「そうか、あと1週間こらえればいいのか・・・。」
アトスと共にナバダに復命したリディアはリーダーのエルフィンにセーナとの会見の旨を伝えた。しかし表情はまだまだ冴えないままだ。
「アトスよ、セーナ殿は東へひたすら向かっていると聞いている。我がナバダは遥か西北にあることぐらいは承知しているだろう?」
問い詰める風になっているのは状況が思わしくないからであって、本来のエルフィンは往時のレヴィンのように飄々としているのである。ラオウが本腰となって攻めてきてからというもの、ウナギ登りとなっている犠牲者の数に頭を痛めていることがひしひしと伝わる。
「エルフィン様、セーナ様は必ず参ります。今まで誰もが崩そうとしなかった常識を打ち破るべく、堂々と西から東上して参ります!」
アトスの言う『誰もが崩そうとしなかった常識』というのはこの世界があたかも紙の地図のごとく存在しているということである。まだまだ世界の果てがどこまであるのか分からない時代であるから、西の果てに何があるのか、北の果てに行けばどうなっているのか、誰もが知らないままであったが、近年の航海技術の発展などから邪説とされていた新説が急速に広まりつつあった。その説というのがこの世界が球体の上に存在していることである。この説の急先鋒であるのがヴェスティア城下の研究者ガリレオという人物で、直にセーナに対して自論を展開したこともあって世界ではともかく、ヴェスティアでは旧来の考えに拮抗するほどの勢いを持っていた。そして今回の軍旅を起こすにあたって彼の説の検証も兼ねて、東上路を取っていたのである。
しかし人類の存亡がかかっているこの戦いに、大常識を覆すとはいえ未だに確たる証のない説のために行動を起こすあたりはセーナも凄まじい博打を打ったように多くの者は見るであろうが、実はセーナにとっては必然的にこのルートを取らざるを得ない状況になっていたのだ。ユグドラルから新大陸エレブへと行くのはハルトムートの通ったルートで真っ直ぐ西北に進路を取るのが一番なのだが、当時はラグナが油断していたことは否めない事実で、セーナ復活を機に該当ルート上にラグナ軍が配備されていることは想像に難くない。あくまでナバダ救援をすべくやや南方からリーベリアよりを西上するという手もあるが、レダが完全にラグナ軍の手に落ちている以上は敵の制海権を突っ切ることもあまりにリスクが大きい。あとはリーベリア南方を大きく迂回するルートも考えられるが、あまりにもルートが冗長な上にやはりリーベリア西方(イストリア)沖もラグナ軍の勢力圏のためにレダ沖ほどでないにしろ危険があるために、ハイリスクローリターンなルートであり、セーナが選ぶはずがなかった。未知の怖さもあるが、それ以上に確実に軍勢を届けられると見てセーナはこの東上ルートを取ったのだ。
とはいうものの、セーナとてこの大陸に着くまであとどれくらいかかるかはわからないでいる。念のため随行しているガリレオが理論値を計算しており、その結果が二週間と出ていたのだが、彼の航海に関して技術は素人同然なので潮にどれくらい流されたのか、もしくは逆らっていたのかはわからないため、相当の誤差が出ていることも想像に難くない。そのためアトスも確たることは言えないのだが、彼らを励ますために、そして主君であるセーナを信じるために敢えて確実に来るようなことを言ったのであった。
一方、ラオウ軍にも優秀な諜報衆が雇われているのか、サブちゃんを経由せずともすぐにセーナ軍がこちらに向かっている旨を掴んでいた。
「まさかそういうルートで来るとはな・・・。これではネクロスの援軍よりも先に着いてしまうかもな。」
ラオウも長い経験で、この世界が球状の上で成り立っていると薄々と感じつつあった。全てが落ち着いてから旅に出て、その勘を確かめるべく旅に出ようとも思っていたが、どうやらそうしなくともセーナが事の真偽を証明してくれるというのだ。
しばらくラオウは考えて部下のものを呼んだ。
「ナバダへの強行をこれより控えるよう諸将に伝えよ。」
ラオウはやはり老練であり、無理な強攻は控えることを選んだ。何百年と繰り広げてきたナバダの抵抗ももう青息吐息の状態であり、多少無理攻めすれば落とすこともできるとはラオウでも思っていた。しかし追い詰められたものほど怖いものがないこともラオウは知っており、その抵抗にあったなかでセーナに横槍を入れられた場合のリスクを考えれば今のうちにセーナに対する迎撃を準備しておいて損はなかった。
だがこの時、ラオウは一つのミスを犯していた。それはいくらセーナが来襲したとしても、迎撃準備さえしていればそれほど苦をせずに勝てると踏んでいた点である。それは竜の人に対する無意識のうちに出来上がっている意識と、難敵だったナバダをあと一歩まで追いつめているという実績を合わせれば無理もない話なのだが、このセーナ率いる軍勢も人類の中でも選りすぐった英傑ばかりで率いられた軍勢であり、それでいてセーナとて既に神をも凌駕しようという力を身につけているのである。確かにラオウとて神すら歯牙にかけない実力を有しているが、やはり彼女の軍勢に対してはそれほど危機意識を持ってはいないというのが事実であった。
しかしラオウは長年の経験から末恐ろしいほどの底力を有している。彼は部下を呼び出すと、耳打ちして何事かの策を託して、瞑目した。その夜、ラオウの策を託された部下がいくつかの手勢を分けてナバダ郊外へと消えていった。
そしてセーナたちマルスユニオン神将軍は有り余るパワーを有する将兵を乗せて、今も東へと向かっている。リディアの使いが来てからは昼夜兼行で船を動かしており、西の水平線にわずかに見えていたヴァナヘイム大陸はすっかりと見えなくなっていた。とはいえ、果てしなく続く大海原の上では何もすることがなく、セーナ以下英傑たちもただ目的の大陸が見えることを待つしかなかった。
ある夜、当直の船員から何やら陸地が見えるという報せが飛び交っていた。ミカに叩き起こされてセーナも甲板に上がってその陸地を注視する。すでに地図もない地域を航行しており、またエレブの海岸線もすべては把握していないため、頼りとなるのはラグナたちの魔力を感じ取れるセーナだけだからだ。魔力レーダーとしてセーナはその陸地を睨みつけていたが、やがてふっと息をついて首を横に振る。エレブ大陸ではないということである。船員たちはガックリと首を落としたものの、すぐに気を取り直して舵を西に向けた。再び遠ざかっていく陸地を、しかしセーナはじっくりと見ていた。
(あの大陸にラグナはいない。いないけれども、一体何があるというの?凄い魔力が放射されている・・・。)
セーナが疑問に感じた陸地の正体が明かされるのは更に1000年の時を待つこととなる。そしてこの大陸が1000年後の世界の趨勢を大きく左右する存在となるのだが、さすがにセーナでもそのようなことまで分からなかった。
だがそれから3日余り経った頃である。日がわずかばかり昇り始めた頃に、ガバッと起きたセーナが甲板に駆け上がって船の縁から水平線の彼方を睨んでいた。わずかだが、陸地が見えている。
「ノアとガリレオ、そしてミカを呼んで!」
船員は慌てたように船室へと駆け下りていき、数分と立たずして指名の三人が眠気を隠さずに上ってきた。さっきの船員が叫びながら回っていたのだろうか、寝起きのいいハノンやバリガン、ローランもついでにと上がってきた。
「ガリレオ、あなたの説が見事に証明されたわ!あそこにあるのがエレブの西端よ。」
後にミスル半島と呼ばれる半島が少しずつ大きくなっていた。
「あの半島の中部でナバダとラオウ軍が戦っているということですね。」
ミカの確認するような問いに、セーナは大きくうなづいた。
「間違いないわ、あの大陸に凄まじい量の魔力が渦巻いている。あの中には今は大分弱くはなってしまっているけれども、いつか私を試したホルスのものも感じられる・・・。」
「ついに始まるのですね、人と竜の真っ向からぶつかる決戦が。」
ミカがしみじみと言う言葉に周りの一同は静かに頷いた。
しかしセーナはここで驚くべきことを言い始めた。ラオウの援軍に赴くのはセーナとわずかのものだけで、あとはルーファスを主将にして海軍を分けてより内陸に上陸させるように指示したのだ。ラオウ軍に当たるのはセーナとミカ、ハルトムートの三人とその傘下にある軍勢だけという。あまりにも心配だとハノンやバリガンが諌めるが、それでもセーナは倒す手はあるとして、そのまま彼女の案を押し通した。
「心配しないで、必ずラオウは倒してから私も合流するから。」
透き通った瞳からそう言われると、バリガンもハノンも返せなかった。
海軍はそのほとんどが更に内陸へと進んでいき、2艘ほどの船が半島への上陸体制へと入った。ルーファス軍からの間接攻撃・天馬騎士隊の援護もあって、セーナたちは無事に上陸を果たすことに成功し、軍を軽くまとめた後にすぐにナバダへと向けて行軍を始めた。至るところにラオウが伏せておいた軍勢がいたものの、敢えて少数精鋭で固めたセーナたちは奇襲の影響を最小限にしてずば抜けた戦闘力を持って押し通って行く。そんなことが2日続いただろうか、ついにセーナたちはナバダを見渡せる丘に陣を布いた。ラオウ軍、ナバダ軍双方に見えるように双龍旗を掲げさせて、彼女の到着を知らしめることにした。
当然、ラオウはすぐにセーナの到着を知ることとなった。
「ついに来たか・・・。敢えて精鋭を選びぬいて我にぶつかってきたことは敵ながらあっぱれだが、果たしてそれだけの戦力で勝てるのか。それとも何かまた企んでいるのか。ふふ、これだけ考えさせられるのも久しぶりだな。」
今まではひたすら籠るナバダ相手だったために正直なところ詰らない戦が続いていた。好敵手たるレヴィンがあの中にいるとはいえ、やはり彼ではどこか物足りない思いもしていたのだろう。そんな中で到着したセーナ軍は自分たちを追い散らすべく、盛んに気勢を上げており、そんな敵を相手にすることは決して楽ではないことは明らかなのだが、その人生のほとんどを強敵との手合せで積み重ねてきた彼にすれば、やはり血が滾るのが抑えられずにいた。
「この戦いで人の反撃がなるか、竜の駄目押しとなるかが決まる。皆、敵も必死ゆえに心してかかるように。」
ラオウの鼓舞で、部下の将兵たちも叫びをあげて、一気に士気を高めさせる。
人類最強の女性セーナ、竜族最強の竜ラグナ、ナバダにてその頂上決戦がついに幕を開けることになる。