アルドがリムネーに到着した頃と同じ日、セネトが徹底的に防御に徹しているために膠着状態に陥っているソニア要塞のナディアに一つの情報がもたらされていた。その情報とはアルドが懸念した一つの「きっかけ」となるものであった。ナディアはすぐに夫や重臣を呼び出して対応を図ることにした。
「ヴェスティア宮殿に援軍に出ていたハンニバル(2世)がカナンの要請でカナン城の守備に来ているとは・・・。本当にカナン城はガラ空きのようですな。」
知勇兼備の勇将アラニスが率直な感想を漏らす。
「ならば奪い取ってみてはいかがか。この禿げ頭が軽く行って、王家一族諸共捕えて参りましょう。」
武に優れるラシディが光る頭を乗り出してナディアに言うが、彼女は静かに断言する。
「それが罠よ。我らの視野を広くさせておいて細かな動きを見せづらくさせるための。」
「しかし現実にカナン城はガラガラのようだし、このまま動かずにいても埒があかないぞ。」
シグルドは腕を組みながら、静かに話しだしていた。
「ならばここは敢えて罠に乗ってみるのはどうか?罠であっても打ち払えるように俺とグリューンリッターで行こう。」
軍神シグルド出陣とあれば、確かに小細工程度の策ならば問題もないだろう。しかしナディアには今回の戦いが何か大きなものを忘れていながら戦うことになることを実感していた。罠があることは確定的だが、その何かの確認をしたいと思っているナディアが思わぬ言葉を発する。
「私がカナン攻略に出向きます。いろいろと考えることもあるので、兵は3千もあれば問題ないし。」
言われてみれば、ここソニアではすでに大包囲も完成しており、こうなればナディアの出番はないも同然である。ならばきっかけ作りとしてカナン城にナディアが出ていけば、攻守において心配はない。罠と知っていて余りにも軽く出ていくことにアラニスがわずかに渋ったものの、主たるナディアがその策を押し通したことで一同は納得し、決することになった。
そんな動きをカナンにほど近いノルゼリアを通過中のアルドたちの耳に届かないはずがなかった。
「カナン城が襲われている?」
直前までノルゼリアを治めていた現国王アルクの側近より知らされたアルドはカナン救助をそこで同時に請われることになったのだ。当然、カナンを寄ればそれだけ回り道を通ることとなるのでティルナノグに向かうには大幅な時間ロスになり、しかも謎の軍勢と戦うとなれば更に日をかさませることになる。しかし、アルドは迷わずにこれを承諾した。
「人の屍の上に立つ皇帝になるくらいなら、私は皇帝の位なぞいらない。」
これを受けてラケルやローランはすぐに手勢を転身させて、カナンへと向かうことになる。
こうして思わぬ形でセーナのライバル・ナディアとセーナ嫡子アルドは異郷なる地カナンにて激突することになる。
すでにナディア軍の猛攻がカナン城を襲っていた。ソニア要塞を出たナディアは3千の兵と共に緩やかに包囲してくるナロン軍の間を風のように抜けていくと、カナン王城へと到達してぶつかったのだ。守るのは王妃ヴェーヌ以下、わずか5百余りしかおらず、6倍近い兵力に王妃自らが何十年ぶりに槍を振るう自体にまでなっていた。もともとは5万近い兵は残っていたのだが、ソニア戦線の悪化に伴い人心が不安定になり、各地で盗賊が跋扈していたことで兵が散ってしまっていたのだ。こういう状況はナディアの最も得意とする状況である。
急を聞いて駆けつけてきたカナン兵たちだが、タイミングを合わせることなくバラバラに駆けつけてきたためにナディア軍本陣にたどり着けないまま、それぞれ各個撃破されてしまっていた。あらかたの駆けつけるカナン兵を片づけたナディアが締めの総攻撃に入ろうしていた頃に、ようやくアルド率いる6百の部隊が到着したのだ。まずはラケル率いるバイゲリッターが距離をおいて弓の斉射を放った。ナディア軍の兵士が精確な斉射で傷ついていくのを見たナディアは手ごたえのある敵が現れたことを純粋に喜んだ。
「どこの誰だかわからないけれどもこれは面白そうな戦いになりそうだわ。」
実はアルド部隊は常に急行軍を強いられてきたこともあって、風抵抗の強い旗など目印になるものを一切つけていなかった。だからナディアにとって襲いかかってきた部隊がまさかセーナ嫡子の部隊だとは思わなかっただろう。そしてそれはアルドも同じであった。
ともあれバイゲリッターの斉射を与えたアルド軍は一気にナディア軍と間合いを空けて、その接近を許すことはなかった。弓騎兵隊が半分を超えるこの部隊にとって接近戦は自殺行為に近いからだ。しかしナディアとて軽々と追撃しようとはしなかった。大きく回り込んで再び弓の射程圏内に入ったアルド軍は2度目の斉射をナディア軍へと打ち込んでいく。この辺りはさすがに歴戦のラケルの采配なのだろう。だがナディアとて戦の場は同等以上のものを踏んでいる。そうそう同じ手を喰らうわけにはいかない。
『右後方より敵襲!』
アルドはその報告を受けて、一筋縄で行かないことを改めて悟った。
実はナディアがカナン攻城に使っていた兵数は2千だけである。これだけでも4倍近い兵なのだが、残りの兵はナディア本陣付近に散らして伏せていたのだ。かつてイード砂漠でライトとマリアンが戦ったときにマリアンが使った防衛策である。つまりアルド軍に襲いかかる兵はこんなもので済むわけがなかった。
『左側真横より敵接近!!』
『左前方より敵襲!』
もともとイザーク兵は自然と調和した用兵が得意で、基本的に何もない荒野においてもどこでも兵を伏せることに長けていた。それが要衝の地に建てられたカナン城なれば隠れるところを探すことなど造作もないのだ。至るところから湧いて出てくる兵は千の兵をあちこちに散らしているだけあって、数に関してはアルド軍よりもはるかに劣っているものの、襲われる方にとっては四方八方から攻められるとたとえ少数でも多数と見えるものである。
当然のようにアルド軍の将士たちは一気に動揺していく。しかしさすがにアルドとラケル、ローランたちがその命を守るに託した将兵ばかりである、顔を引きつらせながらも敵に背中を見せることなく、それぞれの得物を繰り出す。すると思いのほか、敵の攻勢が緩いことに気付きつつあった。既に敵将の手を見切ったアルドが敵兵を斬りながら叫ぶ。
「皆、よく見るんだ。取り囲む兵は我らより遥かに少数だ!落ち着いて一人ずつ撃破するんだ。」
そしてラケルも配下のバイゲリッターに喝を与える。
「あなたたちから弓を取ったらただの兵士に成り下がってしまうの。そんなことはないでしょ、あなたたちは由緒正しき精鋭バイゲリッター!狩人あがりの私にその名誉の力を見せて!」
これでアルド軍、特にラケルのバイゲリッターの闘志に火がついた。周りから襲いかかってくる兵たちを返り討ちにして、逃げる敵たちを弓で撃破するという戦い方で各方面の敵を圧倒。遅れて駆けつけてきたナディアの伏兵もまた完全に立て直したアルド軍によってついに撃破されることになった。ここにアルドはセーナのライバル・ナディアに対して一つの手を完全に読み切って打ち破った。しかしまだ彼女の手勢は3倍の2千もある。大事を取ってこの日は戦いを切り上げて、戦場を離脱していった。それと共にカナン城へローランにつき従っていたサーシャの子供たちであるセイヤとナーシャ率いる天馬騎士隊を入れて防備を補強すると共に城兵との協調を図ることも忘れなかった。
翌日、遠目からナディア軍をみると、またわずかばかり数を減らしていた。千五百程度というところであろうか。
「またどこかに兵を隠したのか・・・。それともソニアに戻したのか。」
このころになればアルドは先日とんでもない敵、ナディアと戦っていたことをカナン側から知らされている。だからこそ昨日なりの自由気ままな攻撃が一転してやはり慎重にならざるを得なかった。昨日はマグレで勝てたとアルドも思ったのだ。しかしこれに異議を唱えるのがミルである。
「昨日の勝ちはマグレなどありません。セーナ様と双璧を為したナディア様とて昔の人間、アルド様の戦法を知らないままでいるので、アルド様の戦い方さえすれば勝てます。」
ミルはもう説明は不要だろうが、ミカの長女というだけで特質才能があるわけではない。しかし言ってることに間違いがないのは事実である。アルドもそのようなことをリグリアで負けてから気付くようになっていた。
「わかったよ、ミカ。僕はあのナディアを打ち倒してから、母上に会いに行くさ!」
アルドも覚悟を据えて、手にした軍配を一気に振り下ろす。
カナン防衛線二日目はアルド軍とナディア軍の真っ向衝突で始まった。先鋒は志願したローランが受け持ち、次陣を接近戦に自信を持ったバイゲリッターとラケルが、本陣をアルドがデンと座り、それをバリガンとハノンのPグリューゲル勢が固めるといった感じである。もっともらしい形だが、数はわずか6百しかないので見た目は貧弱そのものであるのは否めなかった。
しかし数はともあれ、戦意は前日の勝利もあって天をも突きそうな位に高くなっていた。意気揚々とナディア軍へと突撃していき、ナディア軍の伏兵がないまま両軍は真っ向からぶつかった。アルド軍の戦い方よりナディアは奇略を用いるよりも、せっかくの多数を活かした押し切り型の戦略を取ったのだ。そしてそんな戦略にも関わらず5百の兵を離脱させたのには二つの理由があった。一つは敵将(まだナディアは敵がアルドとわかっていない)に自身に何か策があると思わせることである。どうやら無策の策と見切られてアルドに攻められた時点でこちらの役割はすっかり無くなってしまっているが、もうひとつの役割はナディアの命に関わることであった。
さて肝心の戦線はと言えば、数の少ないアルド軍が持ち前の精強さを活かして、想像以上に善戦していることであろう。アルドがバリガン・ハノンに対して迂回攻撃させたこともうまくいっている証であるが、やはりナディア本人に迫るほどの攻勢にはならないままであった。
「何かが足りない・・・。」
アルドもナディアもそう思っていた。鍵が余っているのは実はアルドの方である。まだカナン籠城兵が残っており、彼らを使えばおそらくナディア軍を崩れるところまで陥れることができるであろうが、やはりナディアに対する恐れがそれをさせなかった。カナン籠城兵を出せば、そのタイミングでナディアの伏兵が襲いかかることも有り得るからだ。
一進一退の攻防が続き、兵数に劣るアルド軍の動きが少しずつ鈍ってきていた。アルドは自身の直属兵を押し出して、ミルのシスター部隊を残して総掛りの様相を示してきたが、それでもナディア軍の守りは崩せずにいる。それどころかアルド軍の動きを見ていたナディアがついに動き出し、兵をわずかに割いてアルド軍の後方、つまりミルの部隊への奇襲を始めようとしたのだ。当然ミル隊に彼らを防ぐことは無理で、すでに前掛かりになっているアルド隊とて引き返すのは時間がかかる。時間がかかったことへの焦りからアルドがついに経験の浅さを露呈して失態を犯し、そしてそれを老練なナディアは見逃さなかったわけである。負けを覚悟していたアルドだが、天はすでに命の理をゆがめたナディアたちに味方することはなかった。
北側に大回りしてミル隊へと横撃を企むナディア軍別働隊に更に北側からまっすぐに南下してきた竜騎士隊が奇襲をかけてきたのだ。その旗印には竜と二本の聖槍の紋章が描かれていた。カナンの盟友でもあるトラキア竜騎士隊の到着であった。その数は5万。その気になればこの地の全ての勢力を一掃できるだけの数が一気に到来したのだ。
すでに彼らの到着で勝敗は決し、ナディアは負けを悟ると一気に撤退していく。
「何でこんなところにトラキア軍が・・・。」
そう思ったのは勝者のアルドも、敗者のナディアも同じであった。しかしさすがにナディアは彼らが北から来たことに、今まで忘れかけていたことを思い出した気がした。
「ふふ、私もまだまだね。ハイエナの存在をすっかり忘れていたわ。今回の戦いは負けたけど、いい情報を得ることができたわ。」
一方、アルドは王妃ヴェーヌの感謝の言葉を受け取った後に、駆けつけてきたトラキア竜騎士隊の隊長と会談した。すると隊長の顔を見たアルドが思わず驚いた。
「デルファイじゃないか!!」
「あ、アルド皇子!!」
どうやらデルファイと呼ばれた若者もまさかアルドがここにいるとは思わなかったらしい。
ついでにデルファイとは皇帝フィリップがトラキアの次代を託そうとしている存在で、実は名前も三つも所有している。本来の名前であるデルファイのほかに、父の名前を受け継いだハンニバル3世、そして母方の曽祖父の名をとってキュアン3世の三つである。つまり父はヴェスティアで守備をしているハンニバル2世で、母はアルテナの娘ミントであり、その名の通りトラキア半島の北と南の融合の象徴となっている。今年成人したばかりだが、すでにある竜騎士の元で修業を続けておりその手解きを受けて、実力は双竜星のデーヴィドに比肩するほどになっている。当然、これだけのホープだからアルドとて何度も会ったことがある。
「助かったよ、デルファイ。だけどどうして君がここにいるんだ。」
そう聞かれたデルファイは頬を赤らめて言う。彼にとってセーナの後継者に指名されているアルドは同世代の人間ながら尊敬の対象なのだ。
「実は師匠に付いてこちらまで来ていたんです。そしてソニア要塞救出のためにあるところで控えていたら、突然カナン城が襲われたと聞いて駆けつけてきたんですよ。」
そうなるとアルドは一つだけマズいことになったと思った。ナディアのことだからきっとトラキア軍の出現で、ソニア救出への策の一つとして受け取ったのであろう。それを悟ったアルドはデルファイに聞く。
「デルファイ、もしかしたら今回の援軍で君たちのソニア救出のための軍勢の存在が明るみになったかもしれない。師と共に策の練り直しをした方がいい。」
しかしデルファイの師はそういうことも考慮していたようで、彼がアルドの不安を払しょくする。
「ご心配なく、アルド様。師匠は仮にもセーナ様からも『世界最強の竜騎士』と呼ばれた方です。今回のソニア救出策は知られようが、防ぐことなどできませんよ。」
余りにも無邪気に自信満々で言うものだから、さすがのアルドも苦笑いをした。
こうして二日間の戦いを終えて、アルドは再びティルナノグへの道へと急ぐ旅へと戻った。しかしこの一連の戦いでわかったことが一つある。アルドは確実に力を付けており、あのナディアとも互角以上に戦いを繰り広げられたという点である。確かに詰めを欠いて、また最後こそ危なかったものの、そこは経験の差というものだろう。セーナですらボルスの暴走でようやく決着を付けた相手に、アルドはそんなアクシデントもなく対等に戦いきった。そう次代の血の覚醒は想像以上に進んでいたのだ。
しかしそんなこととはつい知らず、アルドはただひたすら馬を駆って中継地点ガルダ島を目指す。