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 リグリアの地を脱出したアルドたち一行はサリア領内に入ると、すぐに進路を東へと転じていた。眼前には急峻な山々が迫っているが、決して人が通れない道ではなく、アルドたちは少数ということもあってこの山々の踏破に成功した。山頂から見下ろす先には浄化された霧の沼が美しい水を湛えており、その奥にはサリア神殿が静かに鎮座している。
 アルドはその光景をわずかの間、休憩ついでに愛でていたが、ラケルに促されてすぐに軍勢を立て直して山を駆け下りていった。その先には数十艘もの小舟がリグリアからの協力者によって整えられていた。
「さぁ、この船に乗って神殿に向かいましょう。」
その一人、『フリーダムウイング』のディアナがアルドを促した。一年前のとある事件に関わった彼ら『フリーダムウイング』はサリア神殿の火の神官家リシュエルと懇意になっており、彼らは霧の沼の漁業で生計を立てるようになった民から船を借り上げていたのだ。
 さすがに500名近い部隊のために一度で運ぶことは適わなかったものの、ディアナとセドリックの手引きで数時間と掛からずに全部隊を神殿に渡すことができた。
「皇子、では我らはリグリアに戻りますので、ご武運をお祈りします。」
『フリーダムウイング』隊長セドリックはそう言うと、アルドたちと別れて再びリグリア要塞へと戻って行った。その背中に向けてアルドは感謝の言葉を何度も口にして、セドリックもディアナもそのたびに手をあげて返礼した。苦しい戦いが続いていただけに彼らの中でも一体感が出来ていたのだろう。その光景をラケルやハノン、バリガンも頼もしそうに見守っていた。
 それからのアルドはしばらくの間、太陽を満足に浴びられない日々を過ごすことになる。サリア神殿に来た目的は別に神への祈りが目的なはずがない。それはミルが提案した『最短ルート』の経由地だったからなのだ。そのサリア神殿からは火の回廊、そして、かつて母セーナやリュナンたちが死闘を繰り広げた邪神の祭壇につながている。そしてその邪神の祭壇からもまた北のレダ、東のカナン、南のリーヴェへとそれぞれの回廊を通じて向かっており、今のアルドにとっては東に向かうには最短ルートで通れるのだ。
 セドリック、ディアナ夫妻の作った地図があったので、迷宮となっている火の回廊は問題なく進んでいった。かつては魔獣が溢れていたものの、今ではすっかり浄化されたようで行軍には全く支障が出なかった。しかしずっと地に潜って迷宮を進んでいるために、アルドたちはともかく、付き従う兵たちは次第に不安に苛まれつつあった。その不安が歩みを鈍らせつつあった頃に、今なお激戦の傷跡がのこる邪神の祭壇に着いた。しかしその名前とは裏腹に優しい陽光が降り注ぐ、心休まる休憩地となっていた。
 「ここでガーゼルと母上たちが熾烈なる魔導戦を繰り広げたのかぁ。その面影なんて全くないな。」
それがアルドの偽らざる感想である。この地で戦ったことのあるラケルは20年前の死闘ではあまり活躍こそできなかったが、それでも凄まじい戦いが繰り広げられたことを思い出したのか、しばらくは目を閉じて感傷に浸っていた。それを見てミルとハノンもまた静かに寝そべって、今までの行軍の疲れを癒すことにした。
 兵たちも落ち着きを取り戻しつつあるのを見届けたラケルはアルドに進軍の再開を促した。しかしアルドは南か東どちらに行こうか悩んでいた。おそらく距離的にはカナンの方が短いのだろうが、ソニア要塞の戦線が厳しいこともあってその戦火に巻き込まれる恐れがあるからだ。相手が叔父のシグルド2世とナディア夫婦となれば、すでに戦線を拡大していてもおかしくないゆえに、アルドの推理は実に的を射ていた。
「ならばリーヴェ側に出ましょう。水の回廊ならば私も往復したこともあって知ってますし、出たところはリムネーならば兵たちの休養にも当てられます。それに距離的に短いと言いましても、あっても1日程度の差ですのでここは体を大切にした方がいいかと思います。」
さすがに五武王の一人だけあってラケルの提言には説得力があった。実際に怒りに身を任せていたアルドですらラケルの言を無視できなかったのだから、今のアルドにとって彼女の言葉は千金の価値に思えていたのだろう。
「ならば南だな。」
アルドも断を下して、一行は水の回廊へと突入していった。それを邪神の祭壇から見守っていた一人の老魔道士がいた。彼は一行の様子を見ていたが、結局アプローチもすることもなく見送るしかしなかったものの、彼らの姿が見えなくなるとボソりとつぶやいた。
「彼らが次代を担うものたちか・・・。なかなか良い目をしておったのう。絶望の中にあってもなお、希望を見出そうという視線はもしかしたら・・・あのアルフレッドや我が友カーリュオンすらも上回るのではないのか・・。」


 そんなつぶやきが聞こえるはずもなく、アルドたちは再び暗闇の中を突き進んでいく。あたかも希望を求めるかのように明るい出口を探す彼らは、しかしラケルの正確な記憶力もあって無事に水の神殿へと順調に到着した。そしてリムネーの街を訪れたところ、驚くべきことにリーヴェ政乱でこの地で隠棲していたメーヴェが、名産であるリムネーの湧水を何個もの樽に汲んでおいて待っていてくれていたのだ。厳しい行軍でクタクタだった将兵たちはメーヴェの配慮に歓喜していたが、さすがのアルドやラケルたちは余りにもアルドの行動が読めすぎていたのでしばらくは空いた口が閉じなかったという。
 ラケルが密かにその事情を聞いたところには、何でもセーナからの協力要請があったからだという。
「おそらく2週間くらいしたら疲労困憊の態で子供たちが来るだろうから、リムネーの水で休ませてあげて欲しい。」
とセーナを通じてミカから言われたのだ。この母の気持ちを全面に出した願いをメーヴェは受託しないはずがなかった。とはいえセーナがこう申し出をしているということはアルドがこの道を通ってくることを読んでいたことになる。厳しいノルマを課しながらも、しっかりと助けの手を出すセーナにラケルはやはり人としても女性としても母としても勝てないと実感した。メーヴェもその辺りは同感なようで、そんな彼女に振り回されるアルドを不憫に思ったりもしたほどだった。
 そんな思いを知らないままアルドはともあれ、久しぶりに次の日を休養日とした。付いてきた将兵たちは文字通り、一息ついて、ある者はリムネー名産のワインで喉を潤すものもいた。そんな中でアルドに付いてきたもう一方の協力者に思わぬ人物が接触していた。
「リグリアに行ったと思ったらもうリーヴェに戻ってきたのか。」
話しかけた方は壮年の男だが、まだどこか若々しさが溢れていた。
「父上!もう外に出ていていいのですか?!!」
その男を父と言ったのはリーヴェ第二王子のローランである。となれば、もう一人の男はもう一人の息子アルクによって引退させられたことになっているリーヴェの元英雄リュナンだった。リーベリアを支える一組の親子が片田舎リムネーの街角にて再び出会ったのだ。
「何をそんなに驚いている。もうリーヴェはアルクによって固められた以上は別に私が出歩いたところで、つけ狙うものなどいまい。それに義姉上(セーナ)も復活したらしいからな、街中を歩く理由は十分あるだろう。」
リーヴェ王位、リーベリアの盟主という肩書がなくなったリュナンは想像以上に飄々としたものだった。
「そ、それはそうですが・・。」
明らかに戸惑うローランをよそに、それを楽しそうに見ていたリュナンが更に困らす言葉を言う。
「どうだ、ローラン。お前が義姉上のもとに向かうならば、私も連れていかないか?」
思わぬ申し出に、さすがのローランも二の句が継げなかったが、どうにかして言葉をひねり出した。
「父上、そんなこと出来るわけないでしょう。父上がリーヴェを去れば、リーヴェを守らねばならない兄上が困るではないですか。それに母上を一人にしてどうするつもりですか。」
本音を言えば父が助けてくれるのはローラン本人にとっても助かることは間違いのないことだが、彼は自分のことよりも他人のことを気に掛ける人物であり、リーベリア、リーヴェ、そして家族のことを考えての発言だった。それをわかっているリュナンも静かに反論する。
「心配することはない。リーヴェはメーヴェが支えれば、アルクと二人で十分まとめられる。戦線にしてもソニアとリグリアがこう着状態にある今ならリーヴェが敵に襲われることはないし、敢えてここを襲う意味もないだろう。」
さすがにリュナンもセーナ同様に戦略眼は健在だった。今のリーヴェが戦略的にさほど価値のないことも、屈辱的だが誰よりも理解していたのだ。リュナンの整然とした回答には今のローランも返す言葉はなかった。
「わかりました、父上。私としても父上と戦えることは嬉しいですので、喜んでお受けします。しかし・・・」
「諸将の面前に出るなというんだろ。そんなことはわかっている。自分で捲いた種を枯らすことはしないさ。」
こうして思わぬ形でアルド軍には更なる英雄が加わった。

 しかし当のアルドはそんなこととはつい知らず、一日の休養を過ごした後に、再びラケル・ローラン一行を引き連れて、ノルゼリアを経由して東へと向かっていた。当面の目的地は多数の海軍・水軍が集結しているであろうガルダ島である。母を飛躍させたこの島に戻ってきたアルドに果たして母へと通じる道は用意されているのか、彼の試練はまだ半分を少し突破したばかりであった。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年10月08日 21:28