各地で起きた反ガーゼルの戦いは一旦、落ち着いた。もっともイル島あたりでは何かと小競り合いがあったようだが、あまりユトナとガーゼルの抗争とは関係がなかった。それはまさしく荒らしの前の静けさと言ってもいい。
そして舞台は再びリュナンが凱旋したばかりのラゼリアへと戻る。ラゼリア奪還戦によって荒廃した領主館を修復するための小気味良い音が響いていた。町も落ち着きを取り戻し、再興への道を歩み始めている。今、領主館にはリュナンと彼の直臣ぐらいしかいない。残りのリュナン軍の将兵たちはラゼリア市街から程離れた平野に陣を設けて、彼らに自由行動を許していた。比較的規律に厳しい軍師オイゲンもさすがにラゼリアに戻ってきたのがうれしかったようだ。今、リュナン軍は久々にのんびりとした日々を送っていたのだ。
ここは領主館の中でも被害のなかった部屋の1つ、政務室。父の遺品となってしまった鎧を身に付け、名実共にラゼリア公国の当主となったリュナンがここの主だ。とりあえずホームズとの合流を待ち、そしてラゼリアの中心として復活するこの領主館の修復が終わるまではリーヴェへのとどまることとなり、それまでの政務を自ら行っている。だが彼にはもう1つするべきことがあった。それは幼少の時から側にいたオイゲンでも、どんなことでも見通せる頭脳を持つリベカでもわからないものだった。そしてそれを示すようにラゼリアに着いてからのリュナンは時折、何か考える仕草が多くなってきていたのだ。
「リュナン様、どこかお体の具合が悪いのですか?」
加入して以来、色々と新鮮な情報をリュナンに届けてくれているリベカもさすがにこのリュナンの変化を見逃すはずがなかった。
「うん?別に・・大丈夫だよ。」
「そうですか?どうもこの頃のリュナン様は元気がないので・・。みんな、影で心配してるんですよ。」
「そうだったのか。だけど大丈夫さ。」
「それならいいんですよ。もし何かありましたら言ってくださいね、お薬差し上げますから。」
そう言ってリベカは政務室を出て、ラゼリア市街へフラフラと出て行った。そしてリュナンは側にいるオイゲンに向かって聞く。
「オイゲンもそう思っているのか?」
「私は休めば良くなると思っていたんで、あまり気にもしていませんでしたが・・・。確かにラゼリアに着いてからのリュナン様はそういう面が多くなっています。」
「・・・そうか。だったら早く事をしておかなければな。」
何のことだかわからないオイゲンは不思議そうな顔をして聞く。
「事とは?」
するとリュナンは顔を赤らめながら
「な、何でもないよ。それよりももうそろそろ部屋に戻らせてもらうよ。」
と言いながら足早に政務室を後にした。残されたオイゲンはやはりまだリュナンの言葉が気にかかったが、自室に戻って自分の仕事に取り掛かることにした。
(じゃらじゃら)
誰もいないはずのリュナンの自室からどこかで聞いたことがある金属音が聞こえた。
(まさかエンテ?)
ふと隙間から覗き込むと、青髪の少女が椅子に寄りかかりながら2つのペンダントを見ていた。ロジャーとの一騎討ちの直後、突如として消えた、あのペンダントだった。それを見てリュナンはたまらず、扉を開けて部屋に入っていた。そして
「やっぱり君が持っていたんだね、エンテ。」
突然の背後からの言葉で驚きながら振り向いたのは、その言葉通り、エンテだった。
「いや、あの時の少女も君だったんだろ?」
「思い出していただけたんですね。」
リュナンは窓際の壁に寄りかかって、その口を開いた。
「ずっと心の中で何かが引っ掛かっていたんだ。ラゼリアに近付くにつれて、それがどんどん大きくなっていったんだ。」
「・・・」
リュナンの変化は薄々とエンテにも気付いていた。だからこそエンテはラゼリアへの距離と反比例するようにリュナンとの距離も少しずつ離していったのだった。
「そしてここに戻ってくるたびに何だか悲しくなるんだ。」
「悲しく・・・?」
「君だって覚えているだろ?あの時の約束を。」
エンテは小さくうなずいた。
「あの時の僕は『僕は君を守るから、君は僕から離れないって。』って約束した。だから僕は君をずっと守ろうと思った。・・・・なのに・・君は・・・その次の日・・・・消えたんだ。・・・君が約束を破ったんだ!」
いつもの冷静なリュナンからは想像もできないほど、彼の言葉は激しかった。それは心の奥底から彼の言葉が発せられていたからなのかもしれない。
「その時僕の周りには誰もいなかった、ホームズも父上も。そして僕はまだ幼かった。君がいなくなったという衝撃を僕1人で受け止めることがどんなに悲しかったことか。」
これがいつもは前線に立って采を振るうものの言葉なのか?もしここでオイゲンが2人の言葉を聞いていたとしたら、間違いなくオイゲンはリュナンを見捨てるだろう。それほどリュナンの言っていることは自己中心的で、そして、幼かった。だがエンテは彼の言葉をあえて聞きつづけた。
「そして僕らはウエルトで偶然にも再会することが出来た。なのに、なぜ君はエンテのままでいるんだ、メーヴェ。」
初めてリュナンが彼女の本名を呼んだ。思わずリュナンの顔を見るエンテ。そしてリュナンの口が暴走し始める。
「あの時、僕は君に裏切られたと思った。だけど今もエンテは僕を裏切っている。」
「えっ。どうしてそんなことを・・・。」
思わぬ言葉にエンテは驚き、戸惑う。しかしリュナンはさらに思いがけない言葉を口にしてしまう。
「だってそうだろう。エンテは僕を試そうとした。だから僕を欺きつづけるんだ。」
リュナンの独白が終わった。と同時にエンテの目の堰が一気に断たれた。エンテには言いたいことが言えなくなっていた。そして
(ちゃり~ん)
エンテの手の平に乗っていた黒き鉄の塊が地面に落ちた。やがてオイゲンが部屋に入ってきた時、エンテは彼の部屋を飛び出していった。ここに2人の間に大きなしこりが残ってしまった。
それから数日後、イル島を訪れていたホームズ軍もラゼリアに合流した。そして大きな時代のうねりがリーベリアを襲おうとしていた。そしてその知らせが届く。