レダの谷から離れたリグリア要塞でもミュー軍の猛攻が始まっていた。サーシャとノール6世は要塞の防御力を頼りにして戦っていたが、量で勝るミュー軍はついに守備の手薄な南側にまで手を広げてきてしまっていた。
「しまった!」
上空でエインフェリアの竜騎士団と戦っていたフリードは、幅広く展開するミュー軍を見て、慌てて要塞に戻ろうとしていた。しかし突如、鋭い突きが彼に襲いかかってきた。
「フフ、よそ見している暇などあるのかね?」
フリードに槍を突きかけてきた男は今まで突き付けてきた相手とは格が違っていた。どうやらこの竜騎士団のトップらしい。
「貴公がこの部隊の隊長のようだが、見たことのない顔だな?ミューの手下なら、さぞ名のある将と見るが。」
「そうか、貴様は俺の名を知らないか。ならば、天上に行ってから聞くのだな、トラキアのハイエナという異名を持つ男をな。」
そして強烈な突きを繰り出してきた。
(フィリップ王の前2代・トラバント王だったか!?)
トラキアのハイエナの名はリーベリア出身のフリードでも知っていた。しかしあくまで謀略家として聞いていたが、ここまで槍が鋭いとは思ってもいなかった。
(だが、私とてリーベリア最高の竜騎士を目指す身だ。要塞には戻れないが、『ハイエナ』に負けるわけにはいかん!)
ここにリーベリアとユグドラルの、時代を超えた至高の竜騎士の戦いが始まる。
しかしフリードの奮闘で今度こそリグリア要塞南部の戦線は悲観的になってきた。ここを守るのはサリアの黄金騎士リョウのみである。彼の意地からすれば多少の攻勢で抜けられることはないだろうが、意固地になって全滅することも十分にあり得た。そして彼を支援するべく、弓・魔法部隊が他方に散っていることが彼の戦いを苦しくしている。これでは敵勢に大きな打撃を与えられる間もなく、被害を大きくするだけであった。
「防げ!防げ!!ここを破られれば、サリアもレダの後を追うことになるんだぞ!!!」
懸命に味方を鼓舞するリョウに、黄金の甲冑を着る兵たちも懸命に奮闘していく。
ここに巨大な火球がミュー勢の敵勢に突っ込んで来て、巨大な爆発から多くの竜たちを吹き飛ばしていった。余りにも壮絶な爆発は北面で戦っていたフリードやサーシャたちの目にも届くほどだった。
「何だ・・・今の火球は?」
一瞬、視界を潰されたリョウだが、目の前の光景に目を疑った。さっきまで猛烈な勢いで己たちを討とうとしていた竜たちがうめき声を上げながら倒れているのだ。
「何があったのだ?」
奥の方を見ると、何やら空を飛ぶ黒き竜が見えた。
「あの竜が放ったのか?どう見ても敵にしか見えないんだが・・。」
そう言って、部下と共に黒き竜を見ていると、目の良い部下が何かを見つけたらしく叫んできた。
「あっ!!蒼き鳥の旗印が見えます!」
この言葉にリョウは懐かしい感じに襲われた。その旗とは、かつて自身を育んでくれた、伝説のレジスタンス『ブルーバーズ』の旗印だったからである。
「トウヤさん、来てくれたんですね!」
感激のあまり、リョウは思わず涙を流していた。
「ロキの奴、随分とどでかい火球を放つもんだな。」
リョウを感激させたトウヤはリグリア南面にかつてかわいがったリョウがいることはまだ知らなかった。そして彼は先ほど放ったロキという竜の火球の威力に目を見張っていたのだ。
「お兄ちゃんも今までの忍従の日を、そして私を助けるために立ち上がったんです。自分で動けることが本当にうれしいのでしょう。」
そう言うのはロキの妹ユキである。
彼ら二人の兄妹は、その実力をラグナに目を付けられて付け狙われていた。彼らが身を寄せるところは次々と四竜神クラウスやブローに襲われ、すんでのところをナバダのホルスに助けられた経緯を持ち、先年のアカネイア戦役ではミューに追われたところをサーシャ・トウヤ夫妻に救い出され、ウエルトのマルス神殿にて匿われていた。しかし今回の大動乱を知って、いてもたってもいられずにトウヤを説得して敢えて第一線に身を投げ出してきたのだ。
しかしここはトウヤの手勢だけではなかった。後方にはおびただしい数の軍勢が続いている。その軍勢が掲げる旗にはヴェルダン公国の聖弓の旗、オーガヒル公国の髑髏旗が並んでいる。実は旧イストリア国境に向かうべき別働隊を担っていたはずのラケル軍は万が一のためにずっとサリア領セネーにて待機していたのだ。そしてアルド軍が動いたという報せを受けて、北上を開始。道中にてトウヤと合流して、ようやくリグリアへと着いたのだ。
ロキが空けたミュー軍の穴に待機していたラケル軍が一気に突っ込んだ。彼らの手勢には天馬騎士団や弓部隊が非常に多く、ヴェスティア軍の中でも竜殺しのエキスパートとされている。何よりも大将たるラケルの活躍は長女ハノンをもはるかに上回り、聖弓イチイバルが放つ光の矢によって辛うじてロキの火球を免れた竜たちが一瞬でその命を散らしていく。更にはラケルが討ち漏らした竜たちもオーガヒルの天馬三姉妹のフィラ、ファリス、フィリアも結託してぶつかっていくことで、力の差を解消、次々と空を舞う飛竜たちを討ち落としていった。
リョウの奮闘もあって、南戦線の決着は着きつつあった。
「これくらい傷めつければ、さすがのミューも諦めるだろう。ユキ、ロキに戻るように伝えてくれ。」
ユキとロキは兄妹だけあってテレパシーのようなもので離れたところでも意思疎通ができるのだ。トウヤの言葉にユキも頷いて、ロキに言葉を発信した。しかし黒き竜は竜のままでい続けた。
「どうしたんだ?」
異変をトウヤも感じつつあった。直後、ユキの言葉を無視するようにリグリア要塞を飛び越えていった。
「ロキ・・・どうしたんだ。」
トウヤの顔には勝ち戦も忘れて、嫌な汗が流れていた。
未だに北面ではトラバントとフリードの死闘が続いていた。時折、フリードが高度を下げては娘ハノンに援護させるが、トラバントはハノンの狙撃を見事なまでに見切って矢を避けていた。
そんな一進一退の攻防を冷ややかに見つめる男がいた。ティーエのクラニオンを打ち破って急行してきたブローである。
「ミューのやつめ、言う割には詰めが甘いな。
そして部下を呼ばせると
「アイツを出して、一気に掃討させろ!」
と言った。怪訝にしている部下だが、ブローがキッと睨みつけると慌てて飛んで行き、何やら巨大な魔方陣を作り始めた。それを見ながらブローは呻いた。
「すべてをこいつで終わらせてやる!」
しかしそんな怒りのブローを冷徹に見ていた一人の男がいた。その男は何やら大きな盾を携帯するや、愛竜にくくりつけてリグリア要塞の方へと飛んで行った。
その竜騎士がフリードとトラバントの間に入ってきた。巨大な盾を受け取るや、
「餞別だ。要塞のものにも体を伏せるように伝えよ!」
と言って、さっさと戦場を離脱してしまった。しかもこのわずかな間にトラバントの槍を振り上げていたのだ。呆気にとられる二人だが、フリードはこの巨大な盾に見覚えがあった。
「これは・・・アイオテの盾!」
アイオテの盾はヴェスティア動乱時にフリードが持っていたこともあって知っているのだが、この盾はかつて持っていた盾よりも美しく、よく手入れがされていた。とても1000年経ったものとは思えなかった。
フリードはその時にはもうトラバントは目に入っていなかった。その奥に禍々しいものを見つけたのだ。すぐに下降し、城壁で守っているハノンたちに伝える。
「すぐに地面に伏せろ!!!」
この直後であった、すべてを焼き尽くす巨大な火焔がリグリア北面を覆い尽くしたのは!
「何事!!」
これにはミューも驚かされた。凄まじい炎が渦を巻いて敵味方問わずに呑み込んでいく光景がそこに広がっていたのだ。視線を北方に移すと、黒き竜がリグリア要塞を睨んでいる。
「あれはガーゼルをモデルに作られた改造竜!ブロー、あなたという人は?!!」
子飼いのエインフェリア、竜たちをブローの手で失ったミューは日頃の冷静さを失い、ブローへの怒りで満ちていた。そしていつの間にやら氷竜石を解き放ち、蒼き竜となってその標的へと向かっていた。
凄まじい火焔が通り過ぎた後、場は強烈に焦げ臭さが占めていた。アイオテの盾によってどうにか火焔を凌いだフリードは辺りの光景に驚愕していた。さっきまで脅威だったはずのミュー軍はそのほとんどを焼き尽くされていたのだ。背後に目を向けリグリア要塞を見ると、北面の城壁のほとんどが黒く焦げており、しかもやや中に入った、安全だった施設までもがすすを被っていた。
「ハノン、無事か?」
父の声に、娘が反応して城壁に身を乗り出してきた。これを見てフリードはほっと胸を撫で下ろす。
軽く見るところ、リグリア軍はほとんどが要塞に戻っており、フリードの注意を聞いたものは無傷で済んだらしいが、彼のいたところを少し離れるとその被害は大きく跳ね上がることになった。命が助かったものも、火焔の直撃を受けた部分は高熱で酷い火傷を負うものも多く、北面のミュー軍が壊滅してなければすぐに北面が落ちたと言えるほどの大惨事を被っていた。
「何ということだ・・・。」
フリードの嘆きが響く中、上空ではもう一頭の黒き竜ロキが先ほどの火焔を放った竜へと急行していた。
だがそこにいたはずの竜はすでに息絶えていた。横たわる竜の前には一人の少壮の男が厳しい表情をして睨んでいたが、ミューが到着するのを見ると、やや表情を和らげた。
「ミュー、一連の作戦、失敗したとはいえ、見事だった。」
この男は四竜神筆頭のラオウである。彼がここにいることに驚いたミューは軽く頭を下げて、返事をする。
「とんでもありません、失敗は失敗です。リグリアを落とせなかったことは万死に値します。」
「そう卑下するな。我らが思っていた以上に人間たちは力を付けていただけのことだ。作戦の第一段階が失敗しただけだ。」
「それよりも、この改造竜はラオウ様が?」
「もちろんだ。先ほどブローの馬鹿にはきつく言っておいたが、聞く耳は持たんだろう。」
「なぜ、ブローがラグナにあそこまで取り立てられるのですか?このままでは我らは彼に滅ぼされます!」
「ラグナ様がブローに期待しているのは人間への飽くなき憎しみだけだ。だからこそ我らに対する非道もラグナ様は余り頓着されないのだろう。」
ラオウの言葉をどこか寂しげにミューは聞いていた。
「それよりも・・・思わぬ客が来ているな。」
ラオウが振り向いて顔を上げると、ロキがいた。ミューもようやく気付いた。
「あれは・・・ロキ!ついに戦場に出てきたのね。」
このロキを見つけて付いてきたサーシャがロキの傍らで止まった。
「あれは・・・ミュー。ということはもう一人の男の人は・・・・四竜神筆頭のラオウ?!ロキ、リグリアへ戻るのよ!」
サーシャの登場でミューがまた妙に殺気立ってきた。しかしそれをラオウが制した。
「ミュー、今日のところは勘弁してやれ。お前とて、軍勢を立て直す必要があるだろう。」
「ですが。」
反問するミューだが、鋭い視線を返してくるラオウによってついに抑えられてしまい、半分不貞腐れたまま軍勢の立て直しのために去って行った。それを見届けてラオウはサーシャとロキに言う。
「君がミューがこだわりつづけたというロキか。なるほどロプトウスの半身だけあって、なかなか鋭い魔力を持っておる。」
これに未だ竜のままのロキがグルルゥとうなり、サーシャに頭をパンパンと叩かれながら抑えられていた。
「だがな、まだまだ心が子供だな。私としてはまだ隣のサーシャ殿と戦った方が楽しめよう。今日のところは挨拶程度に出てきたに過ぎないからここで撤退するが、次からは手加減なしで戦うゆえ、腕を磨いて待っていろよ!」
そう言うなりにラオウはワープの魔法陣に身を委ねて消えて行った。ふぅと息をつくサーシャに、ロキもどうにか落ち着いたようで自身の魔力を再び魔石に封じて人の姿に戻っていった。
そして前方からは救援を求めるリチャード軍からの使者・リーネの姿が見えていた。
この瞬間にレダ・リグリア戦線の奇襲戦は全体的に終息することになった。
また空に昇って行く命の方舟に先ほどフリードにアイオテの盾を託した竜騎士も合流していった。彼の名はミシェイル、マルス、カミュと共にアカネイア三英雄の一人の数えられる、至高の竜騎士も人の未来を憂い、下界へと降りてきていたのだ。
人と竜、この戦いに神も加わることになったこの大乱の行方はどうなることになるのだろうか。その行方は神すら分からないでいた。