サリアを発った直後のリュナン軍の動きは誰もが目を見張るものがあった。数ヶ月間かけて防備を固めたゼムセリア公国はリーヴェ河の要害を利用する間もなく、リュナン軍の攻勢にあっけなく陥落してしまう。ラゼリア占領軍とソフィア公国のコンドル部隊が合流したハルファ要塞の戦いでは両者の不和に付け入り、数でも質でも優勢だったリュナン軍が各個撃破する方法でこの要塞を制圧し、彼の故郷ラゼリアまでの道はあとわずかとなったのだった。
少し前のリュナンのように故郷を敵に奪われながらもゼムセリアの現太守レンツェンハイマーはついさっきまで余裕しゃくしゃくだった。たとえハルファ要塞が破られても自分ならリュナンを破ることができると思い込んでいたからだ。つい数ヶ月前のバルト要塞での大敗を忘れているのか、それともただリュナンを破りたいだけなのか、レンツェンは顔色が良かった、この報せが入るまでは。
『リュナン軍、城裏口から侵入』
ハルファ要塞でゼムセリア・ソフィア連合軍を破ったリュナン軍は迎えるラゼリア奪還戦を前に、市民に被害が出てしまう可能性の強い市街戦を避けて、敢えて大回りをすることでレンツェンの不意を突き、城への進入を成功させたのだった。この報せはレンツェンを幾分驚かせたが、
「そうでなければ面白くない。城内にだって色々なものを用意してある。玉座までたどり着ければ誉めてやる。」
と壮言するほどまで大きい態度を取り始めた。そして彼の口調にも現れているようにラゼリア領主館には数多くの罠がリュナン軍を待ち受けていたのだった。
そしてこちらはリュナン。傍らにいつもいるはずのエンテはいなく、どこかで見たようなシスターがいたのだった。彼女の名はリベカ。つい最近までガルダ島にいたセーナの影武者だったが、ガルダ聖戦よりも前に大陸に渡ってゾーア地方を偵察し、カナンの功臣ゼノン救出の際にも手引きをしていた。そしてハルファ沖でセーナが出した迎えで戻ろうとしたところにリュナン軍と遭遇して行動を共にすることとなった。影武者だけあってセーナに本当に似ている。シスターとは思えないほど才略は豊かで、今回のラゼリア館内戦も彼女の提案であったのだ。
「それにしても似ているよね。」
リュナンがまじまじと言う。それに対してリベカは不機嫌そうに
「もう何度もその言葉は聞いてます。私はセーナ様ではなくて、あくまでリベカです!」
と言う。リュナン軍に加入してから何十回も聞いていたようだ。もともとシスターという性格から戦いの直後は多くの人と接することも影響している。それにしてもソラの港で数分程度しか、しかも会ったのはリュナン、エンテ、オイゲンだけだというのに、そこまでセーナのことが知られているのもすごい事だ。ガルダから広まったセーナの風聞が正確に広がっていることも要素の一つかもしれないが、これも一種のカリスマのなせる技かもしれない。
「メリエル、ここに思いっきりヘルファイアーをぶつけて。」
リュナンの指す先はただの壁である。
「ここですか?」
メリエルが壁に手を当てる。それを見てリュナンがうなずく。その問答を見ていてリベカは理解した。
(さすがリュナン公子、ただでは城を渡さないのね。)
不思議そうにヘルファイアーを放ったメリエルは次の瞬間、驚いた。ついさっきまで自分たちの前に立ち塞がっていた壁に大きな穴があいていた。もちろんこれでメリエルが動揺しないはずがない。
「気にすることはないよ、メリエル。この壁はラゼリアを発つ時にもろくしておいたんだ。それもヘルファイアー級の魔法でないと破壊できない程度に。」
仮にもここはリュナンの故郷。この戦争が勃発してからリュナンの父グラムドは万一の場合に備え、この『脆城の計』をリュナンにだけそっと託していたのだった。そしてこれを知っているのは今ではリュナンだけである。この作業に従事していた兵はグラムド直属の兵で全員がリーヴェ王宮陥落時に戦死していたためである。つまりレンツェンにはこれを知るすべが完全になくなっていたのだった。リュナンは矢継ぎ早に諸将に命令を告げる。
「ノートン、トムスはここに踏みとどまって右から来る敵を食い止めておくんだ。」
そしてリシュエルとメリエルにはラゼリアの館内地図を見せて
「この×印はこの壁みたいに脆くしてある。ここを壊せば、進行がスムーズになるから2人で協力して破壊するんだ。
次にサーシャ、ラフィン、ロファール王、レンツェンはおそらく市民と称して、地下牢に傭兵を入れてあるだろう。彼らにだまされないようにして、善良な市民を見極めて解放してあげて欲しい。
クライス、アーキス、君は一旦、市街に出てラゼリア騎士をまとめて戦線に入ってくれ。
最後にヴェガとパピヨンだけど、君たちがレンツェンを倒してくれ。情報によるとレンツェンは魔剣ルクードを手に入れて、すぐ側には腕の立つ傭兵がいるらしい。気をつけてかかってくれ。」
リュナンが練りになった作戦を発表していく。諸将がその作戦にうなり、すぐさま各所に散っていく。その場に残ったのはリュナンとリベカ、エンテらシスターたちだけとなった。まさしく屋内では最大規模の戦いかもしれない。
リュナンは見事にレンツェンの策を見抜いていた。メリエルとリシュエルによって破壊された壁からは次々とリュナン軍が出没し、レンツェン軍を各所で翻弄した。またレンツェンが期待していた突き出た小部屋も各所で壁が崩壊し、矢や魔法の奇襲を目論んでいたレンツェンの兵士は周囲から迫るリュナン軍に攻められ全滅。また牢にいた市民にもやはりリュナンの読みどおり、傭兵がいた。といっても見破るのは簡単だった。市民がみな女性だったからか、傭兵たちが女装していたためであった。よく見れば、ひげが生えていたり、毛がボウボウだったりしており、ある者はシャムシールを隠せずにいる物もおり、逆にロファールたちに深読みさせてしまう程、明らかだった。またクライスやアーキスも市街に出て、ラゼリア軍の残党をかき集めて正面から攻め始めた。その残党の中にはなんとグラナダで別れたリィナもいて、兄のクライスと婚約者のアーキスを喜ばせた。余談であるが、クライスも恋人が出来ている。ホームズ軍に配属されていた頃、ウエルトのヴェルジュでばったり会った盲目のシスター、レティーナとハルファ要塞で再会していた。
そしてリュナンの采配はいよいよ佳境に入る。パピヨンとヴェガが玉座に入ったのだ。その瞬間、一つの斬りが2人を襲った。もちろん2人は難なくかわし、影の中から現れた剣士を見据えた。
「なるほど少しはできるな。だがここから先はこのゴルゴダが通しはしない。」
『九天空剛剣』
ゴルゴダの剣技をすんでのところでかわし、パピヨンはヴェガに言う。
「お前はレンツェンに恨みがあると言っていたな。」
しかしパピヨンが言っている間もゴルゴダは剣を振りつづける。
「それがどうした。」
パピヨンがゴルゴダに一振りする。もちろんゴルゴダも軽くかわす。
「ここは俺に任せて先に行け。」
「フン、俺がいなくても大丈夫なのか。」
「ここで負けるようではお前には勝てないさ。」
「・・・」
そしてヴェガがゴルゴダに背を向ける。これを見逃すゴルゴダではない。すかさず剣を振りかざすが、もちろんパピヨンが立ちはだかる。
「おっとお前の相手は俺だぜ。邪魔者がいなくなったから思う存分やってやるぜ。」
「フン、小賢しいわ。」
ゴルゴダがまた剣を振る。しかし今度はパピヨンも負けずに振る。金属音が響き、その後も幾度となく空気を切る音が聞こえる。2人の戦いはまさしく竜虎の戦いだった。あらかた館内を制圧したリュナン軍の兵士達も玉座に入り始めたが、この2人の決闘の凄まじさにそれ以上踏み込むことはできなくなっていた。
ガキゝン!
一際、大きい金属音を放ってから2人は突如、静止した。どうやら次で全てを決しようとしているらしい。パピヨンが2本の剣を構え、ゴルゴダはひときわ美しい剣を上段に構える。
『双竜裂破斬』
『九天空剛剣』
3つの剣が交差する。そして次の瞬間には2つの剣を持つ剣士が立っていた。
一方、こちらの戦いは予想以上に早く終わった。
「ヴェガ!なぜ貴様がここにいる。」
「お前がこの俺を騙そうとした度胸は誉めてやる。だが死神を怒らせた代償はわかっているな。」
この時のヴェガの目は恐ろしかった。もちろん貴族育ちのレンツェンがそんな視線を受けて、まともにしていられるわけがない。ルクードを振るい、ヴェガを斬ろうとするが、ただでさえ能力ではヴェガに大きく溝をあけられている上に、精神的にも追い詰められた攻撃はただ空を切るだけである。
「無駄なことを。」
レンツェンが聞いた最後の言葉はこれだった。他にもヴェガは話していたが、レンツェンが聞ける余裕もないほど追い詰められていたのだ。
「ま、待て。金ならいくらでもやる。助けてくれ。」
ついにレンツェンは腰を抜かし、騎士としてはあるべく発言をしてしまった。
(哀れな)
ヴェガはそんなレンツェンに一瞥もくれず、最後の剣技を放った。
『シャドウスライサー』
ラゼリアは在るべきところに帰ってきた。リュナンは祖国を奪還してから数日後、ラゼリアの太守を正式に宣言した。クライスやアーキスらラゼリア騎士団は涙を流しながら喜んでいた。リュナンの太守就任が彼らにとっては人生でもっとも最高な瞬間なのかもしれない。しかしまだガーゼル教国は健在しており、ホームズが懸命に西進しているとはいえ、まだグラナダは帝国支配化にある。それだけでなく今回の戦いで荒廃したラゼリア館の修復もしなければならなくなり、リュナン軍の進撃はここで止まらざるを得なくなった。ただリュナンのラゼリア奪取により帝国内におけるカナンとガーゼルの不和は確定的となりつつあった。