ウエルト解放軍のエリッツ騎馬軍団撃破の情報は瞬く間にウエルト中を駆け回った。もちろんコッダの本領であるグラムにもこの知らせは届いていた。このグラムを守っていたウエルトの聖騎士ロジャーはコッダの行為に疑問を抱きながらもコッダの口車に乗ってしまい、コッダ陣営に引き込まれていた。そんなロジャーにはウエルト解放軍との戦うための名分がなかった。それ以前にもともと王家に忠誠を誓っていたロジャーは王女サーシャを擁する解放軍に刃向かうことができるはずがない。しかしソラの決戦で解放軍は大勝を挙げ、隣接するこのグラムは危機に瀕していた。ロジャーは心に迷いを生じさせながらも解放軍迎撃の準備を始めた。
一方の解放軍にもある剣客が忍び寄っていた。
「見つけたぞ。赤髪の剣士ジュリア、ゼムセリア太守婦人を殺した報いを今果たせて頂くぞ。」
ジュリアはその声の出るほうに振り向くと一人の剣士が立っていた。
「何のこと?」
「とぼけるな。私はレンツェンに雇われた傭兵ヴェガだ。シュラムの手にかかって死ねることを誇りに思うのだな。」
そういった直後、ヴェガの剣がジュリアを襲った。そのスピードはいままで戦ってきた敵兵の比ではなかった。ジュリアがヴェガの第一撃を交わして間もなく、ジュリアのキルブレードがヴェガを斬りつけた。手応えがあった。ヴェガの腹部からはじわじわと出血していた。しかしヴェガはそれに気にすることなく、流星のごとく連続してジュリアに剣技をぶつけてきた。ジュリアは冷静にヴェガの剣の軌道を読み、連続して放たれるヴェガの剣技を受け流していた。今の状況ではダメージを受けていたヴェガの方が不利のように見えていた。しかしこれはヴェガの予想通りであった。ヴェガの剣技を受け流したジュリアはすかさずキルブレードでヴェガに斬りつけた。よどみの無い純粋な剣の軌道がヴェガの下半身を襲った。その瞬間にヴェガからおびただしい量の血がふきだしてきた。だがこの時、ジュリアに最大の隙が生じた。予想以上の血を見たジュリアの気が動転していたのであった。ジュリアの今までの戦術は敵の腕に斬りつけて、武器を持たせなくして降伏を誘うものであり、ヴェガにはこの戦術が通用しないでいた。彼女の剣技は、ヴェガの素早い回避により腕は免れ、腹部や下半身を斬ったのであった。そしてジュリアはその戦術のためにあまり血を見ずに戦ってきたために、多量の血には慣れてはいなかった。隙を悟ったヴェガはここぞとばかりに必殺技をジュリアにかけた。
「まだ剣士として甘いようだな。覚悟!
天聖剣一閃」
ヴェガは魔剣シュラムを振るった。その軌道は真っ直ぐにジュリアの胸をめがけて来ていた。我に返ったジュリアには身をわずかにひねることができずにまともにその剣技を喰らった。辛うじて急所を免れたジュリアであったが、その体は草むらに崩れていた。
「お前の剣にはよどみがない。なぜだ。貴様のような罪人がなぜあのような剣を振るえる。」
ヴェガは崩れ落ちたジュリアを見下ろしてつぶやいた。ヴェガは天聖剣の効力により傷もふさがり戦う前のような状態のようであった。ジュリアは彼のことをこう皮肉った。
「シュラムの死神・・・。たった一人の偽言にだまされるとは落ちたものね。」
「お前は本当にやっていないのだな?」
ヴェガがそう聞くと、ジュリアは首を縦に振った。もはや声が出ない状態であった。
「そうか、それなら事実がはっきりするまでお前の命は預かっておいてやる。だがお前の言うことが嘘だったらわかっているな。」
ヴェガは懐から癒しの果実を取り出し、ジュリアに食べさせた。これよりシュラムの死神ヴェガが解放軍に加わることとなった。
ソラの港で休養していた解放軍はグラムへの侵入を始めた。しかしそこにはコッダの兵士の姿が全くいなかった。リュナン達は森に伏兵がいるのかと疑念を抱いたが、どうやらそうでもなかったようだ。しかし予想外の状況にリュナン達は様子を探るべく、グラム北東部の拠点で敵の動向を探ることとなった。次の日、
「西の空からペガサスが接近!」
との見張りの声にリュナン軍は一時、臨戦体制に入った。エンテは状況を把握して、そのペガサスがマルス神殿のマーテルだと判断した。そしてリュナンの元に向かった。
「リュナン様、あれはマルス神殿のペガサスナイトのマーテルです。彼女は敵ではありません。おそらく私を迎えに来てくれたのでしょう。攻撃をやめさせてください。」
「そうだったのか、わかった。全軍、持ち場に戻れ!あのペガサスは敵ではない。」
リュナンの一言で全軍は緊張状態から解放されたのである。そしてペガサスから一人の女性が下りてきた。
「リュナン様、驚かしてすみませんでした。」
「いや、僕たちは構わないけれど・・。シスターエンテを迎えに着たんだろ?」
そうリュナンが言うとマーテルはエンテに向かってこう言った。
「エーゼンバッハ様が急いで戻って欲しいとのことです。私のペガサスに乗ってマルス神殿にもどりましょう。」
ここでオイゲンが口をはさんだ。
「マーテル殿、できれば彼女をもうしばらくお貸し頂けたい。このグラムを制圧すれば彼女をマルス神殿に我々がお送りいたします。」
オイゲンにはどうしても癒しの杖を扱えるシスターが必要だと考えていた。もしここで彼女を手放せば癒しの杖を扱えるのは成長途中のプラムだけになってしまい、大幅な戦力ダウンにつながってしまうからだ。リュナンもまた彼女の働きを重く見ていた。
「マーテルさん、僕からもお願いします。彼女はソラの戦いの後、負傷兵を迅速に回復させてくれました。このグラムでも何かあると考えています。」
リュナンとオイゲンの説得にマーテルは
「わかりました。エーゼンバッハ様はわかってくれると思います。でも私もエンテ様の側で戦わせてください。」
思いもよらない言葉にリュナンは驚いた。
「本当ですか?ペガサスナイトのあなたが入ってくれれば助かります。よろしくお願いします。」
マーテルの参加で戦術に幅が出た解放軍は彼女に偵察に出てもらうことになった。一方、サーシャとオイゲン(護衛はクライス)は弓の名手ラケルを仲間に入れようと北グラムの村を訪れた。
「あなたがたは東に陣を張っているウエルト解放軍の人たちですね。」
村を訪れた三人にラケルが入り口の門に立っていた。
「お誘いを受けても私は戦争に荷担するつもりはありません。お帰りください。」
ラケルはオイゲンの誘いを断った。ここでサーシャが出てきた。
「お願いです。あなたの力があれば戦争を早く終えることができるのです。それに私達は好きで人殺しをしているわけではありません。リュナン様は人の命を何よりも大切に思っている方です。」
「・・・・・」
サーシャはさらに続けた。
「あなただって同じじゃないですか。だからみんなあなたのことを弓神ブリキッドの再来と言うんです。別にあなたのやり方を貫いていただいて構いません。そんなあなたを責める人なんて解放軍にはいません。」
「サーシャ様、本当に私のような人が人々を救うことができるのでしょうか?」
「もちろんよ。いままでだって救ってきたんじゃないですか。」
そう聞いたラケルは一旦何かを取りに行くように村に戻っていった。10分後、ラケルが立派な弓を持って戻ってきた。
「このマスターボウをリュナン様とサーシャ王女のために使わせていただきます。」
「ラケルさん・・・。あ、忘れてたわ。」
「?」
「ラケルは料理が上手なんでしょ?」
「え、ええ。」
「良かったら私に教えてくれないかな?」
ラケルが笑顔でこれに応えた。オイゲンはサーシャの人望の厚さを実感していた。それは主君リュナン公子に勝るとも劣らないものと感じていたようだった。ラケルを加えて侵攻拠点に戻ってきた時、リュナン達の表情が険しかった。
「どうしたのですか?何かあったのですか?」
サーシャがまずリュナンに訪ねた。
「え、ああ、サーシャ。帰ってたんだ。これを見てくれないか?」
そう言ってリュナンが一枚の紙をオイゲンとサーシャに見せた。その内容はこうだった。
『ウエルト解放軍の諸侯へ
私はこのグラムを守備しているロジャーだ。もう気付かれたとはおもうが、我が軍は指揮官の私を除いて、全軍を解散させた。ソラの決戦では何百人もの死者が出たそうだが、これ以上無駄な死者を出すことは私の本望ではない。ついては決戦をすることなく、グラムの命運を決めたい所存である。明日の昼までにグラム砦南部にある平野に来ていただきたい。そこで私と一騎討ちをして決めようでないか?それでも無駄に死者を出そうと言うのなら止めることもしない。 ロジャー』
「ロジャー、このウエルトにおいては国王ロファール様に勝るとも劣らない武勇に優れた聖騎士。おそらく勝つのは厳しいだろう。」
マーロン伯がそうつぶやいた。
「しかし誰かいるはずだ。彼に勝てる人が・・・。」
だが誰も名乗り出なかった。そのほとんどがウエルト人で構成されている解放軍においてロジャーの勇猛さは有名であった。ラフィンでさえ、名乗り出なかった。その時、
「僕が戦う。」
名乗り出たのはなんとリュナンであった。
「リュナン様!危険です。いくらリュナン様の剣技が優れているとは言え、相手は百戦錬磨の騎馬武者ですぞ。」
オイゲンが制止しようとする。
「それぐらいはわかっている。しかし僕がやらなければ、みんなに迷惑がかかるんだ。それに聖騎士ロジャーは自分の命を賭けて戦いを挑んでいるんだ。それなのに指揮官の僕が遠くから彼の死闘をながながと眺めているなんてできない。彼とは剣を交わしてみたい。」
「リュナン様。」
軍議に参加していた者はリュナンの固い決意にみな反論できなかった。
「それじゃーいいね。全軍、グラム砦に向けて進行。」
次の日、リュナンにとって運命の日がきた。今までクライスたちに守られてきた若き英雄がついにウエルト王国最強の武将である聖騎士ロジャーに戦い時がきた。
「リュナン公子、まずは私の申し出を聞いていただいてありがとうございます。しかしまさかあなたが直々に出てくるとは思いませんでした。」
「聖騎士ロジャー、私は負けられません。後ろにいる守るべき者達のために」
言葉少なげに二人は戦闘体制に入った。周囲の人もその熱気に押され、不気味な沈黙があたりを支配していた。そしてついに・・・!
「始め!」
オイゲンの一言に、いきなりロジャーがリュナンに果敢な突撃をしてきた。
(ラゼリアの若き英雄と呼ばれた男の力、見せてもらおう。)
ロジャーの勇猛果敢な突撃にリュナンは直前で身を横に投げ、その鋭鋒を交わした。だがリュナンにとって対騎馬武者の経験は皆無と言ってよかったために、なかなかレイピアの攻撃ができずにいた。リュナンはロジャーとの間合いを取ろうとするが、機動力のあるロジャーに常に間合いを狭められ、防戦一方であった。その時にロジャーに一瞬の隙が生じたのだ。彼の武器である鋼の槍は攻撃力こそ高いが、武器が重いために、隙が起こることがあった。その隙をリュナンは見逃さなかった。
『疾風斬』
リュナンは跳躍しながらレイピアを構え、ロジャーに襲い掛かった。だがロジャーは彼の攻撃を読んでいたかのように鋼の槍を体の前に出し、彼の剣技を受け止めた。空中で剣技を受け止められたリュナンは体勢を崩し、地面に落下した。瞬く間にロジャーの槍がリュナンに向かって突いてきた。解放軍の多くは絶望し、目をそむけようとした。その時、ある金属音がグラム平野に響きわたった。その瞬間、リュナンの叫び声が挙がった。
『ストームブレイザー!』
剣士の基本技『疾風斬』を発展させた上級技『ストームブレイザー』をリュナンが放ったのである。その軌道はロジャーの足から肩まで鎧ごと切り裂いた。その有様はその名のごとく嵐が通り過ぎたかのようであった。リュナンの大技をまともに喰らったロジャーは落馬した。その直後、様子を見守っていた一人の女性がロジャーの元に駆けつけた。すぐさま彼女はロジャーの傷の応急措置をし、ロジャーをつれてグラムを離脱していった。その際にその女性はこう言った。
「ロジャーの負けです。約束どおりにこのグラムの地をウエルト解放軍に差し上げます。」
一方のリュナンはいきなり大技を放ったため、しばらく立つことができなかった。しかもロジャーの攻撃で腹のあたりが赤く染まっていた。解放軍は彼の剣技に我を忘れて見入っていたが、リュナンが身を崩したことに気付いたオイゲンがエンテを連れて彼のもとに急行した。リュナンは意識を混沌とさせながら胸から一つのペンダントを取り出し、握り始めた。まるでそれが命と同様に大切な物であるかのように・・・。
エンテの看病でリュナンは翌日には元気を取り戻していた。
「ありがとう、エンテ。おかげでもうピンピンしているよ。」
「リュナン様、これ以上無理をしないで下さいね。皆さん、心配して眠れなかったみたいですから。」
その時、リュナンは自分の手にある物がないことに気付いた。
「エンテ、僕が手に握っていたものを知らないかい?」
「え、いえ私が気付いた時は何も・・・。」
この時、エンテは嘘をついていた。彼女がリュナンの看病をしていた時にふとリュナンの手からそれが滑り落ちていた。エンテはその存在に気付いて拾おうとした時に、その壊れかけたペンダントが何かに気付いていた。
それは10年前のことだった・・・・。
そうリュナンと今のエンテであるメーヴェが初めて出会った頃であった。二人が出会ってから二日後メーヴェは自分がいなくなってしまうことを悟ってしまい、悲しみに打ちひしがれていた。そんなリュナンはメーヴェに彼女のことを守ると約束した(第二章第一部参照)。その直後にリュナンから一つのプレゼントがあった。
「そうだ、君にこれをあげるよ。」
「これは?」
「これは二つで一つのペンダントなんだ。」
「二つで一つ?」
「そう。左と右で半分に分かれているんだ。これを二人で分けてもっていれば、もし別れた時もこれを見せれば、お互いがわかるでしょ。」
「ええ。」
「それじゃー。左半分は僕が持っているから、右半分は君が持っていてよ。
「ハイ!ありがとうございます。」
そのペンダントはペンダントと呼ぶには無骨であったが、5歳だった二人にはこの上ないものであった。
今、このペンダントはロジャーとの死闘で形こそ変わってしまったが、明らかにあの時の姿を容易に想像できた。エンテはリュナンがこれを毎日つけていたことを悟り、彼のそばでしばらく泣いていたのであった。エンテにとってあの時の約束は果たされたと感じていた。しかしリュナンにはまだメーヴェを名乗ることができなかった。その勇気がなかったのだ。今までエンテとして生きてきたことを無くしそうでこわかったのかもしれない。リュナンはエンテの嘘に気付けず、その日一日中ペンダントを探していた。当のエンテはその様子を見ていることしかできなかった。
お互いの思いが交錯しながらウエルト解放戦争は日に日に激しくなっていく、そして、ついにエンテをマルス神殿に送る時が来てしまったのである。