登録日:2025/05/22 Thu 22:54:52
更新日:2025/05/24 Sat 12:06:06NEW!
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《落葉》とは、フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの詩の一篇である。
―― 概要の
原題は “Chanson d'automne” で、これは直訳すれば『秋の歌』となる。
タイトルからも分かるように、ボードレールの《秋の歌》を意識したもの。
ヴェルレーヌ初の詩集『サテュルニアン詩集』(1867年)で発表された。
当時、ヴェルレーヌは21歳。そんな若い時分の作でありながら「ヴェルレーヌの最大傑作の一つ」とされるばかりか、「フランス抒情詩の最高水準をゆくもの」とまで評されることのある名作である。
秋の日の哀愁、寂寥感……そういったものを余すことなく心に呼び起こしてくれるであろう。
なお、《落葉》という日本語訳は、上田敏が自身の詩集『海潮音』においてこの詩を紹介した際に付けたもの。
要は意訳なのだが、訳された本篇と相まって日本ではこれが最も有名であろうため、本項目では《落葉》として紹介する。
当然だが訳者によっては《秋の歌》の題で訳されている方もいる。
―― 本篇の
※あえて詩としての解説は載せないこととする。
各々の心に想起したものを大切にしていただければ幸いである。
《原文》
Chanson d'automne
Les sanglots longs
Des violons
De l'automne
Blessent mon cœur
D'une langueur
Monotone.
Tout suffocant
Et blême, quand
Sonne l'heure,
Je me souviens
Des jours anciens
Et je pleure;
Et je m'en vais
Au vent mauvais
Qui m'emporte
Deçà, delà,
Pareil à la
Feuille morte.
《上田敏 訳》
落葉
秋の日の ヸオロンの ためいきの
身にしみて ひたぶるに うら悲し
鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて
涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや
げにわれは うらぶれて こゝかしこ
さだめなく とび散らふ 落葉かな
いくつか耳馴染みのないであろう単語があるため、それだけは解説させていただこう。
- ヸオロン
- 読みは「ヴィオロン」。
原語では上記の通り“violon”であり、フランス語でヴァイオリンのこと。
- ひたぶるに
- 漢字で書くと「頓に」もしくは「一向に」
意味はいくつかあるが、この場合「ひたすらに」「甚だしく」あたりの意味であろう。
- うら悲し
- 漢字で書くと「心悲し(い)」
表立っては見えないが、見えない内面はもの悲しい様。
- 胸ふたぎ
- 漢字で書くと「胸蓋ぎ」
心苦しさに胸がつまるように感じられること。
- 色かへて
- うらぶれて
- 心がしおれて侘しく思う様。
落ちぶれて惨めな様子になる、といった意味もあるがここでは前者の意味であろう。
《堀口大學 訳》
秋の歌
秋風の
ヴィオロンの
節ながき啜泣
もの憂き哀しみに
わが魂を
痛ましむ。
時の鐘
鳴りも出づれば
せつなくも胸せまり
思ひぞ出づる
来し方に
涙は湧く。
落葉ならね
身をば遣る
われも、
かなたこなた
吹きまくれ
逆風よ。
《金子光晴 訳》
秋の唄
秋のヴィオロンが
いつまでも
すすりあげてる
身のおきどころのない
さびしい僕には、
ひしひしこたえるよ。
鐘が鳴っている
息も止まる程はっとして、
顔蒼ざめて、
僕は、おもいだす
むかしの日のこと。
すると止途もない涙だ。
つらい風が
僕をさらって、
落葉を追っかけるように、
あっちへ、
こっちへ、
翻弄するがままなのだ。
《窪田般彌 訳》
秋の歌
秋風の
ヴァイオリンの
ながいすすり泣き
単調な
もの悲しさで、
わたしの心を傷つける。
時の鐘鳴りひびけば
息つまり
青ざめながら
すぎた日々を
思い出す
そして、眼には涙。
いじわるな
風に吹かれて
わたしは飛び舞う
あちらこちらに
枯れはてた
落葉のように。
また、敢えて日本語への直訳も載せてみる。
これまでのものと見比べて、是非、各人がこの美しい詩を表現しようとしたかを感じて欲しい。
秋の歌
秋のバイオリンの長いすすり泣き
単調な倦怠感で私の心を傷つけます
息苦しく顔は青ざめ
時報を聞くと昔のことを思い出して涙します
そして私は、私を連れ去る悪い風に向かって立ち去ります
あちこちに、枯葉のように
―― 暗号の
第二次世界大戦の折、『ノルマンディー上陸作戦』と称される作戦の決行の合図にこの詩が使われたことがある。
イギリスの特殊作戦執行部がフランス内部にいるレジスタンスに作戦決行のタイミングを知らせるために使用された。
具体的には、英国放送協会のフランス語放送、そのニュースの合間の「個人的なおたより」コーナーで
- 最初の段落の前半部分(“Les sanglots longs des violons de l'automne”)のみが放送されれる
⇒ 「近いうちに連合軍の大規模な上陸作戦がある」
- 後半部分(“Blessent mon cœur D'une langueur Monotone.”)も合わせて放送される
⇒「48時間以内に上陸作戦が行われる」
を伝えられた。
そして、1944年6月5日、午後9時15分に後半部分が放送され、ノルマンディー上陸作戦は決行されたのであった。
―― 創作の
著名な詩であるため、フィクション作品でも引用が行われることがある。
・『ばるぼら』
手塚治虫の漫画作品。
第1章「デパートの女」の冒頭で、謎の女ばるぼらが自身の心情と重ね合わせたのか、この詩を諳んじる。
また、「うらぶれ(た)」という表現は「酔いどれ」と組み合わせて「酔いどれうらぶれ」と使われることもある単語。
アル中である、ばるぼら自身の身を重ねたのかもしれない。
なお、それに対して美倉が返した「君過ぎし日に 何をかなせし 君今ここに ただ嘆く」も同じくボードレールの詩『空は屋根の彼方に』(永井荷風訳)の引用。
・『まじかる☆タルるートくん』
『うれしい秋の日 たのしいデート♡』の話で、伊代菜ちゃんとデートしている本丸のために、タルはムードアップ蓄音機をかける。
そのシーンで挿入されていたのがこの詩の一段落目。
なお、こちらでも上田敏の訳版が使用されている。
ダージリンが各校へ、以下のお茶会招待の電文を送る。
「秋の日の ヴィオロンの ためいきの ひたぶるに 身にしみて うら悲し 北の地にて 飲み交わすべし。」
ヴェルレーヌそのものというよりも、上記のノルマンディー上陸作戦決行の暗号に掛けた暗喩であろう。
本作におけるゴジラの対戦相手となる植物怪獣
ビオランテ。
その名前の由来は、この詩であると原作者・小林晋一郎氏の自著にて語られている。
それは、「ヴィオロン」の単語に、それまで怪獣の名前にあまり使われなかった「テ」を足して捩ったものであるとのことである。
なお、本作はバイオテクノロジーを題材とした作品でもあるのだが、そちらを想起させる名前になったのは偶然であるとか。
また、アニメ映画
『GODZILLA』三部作の前日譚小説『怪獣黙示録』において、ノルマンディー海岸にビオランテが出現する描写がある。
これら以外にも、上記のノルマンディー上陸作戦をテーマにした1962年の映画『史上最大の作戦』でも、当然この詩が使用されている。
げにわれは 編集し こゝかしこ
さだめなく 追記せし 籠りかな
- ブラッドボーンの落葉も元ネタなんかな? あれは半端じゃなく強い雑魚を複数相手にしなきゃならんから、身にしみて ひたぶるに うら悲し、という気分が味わえる -- 名無しさん (2025-05-22 23:13:43)
- 詳しくはないから簡単に調べただけだけど、あまり関係ない気がする。少なくとも、明確に元ネタと断言はできなさそう? -- 名無しさん (2025-05-23 10:43:12)
- 暗号にこの詩が使われたの何か理由があったんかね。ただ単にリクエストがあってもおかしくない詩だから? -- 名無しさん (2025-05-23 11:37:22)
最終更新:2025年05月24日 12:06