アルドたちを乗せた連合水軍はついに長い旅路の果てにティルナノグに到着した。かかった日数はちょうど3ヶ月・・・・・・と3日であった。しかしアルドとクレストの顔には悔いはなく、ここ半年でもっとも良い顔をしていた。二人はそれぞれが最善を尽くしたからなのだろう。さすがにラケルやミルは複雑な顔をしており、そのような爽やかな顔をしている二人にかける言葉が見つからないままであった。接岸した船を降りるとそこにはミカが待っていた。
「アルド様、クレスト様、両殿下には星見の丘に参られよ。ほかのものはティルナノグ砦に向かうように。」
冷然とした言葉を放つミカに、取りなそうとミルが出て来たものの、ミカの鋭い視線に一瞬にして足がすくんでしまった。
「ミル、構わないさ。もう『結果』は出たんだ。」
アルドの言う『結果』という意味は、今までのアルドの大返しの結果なのか、セーナからこれから伝えられる結果なのかはこの時点でミルもミカもわからないでいた。
 ともあれミルたちの軍勢をティルナノグ砦に入れて、アルドは母セーナと父ライトが契りを結んだとされる地・星見の丘に登った。謹厳な姿勢を崩さないミカは一言もしゃべらないまま、二人を先導していく。丘の頂上付近にはハルトムートとアトスが引きつれているPグリューゲル最精鋭部隊が設えた陣が築かれており、あたかも敵襲に備えるかのような構えをしていた。当然この陣にセーナと同道していたハルトムートもいたのだが、私情を混同させてしまうとして奥に引っ込んでおり兄二人が来ても出迎えることは敢えてしなかった。
 やがてセーナがいるであろう本陣に通され、三人はその中に入って行った。アルドとクレストは母の気配を察しながらも頭を下げながら入って、目の前に跪いた。
「アルド、クレスト、ご命令により出頭しました。今までのリーベリアの行いに言い訳はありません。そして母上の言いつけに3日遅れたことも許されぬ事実、如何様にも罰しください。」
そう言ってアルドとクレストが一層深く頭を下げた。母はしばらく何も言わずにずっとアルドたちを見ていたのだろう。静かながらに重い視線が届いていたのをアルドは痛いほどに感じていた。そんな状況が5分ほど続いたのだろう。さすがに見かねたミカがセーナを促して、ついに口を開くことになる。
「アルド、クレスト、とりあえず今日はティルナノグ砦で休みなさい。今日の夜、あなたたちへの処分を記した書状をミカに託して送ります。」
そう言っただけで母は立ち上がって、その場を後にしてしまった。二人はなおもしばらく座っていたが、ミカに促されて悄然としたままティルナノグ砦へと戻っていった。
 「どう、戻った?」
セーナが二人をティルナノグ砦に戻した後にミカに聞いた。
「ちょっと厳し過ぎませんか?もともとセーナ様に罰する気などないのでしょう。」
「とりあえず今回砦に戻したのが罰よ。少しくらい萎ませておかないと大きい風船も膨らまないものよ。」
アルドを風船にたとえた意味はミカにも何となくわかった。一気に大息を吹きかけたところで一杯まで膨らませることが難しい風船は少しずつ息を吹き入れることで大きくしていくのが普通である。もっともセーナやミカは一気にデカくなったという特異例ではあるが。
「少なくともクリードがお膳立てをしてくれるんだから、その舞台を最大限に使わないとね。」
「全くセーナ様は人を遊び過ぎですよ・・・。アルド様の身にもなってあげてください。」
ミカのため息は赤みがかった空へと吸い込まれていった。


 夜、ティルナノグは未だに発展が進んでいないこともあって、夜には美しい星空が広がる。セーナのいる本陣、星見の丘はそんな星空を愛でる絶好の場所なのであるが、今、この丘でそんな星空を眺める余裕のあるものはいなかった。誰もが殺気を漲らせて、辺りを睨んでいた。
 そしてそれは突然のことだった。突如黒い影が現れて、いつの間にやら炎を宿した松明を本陣に投げ込んできたのだ!
「敵襲!!」
さすがにPグリューゲル将兵たちはこう言ったことにも慌てることはなかった。事前に役割分担をしっかりしていたこともあって消化班が的確に消化を行うことで陣内の延焼は無事に防がれた。しかしここからが本番であった。火攻めが駄目と悟った黒い影は瞬く間に数を増やして、四方八方からセーナ本陣・星見の丘を攻撃し始めた。その数はなんとざっと見ただけでも万を超える大軍であり、Pグリューゲルがいるとは寡兵のセーナ軍は厳しい戦いを強いられることとなる。
「さすがにクリードね。やりたいようにやってくれる。」
執拗な攻撃にセーナも苦笑するが、まだどこか余裕があった。仮にもこの夜襲を見事に読み切っていただけにそれも仕方ないことなのだろう。
「では私はティルナノグ砦に行って参ります。」
ミカはアルド・クレスト宛ての書状と何やら大きな旗を持って、魔法陣に身を委ねて、飛んで行った。その直後であったブラミモンドが焦った様子で転送陣に飛んできた。
「ガネーシャより向かっているフィーリア様の手勢、イザーク残兵に急襲されております。」
セーナのクリードに対する切り札は二つ用意していた。一つは砦にこもらせているアルドたちの軍勢で、もう一つが敢えてガネーシャに置いておいたフィーリアとゲルプリッターの精鋭である。セーナの得意とする遠隔地から兵を呼び込む軍略は既にクリードは見切って、阻止行動を取って来ていたのだ。
「これはちょっとマズいかもね・・・。」
さすがのセーナも嫌な汗が流れてくるのを禁じ得なかった。遠くのフィーリアにも対応しているということは当然目と鼻の先にいるアルドたちにも対応する手段があるということだ。彼女はすぐにアトスを呼んで命じる。
「この陣を盾に専守することにするわ。いざとなればエレナの真似もしないといけないかもね。アトス、用意しておいて。」
頷いたアトスはすぐに持ち場に戻って、ハルらPグリューゲルら将兵たちに連絡を取り合っていった。なおこの頃には同じPグリューゲルの十勇者バリガンやハノン、アイも合流しており、アベル、サルーンの二隊を除けば一通りの十勇者はこの星見の丘に集っていた。戦力の密度は変えずに数を増やしたPグリューゲルならば、それなりに持ちこたえられるはずではあるが、いかんせん数が知れない重囲の圧力をずっと受けるにはやはりどこか不安を禁じ得なかった。

 一方、星見の丘の異変を察したティルナノグ砦も一気に慌ただしくなっていた。主力のシレジア軍を中心として、軍備が整えられている最中にミカは現れた。
「ミカ、母上は無事なのか?!」
慌てて問いただすアルドに、ミカは彼を落ち着かせると約束通り母からの書状を渡した。
「セーナ様は今回の敵の夜襲を見破られているので大丈夫かと。そしてここにセーナ様からの書状があります。出陣される前に今お読みになってください。」
受け取ったアルドはわずか一行で書かれた内容に目を見張った。
『ヴェスティア第二代皇帝セーナ、謹んでその帝位を息子アルドに譲位する。』
「ミ、ミカ、これは?!!!」
「書面の通りでございます。セーナ様はこれよりラグナと生死を賭けた戦いに臨まれます。それにはヴェスティアの皇帝は重荷ゆえにアルド様にご譲位されるとのことです。そしてこれも・・・。」
そう言って渡したのは金糸で縁取られたヴェスティアの国旗『双龍旗』である。金糸で縁取られた国旗は皇帝にしか扱うことができないことがライト治世のときから法で定められており、つまり、この旗を持ってアルドに帝位を正式に譲るというのだ。
 だがアルドにとって皇帝の位に驚いたのはもちろんだが、手元の書状に『息子』という言葉があったことの方が心からうれしかったのが本音なのだろう。いつの間にやらアルドの目からは止めどなく泣いていた。隣で同じように母からの書状を受け取ったクレストも同様であった。なおクレストの書状の内容は以下の通りである。
『シレジア連合王国の次期盟主に息子クレストとすることを、ヴェスティア先代皇帝セーナは指示する。』
この書状には大きな効力を持つものではない。しかしクレストにとってはどんな法よりも重い文書となったのは確かであった。
 二人の男泣きをしばらく眺めていたミカだが、事態が事態なだけに話を進めることにした。
「アルド陛下、クレスト様、星見の丘にてセーナ様が孤立しておりますので早急に援兵をお願いいたします。なお戦略はお二方にお任せいたしますので、どうか嘆願の儀よろしくお願いします。」
すでに上下関係が逆転しているためにミカが謙って、二人に出陣を促してミカは星見の丘に戻って行った。
「行こう、兄上。何としてでも母を助けよう。すぐに軍勢を出そう!」
感動のあまりにいきり立つクレストを見て、兄アルドは急速に感動から自我を取り戻していった。
「待て、クレスト。仮にも母を襲おうという相手だ。迂闊に出ていけば危険だ。ここはこうしてみよう。」
そう言ってクレストの耳元に呟いて、すぐに弟も納得した。さすがに後のユグドラルを背負うことになる二人の真価が発揮されることになる。

 ティルナノグ砦を飛び出したシレジア兵はざっと見て五万は超えようかという大軍であった。その中にはレイラやラケルもおり、まさにアルド軍の中枢の軍勢でまるでアルド軍全体が出たかのように見えた。すかさずにセーナを攻め上げているクリードも双剣武アイザックからの報告に、しかし冷静に対応する。
「バージェを出た時よりずいぶんと大軍になっているものだな。だがあれは見かけだな。」
クリードはセーナに対して十面埋伏陣を仕掛けつつ、更に遠大な十面埋伏陣をティルナノグ一体に伏せており、それでセーナ救出の援軍を防ぎながらセーナの手が無くなった後に必勝戦術『彗星』を持ってセーナを追い詰めるという戦略を取っている。既に地の理を確保しているクリードの勝手知ったるこの地ではやはりイニシアチブを持って、セーナ親子を圧迫しつつあった。
 そしてティルナノグを飛び出してきたレイラ軍に周辺から伏兵が湧き出てきて、レイラ軍を襲い始めた。決して襲いかかる数は多くないものの、夜陰に紛れて四方八方から襲いかかってくると襲われる側はどうしても数を多く見てしまう。そのためにレイラ軍は瞬く間に浮足立って、セーナ救援どころではなくなってきた。しかしそれもわずかの間であった。金縁の双龍旗がティルナノグ砦から出て来たのである。ついに待ちにまった新皇帝アルドの出陣に、周囲からは歓声が巻き起こった。
「ほぉ、セーナめ、息子に帝位を譲ったのか。ならば先に己の策に溺れているその馬鹿息子を先に天上に送ってやる。」
クリードは一気に采配を振りかざした。
 直後、先ほどレイラ軍を襲いかかった数の数倍の伏兵がレイラ軍を外から救援しようとするアルド軍を更に外から追い込んでいく。辛うじてアルド軍はレイラ軍と合流することには成功したものの、その分軍勢は散り散りとなりつつあり、組織的な抵抗が次第に弱まってきた。ふと天馬騎士団が上空から戦場を離脱していった。苦境に耐えきれずにレイラ天馬騎士隊が戦場を脱出したように見えたものの、この光景を見てクリードが疑問に思った。
「歴戦のレイラが真っ先に戦場を離脱するだと・・・。」
しかし双剣武アイザックは一気の総攻撃を提案した。
「我らも出ましょうぞ。このままアルド軍を追いこんで、セーナ軍諸共に混乱の坩堝に落とし込めば勝ちは目前ですぞ!!」
確かにそれが戦の常道なのだろう。しかし相手は神をも恐れぬセーナと、その彼女が後を託したアルドである。生易しいものではないとクリードは見ていた。
「様子を見よう、まだアルド軍の全容はよくわからないからな。」
 そしてクリードはアイザックの提案した絶好機を逃すこととなったものの、同時に彼の二つ目の命を守ることになる。しばらくすると更なる軍勢がティルナノグ砦を出陣して、内と外からクリード伏兵部隊に逆襲を始めたのだ。最後に飛び出したのがアルドに秘計を託されたクレストである。彼は普段の温厚さをかなぐり捨てて、怒号を発して軍勢を鼓舞しては敵勢に勇猛果敢に突撃していく。
「小賢しい真似を。兵力の追加投入などという愚策に我が十面埋伏陣を破ろうとは!アイザック出るぞ!一太刀でも奴らに意趣返しせねば、気が済まないわ。」
そしてクリードはいつの間にか標的をセーナからアルド、クレスト親子に切り替えて、ついに必勝戦法『彗星』を解き放った。
 クリードたちは別段別の伏兵たちのように隠れていたわけではないものの、夜陰の影響でアルドたちには見えづらい場所に布陣していた。そのためにアルド軍にとっては3段目の伏兵の襲撃かと驚いたものの、すでに手を尽くしたはずのアルドは諦めなかった。
「皆、諦めるな。ここで負ければ母上も敵の手にかかり負けてしまうのだ。謀多きものが勝つ世の中など私はさせない。いいか、皆、それぞれを信じるんだ。その上で命じる、ただただ前進せよ!!」
ある程度、クリード軍の伏兵を蹴散らしたアルド軍は一塊となって前進を始めた。

 この光景は星見の丘からも見えていた。
「アルド・・・、正気なの?流星陣と双璧を為す『彗星』にそのままぶつかるなんて、自殺行為よ!」
セーナの叫びは、しかしアルドに届くはずもなかった。
 この時である、ふとセーナ本陣に襲いかかる敵の攻撃がふいと緩んだ。セーナを始め、ミカ、ハルトムート、アトス、ハノン、バリガンらはその僅かな変化に気付いたものの、その原因を理解すると、一気に流れを変えるべく打って出た。双剣武ノービスによって足を止められていたフィーリアが彼の伏兵陣を強引に突破してティルナノグの戦場に到着したのだ。そしてゲルプリッターを二手に分けて一手をセーナの救出に、もう一手をアルドの援軍へと振り分けたのだ。余裕が出たセーナ軍は一気に一塊となって、坂落としにクリード軍への突撃を敢行した。その陣計はいつの間にか三筋の流星へと変わっており、クリードの意地を粉砕すべく、それこそ流星のごとく星見の丘を下りて行った。
 またこの時、アルド軍の背後から同じように四筋の軍勢が飛び出て来た。アルドが編み出した必勝戦術『星屑の雨』である。アルド軍はシレジア軍を盾にしている間にアルド隊、レイラ隊、ラケル隊、そしてローラン隊と精鋭で構成する4部隊をまとめさせて、一気にクリードへとぶつけに出て来たのだ。この瞬間、星見の丘の麓にて、流星、星屑、彗星が混じり合った。

 星見の丘からは上空には無数に輝く星々、地上には知力を尽くして戦う星々、二つの絶景を見ながらフィーリアは複雑に見ていた。
「父上、母上、命の尊厳もなくなったこの世にどうして二人は現れてくれないの?命を賭けて守ってくれた私がこうしてヴェスティアと生きていることに父上も母上も満足しているということなの?」
母は雷神で恐れられたイシュタル、父は闇の皇子・ユリウス、本来ならばセーナの父セリスがユリウスのグランベルを滅ぼした際に共に死んでいたはずであったのだが、幸運にもその父の仇ともいえるセリスによって生を得た。それだけに彼女は命というものを何よりも大事にしてきており、ここ一連の戦いでその尊厳を汚す彼らに対しては誰よりも強い敵意を抱いていた。
「私の活躍で勝ちに導いたけど、どこか空しいのは何で。そうだ、彼らのように命を何とも思わない人間たちは私が倒したかったのよ!!」
しかしすでに戦況は決している。さすがに彗星と言えども、流星と星屑の両面を相手にするには相手が悪すぎたことを察して、クリードは早々と戦場を後にしていったのだ。それを見届けるフィーリアは呟く。
「天はまだ私に戦えというのですね・・・。見ていてください、私がこの世界を生きている意味を必ず自分で見つけ出します!」
決意を新たにしたフィーリアはゲルプリッターをまとめあげて、セーナ、アルドたちの元へと下りて行った。


 ティルナノグの一大夜戦はここに終結した。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年10月08日 21:32