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メフォ手形

登録日:2025/11/27 Thu 19:19:32
更新日:2026/04/08 Wed 21:26:12
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メフォ手形とは、ナチス・ドイツが軍事費調達に用いた手形の総称。
メフォ手形を利用することでナチス・ドイツは隠れ借金をすることに成功し、短期間で急速な軍拡を成し遂げた。





メフォ手形発行までの政治動向

首相就任後、再軍備のために資金調達を考えたヒトラーは、軍事費の調達額についてライヒスバンク*1の総裁ハンス・ルターや前総裁のヒャルマル・シャハトに質問。
ルターからはヒトラーの望みから程遠い回答しか得られなかったが、シャハトは額こそ明言しなかったものの再軍備への協力を確約した。
これを受け、シャハトがルターに代わりライヒスバンク総裁に再就任、メフォ手形を利用した軍事費の調達が開始された。
なおシャハトは翌1934年8月には経済相に任命され、さらにその翌年の1935年5月には「戦争経済全権」にも任命され、ナチ政権における経済政策のトップとなる。

メフォ手形の調達に先立ち、ダミー企業として有限会社冶金研究協会、通称メフォ*2が1933年8月に設立された。
これはドイツの大企業クルップ、ジーメンス、ティッセン、ドイツ工業企業、グーテ・ホフヌングヒュッテからの出資金によって設立されたが、役員はライヒスバンクと国防軍の代表者で構成され、職員もライヒスバンクからの出向者であった。



メフォ手形発行の流れ

メフォ手形は以下の流れで発行された

① 国防省から兵器の発注を受けた企業が手形を振り出しメフォに提出*3
② メフォが手形を審査し引き受ける
③ 手形をハフィに送付(ハフィについては後述)
④ ハフィが手形に署名
⑤ 手形をメフォに返送
⑥ メフォが手形を振り出した企業に戻す

このような流れで企業の手元に送られた手形の総称がメフォ手形である。

メフォ手形は法律上3か月で満期を迎えたが、償還期限は5年まで延長が可能となっていた。しかしライヒスバンクはメフォ手形の再割引*4を無制限に保証した*5ため、3か月後には現金化が可能であった。



・ハフィと署名について

③~⑤に登場したハフィとは、工業製品会社*6の通称。当然ながらこの有限会社もダミー企業である。

話は少し逸れるが、手形は振り出しの際に振出人と引受人が署名するが、署名人が二者のみの場合、引受人が破産すると支払いが行われなくなってしまう。
こうした事態を避けるため、引受人に信用が無い場合は第三者が署名して保証人となり、万が一引受人が支払いを行えなくなってしまった場合、その第三者が代わりに支払いを行う。
そのため、第三者が署名し保証人となっている手形は支払いを受けられる確率が高く、振出人と引受人の署名しかない手形よりも信用が増す。

閑話休題、当時のライヒスバンクは1924年の銀行法により、二者の署名しかない手形の引き受け総額は、手形の引き受け総額の33%以下に抑えなければならなかった*7
メフォ手形の引き受け総額が増すとこの制限に抵触してしまう恐れがあったため、ダミー会社のハフィに署名させ保証人とすることで信用のある手形を装い、銀行法の制限を回避したのである。



メフォ手形発行の理由

ナチス・ドイツは、主に以下の理由からメフォ手形を利用した軍拡を行った。

・ライヒスバンクによる信用供与*8額の制限を回避するため

1920年代にドイツはハイパーインフレを経験した*9ため、法律によってライヒスバンクの信用供与を制限しており、合計5億ライヒスマルク*10*11が限度であった。この限度額の範囲内ではヒトラーの望む軍拡は到底実現できなかったため、この制限に引っかからない形での資金調達…つまりメフォ手形が必要となった。メフォ手形はあくまで民間企業が振り出した手形であり、ライヒスバンクによる信用供与ではないため、この制限の対象とはならなかったのである。


・イギリスやフランスに軍拡を悟られないため

仮に銀行法やドイツ銀行法を改正して信用供与額の制限を撤廃しても、ライヒスバンクによる信用供与を受ければ償還のために予算の計上が必要となる。そうなれば当然イギリスやフランスの警戒を招くこととなるだろう。一方メフォ手形はあくまで民間企業が振り出した手形であり、国が支払いを保証しているにもかかわらず割引費用を予算に計上する必要がない。つまりメフォ手形は外部から資金の調達や利用先が極めて認識しにくいスキームだったのである。


・膨大な財政出動から発生するインフレーションを低減するため

正規の手段で国家が財政出動をする場合、国が手形や国債を発行し、中央銀行がそれを引き受けることで財源にあてることになる。
つまり中央銀行は国債を買うために巨額の紙幣を増発しなければならないが、ただでさえ信用が低くなっていたライヒスマルクにそんな負荷をかければ、あっという間に通貨価値が暴落することは目に見えていた。
しかし一般的な財政支出が「政府→民間会社」となっているのに対し、メフォ手形は「民間会社→民間会社で、それを政府が保証」という形をとっている。
こうすると政府の財政支出は、名目上メフォ手形が償還期限を迎える(=保証人である政府が支払わならければいけない)5年後に初めて発生する。言い換えれば、銀行は紙幣の増発を5年後まで先送りできることになる。
その5年後までにドイツ国内の景気が上向き税収が増加していれば、紙幣増刷も経済成長の分の自然なインフレーションに対応する形になり、急性インフレのような悪影響は理論上起きにくい。



メフォ手形による軍事費調達額とその後の展開

1934年からメフォ手形は発行され、1934・35年度の軍事支出がそれぞれ41億9700万ライヒスマルクと54億8700万ライヒスマルクであるのに対し、メフォ手形の発行額はそれぞれ21億4500万ライヒスマルクと27億1500万ライヒスマルクとなっており、1934年度には51.2%、35年度には49.0%の軍事費がメフォ手形によって補填された。
その後は軍事支出に占める割合が低下したものの、1937年度までに合計で120億ライヒスマルクが発行されている(メフォ手形の発行総額については後述)。
これは1934年4月1日から第二次世界大戦の始まる1939年8月30日までの軍事費総額600億ライヒスマルクに対し約2割を占めるものであり、重要な役割を果たしたことが分かる。

軍事費に対する支出は年々増加し、メフォ手形の発行額を加えた実質的な軍事費は1936年度には国家予算の5割超にも達した。
こうした状況にシャハトは危機感を抱き、1937年に自らの進退を盾に、メフォ手形の発行総額を制限し1938年3月31日をもってメフォ手形の発行を停止するようヒトラーに要求、これを認めさせた。
しかしながらこの頃は「自給自足・戦争推進」を掲げる第二次四カ年計画が始まっており、それを推進する四ヵ年計画全権大使に就いたゲーリングが経済政策への影響力を増大する。
シャハトは1937年11月に経済相と戦争経済全権委員を解任され、彼の発言力・影響力の低下は明らかであった。
メフォ手形もまた発行こそ停止したものの、代わりに短期国債の発行による借り換えが行われ軍拡は継続された。
シャハトはライヒスバンクの全役員とともに1939年1月7日付けでヒトラーに覚書を提出、インフレの危険性を訴えるとともに、支払い不可能な債務を引き受けないこと…つまり軍拡の停止を求めた。
しかし、これはヒトラーに拒否され直後にシャハトは解任された。

シャハトの解任後、新たなライヒスバンクの総裁にはヴァルター・フンクが就任し、ヒトラーの軍拡を遮るものはいなくなった。
しかし軍事費の増加は既にナチス・ドイツの経済に深刻な悪影響をもたらしていた。
メフォ手形の割引は紙幣の不足を招いたため、ライヒスバンクは紙幣の増刷でこれに対応、流通している通貨量の増大を招きインフレーションの危機が訪れた。
1938年には軍事費の増大によりライヒスバンクの支払いが困難になる事態さえ発生している。ヴァイマル共和国時代から続く外貨不足も深刻で、資源の輸入にさえ支障が生じていた。
こうした諸問題を解決するための方策は二つに一つ、一つ目は軍拡を抑え諸外国と協調すること、そして二つ目は……
ナチス・ドイツは結果として後者を選択し、破滅的な戦争へと突入していく。

当初メフォ手形の償還は1939年から順次行われる予定であった。しかしナチス・ドイツにはそのような財政的余裕が全く無く、当面は償還を行わずに書き換え*12で対応することとなった。第二次世界大戦勃発後も償還は遅々として進まず、敗戦の年となる1945年になっても約81億ライヒスマルク分ものメフォ手形が未だ償還されないままであった。


・1937年度までのメフォ手形の発行総額は204億ライヒスマルクでは?

前段落で1937年度までのメフォ手形の発行総額は120億ライヒスマルクと記載した。この120億ライヒスマルクという額は、年度末の債務残高を前年度のそれと比較し、その増加額を発行額とみなした値から算出しており、これはメフォ手形が早期に償還されていないという前提に基づいている。これに対し、メフォ手形は早期に償還が行われており、これを考慮すると総額は約204億ライヒスマルクに達するという説も唱えられている。なぜここまで大きな差異が生じているのかというと、秘密を保持するためメフォ手形の償還については決算書に表示されなかったこと、軍事支出を隠蔽するため実際とは異なる会計処理が記載されていること、戦争末期に関係資料が散逸したことなどから、発行総額を正確に把握することが極めて困難となっているからである。


ゲームにおけるメフォ手形

Hearts of Iron IV

メフォ手形という単語を日本に広めたゲームの筆頭。
ゲーム開始が1936年なので、ドイツプレイ時には最初からメフォ手形が有効になっている。
軍需工場の建設速度にボーナスが得られる一方、消費財の需要が増加するというデメリットがある。消費財の増加割合は一か月ごとに増していき、25%,50%に達するたびに経済の悪化が伝えられる。さらに100%に達すると工場と造船所の出力に大きなペナルティがかかる。消費財の需要増加は他国の金準備を押収することで軽減できるため、オーストリアチェコスロヴァキア、第二次世界大戦で占領した連合国などを略奪して回ることとなる。
メフォ手形の取り扱いは任意のタイミングで停止することが可能だが、その場合は消費財の需要増&工場と造船所の出力ペナルティがかかってしまう。軍拡が大幅に遅れるので、史実通りに動く場合は基本的に継続した方がお得。継続しても国が破綻するような事態には基本的にならない。

なおアップデート以前は、軍需工場の建設速度ボーナスと消費財の需要減少という強力なボーナスが得られ、おまけに対価は政治力だけという破格の効果だった。アップデートにより戦争前の出力は減少したものの、歴史的な再現度は上がっている。


余談

メフォ手形はヒトラーによる発案ではないため、同様のスキームによる資金調達はヒトラーの首相就任以前から行われていた。1932年には、民間企業が手形を振り出し金融機関がこれを引き受けライヒスバンクが再割引を保証するというメフォ手形と同様のスキームで資金調達が行われた。なお当然のことながらこの手形の償還費用は予算に計上された。そりゃそうだ。





メフォ手形に詳しい方は追記・修正をお願いいたします。


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最終更新:2026年04月08日 21:26

*1 ドイツ帝国の中央銀行。ドイツ帝国の成立にともない1876年に設立され、1948年まで存続した。

*2 Metallurgischen Forschungsgesellschaft m. b. H.

*3 約束手形の知識があると勘違いしやすいが、メフォ手形は企業が振り出しそれをメフォが引き受け、支払いもメフォが行う。よってメフォ手形は約束手形ではなく為替手形に分類される。なお、為替手形において振出人は手形を発行する者、支払人(引受人)は手形の引き受けと支払いを行う者、受取人は支払いを受ける者を指す。

*4 支払期日を迎えていない手形を金融機関に提示し現金化することを割引という。割引の際に金融機関は、支払期日までの期間や金利、振り出し企業の信用などに基づき支払額から一定割合を引いた金額を支払う。また、一度割引を受けた手形を再度割引することを再割引という。

*5 ライヒスバンクは一般企業からの割引は受け付けていなかったため、金融機関からの再割引を無制限に保証した。これにより、金融機関はメフォ手形を確実に現金化できるという保証が得られたため、企業の提示するメフォ手形を喜んで割引することとなり、企業がメフォ手形による受注を受け入れる下地が作られた。要は中央銀行が必ずメフォ手形の現金化に応じる→信用の生まれたメフォ手形を金融機関が喜んで受け入れる→企業もメフォ手形による決済を容認という流れ。

*6 Handelsgesellschaft für Industrieerzeugnisse m.b.H.

*7 これは、信用の低い手形を大量に引き受けることを避け、不良債権を抱えてしまうリスクを減らすための措置であったと思われる。

*8 信用供与とは金融機関が相手を信用し資金等を貸し付けること。中央銀行による政府に対する信用供与は、国債等の発行による資金の借り入れだと思ってもらえれば差し支えない。

*9 第一次世界大戦の戦費負担及び賠償金支払いの影響も大きいが、決定的な原因はルール占領に対する消極的抵抗による生産の減少と政府による賃金保証。

*10 ライヒスマルクは、1924年から1948年にかけて使用されたドイツの通貨。

*11 厳密には1924年のドイツ銀行法によりライヒスバンクによる信用供与は1億ライヒスマルクまで、1926年の銀行法により国庫手形割引は4億ライヒスマルクまでにそれぞれ制限されていた。

*12 支払期日を変更した新しい手形を振り出し、古い手形を回収すること。支払期日を伸ばした手形を振り出すことで、支払いを伸ばす手段として用いられた。