登録日:2012/11/13 Tue 11:09:26
更新日:2025/02/20 Thu 22:28:20
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英国空軍に所属していた実在の人物。
英国空軍の
エースパイロットで愛称は”ジョニー・ジョンソン”。
1915年3月9日生 - 2001年1月30日没
【経歴】
イギリスのレスターシャーのチャーンウッドにある町、ラフバラー(ラフベレ)に生まれる。
ノッチンガム大学修了後、最初は土木技師だったが1939年に空軍志願兵予備隊へ入り、訓練中に第二次世界大戦が勃発、兵士として戦いに身を投じることとなる。
1940年に卒業後は、最新鋭のスピットファイア部隊で有名な第616飛行隊に配属されるも、病により大戦中に起きたドイツ空軍とイギリス空軍による、"史上最大の航空戦"とも称される「バトル・オブ・ブリテン」には参戦していない。
しかし、ドイツ空軍よりロンドンを死守したとして有名な戦闘機軍団第11戦闘機群の義勇パイロットの一人として活躍した。
戦闘機は最初から最後まで「スーパーマリン・スピットファイア」を愛用し続けていたという。
大戦当初はしばらく敵機の撃墜記録はなかったものの、1943年にケンリ-基地のカナダ戦闘機隊127航空団司令に任命されてヨーロッパ大陸での戦いにおいてスピットファイアMk.IXに乗り、次々とドイツ空軍の戦闘機を撃墜していく。実践配置を解かれる半年の間に25機の戦闘機を撃墜したという。
その後は1944年にカナダ戦闘爆撃隊の144航空団に戦線復帰してからも戦闘機に乗って出撃し、終戦までに38機を撃墜した。
ちなみに彼はイギリス人ではあるものの、人柄の良さから部隊のカナダ人の兵達からは非常に慕われていたという。
撃墜数 : 38(全て戦闘機)
コールサイン : 「グレイキャップ」
撃墜数を見れば、ソ連の大軍を相手に活躍した、フィンランドやドイツの軍人には激しく劣るものの、それでも、連合軍側としてはトップレベルの撃墜数を誇り、またその相手の殆どが、化け物揃いのドイツ空軍を相手にした戦果である。
またスコアの全てが上記の通り戦闘機相手であり、戦闘機のみのスコアで見れば、ソ連も含めて連合軍トップ。
しかし、彼が最も凄いのは、撃墜数ではなく、被弾率。
出撃回数515回にして被弾回数は1発のみ。
被弾率は限りなく0に近い。
あれ? フィンランド空軍にも似たようなお方が居たような…?
第二次世界大戦後も空軍に籍を置き、1950年に起こった朝鮮戦争にも参戦した。この時はスピリットファイアではなく、アメリカのジェット戦闘機F-80とF-86に搭乗している。
その後は階級が少将だった1966年に軍を退役するも、大衆講演と航空事業体を運営するなど活発に社会活動を行っていた。
そして2001年にがんで死亡…享年85歳であった。
その後、2014年には第二次世界大戦の選りすぐりのエースパイロット達をクローズアップしたプラモデル「撃墜王 -蒼空の7人-(WWII 世界のエース7機セット)」が発売され、英空軍最高の撃墜王としてその一人に選ばれている。戦闘機は勿論、スピットファイアMk.IX。
ちなみにこの7人の中に、日本から岩本徹三が零式艦上戦闘機21型と共に選ばれている。
追記・修正宜しくお願いします。
最終更新:2025年02月20日 22:28