登録日:2025/10/18 (土曜日) 10:40:00
更新日:2025/10/20 Mon 20:33:37
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The Whoはイギリスのロックバンドである。
ハードロックの元祖、パンクの元祖、挙句にテクノの先祖など、いろいろ先駆けていた。
楽器破壊やジャンプなど荒々しいステージと、文学的な内容のロックオペラ作品という二面性も特徴。
【歴史】
元々はRoger Daltrey(ヴォーカル)が組んでいたThe Detursが母体。そこにJohn Entwistle(ベース)とPete Townshend (ギター)が加入、当時はRogerがギターだったが、ヴォーカリストが脱退したのと、Rogerが仕事で手を怪我したためにヴォーカルに転向、Peteがリードギタリストになった。その後当時のドラマー、Doug Sandomが脱退し、ある日のステージに飛び入りしてきたKeith Moonを正式に加え、The Whoと改名した。
1964年にマネージャーとしてPeter Meadenが就任すると、モッズのアイドルとして売り出すべくバンド名をHigh Numbersに変更、シングル”Zoot Suit”でデビューを果たすも鳴かず飛ばずに終わる。Meadenはその後マネジメント権をKit LampbertとChris Stampに売却、バンド名もThe Whoに戻し、翌年シングル”I Can’t Explain”で再デビュー。The Kinksのスタイルを取り入れたこの曲はスマッシュヒットを記録し、続くアルバム”My Generation”と同名シングルで本格的に成功を手に入れる。
しかし、”My Generation”の印税問題でプロデューサーのShel Talmyと衝突、これによってThe Who最初の3枚のアルバムは全て別のレーベルから出ることになる。また、同時期Rogerの暴力問題による一時脱退や楽器破壊による財政難はバンドを苦しめていた。そのため、PeteとLampbertは起死回生の策として、以前から構想していたロックオペラの制作に乗り出すことになる。
69年には当時Peteが師事していたインドの導師メハー・ババの思想や彼自身の幼少期の体験を反映したロックオペラ”Tommy”が発売され、世界的な大ヒットを記録する。更にこのアルバムの殆どの曲を演奏するツアーと、伝説のフェス、ウッドストックへの出演。更にこのツアーの抜粋(“Tommy”は含まない)を収めたライヴアルバム”Live At Leeds”も大ヒット。これらによってバンドの財政危機はだいぶ免れたという。
Peteはもう一作、”Lifehouse”というロックオペラを構想したが、メンバーにも理解が得られず頓挫。ここで再び挫折するかと思えばこのプロジェクトを再編成したアルバム”Who’s Next”は最高傑作の名を更新するほどの傑作として仕上がった。更に翌年には今度こそ、のロックオペラ作品”Quadrophenia”を成功させる。この69〜72年は誰もが認めるThe Whoの最盛期と言って過言ではないだろう。
しかし、”Quadrophenia”のツアー中からKeithの健康問題が問題になり始める。また、マネジメントとの不和も発生し、再びバンドには暗雲が立ち込める。現代でこそバンドが2〜3年アルバムを出さないのは珍しくないが、70年代にそれは致命的だ。映画”Tommy”のサントラや未発表曲集、ベスト盤でお茶を濁してはいたものの、オリジナルアルバムが世に出たのは3年後の75年だった。しかもその”By Numbers”は比較的地味な内容で評価は高くなく、ツアーも行われたがKeithはボロボロで、ステージ中に倒れたり入院したりという有様だった。
77年以降も伝記映画”The Kids Are Alright”と「さらば青春の光」こと”Quadrophenia”の制作、そしてニューアルバムのレコーディングと忙しくはあったが、Keithは”Who Are You”リリース直後の79年、鎮静剤のオーバードーズで死去してしまう。
バンドはKeithの死後も活動を決め、元FacesのKenny Jonesを後任に迎えツアーを敢行。次いで新作も制作するも、KennyにとってはPeteがWhoよりソロ用に良曲を温存していると批判、RogerはKennyのスクエアなドラミングが気に入らなかったり、Peteはアル中でボロボロだったりと、バンド内は結束どころかバラバラと言って良い状態だった。結局82年のアルバム”It’s Hard”とフェアウェルツアーをもってバンドは解散を決意。一旦歴史に幕を下ろす……
しかし、ラストツアーの2年後、85年にはライヴ・エイドのために再結成。88年にもBPIアワードのステージに登場。そして89年にはKenny以外の3人+セッションマンのSimon Philipsを始めとする、Peteのソロバンドを原型にしたメンバーにより”Tommy”発売20周年のツアーが敢行される。
更に96年には今度は”Quadrophenia”を再現するステージのために再集結。この時からはRingo Starrの息子、Zak Starkeyがドラマーに収まっている。そして99年からはZakを含めたメンバーにより本格的な再結成がスタートする。
しかし2001年、USツアー直前にJohnが急死。しかしバンドは急遽Pino Paradinoを代役にツアーを続行。2003年にはJohnを偲ぶ”Old Red Wine”を含む2曲の新曲をリリース、そして04年にはThe Rock Odyssey 2004で遂に初の来日を果たす。その後も断続的にツアーをこなしながら06年と19年にはニューアルバムもリリース。そして、2025年をもってラストツアーを宣言。結局Whoの歴史は約60年という長大なものとなった。
【メンバー】
Pete Townshend
ギター/キーボード/ヴォーカル等
The Whoの頭脳にしてバンドリーダー。元々はRogerがリーダーだったが、彼の暴力に対し3人揃って拒否したことと、Peteが大半の作曲を行っていることから実質的リーダーの座に収まった。
ソングライターとしては、あまり普通のラヴソングを書くことは多くなく、自らの幼少時の体験や、宗教的な思想に基づいた繊細で、物語的かつ哲学的な歌詞が多い。曲調のヴァリエーションは多岐に渡り、”I Can’t Explain”をはじめとする荒々しいハードロックから”Sunrise”のような内省的な楽曲まで幅広い。自宅スタジオで作ったデモテープの完成度は高いが、それを上回るプレイをするのがThe Whoだとも語っている。
ギタリストとしてはいわゆるギターヒーロー的な速弾きのソロはあまり弾かず、間奏やアドリブでもリフの延長上的なコードカッティングを多用し、そういったアドリブのリフから新曲が生まれることもある。そのカッティングのシャープさは同時代のギタリストの中でも屈指の存在である。更にステージで見せる通称「風車奏法」やジャンプ、そしてギターやアンプの破壊などの派手なパフォーマンスはファンを魅了した。
Roger Daltrey
ヴォーカル/ハーモニカ/タンバリン/ギター等
フロントマンでありながらバンド中一番地味な存在という他のバンドには無い不思議な立ち位置のリードヴォーカリスト。他のメンバーのプレイが派手なのもあるが、PeteやJohnより頭ひとつくらい背が低いということもあり、ステージ中央で「谷」のようになってしまうのも原因の一つだろう。
しかし、その体育会系キャラを活かした声量と力強いヴォーカルは後年のハードロックシンガーの雛形となった存在でもある。また、周囲の派手なパフォーマンスに対抗したのか、Rogerにも「マイク回し」という得意技がある。これはマイクのシールドを持って縦横にマイクを振り回すというパフォーマンスであり、Rogerの場合はこのコントロールが非常にうまく、シールドを引くと絶対に彼の手元に綺麗の収まるという技を持っている。
映画”Tommy”で主演して以来役者としても一時期活動しており、演技でも評価を得ている。
John Entwistle
ベース/ホーン/ヴォーカル等
ベーシストのパブリックイメージをRolling StonesのBill Wymanと共に確立したと言える寡黙なベーシスト。他のメンバーが激しいアクションを決める中、一人だけステージの定位置から動かず黙々とベースを弾き続ける姿が特徴。では、何故Rogerの方が地味と扱われるのか。それは彼のプレイスタイルにある。そのThunderfingerと呼ばれるプレイは別名「テン・フィンガー奏法」とも呼ばれ、両手の全ての指が弦の上で常に動き回り、手数の多い、しかも歪んだ大音量のベースサウンドを弾き出しているのだ。本人も「俺はベーシストじゃなくてベースギタリストなんだ」と語っている。所謂リードベースの走りである。
ギター/ベースのコレクターとしても有名で、数百本の楽器を持っていた。また、現在主流のベース用のラウンド・ワウンド弦はJohnが弦のメーカーに依頼して作らせたものだと言われる。
ベース以外にWhoでの役割は金管楽器のプレイヤーという面があり、WhoのレコーディングではトランペットやフレンチホルンをJohnが吹くため、ホーンセクションを呼ぶことはほとんど無かった。また、Peteに次ぐソングライターであり、アルバム中2〜3曲やシングルのB面曲を手掛けている。Peteとは経路の違う不気味な曲調や、ホラー風だったりコミカルだったりする歌詞が特徴。
2001年、ツアー前日ラスベガスのホテルで死去。死因はアレなので上記歴史の項目の脚注に書いたのでそちら参照。
Keith Moon
ドラムス/パーカッション/ヴォーカル他
ある意味The Whoの顔とも呼べる奇人ドラマー。ハイハットを廃したツーバスのドラムキットでピートと共にステージ終盤で楽器破壊を繰り広げ、また、曲中も所謂8ビート、16ビートいうリズムパターンから離れ、まるでドラムソロを叩き続けているかのような独特のプレイが特徴。しかし、その派手さばかりが取り沙汰されるが、実際にはメロディやリフに寄り添った、オーケストラのパーカッションパートのような演奏をしており、あれだけ派手にプレイしても楽曲の邪魔をしないのが彼の本質である。マーチングドラムを習った経験もあり、実際は確かなテクニックに裏付けられた演奏である。
同様にその性格も実は繊細で寂しがりであり、その性格がアルコールや薬物に走らせ、悲劇的最後への引き金となった。晩年はプレイもコントロールが効かなくなる場面があり、Peteから批判を受ける場面もあった。ステージで昏倒し、観客からドラムを叩ける人物を募集してステージを続行したという今では考えられない話も。1979年、薬物の過剰摂取により死去。
Kenny Jones
ドラムス/パーカッション
元Small Faces〜The Facesのドラマー。Keithの死後、Peteが後任として指名した人物で、それ以前も映画”Tommy”のサントラでWhoのメンバーらと共演した経験もあった。Small Facesはモッズ時代のThe Whoとはライバル関係と言われていたバンドで、交流も深かった。しかし、加入直後からPeteやRogerとは折り合いが悪くなっていたようだ。
プレイスタイルはKeithとは真逆とも言えるスクエアなビート。Small Faces時代は荒々しく手数も多いプレイをしていたが、この時期はシンプルなプレイヤーとなっており、Peteが求めたのもそのスタイルだった。88年の再結成ステージまではドラマーを務めたが、翌年以降のツアーには誘われなかったようだ。
【代表的サポートメンバー】
John “Rabbit” Bundrick
キーボード
"Face Dances"のツアー以降、再結成等にも多く参加していたキーボーディスト。米国人。Freeとも関わりが深い。前歯が長いのでRabbitの名で呼ばれる。
Simon Philips
ドラムス
英国のセッションドラマー。Peteのソロアルバムに参加していた経緯から89〜90年のツアーでドラムを叩いた。Johnと共にThe Bestというスーパーバンドで来日もしている。後年Totoに加入している。
Zak StarKey
ドラムス
Ringo Starrの息子。元々JohnやRogerと関わりがあり、96年のライヴから参加。その後の再結成ツアーの大半にドラマーとして参加していたが、2025年のフェアウェルツアー直前に解雇。ちなみにZakがKeithからドラムを習っていたという噂は本人により否定されている。Who以外では
Oasis等のサポートも勤めている。
Pino Palladino
ベース
英国のセッションベーシスト。Johnが亡くなった直後に急遽呼び出され、99年ツアーに参加。以降2016年までThe Whoでプレイ。
Simon Townshend
ギター/ヴォーカル
Peteの歳の離れた弟。Johnの死後にコーラスパートの強化のためツアーメンバーに参加。それ以前にもTommyのサントラなどにも関わっている。
【ディスコグラフィ】
オリジナルアルバム
My Generation (1965)
デビューアルバム。元々R&Bのカヴァーが中心の選曲が批判を受けPeteが一念発起、タイトル曲やThe Kids Are Alrightなどオリジナル曲を書き下ろし、現代まで名盤と呼ばれる作品に仕上がった。デビューから2枚のシングル、I Can’t ExplainとAnyway, Anyhow, Anywhereは未収録。そういうのが当たり前の時代だったのだ。
A Quick One (1966)
デビュー作のプロデューサーと揉めてレーベルを移籍、新天地でのリリースとなった2作目。本作では印税率アップのため全員がオリジナル曲を作曲した。Johnの処女作にして代名詞、Boris The Spiderはここに収録。タイトル曲A Quick One, While He’s AwayはPeteによる8分に及ぶミニ・ロックオペラ。後のTommyへの足掛かりとなった。
The Who Sell Out (1967)
またしてもレーベルを移っての3枚目。曲間にコマーシャルを収録した実験的作品だが、何故かそのコンセプトはB面途中で終わっている。Peteの自信作であり、
Beatlesにも影響を与えたI Can See For Miles収録。終曲Raelのリフは次回作のSparksに丸ごと流用された。
Tommy (1969)
The Whoの代表作の一つにして「ロックオペラ」という分野を切り開いた金字塔。ショックにより目が見えず、耳が聞こえず、喋れない三重苦となった主人公トミーが神秘的な体験をしてピンボールのチャンピオンとなり、治癒後は教祖となるが信徒に見限られ内面世界へ帰っていくというストーリー。名曲Amazing Journey, Pinball Wizard, I’m Free, See Me Feel Meなどを収録。
Who’s Next (1971)
元々はTommyに次ぐロックオペラとして企画されたが難解すぎる内容に頓挫。1枚もののストーリーの無い通常アルバムとしてまとめた結果、人によってはTommy以上の評価をする大名盤に仕上がってしまった。捨て曲ゼロと言って過言ではないが、Baba O’RileyやWon’t Get Fooled Againで聴かれるオルガンとシンセサイザーを組み合わせたシーケンサー的な使い方はテクノの源流とも言われた。
Quadrophenia (1972)
モッズをテーマにした2作目のロックオペラ。前作以上に重厚なハードロックサウンドは初期からのファンには過剰にも思えたが、楽曲のレベルも高く最高傑作の一つに数えられる場合も多い。特に歌をバックにベースソロとドラムソロが繰り広げられているようなThe Real Meの人気は高い。Love Reign O’er MeでのRogerの胸が張り裂けるような絶唱も必聴。Peteが全曲を一人で作曲した唯一のアルバム。
Odds And Sods (1974)
過去の未発表曲を他メンバーが映画仕事で一人暇だったJohnが編纂したコンピレーション。High Numbers時代のデビューシングルから、Quadrophenia以降頓挫した新プロジェクトの楽曲Long Live Rockまで収録された、非オリジナルながら重要作。
The Who By Numbers (1975)
オリジナルアルバムとしては3年ぶりとなるアルバムで、久々のノンテーマの作品。楽曲のクォリティは下がっていないが、比較的地味な雰囲気に仕上がったこともあり、評価が低めに扱われる傾向がある。しかし、Squeeze BoxやDreaming From The Waistなど人気の高い楽曲も多く、通好みの名盤と呼ぶ向きも。ジャケットのイラストはJohnの作品。
Who Are You (1978)
Keithの遺作となったアルバム。プロデュースにWho’s Next以来のGryn Johnsを迎え、同作とも近い感触を持ったアルバムに仕上がったが、Keithがドラムを叩けない曲があったりと、制作は難産だったようだ。楽曲の方向性もKeithより後任のKennyの方が合っていそうな気もする。タイトル曲は米国ドラマの主題歌やCMでもよく知られている。
Face Dances (1981)
Kenny Jonesをドラマーに迎えての1作目。Keith抜きのWhoということで、明らかにスクエアなグルーヴに変貌したサウンドは当然のごとく賛否両論だったが、リードシングルとなったYou Better You Betがヒットし健在をアピールした。また、本作以降Johnの曲が冴え渡り、The Quiet Oneなどを提供している。
It’s Hard (1982)
Peteの活動終了宣言を受けての(ひとまずの)ラストアルバム。前作以上に賛否、というか否定的意見の多いアルバムで、評価的には有終の美を飾れない結果になった。しかし楽曲のクォリティは相変わらず高く、PeteがヴォーカルをとるEminence Frontは再結成以降のステージでも頻繁にプレイされる人気曲となった。
Endless Wire (2006)
再結成後初のスタジオアルバム。ミニオペラWire & Grassを含み、ジャケットもTommyを彷彿とさせるデザインとなっている。収録曲のTea and Theatreは近年のライヴでラスト曲としてプレイされることもある渋いバラード。なお、Zak StarKeyはレコーディング当時Oasisのツアーに参加していたため1曲のみの参加に留まっている。
Who (2019)
再結成2作目。Peteのソロ色が強めに出ていた前作に比べ、Pete & Rogerのタッグがガッチリ決まったタイトル通り「Who」を強く感じるアルバム。本作ではZakも4曲でドラムを叩いており、Pino Palladinoを含むバンドのアルバムという一面も持つ(Rabbitは不参加)。
ライヴアルバム
代表的なものを記す
Live At Leeds (1970)
The Whoのライヴアルバムをまず一つ、と言えばこれ。オリジナルは6曲入りだったが、後年様々な拡張版がリリースされ、現在は当時演奏された全曲が正式リリースされている。代表曲とされるSummertime Bluesは本作が初出。基本的にはスタジオヴァージョンは無い。
Who’s Last (1984)
82年のフェアウェルツアーから編集された2枚組ライヴアルバム。何故かKeith在籍時の楽曲だけが収録されている。Kenny加入後の曲はのちにリリースされたLive from TorontoやLive At Shea Stadium 1982で聴くことが出来る。
Join’ Together (1990)
89年のTommyツアーを収録した2枚組。1枚はツアーからの抜粋で、Peteのソロ曲なども含み演奏順と関係なく収録。もう1枚はTommyのフル再現ライヴを収録している。
Live at the Royal Albert Hall (2003)
99年のJohn最後のライヴを収録したアルバム。Eddy VedderやPaul Weller、Noel Gallagherらがゲスト参加している。
映画&サウンドトラック
Tommy (1975)
Tommyの映画版のサントラ。レコーディングはWho単独ではなく様々なミュージシャンを起用しており。Kenny Jonesも参加している。映画はミュージカル方式で、すべてのセリフは歌になっており、トミー役のRoger、アーニーおじさん役のKeithをはじめとしてElton John、Tina Turner、Eric Claptonら豪華ミュージシャンが役を演じている。
The Kids Are Alright (1979)
Keith存命時から制作されていたWhoの歴史を辿ったドキュメンタリー。キルバーンでのKeith最後のライヴや、スタジオでのセッション映像を含む。Whoを知りたい場合最初に触れる作品としても最適。
Quadrophenia (1979)
The Kids Are Alrightと並行して進められていた映画作品。Tommyと違ってWhoのメンバーは音楽のみ担当。役者がストーリーを演じる通常の映画として制作された。Stingがモッズのリーダー役で出演している。サントラはオリジナルの音源をJohnがリミックスしており、ホーンが追加されたりベースの再録音も行われている。また、追加楽曲の録音はKeithの死後、Kennyのドラムで行われた。
Amazing Journey (2008)
再結成後に公開されたドキュメンタリー。ちょうど初の日本公演と近い時期だったためか、日本でも劇場公開された。
【代表曲】
- I Can't Explain
- My Generation
- Substitute
- Pictures Of Lily
- I Can See For Miles
- Magic Bus
- Pinball Wizard
- See Me, Feel Me
- Summertime Blues
- Baba O' Riley
- Behind Blue Eyes
- Won't Get Fooled Again
- 5.15
- The Real Me
- Love Reign O'er Me
- Long Live Rock
- Who Are You
- You Bette You Bet
他多数
【その他諸々】
先述の通り、現在主流のベース弦となるラウンドワウンド弦はJohnがロトサウンドに依頼して作らせたもの。元々はダンエレクトロのベースに付属していた弦を原型としているが、交換弦が市販されていなかったため弦を切るたびにベースごと買い替えていたらしい。
また、ハードロック/ヘヴィメタルの「常識」ともなったマーシャル3段積み(スピーカーキャビネット2台+ヘッド)のスタイルを発明したのはPeteとJohnだと言われている。
メンバー間の仲の悪さは有名で、初期のRogerが暴力を理由に一時解雇されたり、PeteやJohnが他メンバーへの不満を公言したり、Kennyが加入直後から他メンバーと不仲だったりと、音楽だけが絆だった。しかし、JohnとKeithは仲が良かったり、生き残ったPeteとRogerは近年強い絆で結ばれているという。
追記、修正する前に死にたいぜ
- ザック離脱のゴタゴタが悲しかった。ボケが来てるのかな… -- 名無しさん (2025-10-18 13:36:45)
最終更新:2025年10月20日 20:33