イストリア三姉妹の寝返りによってイストリア国内はリチャード率いるレダ連合軍に南半分を切り取られ、イストリア王国は建国最大の危機を向かえている。間一髪、難を逃れた国王ギュネスはイストリア北部のグレースに逃げ込み、1万の兵と共に再起を狙っていた。しかし当のリチャードは丸一週間、その動きを止め、王都以南の人心を安定させていた。重税を課し、軍備を整えるギュネス軍に、税を軽減させて国民を安心させるリチャード軍、すでに結果は見えているのかもしれない。ギュネス側にいる市民はこぞってリチャードの治める南側に逃れ、しかもギュネス陣営を支えるイストリア貴族の中からも亡命が相次いでいた。次第に経済的支援を失ったギュネスにもう一人の青年がその牙を剥く。
『自由カナン、エリアル連合軍、イストリア北部に侵攻』
この知らせはリチャードのもとにも即座に届いた。
「自由カナン軍?そんな勢力は聞いたことがないぞ?」
その報せを聞いて首をかしげるリチャードに傍らにいたティーエが答えた。
「おそらくセネト王子が立ち上がったのだと思います。」
「セネト王子?誰だ、そいつは?」
「トレンテにいたときに聞いたことがあるの、故アーレス公の遺児だってね。もちろんこの真実はほとんどの人が知らないみたいだけど。」
アーレスの言葉が出てきたとき、リチャードはさすがに身を乗り出してティーエに迫った。
「アーレス王子の子なのか?アーレス王子の子供たちは逃亡中に謎の一団に襲われて、妹ともども行方不明になっていたと聞いているが。」
「そう、そのセネト王子。最近、カナンソフィア公国のレシエ公女が頻繁にエリアルを出入りしているって聞いていたから、そろそろ挙兵するとは思っていたの。もちろん妹さんも一緒にいるみたい。」
「エリアルにいたということはテムジンが世話をしていたということか。」
「そういうことになるわね。それより私たちはどうするの?」
「決まってるだろう。せっかくのイストリアを横取りされてはロレンスに会わす顔がない。ノールとアジャス、ライラたちを先鋒にして俺達もグレースを目指していくぞ。」
今までレダの魔獣たちやガーゼルの騎馬隊相手に常に優勢に立っていたエリアル傭兵王国。その国王はリーベリアでバルト要塞と並ぶほどの難攻不落を落とした伝説の傭兵王テムジンである。配下の傭兵、地元の領民達の熱烈な後押しで国王となったテムジンはその要害を中心に、主に対レダ、対イストリアで活躍し、今でもその実力は衰えを知らなかった。そこにレダ解放戦争の主役の一人、アーレスの遺児セネトを中心にして結成された自由カナン軍が加わり、事実上その戦力はいまだに内乱中のサリア王国を上回るほどになった。自由カナン、エリアル連合軍はわずかの兵をサリアのレオンハート支援のためにリグリア砦に残して、残りの全軍を挙げてイストリアに乱入した。これにはギュネスもたまらずに連戦連敗を重ねて気がつけば、イストリア陣営はグレースの地を残すのみとなった。ここに遅れてノール5世、レダ三姉妹(旧イストリア三姉妹)のリチャード軍の先鋒が到着して、合計10万の大軍がグレースへと進入してきた。この大軍を前にしてイストリアの権威なき国王ギュネスは思考もおかしくなったか、なんとこの大軍を前にして野戦を挑もうとして、城を出たのである。この行為がイストリア側についていた、戦の知らない貴族や領民達でも不安がり、彼らの逃亡に拍車を駆けてしまう結果になる。こうしてイストリア侵攻作戦、最終章グレース決戦の幕が開かれることになった。
ここリチャード陣営ではさらにリチャード、ティーエ率いる精鋭6千も到着し、ここグレース平原の南方グリードにて軍議を開いた。
「イストリアのギュネスは愚かにも野戦を挑んできたか。まぁ、こちらからすれば願ってもないことだが、相手はあのロナルドの親ギュネス、戦になったとしてもそそくさとあの要害グレース城に逃げられてしまえば、たとえ大軍といえどもかなりの時間がかかる。そこでまずギュネスの退路先であるグレース城を落としてしまおうと考えている。」
リチャードがまず自分の考えた戦術を諸将に告げた。それから他の将たちが意見を言い、修正や変更を重ねて、完璧なものにする、というのがレダ連合軍の軍議の形になっていた。今回の作戦も結局はリチャードの案が採用されて、早速実行に移された。その夜、地理に詳しいレダ三姉妹を先手としてノール軍3万がグレース城に向けて出発したのである。しかしこの作戦は意外な形であっけなく達せられた。
翌朝、本陣に残っていたリチャードの元に使いが入ってきた。これが昨晩、グレース城に向かって行ったノールが放った者である。
「もうグレース城が落ちたのか?」
先にリチャードがその使いに質問をした。
「そ、それが、グレース城が自由カナン軍にすでに占領されていて、この後どうすれば良いのか聞きに参りました。」
その言葉にリチャードが身を乗り出して叫んだ。
「何だと?」
しかしリチャードはすぐに冷静を取り戻して、少しリチャードの怒気にも似た叫びに怯えを抱いていた使者に対して
「すまない。自由カナン、エリアル軍は共にユトナ同盟に加入している盟友だ。グレース城に入れてもらい、しばらくは彼らの命令に従うように言っておいてくれ。」
「か、かしこまりました。」
そう言ってその使者は逃げるようにリチャードのいるテントから出て行った。それからのリチャードは何か考えるかのようにこうつぶやいた。
「まさか俺の戦術を真似て、しかもそれより迅速に行うとはな。」
戦術では絶対の自信を持っていたリチャードの、セネトから喫した最初の敗北である。
一方、先にグレース城を占領した自由カナン軍の隊長セネトは、グレース城手前でリチャードの指示を待ちながら対応に悩んでいたノール軍に新黒騎士団隊長のシルヴァを使いとして送った。その内容は言うまでもなく、彼らをグレース城に招くものだった。ノールはシルヴァの言葉を受け取ったにも関わらず、リチャードの指示を待つと伝えてシルヴァを城に帰したが、彼のもとから使者が戻ってきて先ほどの言葉を受け取ったノールは別働隊全軍をグレース城に収容させて、レダ三姉妹を連れてセネトに会見した。
「セネト王子、先ほどは失礼をしまして、申し訳ございませんでした。」
まずノールが入城を勧めるために来たシルヴァを城に帰したことを詫びた。これに対してセネトはこう言った。
「いえ、シルヴァは全然、気にしていないようです。それよりも私たちの方こそ、出過ぎた真似をしたと思っています。本当にすみません。」
こうまで言われるとさすがのノールも返す言葉もなくなる。苦し紛れに
「リチャード様からこれからはセネト様の指示に従うように言われていますので、これから何かありましたら、気にせずに私たちに申し付けください。」
というのが精一杯であった。ノールはすでにセネトに漂う異質な雰囲気に呑まれていた。
「そう言われると我々もありがたいです。さ、夜詰めの行軍でお疲れでしょう。シルヴァに部屋を用意させているので、どうぞお休みください。」
ノールの傍らにいたライラたちもセネトの雰囲気に呑まれているのか、何も言わずにシルヴァに案内されて割り当てられた部屋に連れられた。セネトはノールたちを熱烈に歓迎して、夜には戦時中にも関わらず、親交を深めるために小規模とはいえ宴会を開くほどだった。その際にセネトはノールにこう言っている。
「おそらくリチャード王は二日後にギュネスに決戦を挑むでしょう。我々もそれまでに出撃できるようにしておきましょう。」
セネトの言った通り二日後、南のグリードに陣取っていたリチャード軍がついにギュネス軍に先頭を仕掛けた。もちろんセネト・ノールの連合軍も西のグレース城から出て行き、東のエリアル軍も突撃を始めて、三方向からの挟撃となったのは言うまでもない。本拠を取られてから士気がなくなったギュネス軍にはこの三方向からの大攻勢を跳ね返せるわけはなく、呆気なく敗れた。当のギュネスは北の辺境レダに向けて逃げようとして、その最中、リチャードの敷いた二段伏兵さえも逃げ切っている。だがさすがのギュネスもセネトの敷いた三段伏兵には敵わなかった。カティナの伏兵を突破したところで疲弊しきったギュネスはシルヴァによって討ち取られた。リチャードの二段伏兵を逃げられ、セネトの三段伏兵にギュネスが散ったことを知った直後のリチャードはティーエが逃げ出すほど荒れていたという。とにかく今までマール王国にとってライバル、西部諸侯連合にとっては天敵であったイストリアがわずか2週間足らずでレダ連合王国軍とエリアル・自由カナン軍の猛攻の前に崩壊する。戦後、レダ連合王国、エリアル傭兵王国、自由カナン軍は当面、進路が同じということがきっかけとなり、レダ解放統一戦線、通称レダ同盟を結成させた。同盟締結の日、イストリアの王都に集った三軍の指揮官、リチャード、セネト、テムジンは盟主ティーエの元で同盟締結の宣言をした。これで魔獣の溢れるレダ地方への遠征の準備は全く整ったことになる。ただこの際のリチャードは年下のセネトに対してライバル心を剥き出しにしていたのは言うまでもない。
