カノンでの攻城戦にて不覚を取ったナディアは退却用に伏せておいた5百の兵と合流を果たすべく、カナン郊外の地へと逃れていた。幸いにもアルド、デルファイたちの追撃はなく、ナディアは悠々とカナンを離脱したものの、合流地点にはなぜかいるはずの5百の兵はいなかった。といって騒ぎがあったようにも見えず、戦いがあったわけでもない。首を傾げるナディアは巻物が地面に転がっているのを見つけた。手にとって読んでいくナディアは愕然として、東の地平線を見つめていくしかなかった。
 ナディアはその巻物を焼き払うと、複雑な表情をしてソニアの陣へと戻って行った。

 一方のアルドは休暇も取らないまま、ソフィアを経由して一気にカナン南部を東進していき、やがて水軍との合流場所であるバージェ公国へとたどり着くこととなる。この時点でティルナノグへの到達へは期限ギリギリというところである。しかしここで思わぬ人物が待っていた。その人物はアルドの姿を見つけると満面の笑みで駆けつけてきた。
「兄上、お疲れ様です!」
それはずっとガルダで腰を据えていた弟のクレストであった。聞くところによればクレストもまたアルドを止められなかった事情があったために、セーナへの出頭命令が下されているはずだった。ただし彼はガルダに留まったということが考慮されて、期限に関してはアルドの半分以下の距離ながら彼と同じ期限が定められていた。とはいえ、すでに間に合うかどうかわからない時期に呑気に兄を出迎えに来るのは何とも凄い神経をしていた。そのことをアルドに聞かれたクレストは、
「兄上を止められなかったのは事実ですから、私は兄上と共に参らねば母上に対して筋は通せませぬ。」
と断固とした口調でいうものだから、当の問題を起こした側のアルドは思わず目頭が熱くなったのを感じたものであった。それを悟られまいと軍勢の方に向かって命じた。
「ミルのシスター部隊から乗船して、次にバイゲリッター、そして最後に我らIグリューゲルとハノン・バリガンのPグリューゲルが乗ることとする。」
 そしてさすがに艱難苦難を超えてきたアルドたちだから船に乗るのも時間はかからずにすこぶる順調であった。しかし、この瞬間をずっと鋭い視線で睨んでいた人物がいた。ナディアの伏兵5百を吸収し、背後にはそれらを含めて5千余りの兵を従えている一人の剣士はそれをじっと見ていて、やがて突撃の合図を出した。そして掲げられたイザーク国旗にアルドたちはカナンに続いてまた驚かされることになる。
「またナディアか!?やはり付けられていたのか?」
イザーク国旗と聞いてまたナディアだと思うのは仕方ないものの、実はそれは誤りであった。とはいえ、おそらくアルドにはこの軍勢を引きつれる人物の名は出てこないだろう。何しろその人物は生前は愚人として知られ、無謀なる戦いからナディアとライトによって事実上謀殺された人物なのだからである。
「本来ならばナディアに復讐を果たすべきではあるが、同じミュー様の配下だけにしばらくは見逃してやるとしよう。その代わりセーナのガキ共には痛い目にあってもらおうか。」
イザーク・エインフェリア軍は主将の指示に的確に従って、一気にアルド軍との間合いを詰めて乱戦へと持ち込んで行った。ちょうどバイゲリッターの乗船が終わり、その船が離岸したばかりでアルド本隊の乗船をさせるにはまだかなりの時間がかかるはずであった。
 文字通り背水の陣となり、数も大差を付けられているアルド軍だが、ここで猛烈なる働きを示すのが十勇者バリガンであった。母から譲られた氷雪の槍マルテを握りしめて、当たるところ敵なしのまま、彼の通るところには死体の山が積み重なっていく。また隊長エルマードをリグリアに残してきたとはいえIグリューゲルもここ一連の出来事で主君を盛り立てるべく結束を強めており、彼らの鉄壁の守りは全くアルドを寄せ付けなかった。そうこうしていたうちにこういう場合を想定していたアルドの策が花開く。後方より騎馬騎士と竜騎士の混成部隊がイザーク軍の背後を襲ってきた。彼らはソフィア公国を中心とする連合部隊である。もしナディアに追撃されて戦端を開くとしたら、この時をおいてないと見ていたアルドは密かにナーシャに依頼を立ててソフィア家のレシエに援軍を求めていたのだ。主家カナンの危機をも救ったアルドの頼みをレシエは断るわけもなく、このような絶妙な間合いでの参戦となった。
 参戦したソフィア軍は1万、決して多いわけではないものの、それでも今のイザーク軍に倍する勢力である。それが後方から包み込む形となれば必勝は間違いなし、とアルド軍の誰しもが思っていた。しかしアルドは楽観しなかった。
(こんなものでナディアを打ち倒せるはずがない・・・。)
自分で考えた中では最善の策を打ったつもりだが、彼自身手数の少なさを嘆いていたばかりなのだ。そしてその予感が的中する。
 「この程度で我が軍略を止めようとは片腹痛い。父から譲られた軍略書『彗星』はこんなものではないわ。さぁ奴らを異郷の海に沈めてやれ。」
そして軍配を大きく振って、配下に火矢を天空に解き放った。セーナの持つ軍略書『流星指南-シューティングスター-』の兄弟作ともいえる軍略書『彗星』がついに生死の壁を越えて日の目を見ることとなる。

 その火矢と共に周囲の土が盛り上がるとそれこそ本隊と同じ数のイザーク兵が湧き出て来た。
「我が名は双剣武アイザック!森羅万象を司る我がイザークの軍法、とくと味わうがいい。」
北から出てきた兵は2千5百。アイザックと名乗る双剣武はセーナが双竜星のモデルとした勇士で、時と共に暗愚となる主君に対して命の限りを尽くして仕えていた。
「我は双剣武ノービス!シャナン様が作られた軍略『彗星』の力を見せてやる!」
そして南からも2千5百という兵がさらにソフィア軍を締めあげていく。共に主君に命を落とされたにも関わらず、ミューによって生か返らされてもなお、忠義の念を忘れないところが凄まじいものである。そんな彼らが命を超えてまで支える主君というのがセーナに身も心も奪われていた愚王クリードである。哀れな死に様が最後まで引きずっていたものの、若い頃は妹ナディアと互角の評価を与えられるほどの秀才で、民衆からも「これでイザークも安泰」とささやかれるほどであったのだ。その素質がミューに生き返らせられて再び開いたのだ。
 そしてそんなクリードは実はリグリアからずっと彼らを付けて来ていたのだ。もともとはアルドと同じ5百足らずの兵だったのだが、何かとミューに目をかけられているのか、カナンに入る頃には万の采配を任されるほどにまでなっていた。これで実績をあげればリグリアの正軍師の座も間違いことだろう。その時、初めてクリードは妹ナディアを追い落とすつもりである。

 そんな思惑も含めてクリードはアルド・ソフィア連合軍をひた押しに押している。クリードを囲むソフィア軍は適当にあしらいながら、アルド軍と合流させると際立った動きを見せていたアルド軍の動きも鈍くなり、いかにも動きづらそうに戦うようになった。縦横無尽に戦うバリガンの騎士団もうまく動けなくなっていき、こうなればクリードは押せば終わりである。
「あっけないものだ、まだまだ引き出しがあったのだがな。」
だがクリードの言葉を聞こえてか、沖で待機しているシレジア水軍の方で少しばかり動きがあった。
「あまり手を出せば兄上の顔が立たないと思って見てたが、こればかりは手助けしないとマズいな。セリア頼む、兄上を助けてきてくれ。それと・・・。」
そして耳元でつぶやいて陸地の一部分を指さすと、それを理解したセリアは掛け声とともに天馬騎士隊を率いて飛び出していった。
 昨年のグルニアの戦いで散った母セイラの後を継いだセリアは母、そして半年前にようやく引退した祖母の天馬騎士隊もそのまま受け継いで、文字通りシレジアを支える一翼となっていた。どことなく不器用だった母とは違い、若くして才気煥発なセリアは回り込んでイザークの右側面を華麗に突いた。このまま時計回りに押しこんで、逆にこのイザーク軍を海に落とし込むつもりなのだ。そしてそれだけの兵力をこのセリアは有している。クレストへの提案で近くの離島に兵を隠していたこともあって、実に3万、セリア天馬騎士団の全軍を投入できていたのだ。しかもただ押しこむだけではなかった。クレストの指示によってクリードのもう一つの伏兵まで潰そうというしていた。
 実はアルド軍のすぐ横にもクリードの伏兵2千が伏せられており、もしアルド軍がクリードたちを押し返した場合は背後を襲って、なおかつ水軍をも焼き払おうと企んでいたのだ。しかしクレストはこれを見破り、セリアによって伏兵を機能させずにクリード本隊と合流させる手筈を取って害をなくさせるという策に出たのだ。
 そして強烈なるセリア隊の攻撃はクリードに抵抗の余地を与えぬまま、時計方向に押し出されてついに仕掛けてあった伏兵と合流する。確かにクリード隊の守る圧力は高くなったものの、兵力では依然セリア隊の加わったアルド軍が圧しているために流れはもう変わりそうもなかった。
「アルド様、ここで一気に総攻撃へ!」
セリアはアルドの元に駆けつけて、総攻撃の命を待った。しかしそれよりも早く不利を悟ったクリードが戦場を一気に離脱していく。
「さすがにナディアに対して一歩も退かなかった男だ。その意地に免じて今日はここで勘弁してやろう。」
そう捨て台詞を残しながらもアルドの不気味なまでの粘り強さに正直驚いていた。


 結局、アルドはクリードのことを追撃しなかった。セリア隊はともかく、アルド直属の部隊は連日の強行軍と先日の激戦も含めて体力に限界が迫っており、とても追撃するだけの余裕がなく、それよりも接岸したばかりの船に早く乗せて、安全を与えてあげるのが優先だと感じたのだ。そしてセリアにはソフィア軍と協力しての見張りを頼み、これでようやく最後の兵まで乗船させることが出来、出港することとなった。
 苦戦の連続だったリーベリア大陸を脱出して一息ついてアルドが言った。
「エレナの言うとおりだった。何百年も待って準備をしたラグナを相手に、守りのまま敵の手を全て凌ぐなど所詮は無理だったんだ。」
遠くなるリーベリアの地平線を見ながら、隣に駆けつけてきたミルが言う。
「しかしアルド様は凌ぎ切ったじゃないですか。」
しかしアルドは反駁する。
「それは違う!私が生きているのは皆の犠牲があったからだ。私が軽挙に出なければ・・・。」
すると今度はそれを聞いていたバリガンが言葉を放った。
「それもまた違うと思いますよ、アルド皇子。ティーエ女王やミーシャさんもアルド皇子に生きてもらうべく、その命を自ら捨てたのです。もしお二方がアルド皇子にそこまで感じなければ、誰も殿軍など引き受けず、それこそ本当に我らは負けていたでしょう。だからアルド皇子、あなたは彼女たちの分まで生き抜くのです!」
「しかしバリガン、果たして私はそれほどの人間なのか?」
アルドの切実な問いに、バリガンは敢えて何も応えなかった。それは彼自身が導く問題であるからだ。しかしバリガンはわかっていた、アルドはきっとセーナに許される。そしてそう遠くないうちに世界を率いてラグナと戦うことになろうと。

 

 

 

 

 

 

最終更新:2011年10月08日 21:30