──シズル・潮・アマツには、かつて愛する人がいた。
彼は思いやりが強く、心優しく、純朴な男の子だった。
暴力なんて、軍人なんて──英雄なんてとてもじゃないが似合わない、 極々普通の男の子だったのだ。
……シズルは心の底より後悔する。
結婚の誓いを受けたことでほだされて、彼が戦場に旅立つのを許してしまったことを。
そして、彼が憧れ、その背中を追いかけた 男の危険性に気付けなかったことを。
何よりも誰よりも、 血統派として断罪を受け家を失くした彼女だからこそ……あの時気付き、そして止めるべきだったのだと。
それを思い留まらせたのは、奇しくも自身に秘めたる医学に特化した才能だった。
……もしかしたら、と一縷の望みを抱いた瞬間──彼女は弾けた。
あれほど嫌った帝国の軍部へと足を踏み入れ出世に出世を重ね続け、仄暗い暗部にも躊躇なく切り込みさらに地位を高めていった。
全ては死者の蘇生を願わんがため……愛しい人に、どうか振り向いて欲しいから。
……――――
煌翼覚醒後、
シズルは帝国軍に捕縛されるも 灼烈恒星の加護を受けたギルベルトによって助け出される。
その後彼女は再度審判者と組み、 蝋翼に見切りをつけて、
極晃星の絶大な力によって強化された 傀儡兵を無尽に操りながら、新たな極晃行使のための 素体集めに狂奔していく。
混乱が古都各地に広がる中、離れた場所での蝋翼と その師の間の“変化”を漠然と察知しつつも、
彼女はもはや興味の外の存在であるとして、余裕の表情さえ浮かべながら笑う────
「不思議よね、男性って。すぐ自分以外の何かを理由に命を懸けたがるんだもの。
ちょっと正気を疑うわ。それで取り残されるのはいつだって女の方。
挑むより待ち続けるのが辛いこと、彼らは分かっているのかしら……」
それに対し、ヴァネッサが静かな怒りを滲ませながら、
色呆けした地雷女、それも死体漁りが趣味になるほど堕ちた奴の意見など全く理解できんと断じれば、
「やっぱり気づいていないのね。微笑ましいわ、本当に初心なんだから。
ヴァネッサ、愛は最高よ? 何もかも犠牲にしたって構わないほど胸の奥がときめいて、
無くしてしまえば引き裂かれるほど悲しいのよ。息さえ出来なくなるほどに」
「だから、私は必ず取り戻すわ。たとえ世界が相手でも負けたくない、
負けたくない、負けたくないの───これだけは」
などと、法則を捻じ伏せてでも己が夢想を現実にせんとする。
圧倒的物量が聖騎士と帝国の将を圧しながら、 地下墓地での戦闘は続く────
シズルに、 死んだ者の蘇生が、必ずしもその“心を救う”とは限らないと
対峙していた ブラザーが、純粋に労わりの念から指摘した言葉に彼女は反発する。
「不愉快だわ、あなた───私が彼の想いを決めつけていると言うのね?
違う、違う、絶対違うわ嘘じゃないのよ惑わすなッ。
優しいあの人は英雄について行こうとずっと無理をしていたの。
やつれた姿をこの目で見たのよ。
だからこれは間違いなんかじゃ決してない。そして必ずやり直す!」
「あんな怪物に憧れたという過ちから、
今度こそ私は救ってみせる! 光になんて渡さないッ!」
だが、苛烈極まる彼女の執念に対し、ヴァネッサは、
その想いを聞いた上で、悪意と嘲りを満載した罵倒を放って────
その言葉に精神が振り切れたシズルは、彼らに対し殺意を剥き出しにして襲いかかったのであるが……
───しかし、 界奏者に至ったアッシュの能力が発動したことで、
シズルにもまた、戦地にて散った恋人の想いが伝えられた結果……
彼女にとって信じられない、いや信じたくない彼の真実が明らかとなる。
「やめて、違う……嘘、嘘、嘘よぉッ!」
病んだ才女の脳裏に響く愛した男の残留思念─────
そこには……
シズルの名は 一 切 な か っ た 。
徹頭徹尾、英雄、英雄、英雄!
共に征けない無念こそあれ、道を違えた後悔はあらず。
ああ、恐れることは何もない。
己が翼が焼け落ちようとも、偉大な雷火は未来永劫輝くだろうと信じて……
恋人はたった一人、鋼の英雄にだけ微笑みながら、安らかに昇天したのである。
「―――嘘よォォッ!」
……曇り一つない感謝と共に捧げられた今際の念を前に、今度こそシズルは崩れ落ちた。
もしも彼を生き返らせることに成功したら、彼は真っ先にこう言うだろう。
「僕なんかより、どうか総統閣下を生き返らせてほしい」と。
そんな恋人の純粋な願いに応えようが応えまいが、
自分を一番に愛してくれる恋人を望んだシズルにとっては、その先の予想される結末に耐えられるはずがない。
そう、どこまでいっても恋人よりも尊敬する人が大切なのだという事実を、彼女は愛する者からむざむざと突きつけられるのだから。
たとえ完璧に魂を解き明かし、反動も後遺症もなく、魔法のような生き返りの手段を獲得しても……
どう掻いても、何をしたとしても。
英雄譚が世に誕生した瞬間から、全ては手遅れであり、
自分を抱きしめてくれた恋人は、もう二度と帰ってこない。
残酷な真実を知った女は、涙と共にかつての想いの在り処へと訴える。
「なんで、どうして……
愛しているって、あなたも言ってくれたじゃない。何度も言ってくれたじゃない」
「臆病でも優しいあなたが好きだった。
兵士だなんて似合わない、だから私はもう一度って……ずっと、ずっと思ってきたのに」
はにかみながら、誕生日に手作りのブローチをくれたことも。
手編みのマフラーを、いつも大切そうに使ってくれたことも。
共に交わした時間も、想いも、涙も……すべて───すべて。
そう──大切なのは、想いであり、心でしょう?
「英雄への畏敬以下だと、言われたら…………
う、ぅ……うあ、あぁ、ああああああああぁぁぁぁ…………………………ッ!!」
立ち向かっていく理由そのものがどこにも存在しない。
そうしてついに、シズル・潮・アマツは最後の心の支えを木端微塵に砕かれ、
アマツの燃ゆる激しき恋が、光輝く男の雄姿を前に終焉を迎えることとなったのである。
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