一澤帆布

登録日:2014/11/16 Sun 12:30:00
更新日:2024/09/27 Fri 23:37:43
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一澤帆布とは,1905年(明治38年)に創業した、京都府京都市東山区にある布製かばんの老舗メーカーである。
帆布(はんぷ)と呼ばれる綿および麻製の厚布で作られたかばんを主製品とし、かばんの他にもリュックサック、テントなどを手掛けている。

現在でも実用性の高いデザイン、豊富な、抜群の耐久性などが評価され、写真、登山、地質調査などの機材運搬用のかばんとしても根強い支持を受けている。
京都大学山岳部のリュックや、同志社小学校ランドセルを作っていることでも有名である。



追記・修正おねがいします。








さて、なぜこの会社の項目を立てたのかというと、同社は高い品質の商品を送り出してきたことで知られているところだったが、実は近年、3人の兄弟で会社の利権を争うというリアル犬神家状態に陥ったことでも有名になってしまったのだ。

事の発端は2001年、3代目会長の一澤信夫氏が去したときのこと。
信夫氏は生前、会社の顧問弁護士の立ち合いの元に遺言書を作成していたため、死後にそれが開封された。

それによると、一澤信夫氏が保有していた会社の株式のうち、67%を当時代表取締役だった三男に、33%を四男に、銀行預金のほとんどなどを長男に相続させるという筋が書かれていたのである。(これが第1の遺言書

(長男は会社の経営に携わっていない銀行員で、次男はこの時点で故人。四男は家業に関わってはいたが退任しており、家業に携わっていたのは会社の代表取締役である三男だけだった)

しかし、この遺言書の開封から4ヶ月後、長男が「自分も生前に預かった」と別の遺言書(第2の遺言書)を持ち出したのである。
この遺言書は、一澤信夫氏の会社の株式80%を長男に、残り20%を四男に相続させるというものだった。
(この通りに相続すれば、信太郎・喜久夫両名で会社の株式の62%を保有することになり、会社の実権を握ることになる)

複数ある遺言書の内容が抵触している場合、その抵触している部分については、民法上新しい遺言書の内容が有効となるため、通常であれば「第2の遺言書」が有効となる。だが、2通の遺言書の内容が全く異なることから、「第2の遺言書」の真贋に三男の信三郎が訴訟を提起した。

三男は、「第2の遺言書」の作成時点で信夫氏は既に脳梗塞のために要介護状態で書くのが困難だった事、「第1の遺言書」が巻紙に毛筆で書いて実印を捺印しているのに対して、「第2の遺言書」が便箋にボールペンで書かれていることなどから、「第2の遺言書」が偽物であると主張した。
しかし、長男は執筆鑑定の結果などを基に立ち向かったため、裁判で「遺言書が偽物であるという証拠が無い」として認められず、「第2の遺言書」が有効となったのである。

これにより、「第2の遺言書」通り、長男と四男が株式の62%を取得し、一澤帆布の実権を握ることとなった。
会社が赤字経営の頃から会社を支えていた三男は代表取締役を解任されるどころか会社を追い出され、代わりに今まで家業にノータッチだった長男が一澤帆布の取締役社長となり、また、長男と四男の娘もそれぞれ取締役へ就任したのである。


しかし、問題はここからであった。

会社を追われた三男は、一澤帆布の道路の向かい側に「一澤信三郎帆布」という会社を設立したが、なんと一澤帆布の鞄職人全員が一澤信三郎帆布へ移ったのだ。
一澤帆布はしばらくは在庫を売りながら営業を続けていたが、かばんを製造する術を失ったため長続きせず、営業を休止する事態に陥った。

さらにさらに、これまで鞄生地を納めてきた加工会社は、一澤信三郎帆布を支持して一澤帆布との取引を拒否。今までランドセル製造を委託していた同志社小学校も、一澤信三郎帆布に委託することを表明した。

勿論、長男も黙ってはいられない。
長男は各自で鞄職人を雇い入れたとともに、一澤信三郎帆布に対して商標権侵害で訴訟を起したのだ。

しかしそれに立ち向かうかのように、今度は三男の妻が、第2の遺言書の無効を求めて裁判を起こした。
(最初の訴訟では原告になっていなかった妻には最初の敗訴判決の効力が及ばず、再び同様の訴えが提起できた)

今度は執筆鑑定などのきちんとした証拠が元となり「第2の遺言書」が贋作であると認められ、同時に長男が三男に対して起こした訴えも棄却されたのであった。
(ただし、長男が第2の遺言書の執筆鑑定を行ったのが科捜研のOBに対し、第1の遺書の執筆鑑定を行ったのが素人であったため、これが後に尾を引くことになる)

こうして、長男が三男不在の間に雇った鞄職人が退職を迫られたことにより結成された労働組合と裁判になったり、
長男と対立した四男が新たにブランドを立ち上げて2店舗のすぐ近くに店舗を建てるなどのトラブルはあったものの、三男は「一澤帆布」の店舗にて「一澤信三郎帆布」の営業を再開した。

……が、長男は再び「第2の遺言書」の正当性を求めて提訴した。また、これとは別に労使関係の訴訟も何件か提訴された。

なお、一連の裁判は2010年代のうちに全て結審している。



追記・修正は弁護士立ち合いの元、きちんと遺書を残してからお願いします。

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最終更新:2024年09月27日 23:37