絶対王政

絶対王政

絶対王政(Absolutism)は、16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで広がった政治体制で、国王が絶対的な権力を持ち、国家の全ての政策を決定する仕組みです。
この制度は封建制度の崩壊と近代国家の形成過程で生まれました。


概要

絶対王政の特徴
1. 中央集権化
  • 国王がすべての権力を掌握し、立法・行政・司法を一手に担いました
  • 地方の封建貴族や教会の権力を抑え、官僚制や常備軍を整備して統治を行いました
2. 官僚制と常備軍
  • 国王を補佐するための官僚組織が整備され、貴族や新興市民階級から人材が登用されました
  • 常備軍は平時でも維持され、国王が自由に使用できる軍事力として機能しました
3. 王権神授説
  • 国王の権力は神から授けられたものであり、神聖不可侵であるとする理論(王権神授説)によって正当化されました
  • この理論はフランスの神学者ジャック=ベニーニュ・ボシュエによって体系化され、ルイ14世などがこれを用いました
4. 重商主義政策
  • 経済面では重商主義を採用し、輸出促進や輸入抑制、自国産業の保護を図りました
  • 植民地経営や貿易収支の黒字化を目指し、多くの戦争や競争が行われました

背景
1. 封建制度から近代国家への移行
  • 中世末期には封建制度が衰退し、地方分権的な統治から中央集権的な統治へ移行しました
  • 貴族層は経済的に衰退し、新興市民階級(ブルジョワ)が台頭する中で、国王が両者の間で権力を集中させました
2. 宗教改革と宗教戦争
  • 宗教改革による混乱や宗教戦争(例:三十年戦争)に対応するため、統一された強力な国家が必要とされました
  • 国王が宗教政策を主導することで国内秩序を維持しました
3. 経済的要因
  • 貿易や植民地経営による富の増加が国王の財政基盤を強化しました
  • 重商主義政策によって国家財政が支えられました

代表的な絶対君主とその事例
1. フランス:ルイ14世(在位1643–1715年)
  • 「太陽王」として知られ、「朕は国家なり」という言葉で絶対的な統治を象徴しました
  • ヴェルサイユ宮殿を建設し、貴族を宮廷生活に取り込むことで地方での影響力を削ぎました
2. ロシア:ピョートル1世(在位1682–1725年)
  • 西欧化政策を推進し、ロシア帝国の近代化と中央集権化を進めました
  • 軍事改革や新首都サンクトペテルブルクの建設などで絶対王政を強化しました
3. イギリス:エリザベス1世(在位1558–1603年)
  • 絶対王政的な統治を行いながらも議会とのバランスに配慮し、イギリス海軍の強化や海外進出を推進しました
  • しかし後継者時代には議会との対立が激化し、ピューリタン革命へとつながりました

絶対王政の衰退
  • 啓蒙思想家たち(例:ロックやモンテスキュー)の影響で、市民社会や民主主義への志向が高まりました
  • フランス革命(1789年)などによって絶対王政は大きく揺らぎ、多くの国で立憲君主制や共和制へ移行しました
現代との関連性
現在ではほとんど廃止されていますが、一部の国(例:サウジアラビア、オマーンなど)では名残として絶対君主制が存在しています。

絶対王政は封建社会から近代国家への過渡期における重要な政治体制であり、その影響は後世にも大きく反映されています。

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最終更新:2025年01月19日 01:59