「セーナ!ここにいたのか。」
ホームズと出会ってから二ヶ月、誰よりもその身を案じてくれるライトと婚約したセーナはやはりお忍びをしていた。しかし婚約してからは彼女の行動範囲をガルダ島内に抑えていた。というより動けなかった。二ヶ月前のイスラ島訪問でライトを始めとする義勇軍の諸侯から諌めるように言われたのだ。それもそのはずである。彼女のお忍びだけで不本意とは言え、2万5千もの軍が従ってきていた。彼らはセーナのためとはいえ、多少割り切れなかった思いがあったようだ。
「フフ、だいぶ見つけるのも早くなったね。」
海を臨む岩に寝そべっているセーナがライトをからかう。このライトと婚約してからはセーナのお忍びの相手をするのはやはりライトになっていた。幼馴染みとは言え、15年ともに過ごしてきたコープルをも捲くお忍び能力に敵うはずもないが、さすがに一ヶ月でライトはセーナの居場所を絞れるようにはなっていた。
「セーナ、君はまだグランベルの皇女なんだ。それにすぐ目の前に敵がいるというのに・・・。もうちょっと用心しないと・・。」
「大丈夫よ。ねぇフィード。」
ライトの心配をかき消すようにセーナは防波堤のほうに向かって言った。そこにはライトと同じ年齢に見える青年が立っていた。彼の名がフィード。セーナの祖父シグルドに討伐されたユグドラル北部の大海賊の現頭領。海賊がこのバルド同盟軍に参加する理由はそのフィードがセーナに命を救われたからに過ぎない。しかし義に厚い人が多い義勇軍の参加理由にはこれで十分だった。いつもは刃を交えるアグストリアの国王アレスも発足の地ハイラインで海賊の姿を見たときは苦笑するしかなかった。そして今回、その移動力の高さを買ってゾーア帝国に対する情報収集を担当する諜報衆として活躍していたが、決してセーナの護衛をしているわけではない。その役目はセーナ直属の恐るべき兵団が担当している。今回はフィードの情報を届ける途中をセーナが気付いて呼んだのだ。
「気付いていたのか?ふう、俺も衰えたのか?」
いつもフィードが情報を届ける時はできるだけセーナに気付かれないようにしてから驚かすのが習慣化していたが、当の本人からすれば大の迷惑である。しだいにフィードになれていったセーナはわずかな空気の乱れも感じるまで敏感になっていた。このようにセーナは色々な人と通じて人間の幅を広げていった。一方、ライトはこの海賊フィードのことをどうにも信用できずにいる。仕方の無いことだ。ライトと同じ年のフィードは身分差など感じさせずに誰よりも親しげにセーナに話し掛けているからである。簡単にいうと嫉妬である。
「それでどうしたの?」
セーナがフィードに聞いた。
「皇帝から渡してくれと頼まれたものを部屋に置いといた。それだけさ。」
「父様から?どんなもの?」
「さぁ、ただ分厚いものだった。二人の婚約を祝う物じゃないのか?」
セーナとライトが顔を見合す。
(父様がそんなことをしないとは言わないけど、だったら式の時になって渡してくれたらいいのに・・)
そう言ってフィードは再び情報収集の仕事に戻った。それは二人の間を邪魔しないための行動だったのかもしれない。
「ライト、父様は一体、何を考えているんだろう。どうして今ごろになって、そんな物を、しかもフィードに託したのだろう。」
セーナがつぶやく。リーベリア派遣を言い渡した時から父セリスの行動は何かに焦っているようにさえセーナには感じることができていた。
「セリス様にも何か考えがおありなのでしょう。深く考えてもしょうがないよ。」
ライトが気楽な口調で言う。どんな難局に遭遇してもいつもポジティブに物事を考えることができる。これが彼のいいところである。これが祖父レヴィンの血を濃く、受け継いでいる証でもあった。
「さぁ城に戻ろう、セーナ。」
時を少しだけさかのぼり、この日から二週前、義勇軍の諜報衆フィードはある者に呼ばれ、ユグドラル大陸の最大都市バーハラを訪れていた。彼を呼ぶ者とはまさしくユグドラル大陸の頂点に立つ新生グランベル帝国皇帝セリスだった。しかし彼は王宮を囲む内濠を利用して王宮に入った。正面から入らないのはセリスからの招待もまた非公式であり、忍びとして会おうというものが大まかな理由だったが、やはりユグドラル一の堅城を忍び込んでみたいという海賊魂に火がついたのが本当だろう。フィードはいくつかの仕掛けを無難に突破して、ついにセリスの自室に潜入したのだ。
「10分の遅れだ。」
一人の声がフィードの背後から届く。この声の主は時の皇帝セリスだった。
「そうはいっても皇帝さん、あんな罠だらけの隠し通路を通れなんて、無茶だぜ。仕掛けはずすのに手間取りすぎだぜ。」
まるで一人の人間と話しているような口調である。オーガヒルで産まれて育ったフィードにとって、この二人の身分差が大きすぎて感覚が麻痺していると言えば、それまでだが、ここでもフィードの特徴的な性格が出ている。
「それで、皇女様にも内緒で運んで欲しいって言うのは何だ?まさかナーガの聖書じゃ、ないだろうな。」
久しぶりにこれほど明るい青年に会ったセリスもまた解放軍の頃に戻りかけていた。
「フ、お前を見ていると、20年前の戦争のことを思い出す。」
「おいおい、人の顔見て、戦争を思い出すなんてヒドイじゃないか。」
これにはセリスも苦笑する。
「やはりセーナが見込むだけのことはあるな。君に運んでもらうのはお前の言うナーガの聖書ではなく、それよりも価値のあるものだ。」
「ハ?」
ナーガの聖書よりも価値のある物などユグドラル大陸にあろうはずがない。フィードは混乱する。
「君にはこの本を運んで欲しい。」
そう言って一冊の本を差し出した。その表紙には『流星指南』と描かれていた。この本こそ後にユグドラルの運命を変えることになる必勝戦術『シューティングスター』である。この本にはシグルド時代に仕えたオイフェやフィン(北部トラキア連邦騎士団長)と、解放戦争を指揮したセリスの経験を活かした戦術を余すことなく載せている。この本の内容を理解するにはそれなりの時間を要するが、理解すれば1:100という大劣勢でも逆転できる陣形や、包囲されたときの突破するための陣形、戦術書に著しづらい水上陣形や対山賊、対海賊戦術まで載せられている。しかしそれだけなら神の魔法『ナーガ』に勝つ価値を持つ訳も無い。確かにロプトウスの邪教書はこの世には消え、ナーガの価値こそ下がってきているが、それでも勝るとは考えにくい。それにはもう一つ理由はある。『流星指南』の内容をフィードに説いたセリスは
「そしてこの書がナーガより勝るものとするにはある思いがあるのだ。それはこの手紙に書いてある。セーナの夫になるライト王子に渡してくれないか?もちろんセーナにも見せずに。」
『流星指南』と共に厳重に封された手紙をフィードに手渡した。
「それとこのことはマリクやシグルドにも知られないように頼む。そしてセーナに『流星指南』を渡したら、この書のことを軽く説明してやってくれ。しかし決してその手紙を見せてはならぬ。」
「どうしてそんな厳重な物を。」
「そこまで知りたかったら手紙を読んだ後のライトに聞くのだな。」
「何かセーナに伝えることは?」
まるでもう二人は会うことがないような言い草である。
「結婚おめでとうと伝えておいてくれ。そうそう式にはユリアが行くともな。あと、お前はトラップは復元しておけよ。」
そう言った直後、フィードは苦笑いしながら姿を消した。
彼の気配が消えたのを感じてセリスがつぶやいた。
(私にできるのはここまでだ。セーナ!グランベルを、ユグドラルを頼むぞ。怒りと悲しみのない世界を作るのがお前の使命だ。)
そこには皇帝の背中ではなく、父親の立派な背中が広がっていた。
『流星指南』がセーナに届けられてからガルダ島にわずかな変化がでてきた。いやセーナは相変わらずだったが、問題だったのはライトだった。それはフィードが例の手紙を届けてからのことだった。セーナは『流星指南』を受け取った次の日も抜け出し、ガルダ西海岸にある浜辺で、シレジアの天馬騎士団をまとめるフィーの娘・レイラと海水浴をしていた。その日は水着姿で追ってくるライトを驚かそうと思っていたが、当のライトは現れずにコープルが代わりに登場した。コープルには二人の美少女の水着姿にはさすがに怒ったのか、ただ見るのが恥ずかしいのか、何も言わずに顔を赤くして帰ってしまった。未だに純粋な面を卒業できないコープルの一面がここで現れた。そのコープルを見ていたレイラは腹を抱えて笑っていたが、セーナはライトが来なかったことに不安を失っていた。
(怒らせちゃったかな。)
幾度となくお忍びしては見つかり、その度にからかっていたセーナはその一念にかられるようになった。変化に気付いたレイラがセーナをなだめはじめたが、収まるわけもなく、その夜、ライトの部屋の前まで来たセーナはためらっていた。怒っていたら、その一念がノックをためらわせていた。そのとき、
「おや?セーナ様、まさか昼に見せたあんな姿をライト様にまた見せるのですか?」
レイラに説教してすっきりしていたコープルが来ていた。セーナは顔を真っ赤にしてたまらずコープルを連れて、近くのバルコニーまで走り去った。
「ハッハッハ、セーナ様らしい考えですな。」
セーナの不安を聞いたコープルは笑い飛ばした。
「ご安心下さい。ライト様は何か調べ物があるようで、麓の市街地にある宿屋で一人でいるだけですよ。だからライト様はセーナ様の相手を私に任せたのです。」
「調べ物?一人で?」
「ええ、私にも詳しくは教えてくれませんでしたけど、リーベリア大陸に関することではないでしょうか?」
ライトが調べ物をするのは珍しいことである。しかしそのことを聞いてセーナは安心した。
「そう、それじゃ~、明日、私が会いに行って見ます。」
「そ、それがライト様は今、誰とも会えないといっているんです。」
「え?」
また不安がセーナの頭をよぎる。ライトに関して敏感なのは彼女もまたライトのことを頼っている証であった。
「ご安心下さい。おそらくセーナ様のお役に立ちたいと思っての行動で、セーナ様を驚かそうとしているのでしょう。」
コープルのフォローでセーナはまた楽になったが、先ほどの明るさはなかった。それからは何も言わずに自室に戻るセーナの後ろ姿があった。その後ろ姿を見ながらコープルは
(セーナ様はお優しいお方ですな。)
同時に訳も知らずに自分を責めてしまう性格も感じていた。何においても他人を責めようとはせず、自分の非を探ろうとする性格がセーナの生粋の性格だった。一方のライトはセリスからの手紙に思考が混乱していた。次の日、セリスの戦友アレスを呼び、セリスからの手紙を読ませた。アレスもまたその文面が信じられずにいる。アレスでさえ衝撃を受けた手紙をセーナに読ませるわけにはいかないと、心に誓って、麓の市街に向かった。その手紙の冒頭には『遺』『言』『状』の三文字があった。
セーナもまたライトを気遣い、外出を避け、暇を潰すように『流星指南』に読みふける日が二週間も続いたのであった。コープルはそんなセーナを見るのは初めてで、痛々しく思うほどにまでセーナは落ち込んでいた。