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フェルナンド・アロンソ

登録日:2012/01/14 Sat 21:38:33
更新日:2026/06/13 Sat 12:33:51
所要時間:約 5 分で読めます




フェルナンド・アロンソ(Fernando Alonso Diaz)(1981年7月29日-)はスペイン・オビエド出身のレーシングドライバー。2005年と2006年にF1の王座に輝いた。



【F1チーム遍歴】


  • 2001 ミナルディ
  • 2003〜2006 ルノー
  • 2007 マクラーレン
  • 2008〜2009 ルノー
  • 2010〜2014 フェラーリ
  • 2015〜2018 マクラーレン
  • 2021〜2022 アルピーヌ(旧ルノー)
  • 2023〜 アストンマーティン

【来歴】


3歳の頃からカートに馴染み、10代にはカートの選手権を総なめに。更にF1のテストを受けるなど才能を見せつけ、2001年にはミナルディからデビュー。
マシンは悪いながらも、レースではワークスチームに引けを取らない速さをアピール。

翌年にはルノーのテストドライバーに。一年間レースから遠退いたが、合同テストでは好タイムを連発しつつも、若くしてキチンとマシンの開発をするなどチームの評価は高かった。

2003年はレギュラー復活早々の第2戦マレーシアGPで初ポールポジションを獲得。
そして第13戦ハンガリーGPではポールからの初優勝を成し遂げる。(ちなみにどちらも当時最年少記録)

2004年はマシンの信頼性が上がりランキングも4位に。ただこの時点はF2004に乗るフェラーリのミハエル・シューマッハの敵ではなかった。

2005年はニューマシンR25のパフォーマンスにより序盤から破竹の勢いで優勝を重ねポイントを稼ぎ、シューマッハやキミ・ライコネンやチームメイトのジャンカルロ・フィジケラを抑える大活躍をやってのける。
そして第17戦ブラジルGPでワールドチャンピオンに戴冠。こちらも当時の最年少記録を更新する偉業を成し遂げた。

2006年は前年不調だったシューマッハと一騎打ちとなった。
この頃のアロンソは少しダーティーなイメージが付いていた。その為か第13戦ハンガリーGPフリー走行時には他車に危険な幅寄せ。また第15戦のイタリアGP予選ではペナルティ(他車の妨害に捉えられた。しかし、このペナルティには疑問あり)を課せられたりと物議を醸し出した。
それでもレースでは実力と安定した速さのマシンにより優勝を重ね、最終戦では連覇を成し遂げる。

2007年はマクラーレンへ電撃移籍。連覇は間違いないと言われた。しかし意外な形で足を引っ張られてしまう。
チームがチームメイトのルイス・ハミルトンを贔屓と言われても可笑しくない様な行為でバックアップ。「外様」のアロンソは黙々とチャンピオン争いを戦うが、第11戦ハンガリーGP予選にはアロンソがタイヤ交換のピットインを長く伸ばし、ハミルトンのアタックを妨害と捉えられる行為でチーム内に明らかな不協和音を流れさせ、シーズン終盤にはアロンソはマシンの優先権をハミルトンに変更されるなど冷遇されたと言われた。最終的にランキングは3位に終わり、不満なシーズンを終えた。

2008年は古巣のルノーに復帰。だがマシンはチャンピオンを争うレベルではなく苦戦を強いられた。
しかし第15戦シンガポールGPで久々の優勝を勝ち取り、次戦も優勝する勝負強さを見せた。

2009年は前年以上に苦戦。しかも前年のシンガポールGPにはチームからの指示でレースを操作したとこの年のチームメイトだったネルソン・ピケjrが告発。
このスキャンダルでチーム首脳陣解任、メインスポンサー撤退やマシン開発停滞など散々な年となった。

2010年は噂されたフェラーリへ移籍。初戦で優勝を決める良いスタートを切り、チャンピオン争いに加わる。この年はチャンピオンコンデンターが5人おり大混戦だった。
アロンソ自身はチーム内で優位な立場を作り上げ、同僚のフェリペ・マッサのサポート(物議を醸すものもあったが)で最終戦アブダビGPまでチャンピオン争いを縺れ込ませた。
だが肝心なレースではチャンピオン候補のマーク・ウェバーの陽動作戦と、ヴィタリー・ペトロフとレースペースの大半を彼と付き合い、優勝とチャンピオンはセバスチャン・ベッテルの手に渡り、アロンソはペトロフに「お門違いな」批判をする始末。(後に謝罪)

2011年はレッドブル一色のシーズンにおいて唯一第9戦イギリスGPを勝利する。この勝利はフェラーリがシルバーストン・サーキットで初優勝をあげてからちょうど60周年という記念日であり、同時に同じコースでの勝利で花を添える形となった。この1勝以降は表彰台5回と健闘するもレッドブル一強の状況はいかんともしがたく、ドライバーズランキングは4位に終わった。

2012年は絶好調であり、大混戦となったチャンピオンシップの中で存在感を発揮。
コンスタントに表彰台に上ってランキング首位を爆走し、母国スペインはバレンシアで開催されたヨーロッパGPを涙の凱旋勝利で飾るなど、3度目のチャンピオンに向けて最有力と目されていた。
しかし、ベルギーGPでグロージャンミサイル多重クラッシュに巻き込まれたことで風向きが変わり、ベッテルの猛追を受け逆転を喫する。
2010年と同じように最終戦での結果にすべてを賭けるが、やはり奇跡は起きずランキング2位で終戦。お祭り騒ぎのレッドブル陣営をよそに、レーシングスーツ姿で呆然と佇む様子は人々の哀愁とシリアスな笑いを誘った。

2013年も開幕からは好調。2006年以来となる「スペインGP」での凱旋勝利など見どころも欠かさず、調子にムラがあるベッテルを突き放してやはりチャンピオン最有力候補に躍り出る。
しかし、シーズン途中に行われたタイヤの仕様変更をきっかけに調子を落としてベッテルの躍進を許し、またしてもランキング2位でシーズンを終えた。
なお、前述したこの年のスペインGPこそが、現在のところアロンソ最後の1位表彰台である。

2014年はいろいろと新レギュレーションが施行され、アロンソも本年より固定カーナンバー14を背負ってフェラーリより継続参戦。
しかしチームは新レギュレーションに適応できず、泥船と化したフェラーリは低迷。アロンソは表彰台こそあったものの、2009年以来の未勝利に終わった。
かねてよりチーム批判を繰り返したせいで関係も冷え切っており、結局アロンソはシーズン終了後にフェラーリを離脱。
見事に泥船から脱出したものの、そんな彼を受け入れたのはさらなる泥船だった……

2015年、心機一転マクラーレンに復帰。
しかし、マシン設計を根本からミスったマクラーレンとF1復帰したてで何もかも経験不足のホンダがタッグを組んだことで、チームは暗黒街道を爆走。
地べたを這い泥水をすするような苦難の日々が続き、なんとそのまま救われることなく1年が終わってしまった。
チャンピオンシップを2桁順位で終えたのはド新人だったミナルディ時代以来のことで、背後にいるのはザウバーかマルシャという惨状。
ホンダの母国・日本グランプリで"GP2 ENGINE!"と叫んだシーンはまさに「第二期マクラーレン・ホンダ」を象徴するような出来事となってしまった。

2016年、前年の惨状を反省したかパフォーマンスには改善が見られ、Q3に進出したり最速ラップを刻んだりと見せ場を幾度も作り、コンスタントにポイントを稼ぐようになる。
開幕戦オーストラリアGPで巻き込まれたクラッシュは潰れたマシンが空中で一回転する壮絶なモノで、肋骨を折る大ケガを負い欠場するという一幕もあった。
最終的にはチャンピオンシップを10位で終え、前年からなんと7位もアップ。チームも9位から6位まで這い上がり、一筋の希望が見えてきた一年となった。

2017年、所属チームであるマクラーレンが思い切った体制変更を実施。
これにより長らく親しまれたMP4シリーズも前年の31がラストナンバーとなり、創業者ブルース・マクラーレンゆかりのパパイヤオレンジを纏って再出発となった。
しかし、体制が変わったことでこれまで培ったホンダとの経験値がリセットされ、2015年の惨状に逆戻り。結局ランキングを15位で終えることとなった。
一度は抜け出したはずの泥沼に帰ってきたことでアロンソは不満を爆発させ、公然とチームやホンダを批判。誰も幸せにならない火種が燻り続けた結果、マクラーレンと第四期ホンダはこの年限りで縁を切るという結末を迎えた。
また、この年は三大レース制覇を掲げてインディ500に初挑戦。結果はリタイアに終わってしまったものの、初挑戦ながらラップリードを記録するなど流石の実力を見せた。
なお、この年のインディ500で優勝したのはご存じ佐藤琢磨。ホンダエンジンに苦しめられている男の初インディで、キャリアを通してホンダ一筋の男が優勝する…というのは、なんとも皮肉な運命である。

2018年、離婚したホンダの後釜に馴染み深いルノーエンジンが座ったが、チームがマシン強化で後手に回ったことで、ランキング11位と少し上昇した程度に終わる。
それでも三百戦錬磨のベテランらしい走りでたびたび入賞を果たす様子が見られ、アゼルバイジャンGPでは「1周目の巻き込まれ事故で右タイヤを前後ともぶっ壊してしまい、満身創痍でピットインしたところから追い上げて7位フィニッシュ」というよくわからないレースを繰り広げたりもした。

また、この年からF1と兼業でトヨタから耐久レースにフル参戦。
日程の関係でモナコGPからの2ヶ月は毎週どこかしらでレースがある*1というかなりのハードワークだったが、いざ参戦が始まるとルーキーながらいきなりル・マン24時間レースを制覇。モナコGPと合わせて、残る三大レースはインディ500のみとなった。
これにより去就が注目される中、アロンソは完全引退こそ否定しつつもF1参戦を一時休止。最終戦アブダビではチャンピオン仲間にして良きライバルであるハミルトンとベッテルからドーナツターンの餞別を受けた。

2019年は、引き続きトヨタから耐久レースに参戦しつつ、リザーブドライバー兼アンバサダーとしてマクラーレンに残留。開幕テストではちょっとだけマシンに乗ったりもした。
デイトナ24時間レースであっさり総合優勝しつつル・マン24時間を連覇で終え、有終の美を飾ってトヨタを離れると、今度はインディ500に参戦。しかし予選落ちを喫してしまった。
マクラーレンとの契約がこの年で切れることもあり、来年からはF1との縁が完全に無くなることとなった。

2020年はF1業をお休みし、大方の予想通りインディ500に挑戦。自身初のシボレーエンジンを駆っての参戦となった。
決勝ではマシントラブルに悩まされ21位フィニッシュ。制覇はならなかったものの、自身初のインディ完走となった。
なお、この年のインディ500優勝者はまたしても佐藤琢磨である。アロンソが決勝に出ると琢磨が勝つジンクス
また、ル・マン参戦で縁ができたこともあり、前年からトヨタと共にダカールラリーにも挑戦。一時はクラッシュでフロントガラスが脱落したまま走行を続けたことで、モリゾウこと豊田章男会長から「トヨタではハコ車を運転しているが、経歴的にフロントガラスを外した方が速いのかも?」などとお茶目なコメントを貰ったりもした。

一方のF1業だが、2020年初頭の時点では「復帰は2022年のレギュレーション改正を待ってから」との態度を示しており、むしろル・マン復帰の方に興味があるとしていた。
しかしこの年、F1界で移籍市場が大きく動いた*2ことで「勝てるチームでなら」アロンソも復帰する気があるとの報道が流れ始める。
空席も徐々に埋まっていく中でルノー入りとの憶測がなされ始めると、7月にはルノーからのF1復帰が正式に発表。
最終戦アブダビGPでは復帰祝いで思い出深いルノーR25のデモランを行い、サーキットにV10サウンドを響かせた。
その直後に行われた”若手ルーキーテスト”にもブランク解消のため参戦し、「19年目の若手」「2度チャンピオンを獲ったルーキー」と大いにネタにされたりもした。

2021年、3年ぶりにF1に復帰。前述の通りルノーからの参戦となるが、本社の経営方針によりモタスポ部門のブランド変更が行われたため、ルノー改めアルピーヌからの参戦となる。
ついに40歳の大台に乗り、かつて戦ったライバルの息子と戦うことになったりしたが、それでもドライビングの切れ味は未だに衰えを知らない。
ハンガリーでは最強マシンを駆るハミルトンと10周にわたって互角にやり合い、チームメイトのオコン、そして新生「アルピーヌ」の初優勝に大きく貢献。
また初開催となったカタールでは足回りに厳しい舗装ながら熟練のタイヤ管理で2014年以来の表彰台を獲得。
最終結果は81ポイントでランキング10位となり、その健在ぶりを見せつけた。

迎えた2022年、F1は新レギュレーションが発行され新時代に突入。
同時に、長きにわたってともに走り続けた盟友キミ・ライコネンが前年限りで引退。これでアロンソはとうとう最年長F1ドライバーとなり、シンガポールGPで史上最多出場記録も無事に更新。
シーズンを通してマシンの戦闘力不足を経験と技術で補い続け、たびたび上位チームに割り込む見せ場を作る。しかし故障の頻発もあり、結局は前年と同ポイント、ランキング9位で終戦を迎えた。

実はこの年が契約最終年だったが、復帰時に「家族」と形容するほど長年連れ添ったアルピーヌでの続投は確定的に明らかだと見なされていた。
しかし、余裕ぶっこいていたアルピーヌ首脳陣を尻目に、ベッテルの引退発表と同時にアストンマーティンへの来季移籍を電撃発表。
坊ちゃまの教育係チームを引っ張る大ベテランとして新天地で目指すは「勝利」と「チャンピオン」。そのハングリー精神は留まるところを知らない。

2023年、心機一転アストンマーティンでの戦いだが、いざ始まってみると開幕8戦で6度表彰台に上がる大活躍を見せ、アストンの戦闘力と本人の健在ぶりを猛烈にアピール。
中でも第6戦モナコでは予選フロントロウ、決勝2位表彰台という素晴らしい活躍。モナコでのフロントロウは2007年以来自身16年ぶり、表彰台は2012年以来11年ぶりという一周回って怖いレベルの復活を果たした。またサンパウロGPの最終ラップ最終直線をはじめ、シーズン通して要所要所でドラマを生み出してはファンと関係者の脳を焼き払っていた。
他チームが伸びて戦闘力が落ち着いた後もベテランらしい円熟の走りでポイントや表彰台を積み重ね、稼ぎ出した総合ポイント数は驚異の206
激しいランキング争いを表彰台の差で制して、ランキング4位でシーズン終戦と相成った。

また、このシーズン中にホンダの2026年F1復帰&アストンマーティンへのエンジン供給が発表。アロンソにとっては味方として散々辛酸を舐めさせられたのも記憶に新しい相手だが、レッドブルとの成功とお約束の撤退を経て生まれ変わった姿を見せてくれるだろうか。

2024年、引き続きアストンからの参戦。
もう御年43歳、ベテランぶりも板についてファンやメディアからもおじさん呼ばわりされるようになってきた。それでもレースに意欲を見せる元気なおじさんである。
また、特筆すべき事項として、この年のサウジアラビアGPでF1デビューを果たしたオリバー・ベアマンに触れておきたい。
彼はこの時点で18歳、誕生日は2005年5月8日。そう、このアロンソおじさん、とうとう自身がチャンピオンを獲った年に産まれた子と走ることになったのである。
そんな歳になってもチームと「複数年契約」を結んでいる、なんともタフガイなおじさんである。

が、前年の躍進はどこへやら、この年のアストンはどうにも強くない。トップ4を脅かすどころか表彰台にも上がれず、アロンソは70ポイント、ランキング9位で終戦となった。
しかしながら、チームの未来に関しては明るい話題が続く。
前述のホンダ復帰&コンビ結成に加えて、この年は15台のチャンピオンマシンを手掛けた”空力の鬼才”エイドリアン・ニューウェイの加入が発表。
契約の都合やアロンソ本人の「ニューウェイと仕事がしたいと思っていた」という言葉から、少なくとも2026年(45歳)まではF1に乗る気満々であることが伺える。
この年のメキシコシティグランプリでは、ついに前人未踏のグランプリ400戦出場を達成。このおじさんは一体どこまで行くというのか。

2025年、引き続きアストンからの参戦。
この年は翌2026年の大規模レギュレーション改正に向け、各チームが開発リソースを翌年に振り分けたため、マシンパワーよりドライバーの実力が問われる1年となった。

そんな中で44歳になったアロンソは珍しく苦戦を強いられ、悪夢の2015年以来となる開幕8戦入賞無しという屈辱を経験。しかし少ないリソースをつぎ込んだマシン改良が功を奏し、母国スペインGPでようやく入賞すると、そこから息を吹き返してコンスタントにポイントを獲得した。
ハンガリーGPではあわや0.109秒差でポールポジションを逃すまでに復活したが、開発リソース不足は如何ともしがたく、最終的に前年度よりさらに成績を落とし、56ポイントを獲得してランキング10位で終戦を迎えた。

終盤戦になるといつもの毒舌が火を噴き「最高の気分だよ。だって二度とこのクルマに乗らないでいいんだから!」などとぶちかましたりもしたが、それだけ来年に賭ける期待が大きいという表れか。2026年、ニューウェイ&ホンダという夢のタッグを擁した45歳のアロンソは、果たしてどこまで行けるのか。

2026年、引き続きアストンからの参戦。
大規模レギュレーション改正が行われた他、チームはエンジンをホンダ製に変更、ホンダとしては2002年のジョーダン・EJ12・ホンダ以来。
シルバーストーンを拠点とするF1マシンとしては初めて、日本ライセンスエンジンを搭載することになった。

だが開幕前からエンジンの信頼性に難があり、3戦目日本GPでようやく完走できると更に低迷。
…と思われたのだが、この年のアストンマーティンのシャーシとのマッチングが良くなく*3、振動問題でドライバー、エンジンに対して多大なダメージを負わせてしまい、十分なパフォーマンスを発揮出来ないことも発覚。
現在ホンダに対して公式から救済措置も取られているが、目に見えての改善は見れていない。
6戦目のモナコGPではギリギリ予選通過するも、21・22番手と順位変動が起きにくいモナコではポイント獲得はおろか、ここも完走できれば御の字…と思われた。
決勝ではなんと2番手のマックス・フェルスタッペンがマシントラブルでスタートに失敗を皮切りに、ハミルトン筆頭にピットレーン速度超過が続出などトラブルが頻発。*4
60週目にチームメイトのストロールがリタイアするも、アロンソは7台リタイアの影響もあり完走し11着でチェッカーを受けた。
だが上位陣のペナルティによる順位変動でレース後10着となり今期初のポイントを獲得した。



【余談】


2005年にタイトル獲得した直後にチームラジオが流れ、QUEENの「WE ARE THE CHAMPION」を歌った。その4年後の同じ場所でこれもまた初制覇のジェンソン・バトンも同じ歌を歌った。

2005年頃から優勝してから車両保管所にマシンを止めた後、マシンの上で独特なポーズをする様になったがマクラーレン移籍以降は見かけなくなる。そのポーズの意味は特に無いらしい。

テイルズ オブ グレイセスアスベル・ラントが大好きで、彼のブログで撮影されている写真に高確率でミニアスベルフィギュアが登場する。
特にレーシングコースに立っているアスベルは彼ぐらいしか撮影する者がいないだろう。



追記、修正はマシンの上で「命」のポーズをしてからお願いします。

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最終更新:2026年06月13日 12:33

*1 5/24~27にF1モナコGPがあり、1週間後の日曜にル・マン24時間テストデー、その次の週末はF1カナダGP、その次の週末はル・マン24時間レース、さらにそこから仏墺英と3週連続でF1開催

*2 まず四冠王者ベッテルのフェラーリ離脱が電撃発表。その空いたベッテルの席にマクラーレンのサインツが、そのサインツの席にはルノーのリカルド、一方クビアトの後釜には角田裕毅が座り、ベッテルは新生アストンマーティンに行きペレスが離脱、そのペレスは紆余曲折の末アルボンを押しのけレッドブル入り…と、近年稀に見る大規模な席替えが起こっていた。

*3 そもそもホンダはレギュレーションに対応したエンジンを用意できていたのだが、アストンマーティンがそのエンジンを載せたテストを十分にせずシャーシを開発してしまった

*4 これはピットレーンが2026年はキャデラック参戦でチーム数が増えて出口の形状が変更され、少しでもショートカットすると速度超過判定しやすくなっていたのが原因とされている