チェコスロバキア併合(1938-39)

登録日:2011/12/16(金) 13:51:40
更新日:2024/04/12 Fri 02:05:54
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チェコスロバキア併合とは、1938年、ナチス・ドイツによってチェコスロバキアが併合された事件を指す。


■チェコスロバキアとズデーテン地方

チェコスロバキアと言う国の歴史は、そこまで長くない。(両民族について語ると長くなるので割愛。)

1918年、第一次世界大戦の終結により、オーストリア=ハンガリー二重帝国は様々な国家に分割された。
その一つがチェコスロバキア共和国である。

場所はこんな感じ。
(画像なし)
南はハンガリー、北はポーランド、東はルーマニア、西はドイツ(と併合されたオーストリア)に囲まれた小国である。

そして、この地図で色を塗られた地域、ズデーテン地方が、彼の国の命運を分ける事になる。

総統閣下「う〜東方生存圏東方生存圏…」
今東方生存圏を求めて全力侵攻してる僕は、総統を務めるごく普通の独裁者。
しいて違いあげるとすれば、ドイツ民族の統合に興味があるってことかナー

ズデーテン地方「併合しないか」

総統閣下「ウホッ、良い民族配置…」


単純明快、ズデーテンには「ドイツ人が多かった」のである。

+ 当時のチェコスロバキアの民族分布など
チェコスロバキアという国家はその前身とも言えるオーストリア=ハンガリー二重帝国と同様に様々な民族が居住していた。
最も人口が多いチェコ人、スロバキア地方のスロバキア人、スロバキア南部のマジャール人(ハンガリー人)、ズデーテン地方のドイツ系、テッシェンのポーランド人、カルパティア・ルテニア(スロバキア東端)のウクライナ人などとユーゴスラビアほどではないが結構な多民族国家である。

しかし政治や経済は二重帝国時代から発展していたチェコ部分(=チェコ人)が中心となっており他の民族たちはこれを不満に思っていた。

またズデーテン地方はヴェルサイユ体制成立時にその帰属をめぐり民族自決の観点から住民投票を要求するアメリカとドイツの国力を高めるような事態は決して容認できなかったフランスが対立、妥協案としてドイツ系に対して一定の配慮を行うということで落ち着いたが、ドイツの復興を脅威に感じたチェコスロバキアによりドイツ系が公務員になる事を禁止するという形で反故にされた。

なおカルパティア・ルテニアに居住するウクライナ人への自治権付与がサン=ジェルマン条約とチェコスロバキア憲法によって規定されていたがこちらも反故にされている。

■ミュンヘン会談

総統閣下「ズデーテン地方寄越さないと撃つぞゴルァ!」(唐突)

チェコスロバキア「連合国助けて!」


イギリス「(めんどくせー!正直ソ連が怖いから、ドイツは味方にしておきたいんだよなぁ…)」

イタリア「まぁまぁ、話し合いして、終わりで良いんじゃない?」

1938年9月、ズデーテン地方を求めるドイツとそれを断固拒否するチェコスロバキア間の関係は悪化。チェコスロバキアはフランス、イギリスを味方に付け、ドイツに牽制するが、イギリスは乗り気では無かった。

そして開戦一歩手前のとき、イタリアが仲裁に入った。話し合いにより平和に解決しようと言う提案に、各国は承諾した。

参加国は以下の通り
ドイツアドルフ・ヒトラー
イギリス…ネビル・チェンバレン
フランス…エドゥアール・ダラディエ
イタリア…ベニト・ムッソリーニ

列強各国の首脳はドイツのミュンヘンに集まり、会談を行った。
これを「ミュンヘン会談」と言う。

おっと、そこの
「おいおい、チェコスロバキアの会談なのにチェコスロバキアが書いてないじゃないかwwwしょうがねぇな、俺が追記しといてやるか!」
と意気込むWiki篭もり兄貴。ちょっと待ってくれ。

この会談
チェコスロバキアは参加していないのだ
参 加 し て い な い の だ

チェコスロバキア代表は会談中、隣の部屋でただただ祈り、待つしか無かった。

そして午前1時30分の真夜中、会談は終了した。
チェンバレン「チェコスロバキア、やったぞ。世界大戦は未然に防がれた!」

チェコスロバキア「と、と言うことは!」


「ドイツは、ズデーテン地方を得たら、これ以上の領土要求はしないと約束したよ!
君の犠牲で世界は救われるんだ、良かったな!」


チェコスロバキアの駐英大使、マサリクは、協定書の写しを見て、涙を流した。

チェンバレン「もう二時になるじゃん!眠いわーふぁああ。」(無神経なアクビ)

ちなみにソ連はチェコスロバキアと相互援助条約を結んでおりいざと言う時は助けるつもりであったが両国の間に位置するルーマニアがソ連軍の通行を拒否したためミュンヘン会談では蚊帳の外となった。*1

■そして併合へ

総統閣下嘘です

ズデーテン地方の割譲後、チェコスロバキアにおける政府への不信感は爆発した。
またかつての領土紛争でテッシェン全域を確保できなかったポーランドと第一次大戦後の混乱によってスロバキアを失ったハンガリーはこの機を逃さずに動員、最後通牒をチェコスロバキアへと突きつけた。

これによりテッシェン全域がポーランドへ、スロバキア南部がハンガリーへと割譲された。

その後ポーランドは要求が通ったため矛を収めたが、旧領であるスロバキア全土の獲得を目指すハンガリーは戦争の準備を止めることはなかった。

チェコスロバキア「連合には見捨てられたし…ドイツに助けを求めるしかないか…
ドイツさん、ハンガリーさん説得してください!」

総統閣下「いいよっ。じゃあこの書類にサインしてね!」

チェコスロバキア「これは…併合宣言!?」

総統閣下「偉大なるドイツの一部になれば、安全だよね。
あ、あとドイツ軍はチェコスロバキアに「救援」に向かってるから、安心してね☆」


チェコスロバキア大統領のエミール・ハーハは、持病の心臓発作で卒倒した。
すぐに医師によって治療されて意識を取り戻したが、その朦朧とした意識のまま、併合宣言

■その後

イギリス「ドイツの奴、酷いなぁ。なんて鬼畜な奴なんだ!」

チェコスロバキアは3つに分割されチェコ部分はドイツへと併合、スロバキアとカルパティア・ルテニアはドイツの傀儡国家としてそれぞれ分離独立となった。
なおハンガリーは直後にカルパティア・ルテニアへと侵攻、同国を併合した。(スロバキア・ハンガリー戦争)

チェコスロバキアが併合された要因には、やはりズデーテン地方を初めに渡してしまった事だろう。
ズデーテン地方には、チェコスロバキアの工業力の大部分が集まっており、さらに「東のマジノ線」と呼ばれる強固な要塞があった。

ズデーテン地方の割譲は、無血で城の塀を取り壊されたようなものだったのである。

なお第二次大戦後チェコスロバキアはソ連の衛星国として再編、チェコスロバキアの領土はカルパティア・ルテニアを除きミュンヘン会談以前の領土へと戻った。(カルパティア・ルテニアはウクライナ・ソビエト共和国へと併合、現在でもウクライナ共和国の一部である。)

■イギリスの思惑と歴史のif

イギリスには別の思惑があったとされる。
「小国一つでドイツの機嫌がとれるなら儲け物。
約束を破るなら、残虐非道なドイツを打ち倒す事を理由にアメリカを引き込めるかも。
どちらにせよ、戦争の準備が整っていない今、ドイツと戦うのは不利。」

この考えが間違っていたことは、後の歴史が証明している。

もしミュンヘン会談でイギリスが譲歩せず、開戦していたならば、まだ軍備が十分では無いドイツはズデーテンの要塞に苦戦し、西からなだれ込む仏英連合国に太刀打ちできなかっただろう。
しかも後に枢軸国と呼ばれる国々はこの時点ではドイツとそこまで接近していなかった。そのためドイツは一カ国で英仏とチェコスロバキアを相手にする事となるのは間違いなかっただろう。

ドイツの将軍は、その事を知っていた。
もし開戦になるならば、ヒトラーを暗殺してでも止める計画を立てる程に。

しかし、歴史にifは無い。
この事で、「オーストリアもチェコスロバキアも救わなかった英仏には、戦う気力も意志も無い。」と判断したドイツは、ますます軍備を増強し、欧州を巻き込む戦争へと走っていくのである。

■創作において
WW2を舞台にした戦略級ウォー・シミュレーションゲームであるHoi4ではズデーテン割譲とチェコスロバキア分割併合がイベントとして存在している。
イベントを起こすのは主にドイツで、史実通りイギリス・フランス・チェコスロバキア・ハンガリーで関連したイベントが起きる。
史実AI*2オンで普通にプレイしていれば史実通り、ドイツにズデーテンが割譲され、チェコは併合、スロバキアは傀儡国家となる。

しかし歴史のIF選択肢の多いゲームだけあって、それぞれのイベントに史実と異なる選択肢が用意されており、スロバキアも含めて全部ドイツが併合したり、イギリス・フランスがミュンヘン会談で譲歩しなかったり、
チェコスロバキアがズデーテン割譲を蹴ってドイツと開戦したりといったことが可能。
というかチェコスロバキアでプレイする場合は史実通り併合されるとゲームオーバーなので史実と異なる選択を迫られる。
開戦は避けられないので強固な要塞線の力を信じ、西側の助けが来るまでドイツの猛攻を凌がねばならない。民主主義を捨ててファシスト化してドイツと組んだ方が楽なのは内緒

ズデーテン関連イベントで開戦した場合のみドイツでヒトラー暗殺イベントが起きたり、フランスだけがチェコスロバキアを助けるとフランスが連合国を脱退してチェコスロバキアと新たに同盟を組んだりと細かいネタも多い。



追記・修正は、断固として領土を譲らずにお願いします。

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最終更新:2024年04月12日 02:05

*1 当時ソ連とルーマニアはベッサラビア地方の領有を巡り対立していた。

*2 AIは史実に即した選択を取る