デルファイとの戦いに痛み分けとなったばかりのその日の夜、早くもナディアたちが仕掛けた。今度は今まで背を向けてきたソニア要塞に対して攻めかかる。しかし既に大半の兵を逃がしていたカナン軍に外郭を守る兵力はなく、あっという間に制圧される。状況を把握したシグルドとラシディはすぐに進撃を続け、ついに要塞本体に取り付くものの、さすがにここまで戦線を縮小させれば、数の少なくなったカナン軍も濃い密度での防衛が可能になり、再びソニアの地に激烈な戦いが繰り広げられることになる。
「貴公まで巻き添えにして申し訳なかった。」
迫りくるシグルド軍を前にしてセネトは静かに采配をふるっていた。残った兵も志願して死地に残っただけあって、士気の高さはケタ違いである。唯一の心残りといえば、先日の戦いで重傷を負ったジョセフをこの要塞に残したことである。
「セネト様が気になさる必要はありませんよ。むしろ感謝したいくらいです。ようやく私も光を浴びる時が来たのですから。」
「さすがにユグドラル聖十二戦士の末裔ですな。その死を恐れない姿勢を外の連中に見せてやりたいものだ。」
二人の付き合いはそれこそソニア要塞での籠城戦という短い間であったが、セネトは出会った当初にジョセフに抱いていた評価を翻していた。ただ人の良い人間だと思っていたジョセフではあったが、それ自体に間違いはなかった。しかしどんな状況でも悠然と構える姿勢に、難戦続きで神経がピリピリしていたセネトは一息入れることができていた。これはこれで一つの魅力と言えよう。セーナがドズルからわざわざ離したのは頼りないのではなく、彼の純粋さを守るために政争でグチャグチャするグランベルから離すためだったと思うようになっていた。
(本当ならば彼は戦人ではないのだろう。だがこういう世の中だからこそ彼にはしっかりと見届けて欲しかった。)
それがセネトの思いでもあったが、己のマズい采配でその機は失していた。この上はお互いに泥を付けない負け戦をするだけである。
一方、セネトから生きるよう命じられた長男セトはデルファイ軍の本陣に駆けつけていた。難戦の直後のため、デルファイ軍はソニアの異変を知らずに完全に眠りこけているが、そのセトもまさか今夜敵がソニアに攻めてきているとは思ってはいなかった。
「戦の直後の夜分に申し訳ない。」
セトは急な訪問をまずは謝罪した。年も身分も下のデルファイは大きく首を横に振る。
「とんでもありません。それこそこちらが敵を破れずに父君を始めとしてご迷惑をお掛けしました。」
戦ではナディアの仕掛けを破った英傑もこういうときは年相応の青年であった。一方、『最強の竜騎士』は感慨深くセトのことを見守っていた。
(彼がセネトの子か。さすがに兄上に似ておられる・・・。)
そんな彼にデルファイの一言が現実に戻した。
「お師匠、まだソニア周辺にはシューターがいるのでしょうか?少しでも竜騎士隊を入れておかねば、今のソニア要塞は危険すぎます。」
実はナディアはソニア要塞包囲時に壊滅させたカナン軍のシューターを修理して、カナン空軍対策に多数配置していたのだ。そのため、デルファイは駆けつけてきてトラキア空軍を入れようとした際に痛い目にあっていたのだ。
デルファイの考えは多少の損害を度外視して援軍を入れようというものだ。これに軍師たる『最強の竜騎士』がセトに聞く。
「ソニア要塞に出てきた通路は使えないのか?」
名も名乗らずに上からの口調で問う『最強の竜騎士』に対して、セトに付いて来たシオンはムッとするが、どこかその声に聞きおぼえがあることに気付いた。しかしその程度で誰だったかはおぼろげ程度でしかない。だが記憶の糸を引っ張っていくにつれて、懐かしい顔が浮かんできたのだった。
「残念ながら一度に軍勢を通すのは無理です。我らも時間をかけて兵を出していたので。」
セトの一言に一度シオンは我に返る。これに『最強の竜騎士』は顎に手をかけて考え始めた。その時である、ようやく彼らのもとにシグルド軍のソニア要塞襲撃の報せが入ってきた!
これに即座に反応したのが『最強の竜騎士』であった。
「時間は一刻を争う!デルファイ殿、申し訳ないが、私はすぐに動ける手勢を率いていくぞ!!」
これにデルファイも同意のようで首を頷いた。これにシオンも槍を取って立ち上がる。
「お待ちください、ぜひ私も連れて行って下され。少ない手勢ですが、役には立ちましょう!」
これに『最強の竜騎士』は笑って応える。
「そうか、お前と久しぶりに戦えるとなると、俺も嬉しい限りだ!」
「?」
『最強の竜騎士』の言葉に首を傾けたのはセトであった。しかしシオンはわずかに目を潤ませていう。
「やはり本物だったのですね。ご遺体が見つからないので、もしやとは思っていましたが・・・。」
そして一旦言葉を切って、セトに言う。
「王子、ご紹介いたしましょう。この方はあなたの大伯父・ジュリアス様ですぞ!」
「何と!!」
シオンの言葉にセトは文字通り腰を抜かすほどに驚いた!
リーヴェ王宮でセーナとの一騎打ちに敗れたとされていたジュリアスであるが、結局遺体はその後見つからなかった。そのためわずかだが生存しているのではないかという噂が流れていた。実際はその通りであり、皮肉にも当時カナンを攻略中のセーナ軍によって救われていた。
その後、セーナとフィリップの密約でトラキアへと渡り、トラキアの一騎士として静かに過ごしていたが、やがてデルファイという幼児に出会った。その素養に一目惚れしたジュリアスは彼を世界一の竜騎士に育てようと、フィリップとアルテナに懇願する。もちろんそれは問題なく通り、そしてデルファイは若くして世界に指折りの竜騎士へと昇華した。
その間、デルファイを厳しく教育していたジュリアスであるが、決してカナンのことが気にならなかったわけではなかった。しかし甥たるセネトが問題なく国を運営していると風のうわさで聞き、安堵していた。何かあれば二人の兄の悲劇を繰り返さないように、すぐに何を差し置いてでも駆けつけるつもりだったのだ。
だから今回の戦役でカナンが矢面に立たされて苦しんでいたことを聞いて、単騎でも駆け付けようとさえしていた。それを止めたのが愛弟子デルファイであった。トラキアは絶対に力を貸すだろうから待っていて欲しいと。そして実際にセネトからの援軍要請が来て、フィリップはこれを快諾する。ここに二人の思いが結実し、カナンへと飛び立つことになったのだ。それからの二人の動きはケタ違いに早かった。何しろ竜騎士の有利さがあったとはいえ、リーベリアからティルナノグに返したアルドよりも早く、トラキアからカナンへと駆けつけたのだから、カナンに対する思いが伺えるだろう。
だからこそセネトの決断はわからなくはないが、ジュリアスからすれば忸怩たる思いだったのだ。
「お師匠、私も陸軍のすべてをナロン殿にお預けし、駆けつけられるだけの竜騎士を率いてすぐに後を追います。」
今は感傷に浸っているときではないと、デルファイが話を戻す。ジュリアスはしっかりと頷き、シオンを促して本陣を去って行った。
だがすでにソニア要塞は軍神の猛攻に追い詰められていた。死を賭したとはいえ、生身の兵では軍神の咆哮はさすがに止められなかったのだ。勝負を決すべくナディアは総攻撃に移り、これに勢いを得たシグルド軍によって要塞の大半が陥落した。
「ここまで凄まじいとはな、よくあの時はゼノンとナロンで凌げたものだ。」
「セネト様、そろそろ我々もカロンの川を渡る準備でもしましょうか。」
ジョセフが笑えない冗談を口にし、思わずセネトは苦笑いをする。辺りにはセネトの言に最後まで首を縦に振らなかったジルとダンが懸命に剣を振るっていく。
「後でヴェーヌには怒られるだろうな。ジョセフ殿、私は泳ぎは得意ではないから、溺れたときはよろしく頼むぞ!」
冗談で返しながらセネトは槍を敵兵に突き刺す。既に彼自身が戦わねばならない状況まで追い詰めらていたものの、未だに籠城兵たちの表情は暗くはなかった。敬愛する主君のために死ねることこそが最高の忠義と信じて疑わないものたちであったのだ。そんな思いと共にソニア要塞が落ちようかという時についにジュリアス新竜騎士団が駆けつけてきた!
「要塞などは敵にくれてやっても構わん。とにかくセネトを守り通すんだ!」
25年ぶりに帰ってきたその咆哮にカナン竜騎士たちは大きく歓声をあげ、その勢いに乗って一気に仕掛けた。幸いナディアたちが配したシューターたちも夜戦ということもあって、大した成果を上げるに至らず、易々とその防空網を突破されている。
ジュリアスの襲来はすぐにシグルドたちの知ることになった。
「とりあえずここまでにしておくか、もともとわれらの目的は北への退路を開くこと。これ以上の戦いは連中に余計な恨みを買いかねないしな。」
シグルドはこれからのことも考えて、そそくさと撤退の合図を出した。
「北だ!これより北にむかえ!」
ラシディの絶叫に、今までいいように押してきたエインフェリア兵たちもすぐに攻撃をやめて撤退に移る。
「・・・助かったのか。」
事態の急激な変化にセネトは呆然としていた。
「どうやらカロン川でおぼれるのは勘弁してほしいと、天上の使者が使いを寄越したのでしょう。」
ジョセフが静かに言うと、入口からセネトに似た風貌の男が入ってきて少し驚いた。
「おや、天上の使者というのはセネト様の御親戚の方でしょうか?!」
説明は不要だろうが、それがジュリアスであった。
セネトとジュリアスはしばらくの間、何も言わずに見つめ合うだけであった。周りではすでにシオンの手配りでシグルド軍を追い払っており、既に危険は去っていた。
「あの頃の赤子がリーベリア四王国の名君になるとはな。当然といえば当然だが、・・・・やはり兄上に似ているな。明日のためにあっさりと命を棄てようするあたりも兄貴たちにそっくりだ。」
先に口を開いたのはジュリアスであった。それを聞いてセネトは彼が生死不明の叔父ジュリアスであることをようやく悟った。
「ジュリアス伯父上、生きておられたのですね!?」
「ああ、長いこと留守にしていてすまなかったな。」
それだけで二人の会話は十分だった。
直後、デルファイがまとめあげた竜騎士団が物凄い勢いで攻めかかってきて、麓にいるナディア・アラニス隊を蹴散らす音が聞こえてきた。
シグルドとナディアにとって既にソニア要塞は戦略的にも不要になっており、包囲されているという不利な状況で継戦することはとても出来なかった。といって包囲網を突破することもできなくはないが、それでは犠牲が大きくなる。さらにはソニア要塞にはいくつもの間道が伸びており、その一つをたどってレダに逃れるのが最善と判断して、その道を確保するために急きょ仕掛けてきたのが、この夜襲の全てであった。
おそらくシグルドとナディアが本気を出せば、もっと早くにソニア要塞は陥落していただろう。だが彼らは次の決戦を見据えていたために、セネトたちは生き延びることになった。それをようやく知ったセネトは自虐っぽく言う。
「伯父上、私はどうしてこんなに成長しないのでしょうか。またゼノンの時と同じ轍を踏んでしまいました。」
二度に渡るシグルドとの戦いでセネトはかけがえのない騎士たちを立て続けに失わせた。にも関わらず己は生き恥を晒していることが堪らなく苦痛であったのだ。
「お前の気持ちはわかる。だがお前は生きねばいけない。でなければ、ゼノンもここでお前に死んでいったものたちも喜んで天上へといけないではないか。」
そして静かに続ける。
「これはセーナも言っていたかとも思うが、敢えてもう一度言う。生き恥を晒したのなら、生きてそれを雪げ!二度晒したのなら、二度雪げばいいではないか!死ねば恥を晒してそれで終いなのだからな。」
これはかつての自分にも当てはまったことである。
セーナにわざと負けるべく戦ったリーヴェでの一騎討ち、しかしジュリアスの決意はセーナの好意で半分砕かれ、半分生かされた。その間にカナンは一度滅びたものの、セネトの手により復活し、祖国に己のいる立場は完全になくなったはずだった。しかしヴェスティアに留まっていたときにセーナからこの言葉をもらい、彼はいつかカナンのために戦えるこの日までずっと待ち、ようやくこの日を迎えたのだった。
ソニア要塞の戦いも多くの犠牲は出たものの、どうにか守り切ることが出来た。しかしまだシグルド・ナディア率いる軍勢は健在であり、逆襲を期するのは必至である。
とはいえ、セネト軍はここで更に2週間ほど軍の立て直しに時間を割くことになる。一度撤退させていたカナン黒騎士団もこの間に合流している。一方でシグルド・ナディア軍はリグリアのエインフェリア軍の全滅を知って、そちらとの合流を諦めていた。今はレダ王都とソニア要塞のちょうど中間にあるサイの地にて軍を立て直しているという。
この間にはさすがにリグリアの戦いの結果もセネトたちの耳に入るようになり、事態が想像以上に好転していることを知る。ここに至ってセネトとデルファイはサイの地に向かうことを決断する。大将にセネト、軍師には歴戦のジュリアスが就き、デルファイはトラキア竜騎士団を、副将格のアルクがナロンとアトロムを引き従えて先鋒を務めるという豪華な布陣となり、西から迫るアルド軍とともにシグルド・ナディア軍の挟撃を狙う。
リーベリアにおける戦いはついに天王山を迎えようとしていた。