概要
シーナ・フリートンは、
セ連大統領と
帝国中央貴族の間に生まれた。フリートン家の次女である。
廃材で組み上げた楽器を掻き鳴らし、権力の腐敗を題材に歌う歌い手であり、立体映像を使った造形作品も手がける。
自己紹介
シーナ・フリートンです。名字を聞いて親父の顔を思い浮かべた人には悪いけど、ここではあたしの歌の話をさせて。昔は親の名前で呼ばれるのが我慢ならなくて、看板ごと叩き割るつもりで家を飛び出したし、自分の手で掴んだものしか信じないって本気で言ってた。今も親の名前で紹介されるのは好きじゃない。ただ、自分ひとりの足で立ってきたと胸を張れるほど、もう子供でもないんだよね。知らないところで道を均してくれた人がいて、倒れた時に拾い上げてくれた手もあった。そういう借りを返しきれないまま抱えて、それでも歌ってるのが、今のあたし。声が出なくなる怖さなら知ってる。客席が一人ずつ空いていく夜も、笑いものにされた夜も越えてきた。一緒にやろうって握った手に裏切られたことだって、一度や二度じゃない。そういう目に遭ってきた人間に、綺麗に整った歌はもう書けないよ。書けるのは、喉の奥に溜まった澱をそのまま音にしたものだけ。
錆びた部材で組んだ楽器を鳴らしてるのも、捨てられた鉄の音には、傷の分だけちゃんと濁りが残ってるからなんだ。怒りは今でも歌の燃料にしてる。でも、怒鳴るだけの歌が誰の足も止められないことは、痛い目を見て覚えた。偉そうな連中を撃つ歌を書く夜ほど、撃たれる側に立ってた頃の自分を一度は思い出すようにしてる。守られてることにも気づかずに吠えてたのは、あたしも同じだったから。自由でいたい気持ちは、昔から少しも変わってない。変わったのは、自由を守るには自分で線を引くしかないって分かったこと。誰とでも組むのはやめたし、約束は必ず紙に残す。窮屈に見えるかもしれないけど、そうやって守れる歌が確かにあるんだ。あたしの歌じゃ、誰かを救うところまでは届かないかもしれない。それでも、聴き終えた後に自分の傷をなかったことにしないでいてくれたら、それで十分。街角で鳴らしてる日もあるから、気が向いたら足を止めていって。聴いてくれた分だけ持って帰ってくれればいいし、残りの曲は通りの風にでも聴かせておくからさ。
来歴
シーナの歩みは、父の立場との距離をどこに置くかによって、たびたび向きを変えてきた。
生い立ち
半生の出発点は、大統領令嬢として広大な宮殿で過ごした幼少期にある。父ヴァンスの繰り広げる過激な政治ショーを間近に見ながら、母ヨバンナの整えた知的な環境で育った日々が、後の作風の原風景になっている。星団中に広まった父の「泣く石像」ミームを種に、幼い彼女は「石像の娘」とからかわれ、父の影を追い越す決意を固めた。母が読み聞かせた古代文献の物語でアートに目覚め、父の趣味である射撃も遊び半分のうちに身につけている。共立英語に次いで日本語を覚えた発端も母の書架にあり、転移者の手を経て流れ着いた書物の挿絵を眺めるうちに、読めない文字へ関心を寄せた。家庭教師の力を借りずに辞書と写本を突き合わせ、声に出して読み上げる方法で彼女は文字と音を結びつけていく。共立公暦987年(12歳)には、母の勧めで
令咏術の強化施術を受けている。術の行使には施術の後に相応の知識と訓練を積む必要があり、雷の術式に狙いを定めた彼女は電気工学を独学で掘り下げ、アーツを造形の道具として操る独自の手法を編み出した。施術から数年は、シートの書き込みを繰り返す地味な稽古に費やされており、雷を扱う手順が体に馴染むまで彼女は同じ工程を辿り続けた。
出奔
同991年(16歳)に本国の名門校へ進んだシーナは、窮屈な校風に息苦しさを覚え、授業を抜け出しては街の壁にホログラムの落書きを重ねた。裏路地で絡んでくる不良を雷弾と水流で黙らせる日々が続いた末、母の励ましに背を押された彼女は中退を選び、父の反対を押し切って星間旅行に飛び出している。旅先で交流を重ねた
アウトローな傭兵からは、複数の属性を戦闘に組み込む技術を吸収した。名を一気に広めたのは、
メルトヴァーナの低層で公開した「ポリティカル・モニュメント」である。父の政策を皮肉った作品の設置にあたって警備ドローンを排除した行動が議会を騒然とさせ、父は激怒した。一方、奇抜な造形に鋭い社会風刺を重ねた彼女の作品は、事件の報道を通じて一部の若者の心を掴んでいた。熱狂の輪は広がり続けており、父の政敵に保守層を加えた陣営からは「共立連邦の問題児」との非難が浴びせられている。自分の稼ぎで購入した移動式スタジオ船は、移動の足と作業場を一つの船体にまとめたもので、彼女は思い立った星域に即座に乗りつけては、星団各地でゲリラアートを繰り返していく。
留学
同996年(21歳)、母の提案を受けたシーナが向かったのは、
学園国家に立つ異能教育の名門であった。年齢を問わず門戸を開く学制のもと、十代の学生に混じって籍を得ている。音楽・芸術専攻の課程を選んだ当初の狙いは、造形の技法を体系から学び直す点にあった。留学を境に、活動の軸は造形から歌へ移っている。若年文化の振興に力を注ぐ学園社会の気風を追い風に、彼女は首都サー・フォスの街角へ廃材の楽器を持ち込み、路上ライブを重ねていく。足を止める通行人の数は日によって大きく振れ、演奏の間に客席が空になる夜も続いた。講義で得た知識は舞台装置の構造へ流し込まれ、課題として提出した作品が街頭の設置へ転用された例も少なくはない。課題と稽古と制作を同じ一日へ詰め込む生活は、船を係留したまま数か月が過ぎても緩まないままである。学内で名を覚えられる機会は少なく、留学生の一人として扱われる日々が当面は続いた。
臥床
留学から数年の間、シーナの活動は伸び悩んだまま停滞している。歌と造形と学業を並行させた日程に共同制作の破綻が重なり、負荷は体のほうから先に音を上げた。声が思うように出ない日が続いた後、街角で歌っている最中に膝から崩れ落ちた彼女は、学園の医療区画へ運ばれている。診断の結果として言い渡されたのは、喉と全身の疲労が限界に達したという内容であった。公演の予定は全て流れ、船の作業台も工具が並んだまま手つかずで残されている。寝台で過ごす日々の中、彼女は歌詞の草稿を書き潰しては丸め、備え付けの屑籠を毎日のように満杯にした。日を追うごとに見舞いの足は遠のき、病室で顔を合わせる相手は数えるほどにまで減っている。窓の外を眺めたまま半日が過ぎる日もあり、退院の見込みを尋ねる声すら本人の口からは出なくなった。歌をやめる選択が頭をよぎった時期も、この数週のうちに含まれる。退院の日取りが決まった後も体は重いままで、船へ戻った彼女が最初に手をつけたのは、埃を被った工具を一本ずつ磨き直す作業であった。
復帰
退院の直後から筆のほうは動いており、新しい歌詞が書き上がるまでに一週とかからなかった。しかし、声を取り戻す作業には数か月を要している。稽古は短い時間から積み直され、発声の量も日ごとの調子に合わせて刻まれた。船の整備と造形の作業を並行させながら、彼女は楽器の前へ座る時間を少しずつ増やしている。復帰の舞台に選ばれたのは、留学の初期から立ってきた首都の街角である。同じ場所で同じ楽器を鳴らした夜を境に客足は増え始め、口伝えで広がった評判が次の公演の人数を押し上げた。学園祭の舞台で浴びた喝采は、彼女の名が学区の外へ出ていく転機となっている。公演の場はやがて学区をまたぐ興行にまで広がり、造形作品は歌の舞台装置としてステージの背後に組み上げられるようになった。騒ぎの評判を聞きつけた
スーラ・ヴィ・レクサーニと意気投合した彼女は、同1000年(25歳)に
遊理部の門を叩いている。正規怪人への昇格は部長を十分に楽しませることが条件となっており、ほどよく騒ぎを起こした彼女は番号入りの名札を授かった。ガラクタの積み上がった部室の一角には、スタジオ船から運び込んだ作業台が据えられている。
自覚
復帰を果たした後のシーナは、自分の足場を支えてきた手の数を、遅まきながら数え直している。警備の名目で客席へ人が送り込まれていた件を知ったのは、係官の顔を公演のたびに見かけるようになった後である。留学の手配で母が裏から動いた経緯も、休学と復学の書類が滞りなく通った事情も、辿れば同じ場所へ行き着いた。街角で倒れた日に医療区画へ運んだのが誰であったのかも、退院の後に人伝てで耳へ入っている。自分の稼ぎで船を買い、自分の足で街角に立ってきた自負は揺らがないものの、その足下に敷かれていたものの存在までは否定できない。父へ向ける反骨は消えずに残り、政策を巡る口論も相変わらず食卓で続いている。ただし、看板を拒む言葉の裏側には、守られてきた事実への苦い理解が混じるようになった。母が黙って回してきた手配の数々や、祖母が沈黙のままシーナの作品を聴き続けてきた事実についても、感謝の言葉を口にする機会は増えている。手を貸した側が恩に着せる素振りを見せなかった点も、彼女の側の負い目を深くした。誰の助けも借りずに掴んだと信じていた道が、実のところ幾人もの手で舗装されていたと認めたうえで、彼女は次の舞台へ上がるようになった。
人物
シーナの人となりを知る手がかりは、舞台での振る舞いから、スタジオ船に積み上がった私物の並びにまで散らばっている。
表現
歌の流儀
歌い手としてのシーナは、低音域の地を這う唸りから高音域の金属的な叫びまでを一つの喉で操り、曲の性格に応じて声の出し方を変えていく。告発を並べた曲では喉を酷使する荒い発声で感情を剥き出しに叩きつけ、母から受け継いだ物語を下敷きにした静かな曲では、声を絞った息混じりの音色へ寄せる場面もある。歌詞は全て自作で、政治家の二枚舌に『健常者』の傲慢を並べて槍玉に挙げる曲があれば、底辺で這いずる者たちの怒りを代弁する曲もある。韻を不規則に踏んでリズムをわざと崩す作法は聴き手の予測を裏切る仕掛けであり、一曲の中で語り手を入れ替える構成も彼女の好むところである。告発する声と告発される声が同じ旋律へ乗る曲では、聴き手が途中で立場の反転に気づかされる。稽古の場は移動中のスタジオ船で、機関の唸りを越える音量を基準に据えた発声を、彼女は日課として重ねてきた。歌い出しの旋律を演目の間で揃える曲もあり、耳の早い客は最初の一節で曲名を言い当てる。強い発声を重ねた時期には声の出ない期間が訪れ、語りに近い抑揚で押し通す歌い方は、その時期をしのぐ工夫から生まれている。休養の判断も下手な彼女は、治りかけの喉を抱えたまま舞台へ戻る夜も重ねてきた。
舞台運営
演奏の主軸に据えられるのは手を加え続けてきた電子ハープで、脇を固める打楽器は廃材から組み上げたものであり、音響装置にも改造の手が入っている。既製品は必ず自分の手で分解し、配線を繋ぎ直して予想外の音が出る細工を施してから使っており、演奏中の機材トラブルは、故障の音ごと即興で曲に取り込まれていく。廃材の楽器が本番の途中で砕けた夜を境に予備の一式を船へ積む習慣が加わり、会場へ入って最初に確かめる項目にも、電源の容量が並ぶようになった。供給の細い会場へは船から発電機ごと運び込み、設営の担当とは合図の取り決めだけを済ませ、細かな段取りは本番の流れへ委ねてしまう。曲順は客席の反応を見ながら本番中に決まるため、共演者も設営の担当も確定を待たされる格好になる。同じ曲でも歌詞もアレンジも公演ごとに変わるせいで、録音された音源と聴き比べれば別物に仕上がる夜も多い。壇上では跳ね回って機材を蹴飛ばし、時には客席に飛び込むほどで、正確さを二の次に回して瞬間の衝動を優先する姿勢が、熱狂的な支持を集めている。蹴り壊した機材の弁償と修理は公演のたびに積み上がり、巡業の移動を夜行便で削る遣り繰りが続く。終演後の撤収は誰より早く、機材を畳んだ彼女は、客の列が捌ける前に裏口から船へ戻っていく。
立体制作
歌へ軸を移した後も、シーナは街頭のゲリラアートを手放していない。素材の調達は解体場や廃船置き場を巡る拾い集めから始まり、錆びた部材の断面や捻れた配管を、形のまま作品へ組み込んでいく。加工の手数を抑えて原形を残す流儀のため、拾った時点での歪みや焼けた色味が、そのまま作品の顔になった。骨組みを廃材で立ち上げたうえから立体映像を重ねる手法が定番で、実体の重さと投影された像の軽さが噛み合う瞬間を、彼女は狙って作る。設置場所の選び方にも癖があり、人通りの多い広場より、朽ちかけた区画や打ち捨てられた船渠が選ばれた。骨組みの運搬から据え付けまでを一人で片付けるせいで、設置は夜通しの作業へもつれ込む。舞台装置として組む場合は寸法と搬入の都合が先に立つため、街頭で通す無茶な構造は削られた。その窮屈さを埋める目的で、彼女は公演の合間に単独の設置を続けており、許可を取らずに置いた作品が撤去された回数も数え切れない。撤去された部材を回収して次の作品へ回す循環まで、本人の中では制作の一部に数えられている。題材は権力の腐敗で一貫しており、歌詞で書き切れなかった一節が、そのまま立体の形を取って現れる夜もある。
内面
業界の洗礼
歌い手の集まる交流会に一度だけ顔を出した経験が、シーナの胸には棘として刺さったままになっている。会場へ足を向けた理由は同じ道を歩く相手と言葉を交わせる期待にあり、順番を待つ間の挨拶からして、廃材の楽器を見た相手の口の端は歪んでいた。壇上へ立った彼女の歌が半ばへ差しかかると、客席からは失笑が漏れ、鼻で笑う音が前列から届いた。業界の者と見える男はにたついた顔で調子を茶化し、別の一人は呆れ顔のまま、『誰か、この子を助けてあげて』と声を投げている。歌い終えた彼女のもとへ寄ってきた素性の知れぬプロデューサーは、馬鹿にした調子で、『じゃあ俺がプロデュースしてあげようか』と持ちかけた。差し出された手を払いのけた彼女は腹の底から声を張り上げており、会場の全員へ届く音量で言葉を叩き返した。楽器を担いで会場を出る背中へ笑い声がもう一度追いかけ、船の扉を閉めた後も怒りは収まらず、彼女は朝まで弦を張り替え続けた。その夜に書き上がった曲は今も演目の要であり、彼女は同じ集まりへ二度と足を運んでいない。
同じ扱いは、あの一夜に限った話でもなかった。名の通った歌手へ共作を申し出た折には、『眼中にない』という一言だけが返され、以後は挨拶すら受け取ってもらえていない。年を跨いで顔を合わせた際、あの時の交流が種になった作品だと告げて一曲を突きつけたところ、相手の口から出たのは『怖っ……呪いかな?』の一言である。自分の作品について語り始めた途端、相手が興味を見せずに別の話題へ滑らせる場面も数えきれず、胸へ溜まった澱は言葉にならないまま残った。作品の名は伏せたまま、あれには関わらないでおこう、見に行くつもりもない、と本人の耳へ届く場所で言い交わす者もいた。どの一作を指しているかは、その場にいた誰にとっても明らかであった。相手の仕事へ敬意を払い、時間を割いて聴いて感想を渡しても、同じものが返ってくる機会は殆ど訪れなかった。差し出した手が空を切る経験が積み重なるにつれ、彼女は敬意を先に渡す相手を選ぶようになっている。あの日の失笑を思い出すたび、彼女の指は弦を強く押さえ込み、声の圧が一段上がった。
軽んじられる日々
舞台裏で待っているのは同業者からの軽い扱いで、音合わせの順番を後へ回され、音響装置の割り当てを削られ、廃材の楽器を鼻で笑われる場面も重なった。歌の中身に触れないまま父の肩書きばかりを話題にする相手には、名刺を受け取らないまま背を向ける。序列の札を見て値踏みしてくる学生の前でも表情は崩さず、船へ戻ってから壁を殴る形で怒りを処理する。怒りを人前へ出す道を避けるのは泣き言を聞かせた相手に借りを作る感覚を嫌うためで、船の壁に残る拳の跡と塗り直しの厚みだけが、夜の数を記録している。堪えるのは客が離れていく夜で、曲の途中で背を向けた通行人の数を数えながら、彼女は最後まで歌い切った。悔しさを書き付けた紙は棚の奥へ仕舞われており、時を置いてから歌詞の材料として引き出される。伸び悩む時期の長さが焦りへ変わった夜には、稽古の手を止めて甲板に座り込み、星団の端で朽ちる廃材と自分を並べて眺めた。それでも翌朝には工具を握り直しており、作業台を離れるのは空が白んだ後になっている。
共同制作の顛末
組む相手に恵まれない年月が、シーナの人間関係を幾度も壊してきた。星間旅行の時期に路上で組んだ最初の相方は、稽古に姿を見せず、機材の負担も渋ったうえ、徹夜で組み上げた楽器を壊したまま次の街へ消えている。次に迎えたメンバーは返答も稽古も投げやりでありながら、自分の気に入らない一点には強い口調で抗議を寄越した。落としどころを幾つも示した末に態度が変わらないまま日が過ぎ、彼女は最後の会合で声を荒らげ、関係を断ち切っている。自作の宣伝だけを狙って参加を申し出た者は、名を連ねた後の作業に一切手をつけず、外から拾ってきた揉め事ばかりを持ち込んだ。その相手は詫びの一言も残さずに姿を消し、連絡の手段だけが宙に浮いた。内部で温めていた企画案を勝手に持ち出し、自分の一座の成果として発表した者もいる。詰め寄って謝罪は取り付けたものの、当人は稽古へ顔を出さぬままで、合理性を欠いた頭数を抱える理由もなく、彼女は名簿から線を引いた。
防衛線の構築
人間不信が決定的になった一件は、熱心な聴き手から参加者へ転じた相手が引き起こした。不満を抱えた当人は面と向かった協議を避け、外へ愚痴を撒き散らした末に、取り決めの記録ごと痕跡を消して行方をくらませている。後日、話し合いと称して再び接触してきた相手が送りつけてきたのは、謝罪の体裁を借りて自らの行いを正当化する上から目線の『怪文書』であった。読み終えた彼女は怒りの返答を叩きつけ、紙のほうは破り捨てている。荒れた数日が過ぎた後に残ったのは、相手を選ばずに門を開け放ってきた自分の甘さへの呪詛であった。世の大人たちが常識を手放さず、組む相手を念入りに見定める理由も、痛い目を重ねた末にようやく腑に落ちている。枠を嫌って生きてきた人間が、枠のない場所では自分の自由ごと踏み荒らされると学んだ格好である。以後は取り決めの文面を徹底して固める方向へ舵を切り、押しつけられる規則を蹴散らしてきた当人が、今度は条文を起草する側へ回った。稽古の頻度も、成果物の扱いも、離脱の手順まで規約へ書き込み、口約束の余地を残さない体制を組み上げている。療養を経て活動を立て直した後も、返答と稽古を放置したまま在籍だけを続けた者は、この規約に沿って淡々と外された。買い付けた術式素材と量産の音源を並べて自作と称する相手には、自ら身を引ける逃げ道を先に用意したうえで、選択を迫る形で引導を渡している。
居場所(遊理部)
星団を渡り歩いた末に、シーナが荷を解いて居着いた先は、学園でも
指折りの問題児が集う部室であった。
門を叩いた理由
遊理部の門を叩いたのは、シーナ自身の決断である。業界の交流会で廃材の楽器を笑われた歌い手は、部室の敷居をまたいだ初日に、ガラクタの山から工具を掘り出す部員たちの輪に迎えられ、楽器の配線を覗き込まれては改造の案を次々と押しつけられた。笑いの種だった持ち物が、ここでは話の種に変わる。共同制作で彼女をすり減らしたのは、稽古を怠る相方や企画を持ち出す参加者が、一方的に背負わせた負担であった。部長の企画に巻き込まれる苦労も体力を削る点は同じでありながら、爆発の現場へ真っ先に飛び込む役を買って出るのは、毎回彼女のほうである。謝罪の体裁を借りた怪文書に懲りた身には、爆発させる意図を最初から公言して実験に取りかかる部長の混沌が、裏を読む手間を省いてくれる潔さとして受け止められた。昇格の審査も、父の肩書きで値踏みされ続けた歌い手の目には新鮮に映っている。部長を楽しませれば番号が手に入る基準のもとで、大統領令嬢の看板は、部室のガラクタの山に紛れて値札を失った。規格外の人間ばかりが並ぶ部屋の中で、彼女の奇抜さは、ようやく平均値の一つに収まっている。
非常識の美学
シーナが部長に心を許した決め手は、暴れた分の報いを自分の肩で受け止める、部長の後ろ姿にあった。共同制作で出会った者たちは、揉め事を持ち込んだまま連絡を絶ち、あるいは謝罪の体裁で自分の行いを正当化して、責任の所在を最後まで宙に浮かせてきた。部長の流儀は正反対で、実験が部室を吹き飛ばせば真っ先に名乗り出て、風紀委員に引き立てられる列の先頭を歩く。懲罰独居房へ向かう足取りは軽く、戻った翌日には次の企画書が机に広げられている。始末書の署名欄に並ぶのは、毎回部長自身の名前である。部員に手を出した相手が現れた折にも、部長は自ら出向いて決着をつけた。常識の側から見れば迷惑の塊でありながら、壊した物の責任を自分で引き取る一線だけは、騒ぎの大きさに関わりなく守り通されている。シーナが自分の活動に引いた線も、筋を通すかどうかの一点で相手を選ぶための物差しであった。非常識を貫きながら筋だけは真っ直ぐに通す人間を、彼女は部長の中に初めて見つけている。独居房から戻った部長の打ち身を見るたび、シーナは文句を並べながら、船倉の保存食を差し入れの袋に一つ多く詰め込む。
怪人の本領
部室でのシーナは、問題児の集団の中でも遠慮を捨てた側の怪人に数えられている。出奔の頃に議会を騒がせた気性は、療養と規約の下で鳴りを潜めた時期を経て、部室の騒音に触れて息を吹き返した。部長が持ち込む危険遊戯には、試遊の前に雷の術式を仕込んで危険度を一段引き上げ、止めに入る収拾役の顔を見て満足げに笑う。爆発した実験の残骸は彼女にとって上等な素材で、焦げた部品を拾い集めては、翌週の路上公演で鳴らす打楽器に組み替えている。部室の壁には無許可のホログラムの落書きが重ねられ、風紀委員の点検が入るたびに消された図柄は、翌朝になると別の絵柄で戻ってくる。外の世界に向けては条文で身を固める彼女も、部員を相手にする場面で、規約の控えは船の棚に置かれたままになっている。条文は信用の置けない相手と渡り合うための鎧であり、同じ爆発に巻き込まれた仲間の前では、着込む理由が消えていた。公演の告知を部の掲示板に貼る時も、宣伝文の横に部長の落書きが勝手に書き加えられ、彼女は落書きごと刷り直して街角に貼り出している。
外面
気質
その気性は、押しつけられた規則も世間の常識も蹴散らして進む奔放さに、他人を傷つける場面を必要最小限に抑える義理堅さが同居したものである。ただし常識の全てを敵と見なすわけでもなく、手順や約束の類が何を守るために置かれたかを吟味したうえで、納得した決まりであれば誰より律儀に守る。自由を掲げる者ほど自分で引いた線を厳しく管理する必要がある、というのが痛い目を重ねた末の持論であった。初対面の相手の懐にも平然と踏み込む一方、核心に触れる手前で足を止める距離感を、彼女は心得ている。弱者を嘲る者には真っ向から牙を剥き、本気で向かってくる相手には得物を選ばず全力で応じる。権威の前でも頭は高いままで、損得勘定で動く人間を嫌う彼女は、筋の曲がった要求であれば相手が誰であれ突っぱねる。筋を通した相手の頼みであれば自分の予定を崩してでも引き受け、取り繕う言葉を並べる相手の前では、話を途中で打ち切ってしまう。肩書きのある相手からの忠告は反射で撥ねつける癖があるものの、中身の正しさを認めた後は日を置かずに詫びを入れ、忠告の主へ結果を見せに行く。感情の出し方は直截で、怒れば声を荒らげ、嬉しければ全身で跳ねるものの、落ち込んだ日は一人で静かに沈む。些細な行き違いであれば翌日には自分の中で片付いているものの、筋を違えた相手への怒りは年を跨いでも薄れず、胸の奥で燻り続ける。
新人の扱い
稽古に足を運ぶ相手であれば、実力が及ばずともシーナは見捨てず、前座を任された新人には自分の持ち時間を分けてやる。音響装置の扱いを仕込んでから舞台へ送り出し、楽器を壊して途方に暮れる者には、船の廃材から代わりの一台を組んで渡す。音の落ちた夜の心細さを知る彼女にとって、同じ目に遭う演者を見過ごす選択はありえない。ただし肩入れの条件は手を動かした分量で決まり、対価となる成果を持たぬまま対等の席だけを求める相手には、一切の温度を向けない。名を連ねた分の働きを示すまで発言の重みは等しくならず、その線引きを情で曲げてやる素振りも見せなかった。新人へ渡す助言の中身は場数の作り方へ寄っており、路上の場所取りの順番や通報を避ける音量の目安を、彼女は自分の失敗ごと伝えた。稽古の場として船の甲板を開ける日もあり、集まった面々は機材の運搬を手伝ってから帰っていく。見込みのある相手には興行の担当を引き合わせるものの、口利きの事実は本人へ伏せたままにしている。励ます言葉の方は下手で、曲の粗い箇所を容赦なく並べ立てては相手を沈ませ、その後で自分の失敗談を持ち出し、結局その日の食事代まで出してしまう。歌が伸びずに苦しむ段階を彼女自身が抜け切らぬまま、基礎の教本を人目を避けて開く夜も続いており、同じ坂を登る相手への肩入れは、そのまま自分への発破になっている。
日課
重い廃材を担いで足場の悪い現場を渡り歩くには相応の体力が要り、腹筋の割れるまで鍛えた身体は、廃墟の壁から宇宙船の外板までを画布にする彼女にとって創作の基盤にあたる。スタジオ船での過激なトレーニングを、本人は自由を縛る枷を壊すための儀式と言い表しており、鍛え上げた筋肉は彼女自身の誇りでもある。趣味の筆頭は宇宙船のカスタムで、ヴィンテージの電子ハープを爪弾く時間のほか、ガラクタ集めに射撃の練習を加え、アーツの鍛錬まで詰め込んだ日課が続く。アーツの鍛錬は媒介エネルギーの確保から始まり、術式ごとに必要な資材を、彼女は船倉から先に運び出す。起床の時刻は公演の有無で大きく動き、巡業の合間には昼過ぎまで寝台に沈む日もある。船の整備も自分の手で行うせいで、配線の束を組み替えるたびに新しい工具が棚へ増えていく。ペンキ缶の山を縫って電飾の配線が走り、拾い集めたガラクタの隙間にはアーツ装置が据えられ、船室は星団一の混沌を誇るアトリエに変わった。食事は作業の片手間に済ませる質で、船倉の隅には手つかずの保存食が積まれたままになっている。片付けは後回しのままで、作りかけの作品が通路を塞ぎ、部品の捜索に半日を潰す日も珍しくはない。
素の姿
短く切り揃えた金髪と、その一房だけを三色に染め分けた前髪が、彼女を遠目から見分ける目印になっている。染料は公演のたびに自分の手で入れ直され、境目が滲んだ箇所は鏡の前で丁寧に整えられた。造形の作業に向かう間は前髪を後ろへ撫でつけており、染め分けた一房に塗料が移るのを防ぐ。緑の瞳に口角の吊り上がった笑みが重なる顔立ちは、初対面の相手に与える威圧の大半を占める。普段着の色数は少なく、黒の上衣に暗色のズボンを合わせる形が定番で、裾から膝にかけて裂けた箇所は、裂け目ごと着続けている。市販品を裁ち直したものが大半で、作業中に跳ねた塗料の跡も、意匠の一部として残されている。爪の隙間へ入り込んだ塗料だけは頑固に居座り、本番の前には決まって長い時間が手洗いに費やされた。袖なしの一着で通していた頃に比べ、袖付きの上衣を羽織る日も増えたものの、服を選ぶ基準は動きやすさで一貫している。腕の太さが人目を引く点については、本人も承知のうえである。実家へ戻る回数は年に数えるほどで、滞在の間は庭の手伝いに時間の大半を充てている。行く先々で植物の種を蒔く癖も、その庭で過ごした時間の中で身に染みついた。スタジオ船の甲板にも、廃材の容器を転用した鉢が幾つも並び、寄港先で拾った種が芽を出す時を待っている。私怨の混じった歌詞に気づいた朝は書き損じの束へ紙を放り込むものの、翌日には新しい紙を広げている。夢は世界をアートで埋め尽くし、大切な者との絆を作品に刻むことにある。
人間関係
父は、シーナへ最初に技を授けた相手であり、最も長く噛みついてきた相手でもある。射撃の手ほどきを受けた幼い日から、二人の距離は的の数だけ縮まった。政策を皮肉る作品を突きつけられた父が声を荒らげても、娘の側は言葉を選ばずに撃ち返し、議論は双方の主張が出尽くすまで転がっていく。大統領の娘という看板を拒み続ける姿勢も、父の大きさを裏返した形で成り立っている。公演へ足を運ぶ機会を父は作れずにいるものの、警備の名目で人を寄越した事実は見抜かれており、送り込まれた係官には客席の最後列が指定された。肩書きを持ち出す相手を嫌う癖は、父の名だけで娘を語る連中と顔を合わせ続けた年月から育っている。幼い日にからかいの種となった父のミームは今も曲の合間の軽口へ流用され、客席の笑いが起きるたび胸の内で溜飲が下げられた。父の激怒が報じられた回ほど公演の客足が伸びる皮肉についても、承知のうえで題材は選ばれ続けている。
母は、シーナが進路を決める場面で背を押してきた相手であり、名門校を離れる決断も留学先を選んだ判断も、母の一言が引き金となっている。娘の起こす騒ぎに対して母が見せる反応は笑いで、父が頭を抱える隣で肩を震わせる姿が定番となっており、嘆きの声は笑いに紛れて消えた。古代文献の物語を通じて渡された題材は今も歌詞の底に残り、静かな曲を書く夜には、母の朗読の調子が思い出される。庭仕事の手伝いに帰る日は作業着のまま実家の門をくぐり、土を扱う手つきの粗さを母から笑われた。褒め言葉を母が口にするのは稀で、新しい曲を聴いた後に庭の花を一輪持たせる仕草が、その代わりを務めている。母の仕立てた知的な環境で過ごした時間は、歌詞へ古い言い回しを混ぜる癖として残った。留学の手配で母が裏から動いた事実を後から知った娘の側は、口で礼を述べる代わりに、次の公演の招待状を送っている。
母方の祖母にあたる相手は、シーナにとって家族である以上に、連邦圏の象徴として仰ぐ存在である。顔を合わせる機会は式典や行事の合間へ限られ、私室で言葉を交わす時間などは殆ど残らない。冷血母公の異名で政界を震え上がらせる人物を、孫娘は「
焼きそばパンの覇者」と呼んで畏敬しており、言い訳の類は口に出す前から見抜かれると諦めている。父がいたぶられる場面に居合わせた時も、助け舟を出さずに菓子を食べながら眺めていたため、後で恨み言を聞かされた。権力の腐敗を題材に選ぶ姿勢について、アリウスは止める言葉を一度も口にしておらず、その沈黙を孫娘は許可として受け取っている。止めれば守れる立場にありながら、あえて止めずに置く判断そのものが、祖母なりの愛情の形であった。公演の音源を取り寄せていた事実も、随行の者の口から後になって知らされている。行事の席で向けられた短い一瞥だけを土産に、その日の帰路で歌詞は書き上げられた。
部長は、学園祭の評判を聞きつけてシーナへ近づいてきた相手である。初対面の場で交わした言葉は少なく、互いの持ち物を見た時点で話が通じてしまった。番号入りの名札を渡した張本人であり、他人の企画へ予算と規模を勝手に上乗せする癖でも知られる。廃材の舞台装置を組む作業に部長が加われば、完成形は当初の図面から遠く離れた代物に化け、撤収の手間は倍へ膨らんだ。部の財政は悪党から取り立てた制裁金に支えられており、加入の後は公演の売上の一部も部費として納められている。危険遊戯の誘いを断る場面はまれで、断った時には別の遊びが即座に差し出されるため、結局は二つとも引き受ける羽目になる。公演の日に部長が客席で暴れた一件以来、その席は舞台の袖へ移され、機材の番を頼む形で場が収められた。思いつきに巻き込まれた回数は加入から日が浅いにもかかわらず数え切れず、船の甲板が実験の舞台へ化けた夜も重なっている。危険な企画の後始末を二人で分け合う時間は、留学先で最も気の抜ける時間となった。部長が歌の感想を述べる機会は稀で、代わりに次の遊びの図面が机へ置かれる。
同じ部の後輩は、シーナが加入から日の浅い時期に設営の人手を頼んだ相手である。廃材を運ぶ手順の飲み込みが早く、警備の巡回の周期を読む勘に助けられた場面も重なっている。声量の大きさを苦手とする耳は気にかけられており、本番の前には壁際の椅子を勧めて機材から遠ざけた。撤収の速さについては教えを乞う立場が逆転し、逃げ道の作り方を聞き出しては自分の段取りへ組み込んでいく。シーナは部内の流儀のまま怪人の番号で後輩を呼んでおり、呼びかけから返事までには、毎回わずかな間が挟まる。手伝いを頼んだ翌日には、礼の代わりとして船の廃材で組んだ小物が渡された。部の備品を巡って風紀委員と揉めた折には、二人で逃走の経路を先に決めてから交渉の席へ臨んでいる。後輩が積み上げる白い塔(スノータワー)を舞台装置へ借りる相談も持ちかけられており、返事の歯切れはいつも悪いままである。塔が暴発した現場を片付けた経験から、限度を示す合図を読む目も短い期間のうちに養われた。
客席がまばらだった時期から通い続けた常連を、シーナは誰より大切に扱っている。鎧姿の元帥が最前列で身じろぎもせずに聴き終えた夜は、自分の転機として数えられた。見舞いの客が一人また一人と途絶えていく療養の日々に、最後まで扉を叩き続けたのがこの元帥で、差し入れの包みを置いた後に尋ねたのは、容体ではなく次の公演の日取りである。折れかけた心が再び繋がったのはその瞬間で、退院の翌週には新しい歌詞が書き上がった。公演の日程が決まれば真っ先に知らせが飛び、会場の床が鳴らずに済む位置へ席を確保する段取りも定着している。権力の腐敗を題材に選ぶ曲では実務の側からの助言を仰ぎ、詰めの甘い一節を書き直した回数も重なった。父の立場が元帥の国を揺さぶった経緯を知った時には言葉に詰まったものの、返ってきた軽口に救われている。物販の列へ鎧のまま並んだ一件は語り草となり、以後は開演前に品を取り置く手配が続いた。初めて感想を書いた紙は楽譜の束へ挟まれ、今も同じ場所へ残されている。
同じ部の留学生は、シーナにとって騒がしさの外側で言葉を交わせる相手である。本を開く留学生の隣へ、楽器を抱えたまま腰を下ろす日もある。観察の目が鋭く、歌詞の筋の食い違いや前の公演との差を淡々と指摘されるため、書き直しの材料はこの相手から届くことが多い。差し入れの菓子は中身の見た目を笑われながら平らげられ、翌週には船の棚から拾った部品が礼として返された。加入から間もない時期に静かな曲の感想を寄越したのもこの相手で、演目へ加える判断はその一言で決まっている。表情の動きが薄い分だけ、こぼれた一言の重さは信用されており、公演後の批評を聞くために楽屋へ呼び込む機会が増えた。騒ぎの後始末で組む場面も多く、報告書の下書きが相手の手から出てくる速さには舌を巻いている。公演の準備で張り詰めた日には、淹れてもらった茶を無言で受け取って呼吸を整えた。見立ての正確さを買っているため、迷った選曲を相談する相手も決まってこの留学生になる。同じ留学生の立場で国を離れた経緯を持つ点も、距離の縮まった一因であった。
特訓の相手を務める友人とは、互いの出力を煽り合う間柄にある。雷と風をぶつけ合う夜は甲板の塗装ごと吹き飛び、翌朝の塗り直しまでが二人の恒例となった。勝ち負けの決着を持ち越したまま次の稽古へ移る癖があり、記録は宙に浮いたままである。公演の出来に納得がいかずシーナが塞ぎ込んだ折は、この友人が船へ押しかけ、歌の話題を一切出さずに腕相撲へ付き合わせた。公演の会場では警備の薄い区画に立ってくれる頼もしさがあり、酔った客が舞台へ上がろうとした場面では、歌い終えるまで静かに押し戻している。褒め言葉を交わす習慣は互いに薄く、称賛の代わりに次の特訓の日取りが決まっていく。分野が離れている分、遠慮の薄い言葉が飛び交う間柄になっており、歌の出来を貶されても腹は立てられずに聞き流された。打ち上げで酒を競った翌朝は、二人揃って甲板で昼過ぎまで伸びていた。歌の稽古へ付き合わせた見返りとして、風の術式の的役は引き受けられている。
主な代表作
- 星嵐の協奏曲:出奔期に入り、星間旅行で星団の各地を渡り歩いていた頃に書かれた一曲である。
- 銀河裂光:出奔期の終わりに差しかかった頃、留学に発つ前のスタジオ船の中で書き上げられた。
- 焔の叫び:留学の初期にあたり、活動の軸を造形から歌に移した頃の作である。
- イノチの川のささやき:留学期のうち、臥床に至る前に首都の街角で路上公演を重ねていた時期に書かれている。
- その渇きは誰のものだ:復帰期の作であり、退院の直後に草稿が仕上がった、療養明けで最初の曲である。
- 血の民の誓い:復帰期に入ってから、声を取り戻す稽古と並行して書き進められた。
戦闘能力
シーナが交戦に臨む構えは、作品を仕上げる段取りと地続きになっている。
素養
学園序列の評定でシーナへ与えられた位は、ミッテル・アソシエーター(M.A./参考偏差55)である。審査には学業の成績まで含まれるため、実戦の力量に限って測れば、グランド・マスター(G.M.)に迫ると評された。主軸に据えるのは雷属性(
ブリッツ)で、独学で修めた電気工学の知識が、唱えた瞬間の感電を避ける手綱になっている。召属性(
インヴィーターレ)を除く六属性を戦況ごとに切り替えていく戦い方は、ホログラムシートを張り替える速さの上に成り立つ。術式を重ねれば体が悲鳴を上げるものの、負担を承知のうえで彼女は切り替えを止めない。この負荷を受け止める土台となるのが、廃材を担ぎ続けて鍛え上げた肉体である。割れた腹筋と太い前腕が反動を吸収するおかげで、術式の展開中も体幹がぶれずに済む。組み付かれた局面では術式を捨てて力任せに投げ飛ばし、体格で上回る相手であろうと腕の力だけで引き剥がした。上位存在と交わす重い契約を自由の敵とみなす彼女は、召属性の習得を拒み続けている。
シーナが用いる射撃体系の源は、
ヒュプノクラシアの時代まで遡る。照準の技術や弾道の計算に代えて、射手の内なる衝動を弾丸へ乗せる技法を核とし、標的を捉えたと感じた瞬間に引き金を引く。直感に重きを置いて本能を信じる射撃思想が規律を嫌う気質に噛み合い、この古い技法は我流のまま磨き上げられた。標的を「感じる」ものと言い表す彼女いわく、弾道は身体感覚だけで描かれ、引き金を引く前に着弾点が視えているという。愛用するカスタム光子ブラスターには、ペンキ弾と実弾を切り替える機構を組み込み、戦場へ色彩を叩き込んできた。銃身の重さは通常の射手が両手で支える水準にあるものの、鍛えた前腕が反動を押さえ込むため、片手で構えたままの連射も成り立つ。走りながら撃つ間も上体は揺れず、着弾の散りは腕の力で抑え込まれた。雷を纏わせた弾丸で敵を仕留めた直後にはシートを張り替え、春属性(
プリマヴェーラ)の風で外れ弾の軌道を捻じ曲げる。包囲された局面なら夏属性(
エスターテ)の熱波を撒いて距離を稼ぎ、狙撃に専念したい場面では冬属性(
インヴェルノ)の冷気で周囲の動きを鈍らせた。秋属性(
ヴェシュタ)の回復術式が戦闘中の負傷を最小限に抑え、心属性(
プシュケー)の音で敵の認識を揺さぶれば、引き金を引く判断は一拍遅れる。
接近戦でシーナが手にするのは、巨大なカスタム振動大剣「アストラル・クレイヨン」である。光子回路を内蔵した刀身に雷の放電を纏わせた一振りが、敵の装甲を貫く破壊力を生む。刃の重量は成人の体重に迫り、扱える者の限られる代物を、彼女は膂力にアーツの補助を上乗せして片腕でも振り回す。斬るより叩き潰す軌道を選ぶ場面も多く、受けに回った敵は武器ごと吹き飛ばされて体勢を崩した。雷属性を核に他の属性を即興で差し挟む太刀筋のため、相手は次の一手を読み当てる間もなく攻め筋の変化を浴びる。属性を扱う感覚について、彼女は刃へ「染み込ませる」ものに近いと語る。一枚のシートで起こした現象の名残を刀身に留めたまま次のシートを書き上げると、帯電の残る刃に夏の熱が乗り、灼けた刀身が触れた箇所を焼き切る。余波で周囲の電子機器を狂わせる一撃を放ちながら、懐へ入った敵の足元は春の気流に掬われて崩れた。斬撃の軌跡に沿って走る冬の冷気は敵を凍えさせて動きだけを封じ、刀身から放つホログラムの幻影が目を欺いた隙に、本命の一閃が急所を捉える。クレヨンの名を与えた大剣を、彼女は戦場へ自由を描き出す画材として握っている。
弱点
攻め手の幅を切り替えの速さ一本で支える構えは、そのまま彼女の隙にもなっている。魔導法具を持たない以上、二つの言語コードが同時に走る場面は訪れず、シートを張り替える間隙を手数で埋められれば即興の幅ごと封じられた。次の属性を読み当ててくる相手の前では、手の内を先回りされて組み立てが崩れる。媒介エネルギーの条件も足枷で、大気の組成が痩せた密閉区画や人工空間へ引きずり込まれた場合、六属性の使い分けという最大の武器が働かなくなる。負荷を承知で切り替えを重ねる性分は長期戦で裏目に回り、勝ち切った直後に膝をつく場面も珍しくはない。秋属性の回復は応急の域を出ないため、深手を負った後に自力で立て直す手段は薄いままである。契約を嫌って召属性を退けた判断も、現実改変にあたる事象と相対する局面では代償として現れ、心属性で認識を保つ程度が精一杯となる。挑発に乗って踏み込みが浅くなる悪癖も抜けておらず、事前に確かめたはずの周囲の条件を、頭に血が上った彼女は勘定から落としてしまう。
語録
「その荷物、持ち手のほうが先に折れる。貸して、結び直すから」
乗り換えの通路で紐の緩んだ鞄を抱える旅客へ、すれ違いざまに声をかけて。
「誕生日? おめでとう。ろうそくの数だけ、燃やしたい書類があるって顔してる」
祝いの席で浮かない顔をしていた年長の知人へ、蝋燭を数えながら。
「寝てないだろ。目の下、あたしと同じ色になってる」
試験前の徹夜を重ねた同期を廊下で捕まえ、顔を覗き込んで。
「その扉、蝶番の鳴き方が変わった。三日のうちに落ちるから、下に立つのはやめておけ」
滞在先の宿で扉の軋みを聞き分け、管理人へ忠告して。
「壁に向かって二時間叫んでたら、壁のほうが先に音を上げた。石膏だったけど」
部屋の壁に穴を空けた理由を問われ、悪びれずに答えて。
「その計算、三回やり直して合わないなら、たぶん問題文のほうが間違ってる」
課題に詰まって泣きそうな下級生の手元を覗き込み、答案を横から指して。
「歌詞が降りてこない日は、紙を天井に貼る。落ちてくるまで寝転がってるだけ」
行き詰まった時の対処法を訊かれ、真顔で説明した際の返答。
「知らない街で最初にやることは、宿探しじゃなくて、非常口の位置の確認」
初めての街で浮かれる連れへ、荷を下ろす前に釘を刺して。
「あたしの雷、機嫌がある。今日はへそを曲げてるから、素手でいく」
術式の調子を尋ねられ、袖をまくりながら。
「並んでまで食べる味か? ……まあ、並ぶけど」
行列の絶えない屋台の前で文句を言いつつ、最後尾へ回って。
「先に折れたほうが偉いって話じゃない。折れる順番が決まってるだけだ」
揉め事の仲裁を頼まれ、双方の言い分を聞き終えてから。
「女に見えない? 見ろ、この腕。乙女の腕だ。……瓶の蓋、開ける前に言ってくれ」
手渡された瓶の蓋を握り潰した直後、真顔で。
エピソード
- 寮の端末で自分の名を検索したところ、上位の記事が全て父で埋まっていた。端末を蹴り飛ばし、弁償した。
- 学園祭の抽選会で司会を任され、当選番号を全て歌で発表する。客席が聞き取れたのは桁数だけで、抽選はやり直しとなった。
- 腕相撲の勝ち抜き戦に飛び入りし、上級生十人を順に沈めたうえ、最後は机の天板を割って終わらせた。以後、同じ卓で彼女に挑む者は現れていない。
- 深夜の食堂で残り物の配分を巡って揉めた学生たちの仲裁に入り、全員分を炒め直して出した。味の評判が広まり、以後は調理場への出入りを禁じられる。
- 転移者の古書で覚えた日本語を使って案内所で道を尋ねたところ、言い回しが古めかしい文語だったため、係員に時代劇の撮影と勘違いされた。案内図の代わりに渡されたのは、撮影許可の申請窓口の地図である。
- 寮の中庭の植え込みから豆の蔓が柵を越えて伸び始め、園芸部の調べで、種を蒔いた本人として彼女が特定された。収穫期まで水やり当番を務めさせられ、実った豆は寮の同期に配り歩いている。
- 地下の資材置き場で迷った新入生を助け出した際、帰り道で自分も迷った。二人で朝まで座り込み、救助側の到着を待つ羽目に。
- 握手を求めてきた興行の担当が、握り返された手の万力ぶりに悲鳴を上げた。以後その担当は、彼女の前で両手を背中へ隠すようになる。
- 偽名で出場した路上の歌合戦で優勝を攫い、賞品の食券をその場の全員へ配って消えた。正体は今も特定されていない。
- 乗り合いの連絡船で機関の不調に立ち会い、工具を借りて配線を直してしまった。船長から乗船券を生涯無料にすると告げられ、丁重に断っている。
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最終更新:2026年10月05日 01:58