セーナとライトの結婚後、ガルダは一週間前のような落ち着きを取り戻していた。多少、北山へ見たときの風景に変化があるものの、セーナの植樹、慰霊碑を建てたことが、さらにガルダ島民に親近感を覚えさせている。もうガルダ聖戦の余波は全く感じられなくなっている。そんなほのぼのした日々を送っているガルダ島に一隻の船が西の港にたどり着いた。この船の旗にはゾーア帝国に組する直前のカナン王国の紋章が描かれている。
「シスターリベカに紹介されてきたが、やはり違うものだな。なんと言うか、島民がみな、明るい顔をしている。・・・そんなのんきなことを言っている場合ではない。早く行かねば。」
その人物の名はナリド。ガーゼルの圧力によって動きを封じられている、カナンにこの人ありと言われた『騎士』の重臣であった。
セーナはライトとの結婚後、得意のお忍びもなりを潜め、そのほとんどの時間を夫と過ごすようになる。そしてこの日、セーナは分厚い書類を束にしてライトの目の前にドン、と置いた。驚くライトを尻目にセーナは
「ライト、これ、みんなグリューゲルに指示をするときのジェスチャーやらサインらをまとめたもの。いつか私の代わりに彼らを操るんだから、これくらいは覚えてくれるよね?」
「・・・・。なぁ、セーナ。こんなにあるのか?」
ざっと見て2,300枚はある。
「まだ足りない方よ。あと400枚分ぐらいあるけど、大事な部分を要約してこれだけにしたんだから。書くのも大変だったんだからね。」
「この頃、おとなしいと思っていたらこれを書いていたためか。でもやっぱり量が多すぎじゃないか?アレス王のクロスナイツのも簡単に見せてもらったけど、50ページぐらいだったぞ。」
「クロスナイツはクロスナイツ。グリューゲルはどんな時でも迅速に動けるように指揮官がしっかりしていなきゃ、しょうがいないでしょ。大丈夫よ。あれだけ覚えれば、カインやアベル、サルーンたちが動いてくれるわ。」
セーナの言うことには妙に説得力がある。実際、さきの戦いでもクロスナイツをはるかに上回る反応を示し、多くの功を挙げている。余談だが、あの聖戦の第一功労者はアレスで、第二位はミーシャとアレク(二人で)、第三位はロートリッターの十人であった。本当ならば大軍を食い止めたミーシャたちの方が功があったのだが、クロスナイツの顔を立てるために適当な名目をつけて第一にしていた。ここにもセーナの人の心を読む力が発揮されていた。
「・・・・わかったよ。で、セーナはどうするんだ?」
それに対してセーナは満面の笑みで
「私?私はだれかとガルダ海岸に行って泳いでくるわ。」
と答える。セーナはライト不在時は自ら進んでガルダ内政をとっていたが、結婚後はそのほとんどをコープルに任せている。そのために今のセーナにすることはない。ミカとリーネ、レイラを誘ってガルダ海岸に行こうとしたところ、一人の騎士がユグドラル軍の大本営に入ってきて、彼女達に話し掛けた。それがさっきのナリドである。
「すまないがここの騎士か?この軍の指揮官というセーナという人に会いたいのだが、取り次いでくれないか?シスターリベカの紹介状も持っている。」
「リベカの?ちょっと見せてください。」
ちょうど海岸に行こうとして、城門まで出ていたセーナたちはリベカが書いたと思われる紹介状を受け取り、文面に目を通した。
「たしかにリベカのですね。あ、申し遅れました。私がここのセーナといいます。」
「そっ、そうだったんですか。それは失礼しました。私の名はナリドと言う、カナンの騎士です。その文面を読んでわかるとおり、助けて欲しい人がいます。」
「ひとつ聞いていいですか?なぜ私たちを頼られたのです?リーベリアには他にもあなたがたの味方をしてくれる人たちはいっぱいいるではありませんか。」
「たしかに。しかし我が主、ゼノン様はあなた方の人徳、そしてその実力を信じて、頼られているのです。どうか彼を助けてください。」
黄金騎士ゼノン、リーベリアで初の黄金騎士になったエルンストの右腕として、カナン軍の未来を背負う人物であり、リーヴェとの戦争に最後まで抵抗した。そのためにガーゼル教国に狙われるようになって、身の危険を感じた彼は妻と息子をウエルトに亡命させた。そして最終的には前述の通り、ガーゼルによって軟禁され、動きを封じられる。しかし彼をそれでも慕うものは多く、バルカ、ジュリアス両王子を始めカナン尽忠派は新鮮な情報を常に彼に流しつづけていた。そしてそれらの情報からゼノンはセーナに保護を求めたのである。ついでにゼノンの嫡男は現在、リュナン軍最強の騎士として神がかった働きをしているナロンである。
「条件があります。ゼノン殿を救出してからは私たちに彼のことを任せてくれませんか?」
セーナのその真意はわからない。だがユグドラル軍にいれようとしているようにもみえない。といって主ゼノンの救出を何よりもと思うナリドはにべもなく、了解するのだった。
「それじゃ、決まりね。ミカ、リーネ、レイラ、海水浴は中止よ。私、これからカナンに行くわ。」
その言葉を聞いて、乙女3人が驚く。
「ちょっと待ってください!今回の戦いに敗れたとてカナンはまだゾーアの手先ですよ。危険すぎます。そういう任務はフィードに任せた方がいいのではないでしょうか?」
ミカは理路整然とセーナ自ら行くことを諌めようとした。
「大丈夫よ。もちろんフィードも連れて行くわ。それに私にはティルフィングもナーガもあるんだから平気よ。それに新兵器も試したいしね。」
「新兵器?」
リーネが首をかしげる。
「ええ、槍か剣に可変できるトランジックブレイブ(後のエッケザックス)に、炎と風、雷の三精霊を混ぜた混合魔法フォルブレイズ、ミストルティンに似せたデュランダルの三つを作ったの。今、トランジックブレイブはカインに渡しているけどね。」
「だからって・・・。」
それでも渋るミカたち。そこに
「いいじゃないか。行ってきなよ、セーナ。」
いつの間にかセーナの近くに来ていたライトが言う。
「ライト様まで。」
事実上、この軍のトップ1と2が許可してしまえば、もう従うしかなかった。
「わかりました、セーナ様。でも私も護衛として付いて行きますよ。」
ミカが言う。レイラやリーネも同じ顔をしている。
「うん、みんながついてきてくれれば、レダも突破できるわね。」
「今、何を?」
「あっ、こっちのことよ。それよりも一時間後に西の港に集合ね。リーネもレイラもちゃんとペガサス(ファルコン)を連れて来ること。」
その光景を見ていたナリドはどうしていいかわからず、西の港に行こうとしたが、
「ナリドさんも、このお金で装備や道具を整えておいた方がいいわよ。」
そう言ってセーナは金貨の袋をナリドに渡して、足早に本営に戻っていった。
一時間後、セーナの指示を受けてフィードも到着して、ようやくメンバーが揃った。
「セーナ、こんな多くて大丈夫か?女だらけというのも悪くないけど・・・。」
周りを見回して、不安とうれしさで半々のフィードだが、
「大丈夫よ。それよりフィード、今回だけこの剣を貸すわ。この剣は対ガーゼル用に作った剣デュランダルって言うの。見た目はミストルティンに似てるけど、思っていたより軽いからフィードには使いこなせると思うわ。」
そう言って、セーナの持つティルフィングよりもふたまわりも大きい剣を手渡した。しかし不思議と手に持ったフィードはその剣の重さを感じなかった。
「あとは、これね。ミカ、これをあなたにあげるわ。」
「これが・・・さっき言っていたフォルブレイズですね。」
「そうよ。これはファラフレイムを基調に、エルウィンドとエルサンダーを混ぜたもの。さっきのデュランダルと同じように竜系に異常な能力を発揮するわ。ミカなら使えるわ。」
「ありがとうございます。」
「あっ、ごめんなさい、レイラ。あなたにもちゃんと使えそうな槍を作っていたんだけど、どうしても間に合わなくて。」
「気にしないで下さい、セーナ様。私は槍が欲しくて、付いていくのではないので。」
「ありがとう、レイラ。それじゃぁ、行きましょうか。」
カナンに侵入するので目立つペガサスやファルコンは飛ぶことはできない。ただペガサスやファルコンは主であるペガサスナイトがいなくては食事もままならなくなる。セーナはそれをよく知っているために足手まといを覚悟でペガサスたちをついて行かせたのだ。ついでにナリドは今回、別行動を取ってもらっている。つまり男はフィード一人、残りはユグドラル大陸でもトップクラスの美女という異色の一団がカナンに入り込んだ。しばしばセーナたち女性陣はフィードに飛びついてカップルと見せかけるような奇策を打ち出した。そのためにフィードが宿屋で鼻血を出して幾度か倒れる光景を目撃しているゾーア側の諜報衆もこれでは彼らを忍びだと疑うはずもなく、彼らからマークからはずされたセーナたちは容易にゼノンのいる屋敷を発見することができた。
「思っていたより警備が厳重ね。フィード、大丈夫?」
「まだ頭がクラクラするが、まぁ何とかなるだろう。」
「それじゃ、私たちが引きつけるからよろしく頼むわよ。」
「了解!」
その直後、夜は相部屋のためにセーナたちの魅惑にメロメロだったフィードの顔がまじめになる。それを見届けたセーナがライトニングを天に放つ。
「何だ!あの光は。反乱か?」
もちろんガーゼルの兵たちはこの光源のもとに集まる。そして動きでできた隙を利用してフィードが一気に屋敷に入り込む。市街を巡察するガーゼル兵も合流した一団は光源にたどり着いたが、だれもいない。しかしその直後、猛烈な匂いを放つガスがあたりを覆う。これはセーナが調合した拡散睡眠ガスであって、ガルダ聖戦に使用しようとしていた物である。薬学には疎いガーゼル兵たちは何も知らずに眠りこけ、たちまち全滅した。民家の屋根の上からセーナたち女性陣はこの光景を見ていた。
ミカ:「さすがはセーナ様の睡眠ガスですね。」
レイラ:「ガーゼル兵たちは自分達の力をおごりきって、こういうことにはテンでダメなんですねぇ。」
セーナ:「敵の弱点をつく、それが策で最低限しなければならないこと。シューティングスターの初歩だったかな。」
ミカ:「私でしたらファイアーを数発打ち込んでいましたよ。」
レイラ:「私も同じです。殺さずに勝つ。後世の戦争もそうあって欲しいですね。」
セーナ:「そんなこと言っても仕方がないわ。私たちも早くナリドさんに合流しましょう。」
一方、こちらはゼノン宅。といってもカナンの重鎮、その家は半端な広さではない。もうすでに10人近くのガーゼル兵を気絶させたであろうか。しかし未だにゼノンがどこにいるかはわからない。
「ったく、目立つ場所にいろよ。」
ぼやくフィードに室内にも関わらず馬に乗っている騎士が目前に立っている。
「お前は誰だ!」
叫ぶフィードに対して
「我が名はゼノン。そなたがセーナ皇女の使いか?」
これまた余談だが、ライトとの結婚後、事実上、グランベルの継承権がなくなったのでセーナ『皇女』とよぶことはなくなり、大抵は『様』を付けるようになっていた。
「おお、あんたがゼノンか。探していたんだ。さぁ、さっさと行くぞ。セーナがお待ちだ。」
相手が誰であろうが、敬語を使わない、たとえそれが神であろうとも。
「フフ、噂どおりの生意気な者だな。」
「俺を知っているのか?」
「ああ、怪盗フィードだろ。つい最近、セーナ皇女の影武者シスターリベカとゾーアの流刑地を訪れたのだろう?」
「!」
「気にすることはない。この情報はゾーアからもらっているのではない。独自の諜報網があるのでね。」
「ってことはあのナリドというのも、その一人ってことか。」
「そういうことだ。それより早く皇女のもとに連れて行ってくれ。」
「言っておくがな、セーナ様はもう皇女じゃねぇぞ。結婚してグランベルの継承権を放棄したんだから。そういうところは鈍いんだな。まぁいいか、ついてこいよ。」
「いや歩きじゃ、遅かろう。乗れ。」
ゼノンの愛馬に飛び乗ったフィードは、その直後、戦慄する。
「何つー馬だ。こんな早い馬、ペガサスにもいねぇぜ。」
「それもそうだろう。この馬はアーレス殿下の愛馬の息子だからな。それだけじゃない。この剣も盾も、みんなアーレス殿下のものさ。」
驚くフィードをよそに二人を乗せた馬は異常なスピードでゼノン邸宅を飛び出していった。フィードの道案内も揺れる鞍上では精細を欠き、幾度か同じ道を走ることもあった。だがこれが幸いにもガーゼルの追撃の手を鈍らせる結果となった。
ここはガーゼル、カナン、レダの三国間の国境。セーナたちはここでフィードたちを待っていた。密かにゼノン救出日より3日経っている。ナリドはまたさらに別の行動を取ってもらっている。
セ「遅いなぁ、フィード。」
レ「何かあったのでしょうか?」
ミ「でもフィードはグリューゲル中でも任務成功率はトップ。こんなことで失敗するはずはないわ。」
セ「レイラ、ちょっと上空から見てくれない。」
レ「でも・・・。」
ミ「心配ないですよ。ここは人気がないもの。・・・うん?セーナ様、あれっ。」
何かに気付いたミカがその付近を指差す。
セ「あれは騎士ですね。でもすごい速さ。」
次第に近づいて来るにつれて、その姿がはっきりしてくる。
レ「間違いありませんね。黄金の鎧をして、後ろにフィードさんも乗ってますよ。」
ミ「さては馬に怯えて、正確な案内ができなかったのでしょう。」
セ「私もそう思う。彼は馬が何よりも嫌いだから。」
三人が笑いあいながらゼノンが来るのを待った。
「お疲れ、フィード。」
セーナたちの目の前には馬に精気を搾り取られたようなフィードがいる。
「(声にならない声)、もう馬なんて乗るか。」
「そしてゼノン将軍、初めまして。ユグドラルのセーナと言います。」
「我々の願いを聞いていただいてありがとうございます。しかしなぜレダ国境に?」
「あれ?将軍はカナンでもかなり上質な情報を集めておられる聞いておられるのに、まさか自由カナン軍をご存知ないのですか?」
『自由カナン軍』その言葉を聞いて、ノイローゼ気味のフィードをのぞいた一団はセーナが何をしようとしているのか悟った。
「自由カナン軍?」
「ええ、あなたの敬愛する主君アーレス王子の遺児、セネト王子の作り上げた軍です。今、レダのティーエ王女率いるレダ同盟に参加して、大軍を率いてこちらに向かっています。」
「何と!アーレス王子の子供が生きておられたのか?では私をそこに?」
「最初は私のためにいて欲しいとは思ったけど、やっぱりあなたはカナンを真に思う人、たとえ今、私の騎士になってくれても、セネト王子がカナンに凱旋すれば、あなたも行ってしまうと思うから、どうせならって思って。それにセネト王子たちもレダの魔獣相手に苦戦していると聞いています。どうか力になってあげてください。」
セーナの優しい言葉にゼノンは思わず涙ぐんだ。
「あ、ありがたき幸せ。」
フィードを除いて、和やかな雰囲気が流れる。そしてようやくそこにナリドが着いた。
「おお将軍、無事でございましたか。セーナ様、本当にお礼のいいようがありません。」
「いいんですよ。それより遺骨は持ってきてくれましたか?」
「ええ、さすがに5000体分の遺骨を隠しながら持ってくるのは骨が折れましたよ。」
「遺骨?ガルダ戦で死んでいったものたちのか?」
「そうです。あの時、私は甘い希望を持っていた故に多くの善良なカナン人を殺してしまいました。せめてもの償いとして彼らの遺骨をセネト王子に届けようと思っていたんです。そこにちょうどナリドさんが来たので、渡りに船だったんですよ。本当は全員持って来たかったのですが・・・。」
「何を言われる。戦で殺されて文句を言えぬのが世の定め。それなのにセーナ様はそんな者たちを見捨てず、真の主君のもとに連れて行こうとしているのか?今までのリーベリア人では考えられん。」
「そんなことはありませんよ。昔の神君カーリュオンがそうだったように、今の時代にもリュナン公子やセネト王子みたいに私よりも素晴らしい人たちはまだいます。」
ゼノンとナリドは改めてセーナの器の大きさに感服した。それだけではない。今まで彼女に従っていたミカやレイラもその存在の大きさを実感させられた。しかしそんな六人の前に魔獣の巣、レダという難関が大きな口を開けてセーナたちを待っている。今、野獣の群れがユグドラルの女神に襲い掛かる。