ローランの指示を受けたナーシャはブラミモンドと母の代から仕える天馬騎士1人を連れて、ネクロスの元を訪れた。その途中でナーシャが同じ天馬に同乗しているブラミモンドに言う。
「実は私はネクロスに会うのは初めてではないのです。」
ブラミモンドが少しばかり驚いたが、天馬の上が慣れないのか大きな反応は示さなかった。普段から謎なブラミモンドの意外な一面を見たナーシャは内心で苦笑しながら続ける。
「まだお母様がサリアにいた頃にふいに彼が会いに来たのです。少しの間だけ話しただけですけど、彼は凄く楽しんで帰っていきました。それが四竜神ネクロスだってお父様から後で聞いたんです。」
さすがに女性に目がないネクロスで、すでにナーシャにも目を付けていたようだ。ただし彼にしては連れ去らないあたりはまだ若すぎた彼女に遠慮していたのだろう。だがナーシャの言う『凄く楽しんで』というあたりがネクロスらしかった。
「あ、見えてきました!」
サウス・エレブより西のコロニー跡にネクロス軍が静かに留まっており、ナーシャは用意していた白旗を掲げてそこに向かっていった。
「お久しぶりです、ネクロスさん。」
やはりナーシャが訪れてきただけあって、ネクロスの対応も早かった。二人が出会ったときには彼が満面の笑みだったのをブラミモンドも良く覚えていた。ただしネクロスがブラミモンドを見る瞳には対照的に凄まじいまでの殺気が込められていたのも感じていた。
(まったくわかりやすい御仁だ。)
素直にブラミモンドはネクロスに対してこんな印象を抱いた。まさしくブラミモンドとは真逆の人間(竜)なのだろう。
そうブラミモンドが思いながらも二人の会談は進んでいく。ナーシャは懐からローランからの書状を取り出すと、ネクロスは少しばかり面倒くさがりながら読んでいく。
(思っていたよりネクロスに怒りの表情は見えないな。もっと感情を剥き出しにしてくるのかと思ったのだが。)
「ローランはあなたとの命を懸けた一騎討ちを望んでいます。勝った方がこのサウスエレブを中心とした地を得る。」
「あの小僧か。だが俺に一人でやって勝てるとでも思っているのか?それにこの一騎討ちをやること自体、俺にメリットがないんだがな。」
それはネクロスの言うとおりである。既に彼も調べているようで、ローランの手勢が当初よりも遥かに少なくなっていることはわかっている。要はこの一騎討ちはローランの都合で行いたいという意味合いが強いのだ。だがナーシャもそれはわかっていた。
「それはローランも承知してます。なので対応できる条件があれば、呑ませてもらいます。」
条件と聞いて、ネクロスは渋い顔ながらも内心でニタリとしていた。このあたりからブラミモンドもそれを察して、内心では警戒し始める。
「条件ねぇ。そうだな、一騎討ちで俺が勝てば、お前たちの軍勢をそのままアクレイア攻めの先鋒として使わせてもらおうか。」
大した犠牲が出ない戦になるのならば、その軍勢も取り込んでしまおうというのは合理的な考えである。
「ただし万が一、ローランが勝っても俺の手勢は貴様らにはやらん。サウスエレブから撤退させるだけだ。まぁもっとも掌中に入れても俺の軍勢を扱えるとは思わないがな。とりあえずこれが一つ目の条件だ、どうだナーシャちゃん、呑んでくれるかな?」
これだけでも随分とローランに不利な事項であった。しかしナーシャは首を縦に振る。これだけでこの交渉の全権を彼女が握っていることをネクロスは察知した。まだ交渉ごとに経験が足りない彼女相手ならば、いくらでも良い条件を釣りだせると踏んだのだ。かつてヴァナヘイムでエレナに弄ばれた経験を持つネクロスからすれば、この瞬間は格別だったであろう。
「じゃあ、二つ目はそうだなぁ。俺がローランに勝った場合、ナーシャちゃん、君が俺の奴隷になることだ。もちろん悪いようにはしないさ。全てが終わった後にはウエルト王国の女王にでも即位させて、リーベリアをまとめさせてやる。」
もっともらしい言葉を吐いてはいるが、ようはネクロスの素が出た条件とも言える。確かにナーシャを奴隷ないし、人質にとっておくだけである程度、リーベリア勢への牽制にはなる。しかしそこまでネクロスが考えているのかといえば、間違いなく否であった。とはいえ、この条件はローランから呑む必要がないと言われた条件であった。
果たしてナーシャはすぐにこの条件を受け入れた。これにはブラミモンドと付き添いの天馬騎士が驚いただけでなく、ネクロスも少なからずそうだった。
「ナ、ナーシャ殿!」
ブラミモンドが制止しようとするが、間髪いれずにネクロスが大笑いをして言う。
「そうか、呑んでくれるのか。なら決まりだ。2日後の日の出にでもローランと一騎討ちに望んでやろう。」
さすがにネクロスも老練であった。言質が取れた以上は下手にブラミモンドに口出しさせる必要はないのだ。
「お聞き届けいただきましてありがとうございます。では私も失礼します。」
そしてナーシャはブラミモンド以下を連れて下がっていった。
「上々だ。いざローラン軍と乱戦になれば、ナーシャちゃんの命を落としてしまう恐れすらあったからな。」
ネクロスは交渉ごととはいえ、ナーシャと話が出来ただけでなく、恐ろしく有利な条件が結べて上機嫌であった。
「あとはあの小僧か。何、セーナの作った剣を握っているらしいが、所詮小僧は小僧、俺の力で踏み潰してやるさ。」
そして何かを思い出したかのように傍で侍るヤアンに言う。
「一度お前たちはベルンまで戻っていいぞ!」
「な、何を仰るんですか。我らはネクロス様の一騎討ちを見守らなければ。相手とて何をしてくるかわからないのですから。」
「心配するな、ナーシャちゃんもメーヴェちゃんの次男坊もそんな真似はしないさ。まぁブラミモンドは怖いがな。所詮あの軍では何も出来やしない。」
意外とネクロスはそのあたりを把握出来ていたことにヤアンは驚いた。
「そ、そんなものでしょうか。」
「そういうものだ。だからさっさと下がってのんびり待っていろ。俺がとびっきりの美女を連れて戻って来てやるさ。」
言われるヤアンにしても今回の戦いに不安な要素はないと思っていたため、あまり深く思うことなく頷いた。
「かしこまりました。ではベルンでお待ちしています。」
そしてヤアンはネクロス軍をまとめて下がっていった。
一方、妙な雰囲気になっているのはローラン軍に戻っている途中のナーシャたち一行であった。
「ブラミモンドさん、すみません。出過ぎたことをしてしまって。」
「ナーシャ殿が決められたことです。しかし、良いのですか?もしものことがあれば、あなたは・・・。」
しかしナーシャは振り向いて言う。
「心配ないですよ。ローランが負けるわけありません。」
その笑顔に思わずブラミモンドの毒気が抜かれるが、しかし、と思う。
(どう贔屓目に見ても、ローランがあのネクロスに勝てるとは思えない。確かにデュランダルで戦闘力は大幅に上がっているが、それでも・・・)
そう思っているとナーシャが更に声を掛けてきた。
「ブラミモンドさん、実はお願いがあるんです。」
「?」
「その問題となった2つ目の条件、ローランには内緒にしておいてもらえますか。」
「なぜですか?」
「彼はそのことを聞けば心を乱されてしまい、一騎討ちどころではなくなるでしょう。もともとメーヴェ様同様に心が繊細な彼には懸念ないままネクロスと戦って欲しいのです。」
「・・・わかりました。」
ブラミモンドも言いたいことはあったものの、ナーシャの澄み切った瞳についに口が開くことはなかった。結局、諾の返事をするしかなかった。
「本当にそれだけの条件だったのか?」
ローラン軍に復命したナーシャはやはり先ほどの一つの条件のみで一騎討ちが成立したことを報告した。
「ええ、意外とネクロスも面白そうだといって乗り気だったわ。」
ちなみにこの時、ブラミモンドは既に諜報の仕事に戻っていた。といっても純粋なローランの前で嘘を突き通せる自信がなかったともナーシャは見ていたが実はそれも当たっていたりする。だからこそ、報告の場ではナーシャの独壇場であった。
「まぁいいや、わかった。そういうことだ、セイヤ。もしかして俺が負けたら、今度はお前がネクロスの新四炎に叙せられるかもな、ハハ。」
同席していたナーシャの兄セイヤは勝手に妹を、よりにもよってあのネクロスのところに送ったことに対して、朝から憤っていたのだ。無事に妹が帰ってきてホッとしていたところに、急に槍玉にあげられた彼はまた顔を真っ赤にしていた。
「ハハじゃない!冗談じゃないぞ、それを呑んできたナーシャもナーシャだ。どうしてそこまでして、ローランとネクロスが一騎討ちしなければならないんだ。」
「言っただろう、そうすれば犠牲は最小限に抑えられる。どのみち、僕がネクロスと戦わねばならないんだから、変わりはないだろう。要は勝てばいいのさ。」
そう言って、本陣のテントを出て行った。
(そう、ローランが勝てばいいのよ!)
ナーシャも口を硬く締めて、ローランの後に続いて出て行く。残されたセイヤは結局、一人になって頭を抱えるしかなかった。
両者の思惑はともあれ、ローランとネクロスの戦機はナーシャの思いによって熟された。決戦の地はサウス・エレブ。後の英雄王が飛翔する地に、二つの炎が舞う演武が繰り広げられる。