エンテのつきっきりの看護により何とかロジャーとの決闘以前の体に戻ったリュナンは2日ぶりに軍議に戻ってきた。
「リュナン様、もうお体は大丈夫なのですか?」
リュナンの容態をもっとも心配していた一人であるオイゲンが即座に尋ねた。
「うん。エンテのおかげでなんとかね。」
「それはそれでいいが、あの時、あなたの体を守った金属みたいなものは何だったんだ?」
ラフィンは奇跡的に軽症ですんだ理由をあの金属音にあると考えていたのだ。
「・・・」
リュナンはしばらく言葉を発しなかった。幼い日に少女と約束を交わしその証明のために二人で分け合った何の飾りもない鉄のペンダントがリュナンの命を救ったのは言うまでもなかった。しかし解放軍には急所をはずしたとだけしか伝えられていなかった。そのためにラフィンと同じようにロジャーに突かれる寸前の金属音のことが気になる人が多くいたのである。この情報を出したのはオイゲンであり、オイゲン自身もさっきまでこのペンダントの存在を知らないでいたのである。だがその命と同じくらい大事にしてきたペンダントが無かったことがリュナンの口を重くしていた。それにも関わらずにリュナンは真相をラフィンに打ち明けた。
「そう、ラフィンの考えていた通り、僕が助かったのは僕の身に付けていた大事なペンダントのおかげなんだ。これは僕が五歳の時から毎日欠かさずに身に付けていたけど、あの戦いの後になくなってしまったんだ。一応鉄製で飾りの無いものだからロジャーの槍を受け止めるのには十分みたいだったけれど、体勢が体勢だったからペンダントにかすめて腹に刺さったんだ。」
「そうだったのか。いや、わかっただけでも十分だ。」
「ところで我が軍の状態は?」
リュナンの問いにマーロンがすかさず答えた。
「リュナン様の負傷に士気の減退が著しく、寝ずにいたものも多いようで、ソラの決戦の疲れがとれずにいます。できればこのグラムにしばらく留まり、英気を養うのが良いとおもいますが・・・。」
「そうだね。みんなには心配をかけたから、しばらく休もう。でも僕はエンテとマーテルをマルス神殿に連れて行くよ。」
「そうですな。あの二人にはお世話になりましたから、しっかりお送りしないといけませんな。」
「それでは我々、ヴェルジェ軍がこのグラムを守護していますので、リュナン様の手勢でエーゼンバッハ様のもとにエンテ殿とマーテル殿をお送りください。」
マーロンの提案にリュナンをはじめ、諸侯もうなずいたが、
「リュナン様、私はどちらにいたらよろしいでしょうか?」
サーシャがそう尋ねてきた。サーシャとケイトはどちらの軍にも所属していなかった。エンテとともに後方を支援していたためであった。
「サーシャに任せるよ。サーシャの好きな方に来ると良いよ。」
サーシャがしばらく考えてから結論を出した。
「私はマルス神殿に行きます!もちろんケイトも。」
「それじゃー、決まりだね。今日の昼には出発しよう。準備を急いでくれ。」
リュナンがそう言った瞬間にもオイゲンはクライス隊、アーキス隊に出発準備をさせるように命じていた。
ウエルト解放戦争がはじまって以来、ラゼリア軍単独で行動を取るのは無かった。今までクライス、アーキスの両騎馬隊はラフィンの指揮のもとで戦闘していて、リュナンとは別の行動を起こしていたことが多かった。マルス神殿までの行軍中にクライスもアーキスも成長していたリュナンに気付いていた。グラナダを離脱してからしばらく行動を共にしなかったこともあるが、それにしても彼の成長ぶりは彼に親しい人ほど良く感じていた。リュナン自身もまたその成長に驚いていた。特にロジャー戦の際に放った『ストームブレイザー』が今でも印象に残っていた。今まで基礎の剣技しか習っていなかったリュナンにとって『ストームブレイザー』を放つことができないと思っていた。父・グラムドもまた同じ時期にこの『ストームブレイザー』を放っていた。そうまさにグラムドから伝わる騎士の血が正義を貫いて戦いを挑んできた聖騎士ロジャーによって目を覚ましたのであった。
グラムを発って1日、ラゼリア軍(サーシャ、ケイト、ラケル含む)はマルス神殿に到着した。しかし敵意がないとはいえ軍勢が入ってきたのに、何の音沙汰もないことに一同は不審に思っていた。特にエンテやマーテルは神殿によく出入りしていたため、この異様さに胸が騒いでいた。ラゼリア軍は不安な気持ちに襲われながら、神殿に入っていった。その瞬間、暗黒魔法ジャヌーラが先手をきって入っていったリュナン目掛けて襲ってきた。リュナンはたちまち毒蛇の攻撃をかわして手に持つレイピアで魔道士を倒した。
「一体、どうなっているんだ。マルス神殿は風の大魔道士エーゼンバッハ様が収めているはずなのに・・。」
リュナンの問いに前に出てきたエンテが話した。
「ガーゼル・・。グエンカオスが来ている!老師が危ない。」
ちょうどその頃、エンテの読みどおり神殿の祭壇ではエーゼンバッハとグエンカオスが対峙していた。
「グエンよ。おぬしはなぜ絶望の世界を作ろうとする。それではカルバザンの二の舞ではないか。」
「ふん、お主などにわしの気持ちなどわかるわけもなかろう。さぁつべこべ言わずに我がザッハークの餌食となるがいい。」
戦友オクトバスの命を奪ったザッハークがエーゼンバッハの体を包み込んだ。瞬く間にエーゼンバッハの体から体力が奪われていった。
「クッ!マルジュ、エンテを頼んだぞ。」
それが最期の言葉だった・・・。賢者エーゼンバッハは息を引き取ったのである。
「!」
エンテの脳裏に最悪な事態が頭をよぎった。
「エンテ、どこに行くんだ!一人では危ない。」
リュナンがエンテの後を追う。さらにその後を追おうとするラゼリア軍を見て
「クライス、アーキス、ラケル、ケイトを前線に連れてきて、暗黒兵を撃破してくれ、他のみんなはここにいてくれ。」
リュナンの読みどおり、奥に進めば進むほど、強力な暗黒兵が出てきた。マルス神殿は狭い通路のためにこの超少数精鋭で神殿攻略を命じたのである。暗く長い回廊を越えたエンテに上位暗黒魔法ブラックホールが襲ってきた。強烈な邪気に行動をさえぎられたエンテに容赦なく、黒い炎が襲いかかっていた。暗黒魔法の前に成す術のないエンテは死を覚悟していた。その直後、リュナンが間一髪エンテに飛びかかり、エンテをブラックホールの射程からはずさせた。しかしそのブラックホールを放ったダゴンは第二撃を二人の目の前で放とうとしていた。
(今、ブラックホールを放たれれば、逃げ切ることはできない)
そう思いながらも活路を見出そうと、あたりを見回すリュナンであったが、助けてくれそうなものもなく、まさに万事休すであった。その時、ダゴンの魔法の詠唱が止まった。よく見るとデビルスピアーが彼の腹部を貫通していたのであった。デビルスピアーを引き抜いた暗黒兵はリュナンの元に歩いていった。助けてもらったとはいえ暗黒兵であることは間違いなかったのでリュナンは剣の構えを解こうとしなかった。その暗黒兵はデビルスピアーを床に置き、こう言った。
「待ってくれ。私はガーゼルに強制的に戦わせられている元バージェの騎士だ。私はそなたを斬るつもりはない。頼む、剣を引いてくれ。」
そう言われたリュナンは剣を鞘にしまった。
「どうして命を助けてくれたのですか?」
「私は家族ごとガーゼルに捕らえられ、ゾーアの谷でひどい目に何度もあっていたんだ。それから逃れるために俺は暗黒兵に志願したが、やはりこれも俺には耐えられないんだ。だから今回を機に、脱出しようとしたのだ。私の名前はジークと申します。頼む、私もそなたの軍に加えさせてくれ。」
「私の命を救ってくださった方に拒否するわけにはいきません。それに我々には今は一人でも多く人が欲しいんだ。こちらからよろしく頼むよ、ジークさん。」
一方、辛うじて難を逃れたエンテはエーゼンバッハの遺体を見つけていた。その体にもはや生気はなく、魂の抜け殻と化していて、エンテでも手におえない状況だった。そんな時、祭壇の奥から二人の魔道士が出てきた。
「マルジュ、シルフィーゼさん!無事だったんですね。」
「エンテ、おじい様は?」
エンテは無言のまま首を横に振った。彼女の足元には彼の質問に関する答えがあった。しかしエンテは持っていたシーツで遺体を隠してマルジュに見えないようにしていた。
「そんな・・・。おじい様・・・。」
マルス神殿の戦いから一日後、マルジュは母シルフィーゼからある魔道書を受け取っていた。
「母上、これっておじい様のヴンダーガストではないですか。どうしてこんな物を。」
「あなたがおじい様の遺志を受け継いでエンテのことを守るのです。そのためにあなたが使えるように魔法の封印は解いておきました。」
「エンテを?」
「ええ、彼女は今、立ち上がらなければいけない時が来てしまったの。今はまだ詳しいことを言うことはできないけれど、これだけは信じて!あなたなら世界を平和にすることができる。」
「そんなことなんてできるはずがありません。」
「いいえ、大丈夫よ。このヴンダーガストは奇跡の風を呼ぶ魔法。それを使いこなせば、あなたにだってヴンダーガストの起こす以上の奇跡を起こすことができるはず。うまくいけばおじい様以上の・・・。」
「わかりました。僕はリュナン公子と行動を共にして、この魔道書を使って世界から邪悪な物を振り払ってみせます。母上もお元気で。」
マルジュが神殿の門を出て行った。その様子を見ていたシルフィーゼの目には光るものがあった。マルス神殿の門を出てしばらくしたところにラゼリア軍の野営地があった。エーゼンバッハを始めこの戦いで死んでいったマルス神殿の神官兵の霊を安らかに眠らせるための配慮であった。この野営地から歩いて5分のところに、ソラの港まで見渡せる崖があった。エンテはここにエーゼンバッハの墓を立てて、ここに彼の霊を鎮めることにした。エンテが祈りを終えて野営地に戻ろうとした時、リュナンが姿を現した。
「エンテ、これからどうするんだ?マルジュも僕たちについてくると言っているけど・・・。」
「リュナン様、私は、いえ、私もこれから正式にリュナン様の軍に加えさせてください。私にはやらなければいけないことがあるんです。お願いします。」
「わかった、エンテ。僕としても君が離れると戦力的に辛いものがあるし命をすくってもらったからいて欲しかったんだ。僕からもよろしく頼むよ。」
「リュナン様、命を救ったことは大したことはしてませんし、もしそうだとしてもマルス神殿で助けてもらったので、気にしないで下さい。でも・・・。」
「でも?」
「いえ、何でもありません。」
リュナンはエンテが何が言いたかったのか、わかった気がしていた。そしてあのペンダントも彼女が持っていると思っていた。しかしリュナンは口には出そうとせずに彼女から言ってくれるのを待っていた。
エーゼンバッハの死により大陸の四賢者はグエンカオスを除く3人全てがグエンに殺され、世界は混迷を深めることとなった。一方、リュナンはこの戦いで謎の騎士ジークと風の魔道士マルジュの参加により戦力の大幅な増強をすることができた。そのなかでもラゼリア軍の結束が徐々に強くなっているのをオイゲンは感じていた。