神裂と一方通行は、向かい合う。
二人の距離を阻むのは、尚も降り続ける赤い雨のみ。
一方通行「――――ぎ、ヒ」
一方通行は、笑う。犬歯を剥き出しに、頬が張り裂けるほど、大きく、禍々しく、笑う。
神裂「――――」
対する神裂は何も言わず、ただ見つめる。
目前の敵を。排除すべき敵対象を。救われるべき『だった』少年を。
神裂は知る由も無いが、一方通行の能力――『ベクトル変換』――は、既に失われていた。
今の彼には、世界を把握し演算し尽くす程の力も、それを援けてくれるモノも無い。
学園都市最強の能力者は、今や只の動く屍同然だった。
しかし神裂は、ただじっと、様子を窺うしかなかった。
例えその事実――――能力の喪失を知っていたとしても、そうする他無いだろう。
そもそも神裂は、『一方通行』を知らない。その存在、能力、何もかも。
つまり、神裂が何もせず黙ったままで一方通行を見据えているのは、その力の恐ろしさを知っている為ではなく。
ただ彼女の中の『何か』が、目の前に立ち塞がる異形に、畏れを抱いていたからだ。
何の力も持たない痩せ細った少年に。『神の使い』にすら正面切って相対した聖人が。
自ずから動きをかけられないと思う程の、畏れを抱いている。
そして数秒後に、その畏れが間違いではない事を、神裂は目の当たりにする。
一方通行「――――…………thgsllk死jhfds打js止k」
何かを、呟いた声。
『聖人』の並はずれた聴覚でなければ聞き取れないような、か細い、ノイズのような、音。
直後。
一方通行「ォ、アアアアアアアアアアアアアォォォォオオォォォォォォ!!!!!!!!!!!」
咆哮と共に。
―――――白い異形の背から、黒い異能の翼が飛び出した。
終了条件2:『一方通行』を倒す
それは、堕ちた天使のような、宵の漆黒。
黒翼は爆発的に周囲へと広がっていき、激突した物を例外無く吹き飛ばす。
強化耐震内骨格を持つ高層ビルが、まるで砂城のように崩される。
異能と呼ぶ事すらも、恐れ多い。
それは紛う事無く、神威(テンシ)にも匹する、天上の力。
ただの人間が扱うには強大過ぎる、異界の摂理。
翼は、固形として生えているのではなく、何らかの力が噴射して形作られているようだ。
黒い邪気の塊は、『天使の力(テレズマ)』と比べても何ら遜色無いほどの力に満ちていた。
まるで、己が内に溜まっていた闇を噴き出すかのように、轟々と空にうねりを作っている。
それはまるで、嵐のようだった。
全てを無に帰す、黒い、嵐。
神裂の身体が、ひとりでに打ち震える。
一方通行の力に対する畏怖から来るものではない。
その震えは、神裂自身が、その内から溢れ出さんとする力を抑え込もうとする震え。
神裂「――――ぉ」
神裂は、黒翼の威光をただ黙って見守っていた訳ではない。
それは、充填時間。
『聖人』の身体機能を目覚めさせ、己の全てを戦闘用へと造り変える為の。
腰を低く、脚を広げ、足裏で地を掴む。
体軸を固定、関節支点を意識下に、駆動系を掌握する。
眼(マナコ)は敵へ、殺気は内へ、気魂は鞘へ。
それは、居合の立ち。
―――――『唯閃』の、構え。
神裂「おおおおおおおおおオオオオオオオォォォォォォァァァァァァァァァァッ!!!!」
押し込めていた呼吸と共に、全身に溜め込んだ力を全て解放する。
全身、全霊、全速、全力の抜刀。全を一へと練り上げた、唯一至高の抜刀戦闘術、『唯閃』。
銀紅に輝る刀身は、一条の光と化して、黒翼へと襲来する。
斬、と切断音。
カタチのない力の塊である黒翼。
しかし元より『唯閃』は、『そういったモノ』を斬る事に特化した術式だ。
為す術も無く斬り落とされた黒翼は、一方通行という手綱から切り離され、霧のように空へと溶けて消えていく。
だが、落とされた翼は一枚のみ。
かの屍人の背には、まだ黒翼がもう一枚――――
一方通行「ヒ、ハ」
――――もう一枚、だけではなかった。
数十枚の黒翼が、いつの間にか、その背中から生えている。
その全てが、先ほどと同じく、触れる事すら恐ろしい程の気に満ちている。
神裂はそれを見て――――しかし何ら動揺することなく、再び刀を振るう。
神裂「ふ……ッ!」
唯閃。
更に一枚、黒翼が落とされる。
勿論、黒翼とて只斬られる為に在る訳ではない。。
一方通行「ヒヒヒハハハハハッヒハハヒアハヒハハッヒヒヒヒヒヒヒヒハハハハハハ!!!!!」
狂笑と共に、今まで一方通行の背で留まっていた黒翼が、一斉に神裂へと襲いかかった。
音速をも超えた速度で、無数に枝分かれした翼が神裂へ飛来する。
触れれば死。余波だけでも、四肢をもぎ取るには充分過ぎる。
しかし神裂は。
その音速の翼を、神速の刀を以て、凌駕する。
神裂「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッ!!!!!!」
斬。斬斬斬。斬斬斬斬斬斬斬――――。
あらゆる角度で襲いかかる黒翼を、一歩も動かないまま、全て迎え撃つ。
降り注ぐ黒槍の雨。断ち刻む銀の閃光。
舗装ごと地盤が抉れ、黒嵐の余波が街を圧し潰す。
二人の周囲の建物は、今にも全て崩れ落ちそうなほどに戦慄き、震動している。
神裂「―――――…………ッ」
神裂の口から、血が一筋、垂れ落ちた。
一度刀を振るう度、神裂の筋肉は音を立てて断裂し、骨は軋んで罅を付ける。
内臓は迫り上がって血反吐を湛え、全身の活力は段々と失せていく。
元より唯閃は、人の身には余る力を十二分に引き出し、振るう為の術式だ。
抜刀居合の形式を取っているのも、『一撃必殺』が使用の原則であり、絶対条件だという理由がある。
その唯閃を息つく暇も無い程に連発すれば、『たかが聖人』でしかない神裂の身体が崩壊するのは、当然の帰結でしかない。
『聖人』でしかない神裂と、学園都市最強最高の能力者『一方通行』との絶対格差。
それは、神裂の予感以上に大きく、圧倒的な格差であった。
黒の槍衾と、銀の弾幕。二つの力は、鬩ぎ合うように拮抗を保ち続ける。
だが、その力の主である二人は、対照的に、神裂は既に全身から血を噴き出す重傷体、一方通行はほとんど無傷である。
屍人化している一方通行は、多少の傷は瞬く間に治癒し、体力の限界も無いのだ。
時間をかければかけるだけ、神裂の勝機は限りなく小さくなっていく。
神裂「は―――――ふ……ッ!!」
一際力強く刀を振るい、迫っていた黒翼をまとめて弾き返す。
僅かに生まれたその隙に、神裂は即座に跳躍し、その場を離脱した。
これ以上、正面切ってあの翼と打ち合うのは不可能だ。
かつて、サーシャ=クロイツェフに宿った『神の力』と対峙した時と似た状況。
しかし、あの時と決定的に違うのは、この少年を『倒さなければ』、『勝てない』、ということ。
仲間を信じ、時間を稼いでいれば『勝てた』、あの時とは違う。
神裂が跳んだ直後、数瞬前まで神裂の身体があった場所は、黒翼によりその地盤ごと抉り取られ、破壊し尽くされていた。
改めて、黒翼の脅威を確認する。
アレには、欠片とて触れる事は許されない。
神裂は手近なビルの側面へと『着地』する。
だが。
神裂「く……っ!!」
その後を追いかけて、黒翼が襲い掛かる。
回避を選択した神裂に、迎撃の準備は出来ていない。
間一髪のところで、再び跳躍し、また別のビルディングへと跳び移る。
狙いを外され、ビルに打ち付けられた黒翼は、優に五十階層はあろうかというビルを呆気なく砕き折り、崩落させた。
そして尚も、獲物に喰らいつく猟犬のように、神裂を追ってくる。
神裂はビルからビルへと跳び移り、黒翼をかわし続ける。
その都度その都度、高層ビル群は積木の塔のように、叩き壊され、崩れ去っていく。
傍目からは核弾頭でも爆発したかと思われるような、膨大な量の土砂が舞い上がり、赤い水が津波のように周囲へと流れ出る。
神裂とて、ただ逃げ続けるワケではない。
ただ逃げ続けるワケにはいかないのだ。
この少年を『倒す』事が、本来の目的なのだから。
近辺のビルを粗方崩し尽くして、最後に一つ残った超高層ビルに脚を掛けた神裂は、渾身の力を込めて、上空へと跳び上がった。
一方通行の、黒い嵐の中心の、ちょうど真上に位置するように。
これでもう、後戻りはできない。
雨。赤い雨。
神裂の身体を濡らす、血のように赤い、呪の滴。
ほんの数瞬。神裂は、宙空で動きを止める。
この雨を止められるのは、この呪いを祓えるのは、きっと、『彼』だけだから。
私は此処で、命を懸けて、この異形を倒す。異形と『彼』が出会ってしまう前に。
きっと、それが、神裂火織の役割なのだろう。
そして神裂は、ウインクするように、パチリと左眼を閉じて、地上の一方通行を見定めた。
おおよそ、直上の位置へと身体を運ぶ事が出来ている。
――――あとは、墜ちるだけ。
神裂の身体が、ゆっくりと重力に流される。
下へ、下へ。諸手を挙げて待ち構える、一方通行の下へ。
ダァンッ!!と何もない空間に、地を蹴るような音が響く。
神裂は更に加速する。墜ちていく。
高度およそ三百メートル。
特殊な空間移動術を用い、『空を蹴った』神裂は、流星の如く、一方通行へと突き進む。
傍目から見ても、そのまま狙い撃ってくれと言わんばかりの、無謀な突貫。
当然、一方通行がみすみす見逃す筈も無い。
数え切れないほどの黒翼が、空中の神裂を突き殺さんと殺到する。
神裂「おおおおおおオオオオオオオオオオオオオオオォォォォォォッッッッ!!!!」
その無数の黒翼を、無限の刀閃が抑え込む。
とうに限界を迎えている神裂の身体は、その限界を超え、尚も刀を振るう。
斬り、払い、裂き、打ち、流し、いなし、薙ぎ、逸らし。
黒の嵐の中、流星は速度を落とすこともなく、ただ一直線に突き進む。
一方通行「くかきけこかかきくけききこけききくくくキキカキクコククケクカキクコケクケクキクキコキクコカ─────ッ!!」
高度、百メートル。
この異界の夜闇を丸ごとその背に抱え、怪物は笑っていた。
嬉しそうに、楽しそうに、歪な笑顔で。
神裂とは、まるで正反対。
眼を血走らせ、体中から血を噴き出し、死に物狂いの形相を湛えた神裂とは。
神裂「――――ッ!!!」
声は枯れた。
肉は裂けた。
骨は砕けた。
それでも、意識だけは手放さない。刀だけは、手放さない。
肉薄する黒の槍を、一つ残らず叩き斬る。
直撃すれば、否、掠るだけでも致命傷は免れ得ない、黒禍の翼。
一方通行「ク、カ」
高度、五十メートル。
あと、少し。あと少しだ。
もうあと少しだけ近付けば。
墜ちる勢いと、残る全ての力を使い、あの異形を両断する事が出来る。
一方通行と神裂との空間を阻む黒翼を斬り払い、その上で一方通行自身に致命傷を与える事の出来る、射程距離。
あと僅かに一秒ほど、近付く事が出来れば。
神裂の、勝ちだ。
けれどその一秒は、決して許されない猶予だった。
一方通行「カカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカカkkkkカカカカカカカ
カカカカカカカカカカカカkkkkkkkkkkkkカカカカカカカカカカkカカカカ
カカカカカカカカkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkkk」
其処から先は、一方通行。
――――侵入する事は、許されない。
神裂の周囲を取り囲むように襲い掛かっていた、黒翼。
その全てから、数え切れないほどの全てから。
薔薇の茎から突き出た棘の様に。大樹の幹から分かれた枝葉の様に。
新たな無数の黒翼が突き出して、神裂を襲った。
神裂「ッッ!!!!」
熱く滾る意識を、更に強く、更に鋭く。
眼前の事象を認識し、眼前の攻撃を掌握する。
その右眼に視る黒翼の、その左眼で観る黒翼の。
僅かでも威力の浅い層目掛けて、身体を投げ出すように、飛び込んでいく。
見開いた右眼に捉えた、黒翼―――既に黒塊と言った方が適切か―――の、針の穴ほどの間隙。
その隙間を唯閃で抉じ開け、己の体を躍らせる。
漆黒の暴風雨の中を、更に遠く、更に深く、潜り込む。墜ちていく。
1秒を100万に分割する程の圧縮された意識。
1ミリを100万に切断する程の集中された身体操作。
神裂の身体は、その瞬間、聖人という領域を遥かに超えた高みへと達していた。
しかしその力を以てしても、限界を超えた限界を以てしても――――
――――黒の怪物には、『一方通行』には、届かない。
ざくり、と音がしたような気がした。
聞こえる筈の無い音だ。
それは恐らく神裂が、その目で見た光景から想像した音を、幻聴しただけだったのだろう。
ほんの、ひとかけら。
ほんの、一本の、細い黒翼が。
神裂の右腕に突き刺さる。
――――たったそれだけで、神裂の右肩口から先が、根こそぎ消し飛んだ。
神裂「――――」
神裂は声も無く、半ば忘我の中で、その光景を見た。
右腕がなければ、唯閃は使えない。
唯閃は、抜刀術を原理とする戦闘術式だ。
特殊な予備動作、鞘走を必要とする、剣術の極意。
片腕での抜刀術も、勿論存在はする。
存在はするのだが、それは例えば小太刀を用いた抜刀であったり、下半身と体幹を利用した高等技術の産物であったりする。
加えて、神裂が失くしたのは、刀を差した腰と逆の側――――つまり、刀を抜く為の腕。
それを失った上、空中の不安定な体勢で、七尺の刀身を持つ野太刀を用いた抜刀術など、限りなく不可能に近い。
否――――今この瞬間に限るならば、それは、絶対に不可能だ。
故に、勝敗は此処に確定した。
神裂は己の武器を失い、残らず粉微塵になって、墜ち逝くだけ。
墜ち逝くだけ、の筈だった。
神裂「――――ああ、残念でしたね」
それなのに。
神裂の眼は、まだ死んでいない。
神裂「せめて、頭を粉微塵(コナゴナ)にしていたのなら、貴方の勝利は揺るがなかったのに」
歌でも歌うように、そう告げたかと思うと。
神裂の腕が、右腕が、失くなった筈の右腕が。
ぞぶり、と。
身体の内側から、肉を押し上げるように、再生した。
神裂「腕を一本落としたぐらいでは、何の支障にもならないんですよ。
私は良く知っています。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
何せ、朝からずっと、こういうモノ達と戦い続けていたんですから―――――!!」
失った筈の右腕が、刀を掴む。
ギチリ、と握られた刀の柄。フゥ、と紡がれる呼気。
張り裂けそうな程に見開かれた右眼が、一方通行を射抜く。
気が付けば、神裂と一方通行の距離は、二十メートルほどに縮まっている。
それは、充分過ぎるほど、射程距離の圏内だ。
唯閃の、射程距離。
一方通行「ケ――――」
神裂「遅いッッ!!」
残る黒翼が神裂に襲い掛るよりも速く。
残る黒翼が一方通行を護るよりも迅く。
神裂「――――唯、閃――――!!」
昏い夜闇の空を斬り。赤い雨の滴を裂き。
無限の黒禍を断ち。無量の黒嵐を刻み。
刃が奔る。
黒銀の刃が、奔る!
唯、一閃――――その一刀は、異形の首を両断した。
其は、七つの天を抜く、七尺の刀。
其は、神を裂く、熾天(セラフ)の剣。
一方通行の切り離された頭部が、地面に転がり落ちるのと同時。
グチャッ、と醜い音と共に、神裂の身体は地面に叩き付けられた。
神裂「が……は、ァ……ッ!」
骨格や筋肉は元より、内臓の大半も落下の衝撃に耐えきれず圧潰してしまっている。
脳髄や神経系にも重大なダメージが残っているのは間違いない。
しかし、そのダメージも、次第に治っていく。
治る筈の無い傷も、痛みも、嘘のように消えていく。
神裂の身体に刻み込まれたダメージ全て。
赤い雨に打たれ続ける神裂の、異形と化した身体に残るダメージは、全て、消えていく。
神裂「――――ヒ、トの身に、及ばぬ、程の、『聖人』の身ですら及ばぬ程の、異形の力」
赤い雨は、降り続く。
全てを洗い流すように、ざあざあと、降り続く。
神裂「それに、力、及ばせる為に、は――――私自身が、異形に、化わるしかない」
神裂の目から、つぅー、と一筋、赤い滴が垂れた。
口の端から、さらに一筋。
涙のような赤い滴は、零れた傍から、赤い雨と混ざって見えなくなった。
神裂「例え、もう二度と、戻れなくとも。
例え、もう二度と、笑えなくとも。
例え、もう二度と、泣けなくとも。
例え、もう二度と、彼らに会えなくとも。
例え、もう二度と、あの場所に、帰れなくとも」
人を捨て、心を棄てても。
ただ、この一方通行という異形を破壊する為だけに。
神裂「ただ、この瞬間だけ。
貴方を斬り伏せる力が必要だった。
でなければ――――」
でなければ、どうなっていたのか。
分からない。
それでも、何故か、どうしても、『それ』が必要なのだ、と神裂は直感していた。
この場で、この時に、この白髪の少年を打ち倒す事は。
この絶望を終わらせる為に、皆を救う為に――――『世界の結末』を迎える為に――――必要不可欠の、条件だったのだと。
赤い雨。
倒れ伏す異形が、二つ。
勝敗はここに決し、因果の輪は繋ぎ直された。
最後の『条件』を達し、物語は結末へと収束する。
終了条件2達成(エピソードクリア)
最終更新:2011年05月05日 12:56