ハノンがサカで疾風と化していた頃、北のイリアでもバリガンの戦いも始まっていた。既にバリガン隊は奥地エデッサまで駒を進めていた。
相手はラグナ四竜神の一人ミューの股肱エイナール率いるミュー氷竜部隊である。そして旧グリューゲルの諜報衆より後方から来るネルガルの魔道士部隊も捕捉しており、二方面作戦を余儀なくされていた。前線に出ているのはセーナが立て直したばかりのヴァイン率いるアルバトロスである。副隊長にはヴェスティアで暇を持て余していたミーアとリオンが支えて、今、懸命に氷竜部隊に突っかかっていた。一方、バリガンが叱咤激励している後方ではセーナとミカ、レイラがのんびりと高みの見物をしていた。彼女たちが出てくれば瞬く間に戦は片付くと思われるが、この部隊全体の大将たるバリガンは激戦の疲れも考慮してか、後方で休むように伝えていた。若い者を育てたかったセーナも了承し、こうして戦乙女たちは後方でのんびりと物見遊山をしていたのだった。
とはいえ、バリガン軍はそれでも他のローラン軍やハノン軍に比べて人材は厚い。前線は前述のようにアルバトロスが担当し、中軍をバリガン率いる旧グリューゲル槍騎士隊がデンと構え、その左右をバリガンの妹であるフィラ、ファリス、フィリアのオーガヒル天馬騎士隊が支える。そして少し離れた後方にはセーナたち三人がレイラ天馬騎士隊をまとめていた。セーナはグリューゲルが解散され、残りのアルバトロスを前線に送っており、ミカの方は自身の魔道士部隊の大半をニイメに預けてローランの支援をさせていたことから手勢は持っていない。とはいえ、今の彼女たちに襲い掛かるものがいるとすれば、ラグナ程度であろう。それだけ彼女たちの戦闘力は群を抜いていた。


しかし、バリガン隊の鋭鋒は早くもエイナール氷竜部隊によって折れることになる。
「ヴァイン殿から増援を頼むと?!アルバトロスがもう持たないのか?」
かつてはグリューゲルと並び、セーナ直卒の伝令部隊と言われるアルバトロスだが、その実力はすでに過去のものになっていた。セーナが倒れた時にアルバトロスはアルドと共にレダに向かっており、最初のレダ突入戦での敗北時にアルドの盾となってほとんど壊滅していたのだった。
そのため、今のアルバトロスは急造されたものであり、実は精鋭とは名ばかりのものであった。辛うじて形を保っているのはミーアとリオン、そしてヴァインら慣れない部隊の隊長に任じられた彼らが決死の働きをしていたからである。すぐの梃入れが必須であった。
しかし、左右を固める妹たちは戦力的には不安である。となれば、出て行くのはバリガン自身か、後方で待機しているセーナたちとなるが、既に答えは出ていた。彼に主君を働かせるという概念は皆無である。

「もう総攻撃の合図!?」
後方から見ていたレイラは息子の総攻撃の合図に驚いた。
「普通ならば私たちを出して、さっさと終わらせるのが常道だけれども、彼は私の意図をよく理解している。だから、私たちの力を求めようとはしないわ。」
その意図とは、多少の犠牲を強いてでも若い者に貴重な経験をさせるということである。聡明なバリガンはハノンやローラン、そして己に各方面を任せたことから、セーナから何も言われずとも感じ取っていた。いや、ハノンやローランもそうである。ただ、バリガンは、その二人とは違った、譲れぬ矜持を持っていた。だからこそ、セーナも敢えて前線に任せて、バリガンを『試そう』としていたのだ。
「私は北方軍大将の命がない限りは動かないわ。まぁ、いつでも出れる準備くらいはしておいてもいいけどね。」
そしてセーナはまた後ろに下がっていった。一人残ったレイラは心配そうに眼下の軍勢を見守るしかなかった。

そしてバリガンが前線に飛び出てきたことで、さすがにエイナールも奥で待っているわけにはいかなくなった。ミュー軍は主将の影響もあって人の戦いというものを良く理解していた。既にバリガン軍を押し気味にしており、ここでバリガンさえ下せば、勝ちを取れると見たのだ。もちろんそこは後方のセーナ隊のことは考慮していない。彼女たちの目算としては少しでも痛打を与えることしか考えていないのだ。そのために後方に恋人ネルガルを配したりもしたが、思いのほかのバリガン隊の脆さにエイナールは一気に決着を着けようとしたのだ。
ちなみに戦線はと言えば、バリガン隊が総攻撃に移ったことでようやく持ち直したところである。特にバリガンの活躍は凄まじく、マルテで巨大な氷竜を振り上げたりするほどである。これに触発されて、フィラ、ファリス、フィリアの三人が協力して氷竜を沈め、それを見たミーアとリョウマも連携して氷竜たちを翻弄する。
しかしこれも一部の出来事に過ぎず、次第に氷竜の戦闘力によって部隊全体は押され始めていた。そして何よりもまだ姿こそ見えないが、後方から迫るネルガル隊の脅威も彼らの動きを鈍らせていた。
「バリガン殿、これでは限界だ。セーナ様に援軍を頼めないか!」
既にアルバトロスは半壊し、ヴァインはバリガンと共に戦っていた。だが、バリガンは首を横に振る。彼の矜持、それは忠義一途の念であり、己の不甲斐なさで主君の手を煩わすわけにはいかないと思っていたのだ。

「全く、バリガンは頑固なんだから。」
レイラは嘆くと、セーナの元に向かった。
「セーナ様、先に行って参ります!」
セーナは素知らぬ風を装っていたが、レイラの言葉に軽く頷いた。総大将の命を無視した出陣であるため、念のため、セーナに許可をもらいたかったのだ。
これで勇躍したレイラ隊は迂回して、南風に乗って一気にエイナール隊の南方を突いた。これで一瞬であるが、氷竜部隊の動きは鈍った。
(母上・・・。)
こういう戦況になった以上は母が動くのは予想していた。もしかしたら、主君セーナも動くかも、と見ていたが、そのあたりは慮ってくれたのだろう。

「バリガン、意地を捨てなさい。あなたの持っている騎士の誇りはすばらしいものだけれども、私がいなくなればその忠義は誰に向けられると言うの?」
レイラのいなくなった後方部隊からセーナが再びバリガン隊に視線を下ろす。すでに氷竜部隊とは大混戦になっており、相当入り乱れての戦いになっていることが伺えた。
バリガンのセーナに対する忠義はもう言うまでもない。それはセーナが誰よりも理解している。かつて彼女は周りに、
「戦闘力だけならば、わずかにハルやアトスには負けるけれども、彼の忠義力はグリューゲルに収まらず世界一と言ってもいいわ。」
と称えたほどである。しかし既にセーナはこの大戦を死に場所と考えており、世界一の忠義を持つバリガンの将来を憂えていた。
(彼は人の上に立つ器。私のために、という考え方を捨てさせなければならない。)
セーナがそうさせることは簡単である。彼をグリューゲルから追放すれば終わる。しかしバリガンの生き方そのものを否定することになるため、下手をすればバリガンは自ら命を絶つことをするかもしれない。それほどの忠義である。だからセーナはバリガンに、忠義というものを自ら崩して欲しかった。そのためにセーナは、臣が主に要請をするという真の騎士としては耐え難い場面を今、目の前で作って見せた。
そう、エイナールとネルガルには申し訳ないが、セーナにとってはこれはバリガンに与えた試練の一つとしかならなかったのだ。その事実を知れば、二人は戦意をなくして、さっさと撤退していただろう。なまじバリガンからしても、エイナールからしても互いにちょうど良い餌が撒かれて、共に食い合っているというのが、今の戦場の真相であったのだ。何度も言うが、この戦場にセーナという大波が来れば、それだけで戦は終わる。敢えて大波が動かないからこそ、戦は泥沼化していたのだ。

そしてバリガンはセーナのそんな意図をこの乱戦の中で感じ始めていた。やがてマルテを正面に構え直して、瞳を閉じた。
(頼む、マルテ、力を貸してくれ。俺はどうしてもセーナ様への忠義を捨てることは出来ない。たとえこの大戦でセーナ様が亡くなろうととも、俺はあの方に仕えたという事実は変わらないのだ。たとえ姿がいなくとも私が生きていればセーナ様の思いは私の胸に残り続ける。・・・たとえ、セーナ様が不要だといわれても、私はこればかりは捨てるわけにはいかない。)
バリガンは身も心もセーナの臣であるつもりでいた。だから臣が主の助けを借りるわけにはいかなかった。それこそバリガンにとっては死以上の屈辱なのだろう。
(マルテ、だから、頼む、力を貸してくれ。)
そんなバリガンの思いに、マルテは反応した。淡い水色のオーラが放たれたマルテからは更なる力がバリガンに供給される。
ちょうどその頃、バリガン隊の後方に新たな軍勢が到着していた。といっても挟み込んできたネルガル率いる部隊ではなく、万余に渡るバリガン隊への援軍であった。しかしその軍勢を見つけたセーナはすぐの進撃を命じずに、その地で待機するよう伝えていた。あくまでバリガンからの要請があれば動かすというのが前提なのだ。援軍の指揮官はセーナの命を聞いて不承不承大人しくしてはいたものの、密かに少数の別働隊を指揮してレイラ隊が襲った方向とは逆の方向から横撃を与えていた。その指揮官というのがヴァナヘイムにいたはずのレクサスであった。かつての東カダインの戦いを彷彿とさせる凄まじい機動力を以て、セーナが展開した新大陸の戦線に追いついたのだ。当然、彼の相棒たるデーヴィドはレクサスの足として使われ、ようようセーナのいる丘に着いたばかりである。
「デーヴィド、相変わらず苦労をかけるわね。」
セーナは穏やかにデーヴィドを労う。
「本当に由緒あるドラゴンナイツが輸送屋になるとは先代に何と言えば良いのか・・・。それよりもレクサスはいいのですか?勝手に攻撃を始めておりますが。」
「彼の抜け駆けはいつものことよ。あれくらいならば構わないわ。・・・それよりも、あの淡い水色のオーラをどう見る?」
「あそこにはグリューゲルのバリガンがいるのでしたね。あのオーラから凄まじい気というものを感じます。」
デーヴィドはセーナの子供であるから魔力も色濃く継承しているが、さすがにその扱い方がわからないため彼はそれを『気』と表現した。
(バリガン、私はあなたの忠義を見誤っていたようね。マルテなんかに教えられるなんて。)
セーナはデーヴィドに気付かれない程度に自嘲した笑みを一瞬浮かべたが、すぐに表情を引き締めてデーヴィドに言う。
「デーヴィド、もう少しだけ働ける?」
「相手はどちらに?」
ネルガルかエイナールかの問いである。
「ネルガルよ、あなたがいてくれればいい。相手は私が引き付けるから。」
「それであれば。」
そしてすぐに視線をミカに向ける。
「あなたはレクサスに突撃を指示して、そして余計なことをしないよう釘を刺すのも忘れないように。」
あくまで主役はバリガンなのである。バリガンとは対極にあるレクサスならば、抜け駆けだけでなくエイナールをも討ち取ろうとするだろう。それを制御できるとすれば、セーナかミカしかいなかった。
(バリガン、あなたの思いは受け取ったわ。)

究極の忠義をバリガンは見せ付け、それに応えたマルテとの大逆襲が始まる。

 

 

 

 

最終更新:2012年11月14日 22:51