四谷怪談

登録日:2024/09/13 (Fri) 21:10:00
更新日:2024/09/16 Mon 22:10:29
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「四谷怪談」とは、江戸時代から伝わる、日本を代表する怪談話である。

「番町皿屋敷」「累ヶ淵」と並んで江戸三大怪談とも呼ばれ、日本で最も有名な怪談の一つである。

東海道四谷怪談


まずは、この怪談を一躍有名にした、鶴屋南北の歌舞伎狂言「東海道四谷怪談」から紹介しよう。
これは1825年に江戸・中村屋で初演された。
意外に知られていないが、実は「仮名手本忠臣蔵」のスピンオフ作品である。
この時代からこういう発想はあったんですねえ。

  • あらすじ

ヒロインである(一般に「お岩さん」として知られる)は、塩冶家(現在有名なバージョンの忠臣蔵で言う浅野家。当時は時事問題を歌舞伎や芝居などで描写する際、そっくりそのまま演じられることは禁じられていた。実際、「仮名手本忠臣蔵」の主要人物の「吉良上野介」が南北朝時代の人物の「高師直」に名前が替えられている)の家臣の娘。
美人であり、夫、民谷伊右衛門を一途に想う良妻であったが、伊右衛門のやらかしによって実家に連れ戻され、さらには父と義弟が何者かに殺害されるという不運に見舞われる。
夫を殺された妹ともども悲嘆にくれる岩であったが、伊右衛門と薬売りの直助に「必ず敵をとってやる」と約束され、夫のもとに戻る。

しかし、実は父を殺したのは他ならない伊右衛門であった。義父に横領を追及されたために斬り殺してしまったのである。
さらに、直助は義弟を殺した犯人であり、動機は妹を奪うため。二人はお互いの悪事を庇うために結託したのであった。

そうとは知らない岩は、伊右衛門を再び支えようとするが、産後の肥立ちが悪く体調不良に陥る。
すると伊右衛門は、義父殺しまでして連れ戻した妻をいたわるどころか邪険にするようになるというクズムーブをかます。
昔からこういう男はいたんですね。

そんなタイミングで、高家(吉良家)の家臣の娘に惚れられた伊右衛門は、そっちに乗り換えることに。
昔からこういう男ほどよくモテるんだなあ……
そうなると岩が邪魔。
そこで取った手段が、「妻に毒を盛り、かつ出入りの按摩を脅して不倫をはたらかせて、それを口実に離縁する」という、妙に回りくどく手の込んだもの。
この後の展開を考えたら、父親と同じくさっさと斬り殺せばよかったのだ

この毒薬(用意したのは伊右衛門に横恋慕した娘の父親)を騙されて飲んだ岩は、美しかった容貌が醜く崩れ、よく知られる恐ろしい「お岩さん」の姿になってしまう。


「これが、私の本当の顔かいのう!?」


それを見た按摩は、この作品に登場する並み居るクズーズほどはクズではなかったためか、岩に伊右衛門のたくらみと過去の悪事をばらしてしまう。
夫の裏切りを知った岩は発狂し、伊右衛門への呪詛の言葉を叫びながら、置いてあった刀で首を切って死ぬ。

結果的には邪魔な妻が消えてめでたしめでたし、ということで件の娘と再婚した伊右衛門だったが、その祝言の夜に新妻の顔が岩に見えてしまい、反射的に斬り殺してしまう。

その後、逃亡しながらも岩の怨霊に昼夜を問わず苛まれる伊右衛門。
そして最後に、実は生きていた義弟(直助が殺したのは別人だった)によって、義父たちの敵として討ち取られるのであった。

もちろん、歌舞伎としての見せ場は怨霊と化した岩の怖さなのであるが、こうしてあらすじを書くと、やっぱりサイコパス伊右衛門のほうがよっぽど怖い


四谷怪談実話説


この日本人なら誰もが知る「四谷怪談」であるが、実は「歴史上実際に起きた事件を元にしたものである」という噂が、東海道四谷怪談の上演当時から囁かれている。
以後現在に至るまで、怨霊騒動などというものが実際に起きたとは言わないまでも、実際に起きた怪死事件なり女性の失踪事件なりをモデルにしているのではないか、という説は語り継がれている。

その最大の根拠とされていた史料が、「於岩稲荷由来書上」である。
これによると、貞享(1684年 〜 1688年)の頃に四谷の田宮家の伊右衛門という男の妻のが、夫の不貞を知って発狂し、どこへともなく失踪してしまった。
その後、伊右衛門の関係者ら18人もの人が謎の死を遂げ、田宮家は途絶えてしまった

ご覧の通り、「伊右衛門」と「岩」という登場人物の名前が一致している上に、夫の裏切りによる妻の発狂、それに続く関係者の怪死、という点が四谷怪談と酷似している。
すなわち四谷怪談とは、この実在の岩の呪いをモデルとした物語だったのだ……


と言われていた。
しかし、この説には根本的な問題があった。
「於岩稲荷由来書上」が書かれたのは、「東海道四谷怪談」の初演よりも後の1827年なのである。
事件が起きたとされる貞享年間からは、百年以上の開きがある上に、史料として現れるのが「東海道四谷怪談」よりも後なのだから、この資料が「東海道四谷怪談」の元ネタ、ということはありえない。

また、内容があまりに詳しすぎる、という点も疑問視された。
この史料では、「〇〇が〇〇年の〇月〇日に死んだ」などと、関係者の死亡した日付まで書かれているのだが、そもそも江戸時代において、一般庶民の生没年など、全く分からないのが普通である。
仮に当時に死亡記録なり捜査記録なりが書かれていたとしても、百年以上後になっても追跡できるほどまとまって残されていた、ということはありうるだろうか?

これらの不自然な点から、「於岩稲荷由来書上」は「東海道四谷怪談」の宣伝に使うために、鶴屋南北が大方役人に袖の下でも渡して書かせたでっち上げ史料に違いない……と、長らく考えられてきた。
しかし、1980年代になって、四谷怪談研究に根本的に見直しを迫る史料が発見される。
それが「四谷雑談集」である。

「四谷雑談集」は、1727年に書かれた文献である。
この中に、元禄の頃を舞台として、明らかに「四谷怪談」と内容的に一致する伊右衛門と岩の物語が書かれているのである。
つまり、「四谷怪談」の全てが鶴屋南北の創作と言うことはありえないことになる。

さらに重要なことは、この「四谷雑談集」に書かれている事件(お岩や、田宮家の怪死事件とは直接は関係ない)の一部が、他の史料にも書かれていることが確認されたのである。
つまり、この事件は実際にあった可能性が極めて高い。
よって、お岩失踪に始まる田宮家の怪死事件もまた、実際に起きた事件であると思われる……という見方が現れたのである。


しかし、これにもやはり疑問が残る。
「四谷雑談集」は、今のところ作者不詳で、どこで書かれたかも分かっていない文献である。
そして、その内容は明らかに、今でいう通俗小説である。
なので、その内容がどこまで実際に起きた事件に忠実なのかはかなり怪しい。
上記した事件についても、「たまたまその当時話題になっていた事件を、小説の中に取り入れただけ」という可能性も考えられないではない。


ちなみに、民谷家のモデルとなったとされる田宮家は実在したことは確かであり、現在まで存続している

ここで、鋭い人なら「え?」と思うだろう。
そう、四谷怪談伝説では、田宮家の子孫はお岩の呪いで全て死に絶えたことになっているので、その子孫が現在までいるはずがないのである。
「田宮家の子孫が現在もいる」という事実は、「四谷怪談実話説」と、根本的に矛盾する。

このことは古くから疑問だとされていたが、系図などで確認した結果、どうやら田宮家は五代目の時に一度断絶しており、その後養子が後を継いだようである。
ということは、五代目の時に、何らかの理由で跡取りがいなくなった可能性があり、その「何らかの理由」が怪死事件なり失踪事件なり、四谷怪談のモデルになる事件だった、というすれば一応は辻褄が合う。
とすれば、お岩のモデルは五代目の妻か娘だったのかもしれない。
しかし、これを支持するような史料は見つかっていない。


さらに話をややこしくするのは、田宮家にはお岩と伊右衛門に関する全く別の話が伝わっていることである。
この田宮家の伝承によると、お岩は怨霊どころか田宮家中興の祖とも言える賢妻であり、伊右衛門もサイコパスなどではなく、妻を愛する真面目な男だったことになっている。

この伝説によると、お岩と伊右衛門は仲睦まじい夫婦だったが、あまりに生活が苦しいので、一時的に離縁して別々の家に奉公することにした。
お岩は奉公先で熱心に働きながら、「一日も早く再び夫と暮らせますように」とお稲荷様に祈っていた。
そのことを知った奉公先の主人が、「こんな立派な妻はおらん!!」と感激し、伊右衛門を取り立ててあげたため、めでたく二人は一緒に暮らせるようになった。
……という、ハッピーエンドの話である。

この話を素直に信じれば、そもそも四谷怪談のモデルになるような不吉な事件などは田宮家には起きなかったことになる。
が、そうだとすれば、「なぜ恐ろしい怪死事件の伝説が、田宮家と結びつけられて語られるようになったのか?」そして、「なぜ賢妻であったお岩が、恐ろしい怨霊にされてしまったのか?」という、また別の大きな疑問が生じてしまう。

そもそも、この「お岩賢妻伝説」は、ぶっちゃけあまりにも美談として出来すぎてはいないだろうか?

これについては、「四谷怪談」の流行であまりにも田宮家にネガティブなイメージがついてしまったため、それを打ち消すために流された伝説なのではないかという説もある(現在で言えば「対抗神話」である)。
だとすれば、この話から史実を辿ることもできないことになる。

なお、この伝説の中の「伊右衛門」は田宮家の二代目とされており、元禄時代の話とする「四谷雑談集」とは時代が合わない。
つまり、「お岩のモデル」とされる女性は、「田宮家二代目の妻」と「田宮家五代目に関わる女性」の二人いることになる。
あるいは、この二人のイメージを重ね合わせることで作られたのが「四谷怪談」のお岩なのかもしれないが、そこまでいくともはや推測に推測を重ねるようなもの、確かなことは言えない。


以上、長々と書いてきたが、要するに今のところ、
「貞享もしくは元禄のころに、田宮家で四谷怪談のモデルになった何らかの事件が起きたのかもしれない」
という以上のことははっきり言えない。
四谷怪談実話説に決着をつけるには、今後新しい史料が見つかるのを待つしかないだろう。


ちなみに、「東海道四谷怪談」を上演すると、上演中に度々事故が起こり、これもお岩の祟りであるとされた、という話も有名である。
しかし、現在のように照明設備や安全設備が発達していない江戸時代、大掛かりな芝居には事故や怪我が付きものだっただろう。
この話は、そのような事故を鶴屋南北をはじめとする関係者が逆利用したものではないか、とも言われてている。


ちなみに、巣鴨の妙行寺に「お岩の墓」とされるものがある。
しかし、四谷怪談伝説では、お岩は発狂したままいずこへともなく消えたことになっているので、墓など作りようがない。
この墓は四谷怪談伝説とは全く関係ないものであろう(上述の二代目伊右衛門の妻の墓という説が有力)。


四谷怪談を扱った現代の作品



京極夏彦の小説。映画化もされた。
東海道四谷怪談を下敷きにしつつも、お岩と伊右衛門のキャラクターは大きく変更されている。

  • 四谷怪談(創作落語)

三遊亭圓朝による創作落語。伊右衛門の見たお岩の幻影の正体に、いかにも落語的な解釈がつけられている。

  • 四谷快談!
四谷怪談を扱った…というより、由来になったタイトル。また、登場人物の名字は多くが怪談や心霊スポットなど不吉なものが由来になっている。内容は八ツ墓ケイタが昔は仲がよかったが疎遠になってしまった、四谷マナミが幽体となり、ドタバタラブコメを繰り広げながら、事件の真相に迫っていく…というもの。尚、『快』とついてるが確かにコミカル(特に中盤の鍋島辺り)であるもの、終盤の展開はヒロインが救いようの無い結末を迎えることに…




「番町皿屋敷」のお菊さんなどと比べると、お岩さんは、現代のマンガで萌えキャラ化される例はほとんどない。
やっぱり薬で醜くなった設定のせいか……



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最終更新:2024年09月16日 22:10