する。
「たとえ魔に染まろうともレダの未来を信じるものが救ってくれましょう。私は大叔母様の二の舞になっても構いません。この大地がレダを愛する者の血で染まらなければそれでいいのです!」
修羅とも言える決意に心の声は悲しげに言った。
『分かりました。リングオブレダの封印を解きましょう。そこからはあなた次第です。魔を超え、再び守護聖竜としてレダを守ることを祈ります。』
直後、ティーエの指にあったリングオブレダが輝き始め、見る間にティーエを包みこんだ。

 「あれは?!まさか・・・母上?!」
懸命に撤退するティーネにもクラニオンの姿は見えていた。ライラを促してみると、
「あれは間違いなく、クラニオンです!かつてティーエ様の大叔母様ティータ様を解放する時に見ましたから間違いありません。」
「母上・・・。」
 「クラニオンだと!!過去の遺物をここで持ち出したというのか?!」
驚いたのはブローも同じであった。
「だが魔竜に蝕まれることもあろう。」
クククと笑うブローだが、その読みはあっさりと裏切られることに。クラニオンはまずはティーネたちを追撃する竜たちを猛烈な火炎で吹き飛ばし、次に足元に向くや鋭い尻尾で周りの竜たちを弾き飛ばした。これを見てブローも思わず舌打ちした。
「チッ、理性を持っているのか。ならば俺がヤるしかないな。」
そう言って、新たに新調した魔竜石に自身の魔力を解放させる。ここにリーベリア四聖竜の一角クラニオンと、四竜神に匹敵する実力を持つ魔竜ブローが激突した・・・。


 遠く離れたリーヴェ王都では残った三人の巫女メーヴェとカトリ、ネイファがティーエの気を感じていた。カトリはサリアの隠れ里から万が一のために傭兵団『フリーダムウイング』が連れてきたのだが、ネイファはかつてのハイライン海戦の縁からかアトロムと結婚してリーヴェに籍を移していたのだ。
「リングオブリーヴェが共鳴した・・。ティーエがクラニオンを解放したのね。」
メーヴェの言葉に、カトリも同じようにリングオブサリアを見つめた。
「ティーエ・・・、私たちと違ってあなたは戦えるが故に、辛い日々を送っていたのね・・・。」
「ティーエさん、あまり会ったことはないけれど、優しいお姉さんみたいでした。」
カトリが静かに言うと、ネイファも頷いていた。そしてしばらくすると三人はほろりと涙を流していた。

 レダの谷の奇襲戦は終わった・・・。レダ王城をかばうようにして崩れている竜は、『守護聖竜』クラニオンであった。ブローの執拗な攻撃にクラニオンは良く対応していたものの、ついには屈したのだ。猛る獅子王リチャードの妻となりレダの盟主として荒廃したレダを立て直すだけではなく、心穏やかなティーネを産み彼女に戦の厳しさを教え、女王として母として生きたティーエはこのレダの地にて無残にも闇に打ち破られた。しかし彼女の遺志は確実にティーネに伝えられ、新たなレダの礎となるはずである。彼女は母が託した礎を築くべく、心を新たにして戦いへと向かうだろう。
 しかしその一方で未だにラグナの仕掛けは終わったわけではない。そのティーエの『遺言』に従って西への逃亡を果たしたミーシャたち、そしてリグリアへの帰還を急ぐアベルやティーネたちにミューとその軍師が仕掛けた一撃が襲いかかる。

 

 

 

 

 

 

最終更新:2011年10月08日 20:22