リグリアからレダにかけての決戦を終えた頃、窮地のままにあったソニアでも動きがあった。カナンへの急襲をアルドとデルファイによって阻まれたナディアはエインフェリア軍へと合流し、駆けつけている援軍の構成と取ってくるであろう戦略を探っていた。
「囲っているのはリーヴェ軍はリーヴェの武神、トラキア軍は英龍に並ぶ若き英傑か。」
ナディアはまとめられた絵図面を見て、静かに考え込む。
「このメンバーを見ると、策を考えてくるのはデルファイの方ね。」
そうなると彼女は頭を抱える。名こそようやく聞いているが、実績を知らないためどのような手を打ってくるのかが全く読めないのだ。カナンで戦ったとは言っても圧倒的な数で押し切られたため、知る時間すらなかった。むしろ、デルファイが率いているということを調べ上げただけでもナディアたちはさすがであったというべきであろう。ただしまだアルクとアトロム率いるリーヴェ別働隊が迫っていることはまだ知らない。
しかしトラキア軍主将デルファイは恐れを知らないのか、ナディアとシグルドに攻めかかった。攻める部隊はナロンを将としたリーヴェ・トラキア混合の騎馬部隊である。三方向から弧を描くように攻めてきたのを見たナディアはすぐに彼らの戦術を見きった。
「三輪の車輪による車懸かりで来るのね!?」
数で上回っているだけでなく、念入りに準備をした上で、必勝の策を弄してくる。ナディアとシグルドにとってはこの上ない脅威ではあるが、むしろこういう場合の方が燃えるのがこの夫婦の特徴だ。
「ここはひたすらに守りを固めること!エバンスの戦いのように私たちが剥き出しになればそれでお終いよ!」
かつてセーナがセリス軍の勇者レスターに対して行った車懸かりの陣をよくナディアも知っていた。防ぐ手もなくはない。横撃して車輪の回転さえ止めれば、むしろ敵勢は大混乱に陥ることになる。それはデルファイも承知しており、ナディア軍を削る車輪を担う騎馬部隊の横と背後に竜騎士や参加できなかった歩兵部隊を配置している。これで機略縦横のナディアを封じるわけである。
専守を宣言したナディアの檄にエインフェリアはよく応え、さすがに粘り強く守りを固め、そう易々と車輪の餌食にはならなかった。ここにいるエインフェリアはリグリアにいた雑兵揃いのエインフェリアとは異なり、まさにシグルドとナディアの子飼いであるシアルフィ・グリューンリッターとイザーク・神速剣士団で構成されている。だからこそ主の意を的確に汲み取り、それを具現化するだけの兵が揃っていたのだ。
しかしナロンも必死に兵を叱咤して、デルファイも懸命に兵を鼓舞する。そしてエインフェリア軍に疲れが見えて、少しずつだが騎馬による車輪が敵陣に食い込み始めてきていた。
「あと少し・・・。」
デルファイがそう思っていたが、傍らにいる竜騎士が首を横に振る。
「まだだ、そろそろ軍神が出てくる!」
彼こそがデルファイが師と仰ぐ、『最強の竜騎士』であった。最も恐れるべきシグルドが前線で戦っていないことに気付き、勝負どころ、つまり今出てくると悟ったのだ。
「すぐにでも兵を引く準備を!」
「しかしもう少し押せば勝てそうですが?!」
尋ねるデルファイはまだ軍神の恐ろしさを知らなかった。
「車輪を強引に止められれば大混乱に陥る。それだけの力を軍神は持っているぞ!」
その忠告にデルファイは素直に従って、伝令をナロンと前線に届けた。その直後だった、軍神が動き出したのは。
軍神シグルド2世と精鋭グリューンリッターは今までいいように翻弄してきた車輪の一つに喰らいつくと、その回転を強引に止めて縦横無尽に暴れ始めた。こうなればもうシグルドの独壇場である。彼の通るところには屍が積み重なっていき、犠牲がウナギ登りとなる。それだけならばまだ良かったのだが、この車懸かりはさきほども言ったように一度止められると脆さを露呈することになる。後続の車輪が何も知らないまま、止まっている車輪にぶつかって大混乱となり、一部では同士討ちさえ始めることになった。幸いにしてデルファイの伝令が間に合って、それ以上の混乱は避けられたが、シグルドに攻められた車輪を構成する騎馬部隊が事実上全滅し、それに突っ込んできた後続の車輪部隊が半壊する被害をこうむった。
唇をかみしめるデルファイだが、最強の竜騎士はまだ辺りに目を配る。
「気を付けろ!まだ敵の手は終わっていない。こういう時こそ策士は最高の力を発揮するのだ!」
これを聞いたデルファイは逆襲の策を思いついた。耳打ちするその表情は年相応の無邪気さを秘めており、最強の竜騎士も思わずつられてしまっていた。
「なかなか面白い!夫に受けた屈辱は、妻に代えさせてやろうか!」
そしてデルファイと最強の竜騎士は本陣を後にした。
そして二人の読みが的中したのはまさにその直後であった。イザークの斬り込み隊長ラシディがシグルドの突入によってできた間隙を突いて、本陣を奇襲してきたのだ。しかし既に本陣に兵はなく、ラシディはまんまとしてやられたことを知る。
「ナディア様の計を見破るか!?このままではここは危険だ、さっさと逃げるぞ!!」
だがすぐにデルファイ軍が反撃に出てきていた。
「思っていたより早かったな。だがデルファイ殿の決断の速さを甘く見られても困る。」
つぶやく最強の竜騎士は鋭い槍を突き出しては敵剣士を突き伏せていく。
「セネトのためにも俺は何としてでもお前たちを破ってみせる!」
決意を新たに、次なる敵に槍を突く。
デルファイの華麗なる反撃にラシディ隊はほぼ全滅の憂き目にあった。ナディア軍本陣に戻ってきたのはラシディと片手で数えるのみであったという。
ソニア要塞をめぐる後詰戦は、シグルドの猛攻に押されたものの、デルファイの機転によって何とか痛み分けで終わった。デルファイも最強の竜騎士も、シグルドもナディアもそれぞれに歯ごたえのある敵の出現に喜んでいたものの、それも大きく状況を変える出来事が起こる。
彼らが戦っていた背後よりアルクとアトロム率いる別働隊が姿を現したのだ。彼らはゾーア地方を解放しながら、要所に兵を置きながらソニア要塞に近づいているという。
「迂闊だったわね。私としたことが。」
そう言いながらもナディアの表情は嬉々としている。
「こうなったら、何が何でもソニア要塞を落として、この地をどうにかしないとね。」
そして傍らに駆け寄ってきたシグルドを見て言う。
「あなたの力をまた貸してちょうだい。とりあえずここでの戦はこれで終わりにさせるわ。」
一方、ソニア要塞では密かに兵の移動が行われていた。実はこの要塞にはカルラが存命の時から、地下を通じてカナン側に抜け出す秘密通路が出来ていたのだ。セネトの命ですでに多くの兵が脱出していた。だがセネトはこの要塞に最後まで残って戦うという。それこそがカナンの礎となる人材を生き残すためであり、そしてセネトがシグルドとナディア二人に対して仕掛けた最大の釣り出し計の餌となるためでもある。最後まで脱出を拒む長男セトとは相当言い争ったが、死を賭したセネトを翻すことなど出来るわけもなく、未練を残しながらもカナンへと落ちていく。
「かつてナロンとゼノンを持ってしても犠牲を出した軍神に、セーナと双璧を成した軍略家が相手だ。こちらとて無傷で終わるはずがない。ならば明日のために俺がその犠牲となろう。」
そして眼下で迫ってくるシグルド・ナディア軍を見下ろしながら、もう眼前にいなくなった息子につぶやく。
「セトよ、カナンの未来は任せたぞ!」
ついにリーベリア東北部でも風雲急を告げようとしていた。