長い帰路の果てに、アルドたちはようやくヴェスティアへの帰還を果たした。レクサスの大返し、クロノスの反乱と相次いだことからハイラインで上陸して悠々と戻るところを切り上げて、一気にユン川河口のヴェスティア海軍基地まで直行した。それからはさすがに隊列を整えて、ヴェスティアの正面から凱旋することとなる。
 長きに渡る戦いが終わったこともあって、国民の出迎えは熱狂的になるだろうと誰もが思っていた。が、凱旋してきた軍勢の様子を見て、誰もが息を呑んだ。真っ先にヴェスティアに入ってきたのはセーナの棺であったからだ。もちろん彼女の死はすでにヴェスティアにも届いていたものの、彼女のことだからまた国民を騙しているものと思うものも少なくなかった。アルドはそれも察し、また戦の終わりで浮かれつつある国民に冷や水を浴びせるべく母の棺を利用したのだ。ただしこの棺に母の遺体は入っていない。魂の抜けた体は北大陸に残ったミカによってその地に葬られている。ここに入っているのは数点の遺品のみであった。
 一部ですすり泣く声が聞こえる中で粛々と進むアルド、フィリップ、クレストら、ユグドラルの三首脳の前に二人の男が待っていた。
「随分とのんびりとした帰国ですな、新帝陛下。」
棘のある物言いながらもアルドのことを皇帝と認めたレクサスが先に言う。その気になればヴェスティアを襲撃すら出来ていたのだぞ、と暗に言いたかったようでもう一人の男とヴェスティアに乗り込んでいたのだ。
「レクサスこそ、つい最近まで同じ戦場で戦っていたというのに、相変わらずの足の速さだな。母上が頼りにするのもよくわかる。」
さすがに皇帝となったからにはアルドも今までのような頼るような口調ではなかった。姿勢の変化にレクサスは一瞬だけ表情を変えたが、アルドはあえて無視してもう一人の男に向かった。
「おじい様、今回は母共々無理を言って申し訳ありませんでした。」
「全くだな。だが、おかげでなかなか楽しい時間を過ごせたとは思う。」
さすがにアルドも敬意を払うその相手は、祖父セティであった。アルドはレクサスの行動を縛るためにアグスティに向かうよう依頼していたのだ。レクサス自身はたとえセティとその背後にいるシレジアが敵に回っても負ける戦はしないつもりであったが、さすがに人竜戦役で疲弊していた世界のことを考えるとさすがに躊躇った。そして最終的に挙兵を留まったあたりは彼も一廉の英雄と言えるだろう。
 もろもろの挨拶が終わり、一同は再びヴェスティア宮殿へと登っていった。この日は長らくの行軍の疲れを癒すこととし、今後のことについては翌日から話し合うことになった。とはいえ、すでに船上で色々と話し合っていたようで、それを公式の場で公開するための儀式的なものとなった。まず、領土については今回は防衛戦争であることから戦前と勢力図は大きく変わらなかった。
 ヴェスティアでは一部北大陸に渡るものがいることから、それにより手離れした領土等の再分配が行われた。また今回の戦で大きな功を挙げたレクサスは結局領土を増やすことはできなかったが、ヴェスティア西方筆頭の地位を得て、オーガヒル、ノディオンを旧アグストリア地域を束ねることになった。また初期の大混乱時をまとめあげたルゼルはアルドから激賞されながらも後方にいたことから恩賞を一切辞退する代わりに宰相を辞し、バーハラ家へ戻ることを希望した。アルドもしばらくバーハラに戻っていない彼の事情はよくわかっていたが、戦後の混乱やクロノス対策、そしてアルドの希望もあってその望みが叶うまで2年の時を要することになった。
 トラキアはこの大乱の決定打を担うことになったが、大きくは戦前と変わらなかった。強いていえばクロノスの被害をもっとも受けることになることから多少ながら国力は落ちることになる。しかしデーヴィド、デルファイの両輪によって率いられたトラキアは更なる発展を遂げる。
 シレジアは魔力を失ったフィーリアとグスタフが第一線を退いたことで、相対的にクレスト一人に権力が集中することになった。が、これを制御するための役割を徒姉レナが担うことになった。また、彼女はオーガヒルのレイラと共にセーナ同様にトーヴェにて後進の育成にも力を入れていく。

 「ここまでが私の知っている人竜戦役の全てです。」
遥かな時が流れて、第一線に復帰しようとしているミカは一組の夫婦と、どこかで見たような蒼髪の少女らに昔語りをしていた。
「人と竜の戦いはそこまで凄まじいものだったのですね。エレブで語り継がれているものがあくまで局地戦だったものとは。」
赤髪の青年が代表をして素直な感想を述べた。
「歴史、特に人が作ったものは伝えるものの都合の良いものに変わってしまうものです。今、私が語ったこともやはりどうしても主観は混じってしまうもので、竜からすれば齟齬のあるものもあるでしょう。」
「よく言われるのが、歴史は勝者によって作られる、ということですね。だから歴史は繰り返してしまう。」
ミカは蒼髪の少女の言葉に頷いて、続ける。
「その後、セーナ様のシューティングスターが巻き起こした砂塵や、大戦による魔力のぶつかり合いで疲弊した精霊たちの影響で終末の冬が訪れましたが、アルド様はアトスの提案の元、神将器を封印することで世界を巡る魔力量を抑えることに成功して、どうにか平穏を取り戻すことになりました。」
あっさりと伝えてはいるが、実はこの時期が人類滅亡の瀬戸際だったことがユグドラル以南では伝えられている。一部の書物では後先考えずにシューティングスターを放ったセーナを痛烈に批判しているものすらある。その犠牲者は甚大な被害を被った人竜戦役に匹敵するとさえ言われており、アルドもこの対応に苦慮していた記録が残っていた。
「さて、ここまでなぜ私が昔語りをしていたのか、ロイ殿にはお分かりでしょうか。」
赤髪の青年ロイは静かに頷いた。
「私に世界をあるべき姿に戻すべく立ち上がれ、ということでしょう。」
しかしミカは首を振る。
「いいえ、戻すのではなく、新しく作り直して欲しいのです。セーナ様の時代に生み出されたゆがみが今、この世界を覆い、世界は乱れています。このままでは今度こそ世界は死滅してしまうでしょう。人類の滅亡では済まなくなります。」
「世界の死滅・・・。」
蒼髪の少女が思わず呟く。
「ロイ殿、あなたにはそれが出来るだけの器があると思っております。その証拠に運命の鍵、キー・オブ・フォーチュンもあなたのことを受け入れているようです。どうか立ち上がって下さい。不肖、このミカ、できうる限りそのお手伝いをさせて頂きますので。」
頭を下げるミカに、ロイはさすがに返答に困った。これを促したのが妻リリーナである。
「ロイ、大丈夫、皆でやればどうにかなるわ。そのおかげでエレブも一つになったのだもの。」
「・・・リリーナ、ありがとう。ミカさん、どこまでやれるかはわからないが、皆のために立ち上がろう。」
ロイの言葉にミカは静かに頭を下げた。この瞬間、ミカの新たな戦いが始まることになる。
(セーナ様、今なら最終決戦前夜での出来事の意味がわかる気がします。おそらくこの戦いの果てに私はセーナ様と再会できる機会が来る。そしてその時が世界が歪みから完全に解放される時だと・・。)


 そして再び時は戻る。辛くも終末の冬を乗り越えて復興に向けた歩みが始まったある日、ヴェスティア宮殿内のある部屋にアルドとある男が対面していた。反乱を起こしたクロノスの現首領ブラムである。ブラミモンドの父シャルからすると従兄弟にあたる。かつてセーナが兄マリク共にリーベリア大返しを果たした頃に、フィリップの意を受けて反乱を起こしたブラムの父ペイルは今回の人竜戦役にてネクロスの四炎アスカの手にかかり戦死しており、その後を継いでいたのだ。アルドはレダに戻ったアジャスの伝手を取るというまどろっこしい手を使って、彼との極秘会談を依頼していた。会見に及びアルドは仲介したアジャスや妻ミルですら離れさせ、ブラムとさしで対面する。
「お久しぶりです、皇帝陛下。」
人竜戦役でもその手足となって働いていたことから当然顔はお互いに見知っていた。
「ブラム、あまり時間を割くと疑うものも出てくるものがいるから、要点を伝える。」
戦後の難局を切り抜けたアルドはすっかり皇帝としての威厳を備えていることをブラムは悟っていた。しかもこれにセーナのような人好きのする表情の豊かさを持っているから、民からも慕われていることは彼自身もよく知っている。呑まれつつも、しっかりと視線を返すブラムにアルドは彼の想像を超える一言を放った。
「人柱となる道を選ばして申し訳なかった。」
アルドの言葉にブラムは激しく動揺した。その一言は人竜戦役末期にクロノスが反乱を起こした真因を、ブラム以外ではもう知っているものはいないはずの事実を察していることを意味していたのだ。その様子を見て、アルドは続ける。
「悪く思わないで欲しい。私も最初はわからなかったのだ。母の記憶をたどったデーヴィドが私に教えてくれて初めて悟った。」
それを聞いてブラムは警戒した。それが漏れているようであればクロノスが立った理由も、それから死んだものたちの意味も無と化すのだ。アルドはそのブラムの心の動きを悟ったかのように更に続ける。
「心配することはない。このことは私とデーヴィドしか知らないし、そのためにこういう場を設けたのだ。デーヴィドにもこのことは無理に聞き出したものだ。」

 人竜戦役後、しばらくは大きな活動はとっていないクロノスであったが、終末の冬が終わってからはトラキアやヴェスティアを相手に武力で訴えることが多くなった。それに最前線で対応したのが自領をおびやかされるトラキアのデーヴィドであった。しかしその采配は往年の冴えが見えることがなく、なぜか泥仕合に終始していた。彼の力量を知っているアルドはクロノスとの何らかのやり取りがあるのか一時は本気で疑ったりもした。それを察知してか、デーヴィドが驚くべき事実を極秘裏にアルドに伝えてきたのだ。その事実からデーヴィドはクロノスを攻めきれずにいたのだということをアルドは知り、そしてそれに感謝すべくブラムを呼び出していたのだ。それほどの事実とは何なのか。
 時はさらに遡り、ベルン最終決戦直前のブルガルでのこと。セーナはブラムとブラミモンドを呼び出していた。
「ブラム、ブラミモンド、私はあなたたちが蜂起しやすい舞台を設えたつもりだけど、これでよかったかしらね。」
アルドとの会話のように動揺するブラムを楽しむように見ているセーナがいた
「な、何のことですか、セーナ様。」
「ふふ、私がなにも知らないと思って。元々あなたたちクロノスはお父様が作り上げた地下組織。この戦いが終われば、また私たち人類の当て馬として、また地下組織に舞い戻るつもりなんでしょ。」
これにはブラムとブラミモンドは文字通り驚愕した。
「どうしてそれを!?セリス様がセーナ様に?」
「それは違うわ。でも私もお父様の立場に立って、自然とわかったことよ。人々は明らかに対抗するものがあれば結束することができるけど、それが終息すれば人々はまたそれぞれ気の向くままに歩みを再開してしまう。しばらくはそれでもいいけれど、それが行き過ぎれば新たな戦乱の火種となりかねない。それを防ぐにはどうすればいいか、同じように人類に仇なす敵を作ればいいのよ、それをお父様はあなたたちに託し、私もその策を引き継がせてもらうわ。」
それこそ父の遺志を継いだセーナと言えた。ブラムは完全に兜を脱いでいた。
「参りました、セーナ様。」
「いいえ、参ったのは私の方よ。これからあなたたちは修羅の道を歩ませるというのに、あなたたちはそれを受けてくれた。下手をすれば人類すべての憎しみを背負うという壮絶な道を。ある意味、私なんかより凄絶な道よ。」
「それを承知して、先日のブラミモンドの処分を言い渡してくれたのですね。」
サカでの失態、それは事実ではあったが、それにしてもその後、このブルガルで言い渡された処分は彼女にして苛烈であった。おかげでブラムもこの名分を盾に反乱を起こす腹積もりでいたのだが、むしろセーナがその土台作りを支援していたのだ。
(まったくこの人には敵わないな。)
素直にブラムは完敗であった。
「いい、ブラム。人はおそらくあなたたちに憎しみを向けるかもしれないけれども、私はあなたに対して感謝します。そのことだけは忘れないで。」
元々理解されない道を歩もうとしていただけに、セーナの言葉を受けて、闇に生きてきたものの頬に思わず一筋の光るものが流れたのをブラムは今でも覚えていた。
 そしてこの時の光景をデーヴィドはキー・オブ・フォーチュンを通じて、引き継いでいた。いくらヴェスティアの中枢を担った諜報衆とはいえ、トラキアが本気を出せばクロノスなど一握りである。だからこそデーヴィドは自らクロノス討伐に名乗り出て、あえて攻め手を鈍らせていたのだ。時には敢えて自身も負傷したりもした。その結果、ユグドラルではクロノス恐るべしの空気が出来上がり、人竜戦役後の平和で空気が緩むことはなく、セリス、セーナ、デーヴィドの思惑通り、人々はバラバラにならずに済んでいたのだ。

 「ブラム、私もデーヴィドも同じ考えだ。将兵は君たちを恨むかもしれないが、私は君たちの凄絶な覚悟に敬意を表する。」
「ありがとうございます。その言葉を聞けただけでも我らは救われます。」
そしてブラムは頭を下げて去っていった。
 こうして次に起こるヴェスティアの内乱まで20年近く大きな戦乱は抑えられることになった。その平和を乱すことになったのは皮肉にもアルドの息子と、アルドが最期まで警戒していたレクサス、そしてこの舞台を設えていたデーヴィドとなるのだが、これはまた別の話となる。

最終更新:2015年12月31日 22:35