リチャードがイストリア攻略完了となる最後の戦であるグレースの戦いに挑む頃、セネーを進発したリュナン軍はウエルト王ロファールの消息が途絶えた地バルト要塞の手前に到着していた。もっともここに進軍してくる前にサリアのレオンハートと共同でセネーの北に位置するセルバ砦を難なく落としている。北リーベリアのリグリア砦をも上回る大要塞として有名なこのバルト要塞は現在、ロファールに一度は苦虫を噛み締めていたバルバロッサがここの守備をとっており、まさしくリュナンにとっては今までとは比べものにならない難所となっていた。セネーの砦で大功を挙げて『ゴールドナイト』の称号を与えられたナロンとジークを先鋒としてリュナン軍はバルト要塞の西側に広がる『黒い森』の中に陣を張っていた。そしてここに誰よりもこの要塞に思い入れがある騎士がいる。ロファールの娘、サーシャである。父を見つけるためにリュナン軍に参加しているとも言えるサーシャは父の消息が途絶えたこの地で何か手がかりを得ようとしていた。
バルト要塞に全軍が到着した翌日、サーシャはリュナンの命で上空からバルト要塞の陣容を探っていた。サーシャの目から見るにはその要塞には多くのクインクレインやストーンヘッジが配備され、その他にもサーシャの天敵となる弓兵が数多く守備についていた。しかもカナンの盾バルバロッサが指揮しているため、要塞内の布陣にはほぼ隙がなかった。たびたび飛んでくるクインクレインの矢を避けるサーシャは一通り、要塞の中を見渡してリュナン軍の陣に戻っていった。もちろん陣はクインクレインやストーンヘッジでも届かないところに張られている。ただ陣に戻る途中のサーシャには複雑な思いがよぎっていた。
(ここでお父様は・・・。ううん、お父様はきっと生きているわ)
サーシャはバルト要塞に近づいていくにつれて様子がおかしくなっていた。物思いにふけることや独り言が多くなり、落ち着きもなくなっていた。もちろんリュナンやラフィンたちはそれに気付いており、今回の偵察も彼女の気を紛らすつもりだったが、逆にサーシャを焦らす結果になってしまった。
「私に先陣をさせてください!」
いつになく語調の強いサーシャの言葉が、その日中に行われた軍議の中に響いた。この言葉に驚いたリュナンは
「サーシャ、気持ちはわかるけど、さすがに今回は荷が重過ぎるよ。やっぱりここはナロンに任せた方が・・・。」
と彼女の気持ちをやんわりさせるように言うしかなかった。しかしやはりそんなものでは今のサーシャを止められるわけがなかった。
「どうしてやらせてくれないのですか?矢なんて恐くありません。」
「確かにサーシャなら大丈夫かもしれないけど、天馬騎士団のみんながそれらをすべて避けきれるとは言えないだろう。」
「だったらナロンと一緒に単騎で突っ込みます。」
この言葉に軍議に参加していた将たちは皆、驚いてサーシャを見つめた。ここでラフィンが、
「王女、リュナン公子はともかく一国の王女たる者が軽率に単騎突撃などしてはなりません。しかも相手はあのバルバロッサ将軍、決してただではすみません。」
「・・・・じゃあ、どうすればいいの?」
ラフィンの言葉にわずかながら理性を取り戻したサーシャであったが、いまだに未練は断ち切れないようだ。ここで彼女の心を汲み取ったラフィンが一つの提案をした。
「そこで提案があります。私と王女で要塞の背後に回りまして、隙ができましたら背後から奇襲しようと思っているのですが、どうでしょうか。」
その提案を聞いたリュナンは二もなく
「それはいい案だよ。ラフィンと一緒なら安全だし、サーシャもいいだろう?」
先陣の夢こそかなわなかったが、比較的重要な任務を与えられたサーシャは喜んでうなずいた。
「それじゃ、軍議はこれまで。決戦は3日後だ。それまでみんなはゆっくりと休んでいてくれ。特にナロン、ラフィン、サーシャには重要な任務だから無理をしないように。」
こうしてサーシャの独壇場といえる軍議が終わった。諸将が連日の行軍のつかれを癒すために休もうとするなか、サーシャはペガサスに乗って再びどこかに飛び立っていった。
(わがまま、言い過ぎちゃったかな。)
黒い森のはずれにある泉につかるサーシャの姿があった。泉から湧き出る冷たい水に頭が冷えたのか、サーシャは軍議での自分の発言を振り返って反省していた。
(私、焦っているのかな)
サーシャ自身、セネーでの休養付近から自分の変化を感じていたが、バルト要塞に近づくにつれてそれを制御できなくなることが多くなっていた。自問をすれど、答えてくれる者などいない。次第にサーシャの中でむなしさがこみあげてきた。すると
「あっ、ここにいましたか。」
背後から一人の剣士が出てきた。リュナンの影の護衛をしているパピヨンである。今までめったにリュナンのもとを離れなかった彼からすれば、逆に異様な光景である。
「あなたは・・・パピヨン。どうしました?」
セネーでの休養中にサーシャは幾度か砦の屋根の上で昼寝中のパピヨンを目撃していたが、もともとリュナン軍の中でも謎の剣士で有名だったためにサーシャ自身、あまりしゃべりかけようとはしなかった。
「実は以前にセーナ皇女からサーシャ王女に渡してくれって頼まれていたものを持って来たんです。」
そういってパピヨンは懐から一つの白い鞭を取り出して、サーシャに手渡した。
「この鞭は?」
「なんでも天空の鞭というものだそうです。何でもサーシャ様の役に立つそうです。」
「でもこの鞭はどうやって使うのかしら?やっぱりペガサスに叩くのかな?」
「それは私にも・・・。ただ困った時に利用してください、と言っていましたよ。」
「困った時に・・・。あっ、ありがとう、パピヨン。」
その言葉を聞いてパピヨンは軽くお辞儀をしてから陣の方に引き返そうとした。ところが、パピヨンは何かを思い出したかのように懐から手紙らしき物を取り出していった。
「忘れるところでした。リュナン公子からの伝言がありました。ここにその手紙を置いておきますね。」
その後、パピヨンはそそくさと泉を後にした。しかしパピヨンの残した手紙は今のサーシャにとって心温まる言葉が綴られていた。
『大丈夫、ロファール様はきっと生きているよ。』
おそらくリュナン自身もサーシャの焦りを感じ取り、何とか抑えられないかと悩んでいたのだろう。
仲間の心の苦痛を読み取り、それをさらに傷つけないように取り除く。今のリュナンにはそんな能力が密かに身についてきている。それはやはり心優しき父グラムドから受け継がれたものなのであろう。そして、後にリーベリアの帝国優勢を覆したとも言われる大決戦が始まろうとしている。