一騎のファルコンが地上すれすれで西に飛んでいた。しばらく飛んだファルコンの前に少し開けた土地が入ってきた。そしてその中央には美しい水を湧き出す泉があり、その傍らにはその水のように青く美しい髪の少女が待っていた。
「自ら来られなくともよいのに・・・」
そう小さくつぶやきながら、その人物がファルコンから降りてくるのをじっと見ていた。
降りてきたのもまた同じ人だった。ファルコンのパートナーも思わずこう漏らす。
「噂には聞いていたけど、こんなに似ておられるなんて・・・。」
違いといえば、持っているものが杖と剣の違いだけであろうか。そして今降りてきた少女が口を開ける。
「リベカ、お疲れ様。とりあえずソフィアでゆっくりと休んでいて、しばらくは私がやるから。」
その少女は今、はるか異国の地で驚異的な能力を発揮しているセーナ、その人だった。南リーヴェでの決戦が近いことを知り、密かにカナンから飛んできたのだった。そして対するのは彼女の影武者リベカ、リーベリアに早くから渡りゾーア帝国内のことを探りながらリーベリア大陸を南下し、ハルファ砂漠で偶然にもリュナン軍と遭遇してから行動を共にしていた。そのリベカが苦笑いしながら言う。
「主人が影武者の代わりをするなんて聞いたことなんてありませんよ。」
「いいの、いいの。私だってリュナンの戦ぶりを見てみたいもの。」
その言葉を聞いたリベカは少し口篭もるかのように
「そのことなのですが・・・、実はラゼリアを発たれてからのリュナン様の様子が少しおかしいようなのです。」
「おかしい?どのように?」
「何と言うか・・・とにかく幼くなったとでも言うんでしょうか。」
「?」
最初セーナはリベカの言うことがよくわからなかったが、リベカの話を聞くうちに少しずつ事情が読めてきた。そしてある結論にたどり着いた。
(彼女とケンカしちゃったのね。)
得心した顔になったセーナを見て、リベカは彼女に深々と一礼してリーネの乗るファルコンに乗って、今来た道を引き返していった。1人残ったセーナはリュナン軍の陣に向かって歩いていった。
そしてセーナがリュナン軍の陣に入る頃、決戦前の軍議が始まった。リーヴェ王宮を守るように配置されたカナン軍の守りは非常に厚く、すこし前バルト要塞の戦いのように攻めるに攻めづらい様相を表していた。敵将はエルンスト、バルトで散ったバルバロッサと共にカナンの軍事を司る勇者である。
この重厚な防衛網に対して、リュナンは自軍を三つに分けた。主軍は比較的手薄な南リーヴェ平原の西部を回ってリーヴェ王宮に、サーシャとラフィン率いるリュナン空軍は中央の高台にある砦を落としてからリーヴェ王宮に、そしてヴェガ・パピヨン・リシュエル率いるリュナン軍の最精鋭軍はウッドシューターで溢れる東部を突破してリーヴェ王宮に向かうこととなった。作戦立案はリュナン自身だった。だがこの作戦には重大な弱点があった。それを指摘したのはリベカ扮するセーナだった。実はまだリベカがセーナに変わったことにはほとんどの者が気付いていない。唯一気付いているのはパピヨンと、魔力に敏感なリシュエルとメリエルであるが、2人はセーナのことを知らないので「リベカではない」という結論でとどまっていた。そしてセーナが芝居をしながら言う。
「リュナン様、大方はこれでいいかと思いますが、中央の高台にはジュリアス王子直属の竜騎士団が詰められていると聞いています。ならばラフィン殿はともかく、ペガサスで構成されているウエルト天馬騎士団には辛いと思いますが・・。」
ここでいつものリュナンなら彼女の意を入れて中央の部隊を増強させるはずだった。
「大丈夫だ。ドラゴンナイトは戦闘能力こそペガサスナイトより高いが、小回りには優れていない。そこを突けばこちらに勝機は訪れてくるさ。」
どちらかと言えば楽観的意見と思える。しかし主将がそう言った以上、決まってしまうこととなる。
(リベカの言った通りだった。これは「薬」を使わないと・・。)
心の中でそう感じたセーナは軍議後、懐に入れていた書状を取り出して密使に託した。
翌日いよいよ決戦の火蓋が切られた。最初に激突したのは当初の予定とは異なって、ヴェガ、パピヨン、リシュエルの率いるリュナン軍の最精鋭部隊だった。というのも裏でセーナがサーシャとラフィンに正体を明かして、事情を話して出陣を遅らせたからである。といってもそう長くはできない。セーナの仕掛けた「薬」が効くまではまだ時間がかかるためであった。そのために一番槍を手に入れたヴェガとパピヨンはウッドシューターで溢れる平野を縦横無尽に暴れていた。ヴェガは愛剣シュラムを、パピヨンはラゼリアでヴェガから貰い受けた魔剣ルクードを手に、必殺の剣を次々と繰り出していく。そして後方からはリシュエルの放つ聖なる炎サンフレイムも襲い掛かり、早くも大勢は決まろうとしていた。
そしてこちらは平原の西部を圧倒的兵力で突き進むリュナン軍本隊。もちろんエルンストもそれなりの兵力を置いていたが、ナロンとロファール率いるリュナン軍の先鋒によってズタズタに寸断されていた。しかし当のリュナンは不機嫌だった。中央のサーシャ、ラフィン隊が動かないことで中央に配されたドラゴンナイトによって本隊後方にいる支援部隊を急襲される恐れが出てきたためである。
「どうしてサーシャとラフィンは動かないんだ。」
傍らでリュナンとは違う思いで中央部を見ていたセーナは北西の空にフッと上がった合図を見届けると、安堵の表情となった。そしてすぐさま緊張した面持ちに転換してリュナンに提言した。
「私が行ってきて、お二方に出陣を促すように言ってきましょうか?」
それを聞いたリュナンは藁にもすがる気持ちでセーナに言った。
「ああ、お願いするよ。誰か付けようか?」
「いえ、私1人で十分ですよ。」
ここでセーナはあるミスを犯した。リュナンの手前ではまだリベカを演じている。シスターのリベカが1人で行くなど、たとえリュナンといえども怪しむはずである。しかしリュナンは
「それじゃ、すぐに頼むよ。」
と何も気にせずに言った。内心ホッとしながらセーナは足早に本隊を抜け出して、サーシャとラフィンがいる中央部隊へと向かって行った。途中、彼女の姿を見つけたカナンの竜騎士が接近してきて攻撃してきたが、もちろんセーナの敵でなくあっと言う間に片付いた。そしてサーシャとラフィンに作戦の実行を告げた。
そして「薬」も密かに動き始めていた。
再び舞台は東部戦線に戻る。相変わらず前線で猛攻を与えるヴェガとパピヨンがいた。
「なぜルクードを俺にくれた。」
パピヨンがヴェガに問う。
「お前があんな剣を振っていても俺には勝てないだろう。」
その言葉を聞いてパピヨンが少しムッとして、怒気も込めてカナン兵を1人斬る。
「何を言う。俺は前の剣でも十分お前に勝てる!」
「だがあの剣で一度、お前は私に敗れたではないか。」
そして今度は声が低くなった。
「あの頃は・・腕が未熟だっただけだ。だが今は。」
「まだまだだな。」
少し笑いを込めながらヴェガがパピヨンの言葉を遮る。するとパピヨンの顔がみるみる紅潮してきた。そしてまたカナン兵を一刀両断する。
「だがルクードもいい持ち主を得て、嬉しそうだな。」
ふとヴェガはつぶやく。彼からはあまり想像できない言葉だった。もともと寡黙で有名なヴェガも剣にかけては誰にも負けない情熱があるのだろう。そしてその情熱から来た言葉なのかもしれない。しかしこの言葉はヴェガより前線に出て戦っていたパピヨンの耳に届くことはなかった。気がつくと、彼らの目の前には雄大にそびえるリーヴェ王宮が見えていた。
快調なのはこちらも同じであった。サーシャ・ラフィン隊が動くのを確認して、後顧の憂いをたった本軍も行軍を再開した。2つあったカナン軍の砦をすぐに陥落させ、こちら側からもリーヴェの王宮が見えるようになった。ここでリュナンは本隊をさらに2つに分け、リュナンと騎馬部隊を北から回りこもうとさせた。これには戻ってきたセーナも承諾し、リュナンから残留部隊の指揮を任されることとなった。ただ騎馬部隊とリュナン率いる直属部隊の進軍の速度差は否めなく、気がつくとリュナン隊はポツリと取り残されていた。戦時中には考えられない事態とも言えるが、逆にこれが新たな出会いを生むことになる。平原北部の森林を進むリュナン隊は休憩を取ることとなり仮陣を立てた。リュナンもまた息抜きのためにオイゲンや付き添いの兵士を連れて、ブラリと散歩に出ていた。幼い頃のリュナンはしばしばこの森に来てはよくはしゃいではオイゲンたちを困らせていたこともあった。すると懐かしがっているリュナンに一陣の風が吹いた。そして少女の叫びが森に響いた。
「見つけたわ、リュナン。バル爺の仇!」
ふと茂みから飛び出してきたのはまだ年端もいかぬ少女であったが、身に付けているものからは高貴な身分であることが推測された。思わぬ奇襲に完全に立ち遅れたオイゲンたちだったが、リュナンは殊のほか冷静だった。その少女の攻撃を身を翻しながらかわし、すぐさまレイピアで剣をなぎ払った。だがなおも少女は剣を取り直して、またリュナンに襲い掛かろうとするも、もはや少女の周りには落ち着きを取り戻した兵士によって取り囲まれていた。
「待て!君は兵士ではないだろう。」
またオイゲンは少女の持っている剣を見て、思わず叫んだ。
「その剣はカナン王家に伝わるホーリーソード!」
「ということは君はバルカ王子の一人娘、エストファーネだね。」
もはや襲撃をあきらめたエストファーネは剣を捨てて、言い放った。
「そうよ。あなたはバル爺を殺して、ジュリアス叔父様やお父様まで殺そうとしている。だからそうなる前に私があなたを殺そうとしたのよ。」
サーシャより少し若そうな少女の放った言葉に思わず息が詰まったが、リュナンはこう言い放った。
「今は戦争だ。今を生き抜くためには仕方のないことだ。」
そしてオイゲンがこう提言した。
「リュナン様、ここは彼女を人質にしてみてはどうでしょうか?」
人質という言葉があまり好きではなかったリュナンであったが、やはりあの日からリュナンの心は変化をしていた。
「人質か・・・。構わない。オイゲンに任せるよ。」
その言葉に逆にオイゲンが驚く。それを見てリュナンが言葉を足す。
「勝つためには仕方がないことだよ。彼女はリベカのところに送っておいてくれ。」
そして一兵士に連れられながらエストファーネはリュナンに向かって叫んだ。
「やっぱりそうするのね。・・・あなたなんて死ねばいいのよ!ケダモノ!!」
その言葉がリュナンの心に深く突き刺さる。そしてつぶやく。
「ケダモノ・・か・・。」
戦況は次第にリュナン軍優勢へと傾いていく。勝つためには非情な手段も仕方がない。リュナンのそういう幼い心が開かれようとしている。今、その心を再び閉じ込めるべくセーナの策略が南リーヴェを覆うとしている。