ナーシャとネクロスの会見の日、後に魔の島ヴァロールと呼ばれる島の奥地にある巨大な門から、一人の魔竜が出てきた。それをミューの配下、エイナールが出迎える。
「イーリス様、お疲れ様でした。せっかちで申し訳ありませんが、ご首尾はいかがでしょうか?二人がいないということは少なくとも片方は達成したみたいですが。」
その魔竜はラグナに身も心も捧げた竜イーリスと言った。ナーガの遠い縁戚にあたる神竜であったが、若くしてナーガ家臣であったラグナと結ばれる。その後、ナーガとラグナの対立には真っ先にラグナ側で参戦し、戦力の整っていなかった初期のラグナ軍を支える活躍を見せる。ブローにより魔竜へと変貌させられるも、それでもラグナへの愛は変わらずにいた。能力的にも親友ミューと双璧を為し、ラグナ神軍の副長として務めていたが、セーナとの戦いに際してこの門を通じてとあるところに向かっていたのだ。性格的には忠義一途で、卑劣な手段はラグナの名を貶めることと考えていることから、前にも後にもラグナ軍最後の良識とも言われる。
 そんなイーリスが静かにエイナールに言う。
「残念だけどその一つしか叶わなかったわ。とりあえずニニアンとニルスはあちらでお願いはできたけど、それ以上のことはあの頑固頭たちには耳も貸してくれなかったわ。」
エイナールとしては心の中でホッと一息付くことができたものの、彼女の手前、難しい顔を崩すことはしなかった。それに気付いてイーリスが苦笑する。
「あ、あなたにとっては少しは安心できたようで良かったわ。」
「恐れ入ります。」
イーリスはすぐに表情を改めて話題を転じた。
「それよりも随分と人間たちに押さえ込まれているみたいね。クラウスは薄々と察していたけど、ミューとラオウ様の気配を感じないのはどういうことなの?!」
実はまだこの戦役が始まってからセーナたちもミューと直接刃を交えたわけではないが、ラオウの死を契機にしてミューはすっかり姿を晦ませていたのだ。これには臣であるエイナールも困惑しながら言う。
「ラオウ様は残念ながらセーナによって負けました。」
これにはイーリスもさすがに驚いた。
「ま、まさかあのラグナ様が!!?」
「私も耳を疑いましたが、あのナバダから出てきたのはセーナだけだったのです。あそこで何があったのかはわかっておりません。」
「そう・・・。惜しい方を亡くしてしまったわね。」
「あ、あとミュー様ですが、私たちに北の地を任せたのみで行方がわかっておりません。」
「・・・エイナール。辛いかもしれないけれども、北戦線の防衛をあなたにお任せするわね。私もラグナ様にご報告して、すぐに応援に駆けつけるわ。あと、ブローの様子はどう?」
これはイーリスがもっとも懸念していた事項である。これだけセーナに押し込まれ始めてラグナの影響力が限ってくると、上官であるとはいえブローが一番危険な存在であると彼女は見ていたのだ。エイナールもそれを知っているから、静かに答える。
「実は数日前、今後の方針を巡って、ラグナ様と対立された模様です。とりあえずその場はご息女が間に入って落ち着いたみたいです。」
思わぬ人物の名が出てきてまたまたイーリスは驚く。
「イドゥン、あの子がブローとラグナ様の間をね。」
「わかったわ、とりあえず一刻も早く竜殿に戻るわ。エイナールも早く北の地に戻るといいわ。」
これに慌ててエイナールが付け足す。
「あ、実はそのイドゥン様がイーリス様のお出迎えということですぐ近くまで来られております。」
実はそれが先日ローランが探知したネクロスへの援軍と思われた一団だったのだ。
「了解したわ。それじゃあ、娘に会うついでにネクロスの応援にでも行くことにするわ。」
そして黒き魔竜は大きな翼を広げて、ヴァロールの地を後にした。残ったエイナールも意を決したような瞳をして、魔方陣に身を委ねて北の地へと戻っていく。


 そしてサウスエレブの郊外にて一人待つネクロスに対して、ローラン軍が到着していた。
「聞いてた通り、ネクロスは律儀な人だな。人に対する憎しみがなければ僕らともやっていけたはずなのに。」
その様子を見ていてローランはつい本音を漏らす。後に続くセイヤも口には出さないが、同じ思いでいる。たが、さすがにナーシャは事情が事情なだけに顔に緊張感がありありと出ていて、あまりローランの言葉も耳に届いていないようであった。それを見たローランは静かに自分で頷くと、セイヤに向かっていった。
「セイヤ、すまないが、天馬騎士隊に休ませておいてくれ。戦はないとは思うが、何もないとは限らないからね。」
ローラン軍の主力は言うまでもなく、天馬騎士隊である。ただでさえネクロス率いる竜部隊とでは分が悪いのは明白だが、少しでも懸念材料は消しておくにこしたことはない。セイヤも頷くと、二人のもとを後にした。ちなみにブラミモンドは事の顛末を告げにハルトムートのところに向かっているため、今はローランとナーシャの二人だけになった。
「さてと、僕もネクロスと決着を着けてくるさ。・・・ナーシャ、君をネクロスのものにはさせないから。」
「!!知っていたの?!」
驚くナーシャはブラミモンドか同行した天馬騎士が漏らしたのかと疑った。だがローランは笑って誤魔化す。
「やっぱりそうだったのか。朝から君の様子がおかしいからね。」
どうやらローランがカマをかけてきたようだが、今のナーシャはあっさりとローランの罠に引っ掛かった。
「・・・」
何も言わなくなった彼女に対して、ローランは肩にポンと手を叩いて言った。
「だから言ってるじゃないか。僕がネクロスに勝ってくれば済むことさ。・・・じゃ、行ってくるよ!」
結局、ローランとの約束を無視したナーシャを叱責せずに、まるで物見遊山に行くかのような気軽さでネクロスのところに向かっていった。

 しばらくしてネクロスとローランが対峙する。
「まさか軍勢を転進させるとは思いませんでしたが、私の申し出を受けていただいてありがとうございます。」
まずはローランから口を開く。これにネクロスが返す。
「まぁあれだけの条件を呑んでくれるんじゃあなぁ、俺としても鬼ではないさ。」
そう言いながら古びたキルソードを引き抜いた。これにローランが目を細めて、驚くべき言葉を発する。
「おや、ネクロス殿は火竜と伺っていましたが、人の姿のまま私と戦うのですか?」
例外もあるが、マムクートは竜石の力を解放して竜の姿になった時により強大な力を発揮できる。ネクロスもそれに該当するが、竜となれば当然人の装備は使えなくなるものの、絶対的な能力で押し切る戦い方ができるようになる。当然、ローランもそのことを知っているはずなのだが、不敵にも彼は竜のネクロスとの戦いを望んだのだった。
 ネクロスは当然、彼の狙いを訝しんだ。ただでさえ、ローランに不利な条件で一騎討ちに臨んでいるというのに、これ以上、更に条件を悪くする理由が彼にはわからないからだ。だがそこまで言われれば、熱き竜ネクロスとて応えないわけにはいかない。
「ふふ、良いだろう。そこまで望むのであれば、火竜となってラオウ様や四炎の無念を宿した炎でお前を灰にしてやろう。」
そういってネクロスは竜石に力を込める。直後、強烈な咆哮と共にあたりに火の粉を撒き散らしながら巨大な火竜が姿を現した。火竜が醸し出す威圧感は人の時とは尋常ではなく、華奢なローランはそれだけで吹き飛ばされるのではないかと、ナーシャたちも思ったほどであった。
 しかしローランはネクロスの真の姿を見ても、逆に笑みをたたえる有様であった。
(さすがは四竜神に数えられる人だ。)
(この期に及んで笑っているとはこいつは何を考えているのだ。)
それぞれがそんな風に思っていると、まずはローランがデュランダルを引き抜いて構えた。
「さぁ、いつでもどうぞ!ラオウ殿や四炎の無念を込めるというあなたの炎をこの剣が焼き払ってみせましょう。」
この言葉を聞いて、ネクロスはローランについて色々と考えることをやめた。
(炎を焼き払うとは片腹痛い。この憎しみの業火で一気に灰にしてやるわ!)
そうして大きく息を吸い込んで、巨大な火球を一気にローランに向けて解き放った。その大きさはリーベリアでほんのわずかに戦った火竜たちの火球とは比べ物にならないものであった。思わず遠くから見守っていたナーシャたちもその大きさに身を乗り出して、叫んでいた。
「ローラン様!」
 しかし、その火球はローランに炸裂する直前で、何かに当たって弾け飛んだ。
(何ッ!)
後には何事もなかったかのようにローランが静かに立っていた。
(こいつ、何をした?!)
しかし直後、ローランの姿がネクロスの視界から消えていた。完全に不覚を取られたネクロスは背中に斬りつけられる衝撃を受けて、対峙する相手がどこにいるのか悟った。
「やっぱりただの斬撃ではあなたの鱗を傷つけるのが精一杯でしたか。しかし、あなたの憎しみの業火では僕を倒すことはできませんよ。」
グググと唸りながら、ネクロスは尻尾を振り回して、ローランとの間合いを取っていく。竜との戦いで尻尾の恐ろしさを理解しているローランも無理して間合いを詰めようとはしなかった。しかしネクロスはさすがに彼の体勢を立て直すまでの時間を与えない。何をどうやったかはわからないが、火球を弾いた以上は同じ攻撃をやっても意味はないと悟ったのか、今度は猛烈な火焔を解き放った。そして火焔は着実にローランを包みこんだかと思ったものの、またもや幾筋もの炎となって弾け飛んだ。しかし今度は火の粉ではなく、炎が弾け飛んだため、あたりの植物に引火し始めている。
(こいつ、デュランダルで俺の炎を斬りやがったのか?!)
さすがにネクロスはよく見ていた。実際にローランはデュランダルを振り、ネクロスの炎を斬りながら受け流していたのだ。ちなみにさっきの火球は炸裂する寸前で、デュランダルからも火球を作り出して相殺させている。
 「いかがです?いくら憎しみを束ねても、僕を傷つけることもできませんよ。」
薄々だがネクロスはローランの言いたいことを理解しつつあった。だがそれを認めたくはない自分がいた。否、認めてしまえば、大切な存在を否定してしまうことになってしまう。
「ふざけるな!貴様ら人間が、アウロボロスと決死の思いで戦ってきた俺らに対して何で報いてきたというのだ!?」
激高したネクロスはついに本音を吐露した。確かにラオウや四炎の死も悔しいが、彼らは正々堂々とセーナやエレナと戦って散ったのだから、ネクロスとてある程度はその死に対して理解はしていたのだ。今、ネクロスを動かしているのは今までの彼と同じく、かつてのアウロボロスの戦いを省みない人間たちに対しての怒りだったのだ。つまりはラグナと同じ理由だった。
「あなたの言う通り、人は傲慢で、自分の都合の良いように歴史を牛耳ってきた。おそらくその本質は今後も変わらないかもしれない。」
ローランはデュランダルを地面に突き刺して、静かにネクロスに話しかける。
「だからこそあなた方、竜族にはその傲慢を諌めるべく人間と共存して欲しかった。セーナ様もそのことをラグナに打診したが、結局のところ梨の礫だった。」
実際、セーナはラオウを倒した後、ミカを引き連れて、ラグナと和平の申し出をしていたものの、あっさりと決裂してしまっていた。もっとも、これはエレブに上陸した八神将の一部しか知らない事実である。いつの間にかそのようなことが行われていたことに内心で驚いたネクロスだが、冷笑してローランに返す。
「当然だろう。今更、人間を信じるものなど、愚かな神くらいなものだ。」
「だから僕はまずあなたに人への憎しみを解いてもらいたいんだ。だから、今回君と直接話し合える一騎討ちを望んだ。」
「無駄なことだな。確かにお前やセーナは他の人間たちとは違って、多少は信頼はできる。だがな、そんな人間などどれくらいいると思っているんだ。」
そう言いながらネクロスは再び火焔を解き放つが、やはりローランの前では無力であった。
「ならば、まずは僕だけでいい。僕を信じてくれないか。」
 しかしネクロスの心はやはり頑なであった。気が付けば竜石に力を封じ込め、再び剣士の姿に戻っていた。
「ローラン、何度も言うが、俺の心はもうお前たちに開くことはできない。」
そして静かにキルソードを引き抜いて言う。辺りは弾き飛ばした火焔が延焼し、さながら地獄絵図の様相を示しているが、ネクロスは涼しげにしている。
「どうやらお前の言う通り、竜になっては勝てないようだな。ならば、敢えて人間の姿で戦ってやる。」
そして赤き閃光となってローランに襲い掛かった。その速さは先ほどまで竜の姿をしていたとは思えないほどの電光石火ぶりである。ローランはデュランダルを盾にしてその斬撃を食い止めるが、キルソードの剣圧まで抑えることが出来ずに肩を切りつけられる。細身の剣でこれだけの剣圧を放てるのであるから、ネクロスは相当な剣の使い手といえる。
 だがローランとておいそれと負けるわけにはいかない。対竜では負けないまでも勝つことはできないと彼も踏んではいたが、人となれば硬い竜の鱗を貫く必要がないから勝機は十分ある。ネクロスの本音がわかったローランにとっても、己の思いをぶつけたいネクロスにとってもこれからの世界を背負う決闘が再開される。

 決闘は大剣を操るローランが駿足のネクロスに翻弄されてはいるものの、ネクロスもまた巧みにデュランダルを盾にするローランによって決定打を与えきれていなかった。時にはデュランダルから火球を解き放ち、ネクロスとの間合いを取る器用さも見せ、周りも驚くほどネクロスと互角に戦っていた。
 (何なんだ、こいつは。)
ネクロスは内心で、底をまったく見せないローランに驚いていた。決闘前に会ったときはあどけなさすら見せていた彼なのに、今、彼と対決しているのはまさに巨人そのものと化したローランであった。そしてこのあたりから何かが吹っ切れたのか、ローランの怒涛の逆襲が始まる。
 デュランダルがローランに呼応するかのように銀色に輝き始める。
『ラゼリア剣奥義 ライトニングスマッシュ!』
これは父リュナンも使ったことのあるラゼリアで伝わってきた奥義の1つである。振り下ろしたデュランダルから真空の刃が生み出され、ネクロスを襲う。さすがに彼は問題なくかわしたものの、それを想定していたのかローランの攻撃が続く。今度はデュランダルが青く輝き始める。
『ラゼリア剣奥義 ブルーウインド!』
直後、強烈な風と吹き出した水がネクロスに襲い掛かる。これにはさすがに不意をつかれ、烈風がネクロスの体を傷つけ、更に水が動きを鈍らせる。先ほどまで燃え広がっていた炎もこれで一気に下火となった。だが、まだまだローランの攻撃は続く。白く輝きだしたデュランダルを見て、ネクロスは次に彼がやろうとしていることを察した。だが、地味に蓄積していたダメージがネクロスの動きを緩慢とさせる。
(馬鹿な、俺ですら息が上がってきているというのに、こいつの体力は底なしなのか?!)
『ラゼリア剣奥義 ブレイヴスマッシュ!』
そして光の波動がネクロスを捉え、吹き飛ばす。更にローランはデュランダルを上段に構えて、跳躍しながら斬りつける。ネクロスは懸命に剣を盾にして食い止めたものの、この一撃に全てを賭けたローランは全体重をかけて更に力を込める。これに音を上げたのが長年ネクロスと歩みを共にしてきたキルソードであった。大剣デュランダルとローランの圧力によく耐えてはいたものの、キルソードはついに断末魔の叫びと共に粉々に砕け散った。
 サウスエレブ郊外での決闘は終わった。ローランの一撃はキルソードにとどまらず、当然のようにネクロスも襲った。盾にしていた剣が折れた以上はもうネクロスに守る手段はなく、その斬撃をまともに受けることになる。まだブルーウインドの水が引いておらず、ネクロスの足元の水が赤く染まっていた。

 だがここで思わぬ横槍が入ってくる。巨大な魔竜が現れたかと思えば、ローランをブレスで吹き飛ばしたのだ。この魔竜こそ、ラグナ神軍の副長にして、ラグナの妻でもあるイーリスであった。これに色めきたったのがナーシャとセイヤである。勝利を確信した中での卑怯な手に、すぐに得物を取り出して駆けつけようとしたのだ。だがそれを留めたのが瀕死のネクロスである。
「イ、イーリス様、何ゆえ私とローランの一騎討ちを邪魔立てするのです?!」
そして凄まじい殺気で竜に姿を変えると、巨大な火焔をイーリスに解き放ったのだ。
「ま、待ちなさい、ネクロス。私はあなたの味方です。危ないと思って、駆けつけてきたのです。」
何も事情を知らないイーリスだったが、今まで見たことのないネクロスの怒りに彼の面目を潰してしまったことをようやく悟った。だが極限の状態になったネクロスはすでに壊れ始めており、謝罪するイーリスに対して構わず攻撃を繰り返す。やがて巨大な尻尾がイーリスを直撃し、彼女は地面に叩きつける。更に止めを刺すべく喉元に喰らい付こうとしたネクロスだが、突如、蒼き閃光が彼の胸を貫いていた。
『次元斬!!』
【蒼き翼】ことアルフレッドが使った剣技を末裔たるローランが使えないはずがなかった。この瞬間を、ネクロスも、イーリスも、ナーシャも、セイヤも時間が止まったかのように覚えていた。
 これでネクロスは完全に力尽きて倒れてきた。ラゼリア奥義を3連続、そしてイーリスのブレスを喰らいながらも、更に大技を解き放ったローランもさすがによろめいていたが、着実にネクロスに近づいていく。さすがにイーリスも今回は静かに見守るだけであった。
「ネクロス殿、あなたは燃え上がる闘志と誇りを持ったすばらしい火竜だったじゃないですか。そんなあなたと戦えたことは私の誇り、それを汚さないで下さい。」
先ほどまで命を削って戦っていた相手に、行動と言葉で諭されたネクロスはようやく我に返って、己のしたことを理解した。
「ローラン・・・、ふふふ、どうやら・・・俺は完全にお前に負けたようだな。」
そして血を吐きながらも続ける。
「俺は・・・最期にお前に会えて良かったぜ!お前が女であれば・・・もっと・・・最高だったがな」
それが彼らしい最期の言葉であった。
 その言葉を聞いたローランもまた穏やかな笑みを浮かべると、ついに力尽きて倒れた。
「ローラン!」
慌ててナーシャが駆けつけてきて、ローランを抱える。口元に手を当てると、息はしっかりしており、ナーシャはふぅと安堵する。だが上空にイーリスがいたことを思い出し、彼を楽な姿勢にして再び戦闘態勢を取り直す。だがイーリスも事の展開を既に悟り、戦意を喪失していた。
「天馬騎士の少女よ、既に私に戦意はありません。事情を知らなかったとはいえ、場を混乱させてしまったことはお詫びします。・・・だが今度、戦場でまみえた時には容赦はしません。」
そう言って、東の彼方へと飛んでいった。
(これで四竜神の全員が戦線から消えた。急いでラグナ様の元に戻り、対策を練らないと。いざとなれば・・・イドゥンにも一肌脱いでもらわないと・・・。)
唇を噛みながらもイーリスはネクロスから受けた傷を省みることなく、ひたすらに夫のもとへと急いで戻っていった。


 翌日、セイヤとナーシャはローランを伴って、サウスエレブへと向かった。そこはイドゥン隊による後詰防止のために別行動をしていたハルトムート隊が抑えていたという知らせをもらったからだ。
 ほとんどの建物は破壊されていたものの、辛うじて屋根を残す建物にローランを収容された。そこに北方隊にいるミカ隊から派遣されてきた魔道士の手当を受けることになったローランは、ここに到着してから半日後にようやく目を覚ますことになる。ずっとかかりっきりで見ていたナーシャはそれを確認すると、セイヤに促されてようやく眠りに付くために離れていき、場には看護した魔道士とローランだけとなった。
「ローラン様、この度は主セーナからお詫びの言葉を受け取っております。」
「アクレイアのことですか?」
しっかりと覚醒していたローランの答えに、その魔道士は驚いた。
「し、知っていたのですか?」
 実は先日、セーナから届けられたアクレイアでのラグナ神軍との交戦について、セーナは意図的に誤った情報をローランに届けていたのだ。戦闘が行われたのは事実であるが、実際には序盤から戦線に出てきたエリミーヌの一撃によって半壊状態となったラグナ神軍はそそくさと撤退しており、アルサス隊とティーゼ隊は何ら被害も出ていなかったのだ。
「確定はしていないが、確信はしていました。これは私とあなたの間だけの言葉になりますが、あのセーナ様が格でティーゼ王女にアクレイアの指揮をお願いするとは思わなかったので。」
温厚な性格をしているが、ローランはそれぞれの器量をしっかりと見極めることができる人物であった。そんな彼からすれば、ティーゼが当面の基点となるアクレイアを指揮出来るとは思っていなかった。だからあの報告には余計に疑問が残っていたのだ。
「実を申しますと、セーナ様はローラン様がネクロスと戦うとしても、そのままま戦っては勝つのは厳しいだろうと思っておられました。だから、勝たせるためには死を賭して戦ってもらうしかないと考え、背水の陣を引くためにあのような報告をするように指示されたのです。」
そして魔道士がローランの目をしっかりと見て続ける。
「ですが、ローラン様、あなたはセーナ様のご想像を遥かに超えた戦いで、ネクロスを打ち破りました。さすがにセーナ様も今回の件は手を掛け過ぎたと反省し、その詫びとして私が遣わされたのです。」
セーナがこれほど他人を認めるのはほとんど例がないと言ってもいいだろう。
「詫びなどとんでもありません。あの時の私は確かに少しばかり自惚れていたのは事実です。ですが、ナーシャたちを見ていると私には守らねばならないものがあったと気付き、あそこまで戦うことが出来たんです。そのまま部隊同士で戦っていたら、セイヤかナーシャのどちらかが犠牲になっていたでしょう。ただ少々、エーギルを削って疲れたのは確かですが。」
苦笑しながらとんでもないことをさらりと言ったローランにまたしても魔道士は驚かされる。
 実はローラン自身もそのままの状態でネクロスを倒すことは厳しいと思っていたのだ。だが秘策はないわけではなかった。ローランは何と自身の生命力エーギルを戦闘力に変換することができる力を持っていたのだ。魔力の尽きた魔道士がエーギルを魔力に変換したりすることは稀にあるものの、それを戦闘能力に変換することなど聞いたことがなかった。これはまさに突然変異的なものであり、世界的に見てもローランしか使えない能力なのだろう。偶然幼少時にこの能力に気付いたローランは、しかし両親がくれた命を大切にして削る真似はしないと決意していたものの、さすがに時が時なだけに彼もこれを使わねばならない時がいずれ来ることを確信していた。それが今回のネクロスとの戦いとなり、驚異的な能力でネクロスと互角以上の戦いができた理由につながるわけである。
 「本当にローラン様には恐れ入りました。このニイメ、わずかな手勢しかおりませんが、次に他の諸将と合流されるまでは如何様にもお使いください。」
ニイメと名乗る魔道士は後にイリアで山の隠者と称えられるその人であった。現在はミカ直属の魔道士としてヴェスティアに仕えており、最近とみに実力を付けてきたことから、不在の多い主将ミカの代わりに同隊をまとめる副長の地位にまで上り詰めていた。ミカが直に修行を付けただけあって、その魔力の使い方の巧さは世界的にも最上位に位置するといわれている。他に彼女が指揮する他5名余りの魔道士を連れて、ローラン軍に加わることになった。
「ニイメ殿、セーナ様のご配慮に感謝致します。」

 想定外の事態が連発したものの、ローランの命を賭した戦いによってついに四竜神ネクロスは倒された。しかし一方でラグナの妻イーリスの存在が明らかになった。数日の休養によってようやく本復したローランは彼女の存在に気をつけながら東進を続け、後のリキアに相当する地域の制圧を完了することになる。
 そしてネクロスとローランの戦いの副作用として、決戦の地となったサウスエレブ近辺の湿地帯はその炎で大部分が干上がることとなった。これが要塞都市オスティアの下地となったとはさすがのローランも思いもしなかっただろう。その大地が英雄王ロイを育むことになるのだが、それはまた後の話となる。

 

 

 

 

 

 

最終更新:2012年05月13日 21:04