ハルトムートが苦悶の決断をしていた頃、西部戦線では熾烈な魔道戦が繰り広げられていた。セーナ軍はクレストを主将にしているが、実質的には最前線に出ているエリミーヌとアトス、ブラミモンドの三人が、相手のネルガルと戦っているのみであった。
 既にサカにて戦ったことのある両者だけにハルトムートのような会話はなく、すでに激突は始まっていた。やはり中心はネルガルの深遠なる闇に対抗するためにエリミーヌのアーリアルである。それをアトスとブラミモンドがそれぞれフォルブレイズとアポカリプスで補っている。しかし、理を超越した3人の力を結集しても、愛するものを失った憎しみで更なる力の増幅を果たしたネルガルを落とし込むことは出来ずにいた。

 「やはり私が行かないとマズいな。」
しばらくは後方で様子を見ていたクレストがその腰を上げようとする。彼は母が何の目的でこの西方部隊の指揮を任せたのかをしっかりと認識しており、その任を果たそうとしていた。しかし、それをセリアが諫止する。
「前線はあまりにも危険です!」
実際、彼女の言葉は真実であった。すでに前線では猛烈な魔道戦が繰り広げられているため、両軍の兵士は弾き飛ばされ、4人以外誰も近づけない事態にまでなっていた。聡明なセリアもセーナの意図を察してはいるが、そんな前線に主君を何も言わずに送り出すことは臣としては出来るものではなかった。それに、既にクレストはシレジアの後継者たる地位を確固たるものとしているので、負けない戦となっている今回は無理をする必要はないと考えていた。
「セリア、ありがとう。気持ちだけもらっておくよ。・・・だけど、今回の戦いはヴェスティアが、とか、シレジアがとかという戦いではないんだ。皆がこれからをどうしなければならないのか考えて戦っている。私も見届けたいんだ、この戦いがどのように終わるのか。そのためにも・・・私は前に出て、エリミーヌ王女たちを支援する。」
そう言って、セリアにシレジア軍とテルシアスを任せて、前線へと向かっていった。

 そしてその魔道戦、わずかではあるが、圧倒的魔力を誇るネルガルの黒き波動が三人を押し始めつつあった。ここにクレストが駆けつけてくるものの、あまりにも壮絶な魔力の応酬に加わることは出来ずにいた。
(何という魔力だ・・・。しかもここまで刺々しくなるものなのか。油断すればすぐに呑まれる。)
同時にそんな禍々しい魔力を放つネルガルに劣りながらも立ち向かう三人の精神力に感嘆もしていた。
 しかし些細な契機で転機は急に訪れる。この魔力の応酬が原因かはわからないが、突如としてエリミーヌの足元が陥没したのだ。思わぬことに不意を突かれたエリミーヌは集中が切れて、アーリアルの出力が弱くなった。これをネルガルは見逃すことはなかった。一気に魔力を振り絞って、決着を着けようとした。これにアトスとブラミモンドが抵抗するものの、ネルガルの魔力によって後方へと吹き飛ばされた。当然、二人の魔力が消えたことになるので、すぐに魔力の出力を戻してもエリミーヌですら太刀打ちできるわけがなかった。
 邪悪なる波動がエリミーヌに襲い掛かる直前、緑の風がその波動を食い止めた。クレストの聖魔法フォルセティである。
「エリミーヌ王女、あなたの力はそんなものじゃないはずだ!このままでは憎しみを食い止めることはできないぞ。・・・あの男への哀れみを捨てるんだ!」
さすがにクレストは彼女の思いを理解していた。この戦いを通じて彼女はなおもネルガルの憎悪をどうにか出来ないか考えていたのだ。このあたりはハルトムートたちと同じであった。だがイドゥンとの違いは彼女がただ単純にラグナに従っていたためにまだ人間への理解が不十分であったのに対して、ネルガルは長い人生の中で人間の陰の部分をそれこそ髄まで味合わされたことである。彼の50分の1程度しか生きていないエリミーヌがそんな彼の憎しみを背負いきれるものでは到底ないのだ。
 クレストの言葉でエリミーヌもついに決断を強いる時が来た。
「ネルガル・・・、あなたの苦しみが途方もないことはわかりました。本当ならば私はその苦しみを分かち合いたかった・・・。」
これにネルガルが珍しく反応した。
「小賢しい娘だ。我が憎悪を受け止められるものなどおらぬ。」
「そんなことはありません。確かに私では非力かもしれませんが、・・・セーナ様ならば・・・・受け入れられると信じています。」
そしてしばらく間を置いて続ける。
「ですが、もうここにセーナ様は来られません。他にあなたの憎悪を受け入れられるものはいません。・・・ですが、あなたがこれ以上生きていれば更なる憎しみを生み出します。」
そう言って、ブレスレットを取り外した。このブレスレットは先年のアカネイア動乱中にヴェスティアに避難していた際にセーナとルーファスからもらったものであった。そしてこれはセーナの鉢巻やティアラのように魔力を制御する役割を持っていたのだ。
 直後、エリミーヌの体を金色のオーラが包み込む。
(何という凄まじい魔力・・・。)
実はこの時の魔力はセーナをも上回り、あのラオウに匹敵するものだったという。そんな魔力から再度放たれたアーリアルは完全にネルガルの魔力を押し込んでいた。
「小娘がぁ!?」
もはやネルガルには完全なるエリミーヌの魔力を跳ね返す力はなく、呻くしか出来ずにいた。そしてその時が来た。至高の光がネルガルを包み込んでいく。


 「お、どうやら終わったか。・・・全軍、進撃開始!」
クレスト隊の後方で控えていたレクサスは目の前の魔力戦が終わったことを見届けると、手勢を前進させた。本来ならばこれでネルガルが率いていた魔道士部隊と激突するのであるが、彼らはそれらを無視するかのように更に迂回して後方に回り込もうとしていた。
 「ふむ、やはりレクサスが動いたか。ならば我らも動こう。クレスト殿にネルガルの魔道士部隊をお任せすることにしよう。」
そう言って、少し遅れて動き出したのはドラゴンナイツを率いるデーヴィドであった。彼らも西部主戦場を無視するように迂回してレクサスの後を追っていくのであった。

 そしてネルガルは跡形もなく消し飛んでいた。残ったエリミーヌは一気に魔力を解放した反動で膝をつき、呼吸も激しく乱れていた。
「エリミーヌ王女、しっかりしろ。」
「だ、大丈夫です。このブレスレットを着け直せば、魔力を抑えられる・・はず。」
そう言って彼女は懸命にブレスレットを身につけたものの、彼女を巡る魔力は収まる気配が見られなかった。
「そ、そんな・・・。」
もはやセーナの魔力を以てしても彼女の魔力は制御できなくなっていた。溢れる魔力が否応なしに周りの人間を圧迫する。
「ク、クレスト様、私の側にいるのは危険です。それにまだ前方にはまだ敵部隊もおりますので、どうか軍を進めて下さい。」
この頃には一度ネルガルの魔力に吹き飛ばされていたアトスとブラミモンドが駆けつけてきていた。
「エリミーヌ王女には私どもが付いているので安心を。」
すっかりエリミーヌの魔力に呑まれつつあったクレストはどうにか気を取り直して言う。
「そ、そうか、ならばここでゆっくりと休んでいてくれ。おそらくネルガルの部隊は戦わずして降伏してくれるだろうし。」
そしてセリアの待っているシレジア軍に戻っていった。
 しばらくしてシレジア軍に戻ったクレストは猛烈な疲労感に襲われていた。それを心配そうに見ていたセリアであったが、心を鬼にして事態の変化を伝える。
「レクサス様とデーヴィド様がそれぞれの手勢を率いて西方に向かわれました。念のため、意図を確認しましたが、両者ともセーナ様の命とのみしか仰られず、ネルガル隊の対処を任せるとのことでした。」
西方部隊の指揮を任されたクレストを蔑ろにしているとセリアは憤っているが、セーナの名を出された以上は何も言えなかった。そんな不機嫌なセリアの顔を見ていると思わずクレストも苦笑していた。
「母上の命というのなら仕方ないだろ。元々彼らは兵数を補うために付けてもらっただけなのだから。・・・それよりもセリアはシレジア軍を前進させて、ネルガルの魔道士部隊に当たってくれ。おそらくもう戦意はないだろうから、扱いは任せるよ。」
まだ不満顔をしているセリアであるが、主君から命が出ればそこは騎士である。すぐに気持ちを切り替えて、シレジア軍を動かすべくクレストから下がった。
 残ったクレストは静かに瞳を閉じて、先ほどの死闘を振り返った。己の言葉でエリミーヌを死線を越えさせたことに強い悔いが残っていたのだ。そしてここに至って、クレストはセーナが己を西部戦線の主将に任じた意味を理解した。

 クレストは今までライトと共にシレジアにおり、今回の大戦でもガルダ島を離れずにいたことから本物の修羅場というものを体験していなかった。そのため、アルドのような失策もなく、エレナのような冒険もしない、いわば優等生的な生き方をしてきただけに、いざというときの決断が甘くなるとセーナは思っていたのだ。幸か不幸かクレストはエリミーヌがそこまで危険な状況であることを知らなかったために、更なる力の解放を促させたが、もしそんな状況を知っていればクレストは間違いなく彼女を控えさせたっであろう。
 セーナは非情にも死期の迫ったエリミーヌをクレストの側に配して、その苦しみを目の前で生々しく見せたのだ。人の上に立つ以上は少数のものが苦痛を強いる決断をしなければならないこともあるということをセーナはこの場で強烈な形で伝えたのだ。


 その後、セリアが自身の天馬騎士隊を前進させたものの、予想されたようにネルガルの魔道士部隊は一戦もせずにあっさりと降伏を申し出てきた。これで西部戦線の戦いが終わったものの、先行して更に西に向かったレクサスとデーヴィドが思わぬ事態を巻き起こすことになるのだが、それはもう少し後の話となる。
 そしてその頃、本来の本陣にいるアルドはある違和感に気付き始めていた。
「おかしい。何で各戦線の情報が入ってこないんだ・・・。」
既にセーナはアルドに対して仕掛けていた。

 

 

 

 

 

最終更新:2014年01月19日 21:00