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因みに当設定は「遥かに仰ぎ、麗しの」という作品の「凰華女学院」から着想を得ています。
現在中古相場2000円程度で買える名作なので、是非一度プレイされてみては如何でしょうか(ダイマ
[学院の所在地]
人里から離れた陸の孤島で海の見える高台。竜胆グループの所有する広大な敷地に全ての施設が収容されている。
この場所に至るための公共交通機関は存在せず、街へ出るためには家族・使用人による送迎が必須である。
教員であれば自らの運転で私用の外出も可能。
[恩慈永女学院の入学方法]
- 基本的には幼稚舎or初等部からのみ入学が許される。
- その際に入試等はなく面接のみが行われ、家柄と学院への出資額がモノを言う。
- 中等部・高等部からの編入は、特に学力の優秀な者のみ高額な入学金と引き換えで特例的に許されることがある。
- 大学部のみ、世間一般の高校生にも受験資格があり形式上は門戸が開かれている。
- ただしその学費は尋常でなく高額であり、いち庶民が入学しここで学ぶことは事実上不可能である。
(学院を所有する竜胆グループから出資を受けている家の娘が人質として預けられる形で学費免除されて在学している、との噂もあるが事実関係は不明)
[生徒数]
幼稚舎(年少・年中・年長):41人
初等部(1~6年各3の計18クラス):274人
中等部(1~3年各2の計6クラス):98人
高等部(同上):105人
大学部(8学部):208人
計726人
[教員数]
計77人(中高では複数科目、大では複数講義の掛持ちが多い)
[校訓]
徳・健・財
[主な校則]
- 敷地外への外出厳禁
- 但し公用として特別に許可を受けた者はこの限りではない。
- 中等部以上の者で定期考査の結果が特に優秀であった者には外出許可を例外的に与える。
(基本的に中間期末考査ごとの成績上位3人に1日外出権がご褒美としてプレゼントされる)
- 飲酒、喫煙をした者は即刻退学とする。
- 服装は必ず学院指定の制服を着用すること。
- 但し大学部生はこの限りではない。
[年中行事]
4月
- 入舎式(幼)
- 入学式(初・中・高・大)
- 始業式(全)
- 健康診断(全)
5月
6月
- プール開き(幼・初・中・高)
- 合唱コンクール(中・高)
7月
8月
9月
10月
11月
12月
- マラソン大会(初・中・高)
- 期末考査(中・高)
- ダンスパーティー(全)
- 終業式(全)
- 冬期休暇(全)
1月
2月
3月
- 卒舎式(幼)
- 卒業式(初・中)
- 終業式(全)
- 春期休暇(全)
[恩慈永女学院のあゆみ]
1925年(大正14):南慈永高等女学校創立
1929年(昭和04):高等科(修業年限2年)に加え、専攻科(修業年限5年)を開設。
1931年(昭和06):校地を現在の場所に移設、同時に校名を恩慈永女学校に改称。
高等科の修業年限を3年に変更、この時“旧校舎”の使用開始。
1940年(昭和15):新校舎(現在は既に取り壊し済み)竣工
1944年(昭和19):██████████████████████████████
(以後旧校舎取り壊しは何度も試みられたが現在に至るまで悉く中止されている)
新制中学校を併設中学校(現在の中等部)として創設
1949年(昭和24):私立学校法の定めに基づき、学校法人恩慈永女学院に改称。
それに伴い恩慈永女子高等学校を恩慈永女学院高等部、併設中学校を恩慈永女学院中等部と改称。
1960年(昭和35):学校敷地を拡大、恩慈永女子大学創設。英文学専攻、家政学専攻、神学専攻の三学部。
1989年(平成01):新校舎跡地に校舎を建設し初等部・幼稚舎を創設。
これにより一貫教育が完成。
1990年(平成02):英文学専攻、家政学専攻、神学専攻を廃止、新たに文学部、家政学部、神学部を設置。
2000年(平成12):恩慈永女子大学に福祉、看護学部を新設。
2002年(平成14):恩慈永女子大学に薬学、教育学部を新設。
2007年(平成19):恩慈永女子大学に音楽、医学部を新設。
2010年(平成22):5カ年をかけて幼稚舎~大学の各校舎の建て替えを行う。
20XX年(平成~令和XX):旧校舎取り壊し(予定)
最終更新:2019年08月04日 15:31