セーナが西方を確保したレクサス隊を通過して、戦場を離脱したのを見計らって、彼女がいた陣からライトニング3発が打ち上げられた。それはセーナ指揮による合戦の終了を意味していた。もっともまだ戦いは終わったわけではない。東部戦線ではネクロス・イドゥン両隊の残存竜がなおも必死の抵抗を、南部でも未だにイーリスとエレナが決死の攻防を繰り広げているままである。
この間にアルドは母を追うべく、まずはセーナ同様に西から追うことを考えていた。
「相手がレクサス殿ならば何らかの利をもたらすことを約束すれば通してくれるのではないでしょうか。」
アベルの言葉にアルドは頷いた。
「リーネ、交渉しに行ってくれないか。条件は・・・事がなった次第にはドズルを譲ろう。」
思わぬ条件にアベルもリーネも驚いた。
「足りないか?」
「いえ、十分かと。しかしヴェスティアの喉元にあたるドズルを与えて問題ないのですか?」
野心を隠しもしないレクサスを傍に置くのは将来的に危険ではないか、とアベルが懸念するが、アルドはすぐに首を振る。
「間にあるフリージ丘陵は渡さなければ問題ないだろう。それにそうすれば飛び領となって、逆にレクサスは領国経営が大変になるだろう。」
これにアベルとリーネは納得して、すぐに飛び出していった。この間にも他にも手がないか、地図を見始め、東部戦線のハルトムート、西部戦線のクレストにも呼びかけることにした。


 リーネは天馬を飛ばして、まずはレクサスとにらみ合っている形となったデーヴィドに面会した。
「ほぉ、アルド様はセーナ様に会うためにレクサスに道を空けてもらいたいと。・・・まぁあの頑固者に会うのならば、どうぞお通りあれ。・・・いや、私も付いていくことにしよう。何かあっては大変だからな。」
戦乱も終盤に入っているのに妙に落ち着き払ったデーヴィドの様子に違和感を感じながらもリーネはデーヴィド隊をすり抜けていった。
「ふむ、新しい皇帝陛下はこの道を譲って欲しいと。その代わりにドズルをくれるというのか。」
リーネからアルドの書状を呼んだレクサスは思わぬ条件に内心で笑いが止まらないでいた。しかしそんなことをおくびにも出さずに言う。
「俺はセーナ様の命でここを守っているのだが、既にセーナ様もここから西に抜けて、後は個々の裁量に任されたようなもの。」
一応、レクサスもそれなりの身分だからやはり建前から入る。
「皇帝陛下がこれだけの条件を出してくれるというのならば、俺は喜んでこの地を去ることにしようか。・・・リーネ殿、この旨を皇帝陛下にお伝えあれ。」
さすがに一癖のあるレクサスである。忠義一筋であったリーネは内心では裏表のある彼のことを快く思っていないが、おくびにも出さずに丁寧に頭を下げた。
 そして朗報を届けるべくすぐにアルドの元に戻ろうとしたときである。一本の槍先がリーネに突きつけられた。
「さすがにセーナ様の読みは鋭い。こうなることまで想定内だったとは。」
そう言ったのは同伴してきたデーヴィドであった。
「な、デーヴィド様?!」
「お、おい、デーヴィド」
「リーネ殿、申し訳ないが、今度は私がここに居座らせてもらおう。そうアルド様にお伝えあれ。これもセーナ様の命なので、悪しからず。・・・レクサス、すまないが、ドズル返り咲きの件は諦めてもらおう。」
そう、セーナはアルドが利をちらつかせてレクサスを寝返らせることを鼻から読んでいたのだ。それに備えてデーヴィドにはそれこそレクサスに誘うよりも早く、今回の件を依頼していた。相手が義理固いデーヴィドであれば、説得は限りなく無理だろう。この時点で西からセーナを追う事は不可能となった。
 リーネをアルドの元に返し、レクサスに動かぬよう釘をさしたデーヴィドはドラゴンナイツのところに戻っていた。
「デルファイ、すまないが、レクサスのことを見張っていてくれ。私は中央の動きを睨んで、そちらに対応することにする。」
アルドと共に合流していたデルファイは今回の戦いではデーヴィドと行動を共にしていた。彼は何も言わずに頷いた。

 一方、東部戦線でもまだ戦いが続いていたが、アルドからの伝令が来て流れが変わりつつあった。ハルトムートはアルドに同調して、南東から竜殿に向かおうとした。しかし、こちらもセーナの手が及んでおり、不可能となっていたことがわかった。このルートも西同様に狭隘な山道を進むことになるのだが、ミカ配下の魔道士部隊の手によって意図的に土砂崩れが起こされて、道が塞がれていたのだ。通れないことはないものの、ただでさえ回り道で距離もあることからリスクあってメリットがない選択肢になっていた。
 さらにセーナの策はとことん徹底していた。ハルトムートたちがイドゥン・ヤアンの残存部隊を相手している間に、ロイトとジャンヌ率いる部隊がベルン城跡に通じる山道を封鎖し、ハルトムートたちをベルン城跡に閉じ込めたのだ。ハルトムートたちが気付いた時には既に遅く、身動きが取れなくなっていた。

 東西からの連絡を受けて、アルドは南に活路を見出すしかなかった。しかし未だにエレナとイーリスが熾烈な戦いを繰り広げているところに水を差すのは兄として到底できるものではなかった。
「ならばすぐ横を通っていけばいいだろう。」
出陣の催促がてらアルドたちの軍議に参加していたリチャードが言う。実際に南側は大きく開けており、軽く迂回すれば抜けられる。だが陣するのは誰よりもセーナの策を理解しているミカである。必ず猛烈な妨害を仕掛けてくることであろう。更にはリーネの言うことにはデーヴィドもアルドの動きを警戒している恐れがあるらしい。
「それだけではありません。」
そう言ってアルドのもとに来たのはアジャスであった。
「今まで我らの諜報衆がやられていたのですが、急に攻撃の手が緩んだのでおかしいと思って調べてみました。するとマーニの諜報衆が南に集結しているとのことです。」
実際にミカは自由に動ける手勢を増やすために、マーニの諜報衆を急ごしらえの軍勢として作り上げていた。
「ふん、あちらはやる気満々ということか。ならば俺らが奴らを引きつけておこう。その間に抜けるといいだろう。」
リチャードが強気に言い放つと、傍らに控えていたアベルも頷く。
「ここに至っては下手な駆け引きは無用ですね。そうしましょう」
これにアルドも納得して、頷いた。彼らの策はこうして決まった。


 アルド隊はついにリチャード隊を先頭にして南下を始めた。だがすぐにミカ隊の猛烈な反撃にあった。エルファイアの一斉射を受けたのだ。さすがにグリューゲルのトップを走ってきたミカ隊の魔道士たちだけあって、精度も威力も強烈で、リチャード隊もこの一発でさすがに足が止まった。
(これがヴェスティアの力か・・・。ラグナの竜たちよりも強いではないか。)
そう思いながらも、リチャードは配下のものに檄を与える。
「怯むな。レダの兵の強さを、ヴェスティアのものに見せ付けるのだ。」
これに反応したレダ兵たちは再び前進を始めた。と思ったのも束の間、思わぬ方向から横撃を受けることになる。それは南東の道を崩すために別行動を取っていたミカ隊の別働隊だった。それを指揮するのはミカの副官としての立場を固めたニイメである。そのままミカ本隊と合流をしようとしていたが、リチャード隊が迫っていることを知って奇襲に切り替えていたのだ。
 しかもここでミカが追加で編成していたマーニ隊も前進してきたことからリチャード隊は二方面の攻撃を受けることになる。しかもこのマーニ隊にはリチャードも想像していなかった者が入っていた。縦横無尽に槍をふるっていたリチャードだが、突如として繰り出された斬撃に槍が弾かれた。その斬撃の重さに驚いたリチャードが目の前の相手を見て、再度驚かされた。
「お前はホームズか?!」
「ふん、俺だけじゃないぜ。」
そして後方を指差した先に弓を構えている人物を見て、三度驚くことになった。
「リュナン、お前もここにいたのか。」
ホームズとリュナンは先日のサカ攻略戦でハノンに同道していたが、今回はセーナ率いるミカ隊に身を寄せていたのだ。リュナンが弓を構えているのはそのサカ攻略戦時にホームズから教えてもらったもので、ホームズを援護するために身に付けたものであった。
「そういうことだ。悪いが、これ以上、お前の思い通りにはさせないぜ。」
ホームズが腕を扱いたかと思えば、再び斬撃を解き放つ。それをドラゴンスピアで受け止めながらリチャードは周りの状況を整理し、己の意図する方向に進んでいることを確認していた。
(フン、俺は陽動に過ぎん。まぁこれで奴らの目もこっちに向いたのならば上々というものだろう。あとはこいつらとの戦いを楽しむとするか。)
実際にこれでミカ隊はリチャード隊に釘付けとなっていた。アルド隊はそれを尻目にミカ隊をやり過ごしながら南への突破を図った。だが当然そんなことはミカの想定の範疇である。ミカ自身は長時間化したエレナとイーリスの援護にかかりっきりになっているが、すでに策はばら撒いてある。
戦場を抜けようとするアルド隊の背後から猛烈な勢いでトラキア・ドラゴンナイツが迫ってきていた。西部戦線から事の成り行きを見守っていたデーヴィドがアルド隊の行動を妨害しようとしたのだ。
「思っていたより行軍速度が速くて、前を取ることはできなかったが、相手がドラゴンナイツとわかればそうそう動けないだろう。・・・」
母に似ず、いつでも慎重なデーヴィドはアルドの性格からここで無駄な冒険をしないと読んでいた。しかし腰を据えているアルドの行動力はデーヴィドの予想を超えていた。
「アベル、すまないが、デーヴィドを抑えてくれないか。」
じっくり断を下すイメージの強いアルドであるが、いざ戦場となるとその決断力はさすがにセーナ譲りのものを持っていた。これで人竜戦役での経験も加わったから、この判断も的確だった。アベルはしっかりと頷いて、彼のもとを辞した。
 だがまだまだセーナとミカの策は続く。南西の山岳地帯から突如として天馬騎士隊が現れたかと思えば、アルド隊の前面に展開してきたのだ。その旗印を見て、思わずアルドが呻く。今はヴェスティアの客将となっている義叔母サーシャ率いる天馬騎士隊だったのだ。ガルダ決戦後は大軍の影に入って目立たなかったが、セーナと共にこの大陸に渡り、密かにアルドを待ち受けていたのだ。あまりにも奥の深いセーナの戦術に唖然としているアルドに、眦を決してリーネが出てきた。
「アルド様、サーシャ様には私が参りましょう。一度お手合わせを願いたかった相手でもありますので。」
彼女の言葉に我を取り戻したアルドは彼女の言葉に頷いた。
「すまない。」
こうしてリーネとサーシャの天かける戦乙女の激突を尻目にアルドは辛くもベルンの戦場を離脱することに成功した。


 一方、先に戦場を抜け出したセーナはと言えば、西ルートの山道を通ってから南下し、南ルート、南東ルートの道と合流すると西に進路を取った。この辺りは盆地のような形になっており、ここを抜けた先の次の盆地に竜殿と広大な湖が広がるのだ。
(アルド、私はあなたが後を追ってくると信じている。)
ヴェスティアの皇帝たるもの、私情にかられて大計を捨てるとは何事だと、後世のものはアルドの行動を非難するかもしれないが、セーナはむしろこのアルドの行動を誰よりも喜んでいた。
(皇帝たるもの、人の上に立たなければならない以上、誰よりも人らしく生きなければならない。)
しきたりや伝統、型にはまった人間ほどつまらないものはない。人を治めるにしても安定はするだろうが、色はなくなる。ライトの時がそうであった。多少型破りでも己のやりたいようにやればいい。それで世が乱れたら直せばよい。むしろセーナはその時こそ己の思いを世界に広げる機会とすら思っていた。
 実際にセーナは些細なボヤも幾度となく戦乱に変えてきた。セーナとマリクの戦い、シグルド2世、先年のアリティア内乱もそうである。このいずれもセーナがすぐに屈していれば簡単に平和は訪れていたのだ。しかしそれをせずにセーナは己の意思を曲げず敢えて戦い続けた、己の思いを広げるために。その結果が今の世界がある。そのために多くの犠牲も払ったが、彼女からすれば平和という名に甘えた惰眠を貪るよりは遥かに有意義だったのだろう。セーナはアルドにもそう生きてもらうべく育ててきたのだ。
しかし今回、それを成し遂げた瞬間、セーナのラグナを倒す策は絵に描いた餅となってしまうのである。後進のもののために己の信念に反することをするために、セーナは己の智謀の全てをかけてアルドを妨げたのだった。

 「?!あれは?」
セーナは盆地西部の出口に謎の一団が布陣していることに気付いた。見たところ人間の軍勢であるが、セーナはさすがにこんなところまで軍勢を置く余裕はないから普通に考えればラグナの手先とも考えられた。が、目の前の光景を見て、すぐにその考えは覆されることになる。
「ラグナ神軍・・・。そうね、私が戦場を西に離脱したことを知って、イーリスが手勢の一部を向かわせたのね。」
セーナが飛び越えている下にはラグナ神軍の竜たちの死体が並んでいる。彼らはセーナの予想通りにイーリスが向かわしたものである。よほど速さを重視したのか、飛竜のみで構成されていたため、回り道をしていたセーナをも追い越し、この軍勢とぶつかって、そして壊滅したのが真相であった。とすれば、目の前の軍勢は味方となる。
 やがてその軍勢の兵士の装備が見えるところまで来て、セーナはその正体を悟った。
「いつの間にか姿を消したと思ったら、こんなところに来ていたのね。」
その言葉に反応したかのように目の前の軍勢が南北に割れ、中央に一人の魔道士が静かにセーナを待っていた。それこそがセーナの愛した男ライトであった。

 セーナとライトが一緒にいたのはヴァナヘイム大陸のクラウンエッジまで遡る。戦後、ふいに姿を消したライトは一度シレジアに帰還したかと思えば、ライ率いるテルシアスを連れたまま、堂々とサウスエレブに上陸していた。この時、ローランがサウスエレブを奪取して、ブルガルに向けて出発した直後のことである。ここで情勢を再確認するため、すぐ対岸にある島(後のヴァロール島)に潜んでいたが、ガルダ決戦が終了してセーナが大軍を引き連れてサウスエレブを経由してブルガルに向かうと、彼は密かに大胆にも竜殿付近へと上陸する。ラグナたちの目がセーナに向いていたことを逆手に取った大胆な行動であった。それからはこの盆地に潜んで時がくるのをずっと待っていたのだ。この間、ライトはセーナと一切連絡は取っていない。

 「やってくれたわね。でも、これでアルドを止める策は完成したわ。」
セーナは会心の笑みを浮かべて、天馬の高度を落とした。既にセーナとライトは互いに顔を認識できるところまで近づいていた。しかし、二人は特別言葉を交わそうとしなかった。ただ一つ、ライトがあげた手にセーナがすれ違いざまに己の手を重ねただけであった。それだけで二人は満足であった。
(これで思い残すことは何もない。待っていなさい、ラグナ!)
セーナは竜殿へと向かっていった。


 そしてアルドもライト率いるテルシアスを目の前に来て、さすがに足が止まった。
「どうしましょうか。私が突っ込んでどうにか穴を開けましょうか。」
ずっと付き従ってきたエルマードが進言するが、アルドは首を横に振った。
「エルマード、おそらく僕らの全てを出してもここは突破できないだろう。・・・ふふふ、私は何をやっていたんだろうな。一時の感情に揺り動かされて、母上のやりたいことを妨害しようとするとはな。・・・母上がここまでして、止めようとしているのに。」
ここで今まで何も言わずにアルドに付いてきていただけのミルが言う。
「アルド様、実は私、セーナ様が何のためにここまで策を巡らせたのか、その理由を知っています。」
思わぬことに驚くアルドにミルは続ける。
「アルド様が仰ったように、これ以上、セーナ様の近くにいると危険なのです。しかしこれをやらねばラグナを倒せぬと。」
「・・・」
「セーナ様はこうも仰っていました。人を導くものとして、しきたりや型にはまらずに、より人らしく生きて欲しい。そのためならば、セーナ様は喜んで自分で死地に行く。」
既にミルの声は震えていたが、気持ちを振り絞ってセーナの最期の言葉を伝える。
「そして最後の知恵比べは楽しかったと。」
「・・・母上。」
人竜戦役の終結するまであとわずか。

 

 

 

 

 

 

最終更新:2014年02月05日 22:39