2017年第101回インディアナポリス500マイル

登録日:2018/5/20 (日曜日) 18:00:00
更新日:2023/02/07 Tue 17:28:25
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伝統誉れ高き、インディ500。
101回目を迎える今大会は日本、いや世界のモータースポーツファンが驚愕する日となった―――


・始めに


インディ500とは、毎年5月の最終月曜日、アメリカの戦没者追悼記念日に開催されるインディカーシリーズのことである。開催日の都合上、F1のモナコグランプリと同時に開催されることが多い(というより近年はよくあわせている)。
そのモナコ、ル・マン24時間耐久と並ぶ、世界3大レースのひとつとして有名だ。
この三つの中ではもっとも古く、1911年から開催されている
無論、インディカーシリーズの中でもっとも大規模で、ここでの勝利はシリーズチャンピオンと同等の栄光、もしくはそれ以上に賞賛されるほどである。

コースはインディアナ州インディアナポリスにあるインディアナポリス・モーター・スピードウェイ。全長2.500マイル(キロメートルに直せば4.023km)、これを出走33台が200周走る。
直角のターン(アメリカ流表現、日本流だと「コーナー」)を4つ繋げたようなレイアウトで、最高時速約380km、周回平均速度約350km、ターンを曲がるときにかかる負荷は実に最大5G(自身の体重の5倍の重力)と、ドライバーにもマシンにも厳しい。
一応全てのターン曲率もバンク角も共通なのだが、風向きの影響が激しく「4つのターンが全部別のターン」とまで言われるテクニカルなトラックだったりする。
そのためフロント、リアウイング両方にウイング角を調整するオルゴールのぜんまいハンドルのようなものがあり、ピットに戻った際にこれをまわしてダウンフォースを調節する。
また、曲がるといっても、後方のドライバーにはストレートを延々と走ってるかのごとくスリップストリーム(前を走ってる車の後ろにつき、抵抗の少ない状態を利用して加速する現象)が掛かり、ほぼ常にオーバーテイクのチャンスが生まれる。めまぐるしくトップが入れ替わるのもインディ500の特徴だ。


・レース内容


※公式によるYoutubeチャンネルより本戦が丸々配信されています。


決勝は5月28日、雨の心配もあったが無事開催。
エントリーの中には大本命といわれているスコット・ディクソン、元F1ドライバーのファン・パブロ・モントーヤF1で不調だから自分の新たな可能性を求めてやってきたフェルナンド・アロンソ (アンドレッティ、琢磨のチームメイトとして参戦)、そして唯一のインディカーシリーズ参戦中の日本人ドライバー、佐藤琢磨が名を連ねた。

琢磨はこれが8度目の挑戦。実は一度だけ、このインディ500で優勝まで後一歩まで迫った瞬間があった。それは5年前、2012年の同レースである。最後の1周という時点で2位につけていた琢磨は、ファイナルラップで目の前にいたトップのダリオ・フランキッティを抜こうとするも、琢磨が抜きにかかった進路をフランキッティが露骨に塞いだことで、琢磨はコースの滑りやすい白線を踏んでスピン、ウォールに激突した。
これだけ聞けばただ自滅しただけかもしれない。しかし、これはインディ500。表彰台が存在せず、祝福されるのは勝者のみ。2位を捨てる覚悟で優勝を狙う姿勢は決して間違ったものではないのだ。
勝利したフランキッティは、琢磨をクラッシュに追いやったラフな運転のせいで、3度目のインディ500制覇にも拘らず場内から大量のブーイングを受けた一方で、クラッシュしたマシンから出てきた琢磨には惜しみない拍手が送られた。
これが意味するのは明白であろう。
その後のセレモニーで「僕は小柄だけどあともうちょっとスペースが必要だったんだ」とスピーチし笑いを誘っていた。

その後、「No Attack No Chance」という座右の銘を、この大一番で証明した琢磨は、それの精神に見惚れられたチーム(A.J.フォイト)に移籍、2013年にはそのチームで1勝しているのだ。
AJフォイトレーシング時代、シリーズランキングが18位まで落ち込む等不振に陥るが、終始円満だったという。しかしチームが2017シーズンより、ホンダエンジンからシボレーエンジンへのスイッチを決断。その事からホンダとのスポンサーの縁を重視するのか、それとも不振でも契約してくれたチームとの縁を重視するのかという板挟みに悩んだほどこのチームとの仲は良好だった。結局昔からの縁を重視して琢磨はアンドレッティ・オートスポーツへの移籍を決断するのだが、チームを去る際に彼が使っていたステアリングをプレゼントしてくれた。
なおこのブロック事件に対し、琢磨本人は「あの場面では白線を踏み越えてもペナルティを貰わないので踏み超えるのが正解で、それを躊躇した自分のミス」と、ダリオを責めないぐう聖発言をしていたりする。
それが今年のフェアファイトに繋がっていたとも言える。

そして琢磨は今年のインディ500で予選4番手を獲得、33台のため、3台一列の2列目イン側からのスタートとなった(アロンソはすぐ隣の5番手、ポールはディクソン)。

そして決勝がスタート。
オープニングラップで琢磨は7位まで後退するも、しっかりと前に喰らい付き、順位を上げていく。
アロンソも同様、F1で培ってきた実力を存分に発揮していた。

しかし、52周。
予選トップを走っていたディクソンが、曲がりきれずにウォールにヒットした周回遅れ(ジェイ・ハワード)を避けきれずに追突。宙を舞い、マシン後部を失う大クラッシュをしてしまう。観客席も一瞬ヒヤッとした。
幸い、両者ともに怪我は無く、ディクソンも自力でマシンを降りることができた。
しかし、パーツが飛散したりフェンスが破損するなどにより赤旗中断。各ドライバーが築き上げた差はリセットされることになる。

65周、琢磨はチームメイトがトップグループを独占していることを利用し、トップに出る。
これは、前にマシンがいない時*1のステアリング特性を確認し、いつどのチームメイトがトップやその後ろで走行しても、ステアリング特性の違いで自爆クラッシュを起こさないように確認しあうという、いわゆるチームオーダーでもあった。そのため、バトルはせず、10周ほどでチームメイトに譲った。
また、このときの琢磨を含めたチームのエンジンは、

勝つかぶっ壊れるかの大博打の設定

で、いつ、どこで壊れてもおかしくない状態であったという。
それを考えると、自分のマシンを試せるこのチームオーダーは非常にありがたいものだったと思える。

しかし、レースは混乱が続く。
67周目に一台が前のマシンから発生した乱気流により単独クラッシュ。それに巻き込まれる形でもう一台も壁にヒット。2周後にすぐに2度目のセーフティーカーとなる。
高速で走っているれば、その分空気の流れも激しくなる。少しの油断や判断ミスがクラッシュにつながってしまうのだ。

その後も何度もアクシデントやクラッシュに見舞われ、次々とリタイアしていく。
その中には、なんとアロンソの姿も。
原因はエンジン。恐れていたエンジンブローであった。攻めに攻めてのリタイアではあった。悔しくはあったが、楽しめてよかった。と、本人は後にコメントしている(F1でのストレスを発散できたのだろうか?)

そして迎えた残り11周での再スタート。琢磨は2番手。前にはこちらも元F1ドライバー、マックス・チルトン(チップ・ガナッシ)。3番手にはインディ500四勝目の可能性が見えてきたエリオ・カストロネベス(ペンスキー)。
チルトンは経験が浅いながらも、その車は非常に調子がよく、このまま行けば優勝も狙える状態にあった。一方、琢磨はエンジンにいつアロンソと同じようにエンジンブローが起こってもおかしくない状況にあった。
しかし、今回のセッティングで他のマシンよりもダウンフォースを強めに設定しており、終盤でありながらタイヤのグリップを温存していた。つまり、タイミングさえあれば抜ける状態なのだ。そのためにはどうしてもチルトンが邪魔。
そこで琢磨は、

一度後ろのエリオを前に行かせ、エリオがチルトンを抜かしたところをかわそうと考えた。

エリオなら何度も戦って手の内を知っているし、フェアに勝負してくれるだろうと。
残り10周でエリオが琢磨の前に出る。琢磨は最後の望みをこの判断に委ねた。

そして残り7周、チャンスはやってきた。狙い通り、エリオがチルトンをオーバーテイク。チルトンのスピードが落ちたところを琢磨もかわしていく。そしてスリップストリームを使ってエリオに近づく。
残り5周でついに琢磨がトップに返り咲く。エンジンはもう限界近いが、もてるすべての力を振り絞り引き離しにかかる。
だがエリオも当然抜き返しにかかる。琢磨に抜かれたのと同じように、スリップストリームを使いトップスピードを上げる。
…が、抜けない。ディクソンのクラッシュの際に避けようと芝に逃げた際にエアロデバイスが飛んでいたのもあり、エリオのタイヤはもうグリップが残ってなかった。ターン1で1度並びかけるが、スピードを落とさずに曲がることができず、再び琢磨が引き離す。
これで勝負は決した。
琢磨はトラブルが起こらないよう祈りつつ、マシンをゴールまで走らせる。

そして…


「うおおおおおおおおおお!!!!」
「おおおおおおおおおおお!!!!」
「おおおおおおおおおおお!!!!」
「おおおおおおおおおおお!!!!」

インディアナポリス500マイル至上初、日本人の勝者が誕生した。
佐藤琢磨。5年前につかみ損ねた栄光を、その手中に収めた。
喜びを爆発させ、無線が割れんばかりの雄たけびを上げた。
2位となったエリオ*2、そして去年まで所属していたAJフォイトレーシングから祝福を受けながら、勝者のみが通れる「ビクトリーレーン」にマシンを止め、観衆やチームスタッフが見守る中、伝統のミルクを飲む。
モータースポーツ界に新たな歴史が誕生した瞬間である。

以下、琢磨の勝利時のコメント

「信じられないよ!この勝利はチームやスタッフのおかげ。応援してくれた人々みんなに感謝してもし切れないくらいだ。
とてもタフなレースだったけど、エリオは本当にフェアに勝負してくれた。だからこそ僕も外から仕掛けられた。
すばらしい勝負にみんなも喜んでくれてるといいね。
5年前のクラッシュ、あれも今日の結果につながってる。みんなのおかげで忘れ物を取り戻せた。最高だよ!
最後の3ラップでどう転ぶか分からなかった。エリオとのアクセル全開での勝負に勝った。最高のレースになったよ。」

補足

  • このときの琢磨の優勝賞金は日本円にして約2億7000万。レース一回でのこの金額は破格である。
  • 優勝者がミルクを飲むのがインディ500の伝統だが、これを飲まないと一部賞金がもらえない。*3(過去に1人、エマーソン・フィッティパルディという勝者が飲み忘れて*4賞金がもらえなかったことがある。)乳製品アレルギー持ちのドライバーが優勝したらどうするのだろうか*5*6
  • レース後、琢磨のマシンをメンテナンスした際、大量のオイル漏れがあったことが本人の口から語られている。本当にエンジンブロー一歩手前の状態だった。
  • 琢磨はその後、首相官邸に招かれ、安倍内閣総理大臣(当時)より内閣総理大臣顕彰を受賞した。モータースポーツ界としては史上初である
    このことが如何にすごいかは、よく分かるだろう。御礼として琢磨はコースに使われたブリック(レンガ)を渡した。
  • インディ500のトロフィーがアメリカ以外に出るのは意外にも始めてのこと*7
  • 2017年はレッドブル・エアレース・ワールドチャンピオンシップでも室屋義秀が日本人初の総合優勝を果たしており、同年に日本人初のチャンピオンになったという縁で琢磨と対談する番組も製作されている。
  • 琢磨のパーソナルスポンサーをやっていた江崎グリコはこの勝利に反応、道頓堀のグリコサインを期間限定で琢磨仕様とした。その後SNSで「片足上げたら完全再現」というツイートにに本人が反応、3年後にもう一度ビクトリーレーンにマシンを向けた琢磨は、片足を上げた完全再現ポーズを見せている。本人曰く「ウィンドスクリーン*8が追加されたので楽だった」


追記修正はNo Attack,No Chanceの精神を持ってお願いします。

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最終更新:2023年02月07日 17:28

*1 インディーカーでは空気抵抗を受けにくいスリップに入っているときと、逆に風をモロに浴びる先頭のときで、マシンの性格が変わる事が多い。

*2 パルクフェルメで首を横に振り、自身の敗北を受け入れている映像を見た後の琢磨へのグッドサインは見もの。インディ500とは何かがこの瞬間につまっている。

*3 そもそもインディアナ州の酪農組合がスポンサーに名を連ねている

*4 オレンジ農園を営んでいる事から先にオレンジジュース飲んだら規定時間内に飲めなかった

*5 現在その手のドライバーが出場した事は無いが、おそらく豆乳か乳幼児用の非アレルゲンミルクが出る。そして賞金はもらえない可能性が大。

*6 さらに予選通過ドライバーは本戦開始前に全員「成分無調整、低脂肪、無脂肪乳、その他オレンジジュースやチョコレートミルク、バターミルクなど」から「優勝したらどれを飲むか」を選択する形式になっており、レース後リストが公表される。ちなみに佐藤琢磨は低脂肪乳だった。

*7 アメリカ人以外のウィナーが居ないわけでは無いが、彼らは生活が完全にアメリカベースである。

*8 コクピット周辺を覆う保護装置。ドライバーを破片やタイヤカスから守ってくれるが、F1などに採用されているヘイローとは違い前方を完全に覆ってしまうため自分で汚れを取ることができない他、夏場だとコクピットに流れる空気の量が大幅に減ったため、かなり熱い模様。