アンシュルス(1938年)

登録日:2011/12/07(水) 11:25:45
更新日:2023/12/14 Thu 09:37:49
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「我々を一つの枠に纏めようと言うのは、無駄な努力と言うものだ。」


総統閣下「オーストリアを食べよう!(提案)」

アンシュルスとは、1938年に起きたドイツがオーストリアを併合した事件を指す。
アンシュルスはドイツ語で「併合、接続」を意味する。

ナチス・ドイツの対外政策の代表例とされ、またオーストリアの民族意識に深い影響を与えた。





■背景

1806年にナポレオンによって神聖ローマ帝国が完全に瓦解し、ドイツ民族は様々な領邦に分裂した。

この頃から「ドイツ民族でドイツ民族の国を作ろうぜ!」と言う流れが広がりはじめる。



そこで一つの国が立ち上がった。
プロイセンである。
ビスマルクは各地を武力で制圧し、プロイセン主導の『ドイツ帝国』を目指した。


しかし問題があった。
オーストリア帝国の存在である。

当時のオーストリアはドイツ最大の国であったが、オーストリア帝国内にはマジャル人やスラブ系の民族も住んでおり、
以前からドイツの統一国家に含めるか否かで議論が続いていた。


オーストリアの偉い人「ハンガリー人追い出すと、国自体が不安定になるんですけど、それは大丈夫なんですかね?
           ってかお前最近調子乗りすぎって、それ一番言われてるから。」←一応リーダー


ビスマルク「他の民族も混ぜると面倒だからオーストリアいらね。下剋上しまーっす!」


全ドイツ統一を期待してたオーストリア在住のドイツ人「え、なにそれは…(絶望)」

そんな事情はどこ吹く風。
普墺戦争が勃発し、オーストリアは惨敗。
その後プロイセンは普仏戦争にも勝ち抜き、ドイツ帝国を成立させる。


統一ドイツに加わるのを諦めたオーストリアは、スラブ系住民を抑えるためにマジャル人と協力し「オーストリア・ハンガリー帝国」に組み替える。

しかし、地位が下がったオーストリアのドイツ人は、次第に反感を強めていった。


それは第一次世界大戦後に爆発する。
戦争に負けたオーストリアとハンガリーは分割され、領土の大半を割譲した。
それはオーストリアの没落を意味したが、オーストリアが純粋なドイツ人国家になる事も意味していたのである。

これでドイツと合邦すれば、
ドイツ統一国家成立!ドイツ人大勝利!
ワンチャンあるで!


だが…


連合国「戦争に負けたドイツ帝国が領土増やすのはおかしいよなぁぁッ!??」(ガチギレ)
合邦禁止!!

まぁ正論と言えば正論だが…
(実際はフランスからのただの嫌がらせ)

そんなことでドイツとオーストリアの合併は禁止され、消化不良のまま時代は流れていったのである…


■ナチスの台頭と併合

それから時が経ち世界恐慌が起こると、ドイツではヒトラー率いるナチスが台頭し始める。オーストリア国内でもナチス党が誕生して勢力を伸ばした。


一時期は……

オーストリア・ナチス党「限界だッ!殺るねッ!!」(首相暗殺)

イタリア「あのさぁ…」

と大顰蹙を買ったり、

オーストリア「世界恐慌やべぇよ…ドイツー、関税無くす同盟組もうよ!」

総統閣下「良いよ別に」

フランス「ん?いま同盟禁止って言ったよね?」⇒経済制裁発動

オーストリア「ンアッー!」
⇒国内最大の銀行大爆発

と、ドイツとオーストリアが合体するには障害が多かったが、1935年にもなると世界情勢は大きく変わり、


イギリス「ソ連ヤバすぎィ!ドイツ仲間に引き入れてソ連への対抗馬にしてぇな~仲良くするしかねーか、しょうがねぇな。」

イタリア「エチオピア攻め込んだら世界中から叩かれたwwドイツボスケテww」

総統閣下「あれ?今なら俺敵無しじゃね?…じー」(獲物を狙う野獣の視線)

オーストリア「やめてくれよ…」(絶望)



■アンシュルス

1938年、ドイツは強行軍に出た。

総統閣下「我々ドイツ民族は、他の国家で当然の権利として認められている『民族自決』を求めているのである!」

ヒトラーはオーストリアのシュシュニク首相に対し、オーストリア・ナチス党を内閣に組み込む事を要求する。

シュシュニク首相は「オーストリアはドイツに併合されるべきか否か」を国民投票によって決めようとする。彼には独立維持派が勝つ勝算があったのだが…

総統閣下「いいんだぜ?我らドイツ軍が貴様らのオーストリアを踏み潰してもな。」

このヒトラーの脅しにシュシュニクはついに屈服。辞任に追い込まれる。

3月14日、政権を握ったオーストリア・ナチス党はドイツ軍に進駐を要請、アドルフ・ヒトラーはウィーンにて、オーストリアがドイツに併合される事を宣言した。



■オーストリア国民の反応、そして…

併合されたオーストリア国民。
どのような反応をしたかと言うと、大部分が併合を歓迎していた、と言われている。
(映画『サウンド・オブ・ミュージック』のトラップ大佐一家の様に反対し亡命した人々もいる)

確かに、首相を暗殺したりしたナチスを嫌う人間は多かった。それを狙ってシュシュニクは国民投票を行ったのである。

だがそれ以上に、ドイツ統一国家の夢、世界恐慌でボロボロになったオーストリアへの失望、
そしてそれに対して、早くも立ち直ったドイツへの憧れが、彼らの感情を動かしたのだ。

オーストリアに取り残され100年以上経った1938年、彼らの夢は成就された。



筈だった。



現実は違っていた。
オーストリアという名前を奪われ、オーストリア人は「ドイツ人のなり損ない、二流国民」として扱われた。

経済も、失業こそ無くなったものの賃金は安く、物価は高かった。
失業は無いが、バターも無い。

そこには、彼らの夢など存在していなかったのである。


オーストリアに取り残されていたドイツ人「そして戦争が終わった頃、僕達は…」



■戦後、現在、未来へ

オーストリア人「オーストリア人と言う意識を持つに至った。」

戦争に負けたドイツは東西に分割された。
オーストリアがドイツと共に分割される事を免れたのは、
「オーストリアは無理矢理ドイツに併合されたのであって、被害者なのである。我々はもはやオーストリア系ドイツ人では無い。オーストリア人だ。」
と言い張ったからである。

ドイツ軍に併合されたオーストリア軍が戦争に荷担したこと、合併に賛成していた人間が大多数だった事は無かったことにされた。

現在、オーストリアとドイツの併合は永久的に禁止されている。それ以前に、EUの発足で併合の必要性も無くなっている。

しかし、ドイツ民族主義的極右政党が勢力を広げるなど「オーストリア人か」「ドイツ人か」を巡る議論は今でも続いている。
更に、戦争責任に関する研究も進み「オーストリア被害者論」も見直されている。
事実、オーストリア首相と大統領はユダヤ人関係でイスラエルに謝罪を行っている。


ちなみに、
総統閣下はオーストリア出身である。
それがなぜドイツで出世する道を選んだかというと、故郷がドイツよりの地方だったため、「オーストリア軍よりはドイツ軍の方がずっといい!」と思いついた事から来ている。
まあ大戦の前年にはオーストリア軍の徴兵から逃げ回ってたのがバレて逮捕され、結局検査で弾かれるオチまで付いた、なっさけない話もあるんだが。

2018年、アンシュルスから80年経ったアジアの情勢も似たようなものになりつつある。

アメリカ「ロシアヤバすぎィ!北朝鮮仲間に引き入れてロシアへの対抗馬にしてぇな~仲良くするしかねーか、しょうがねぇな。」

韓国「五輪で合同チーム組んだら世界中から顰蹙買ったww北朝鮮ボスケテww」

三代目将軍「あれ?今なら俺敵無しじゃね?…じー」(いじめられっ子を狙ういじめっ子の視線)

日本「やめてくれよ…」(絶望)









追記・修正は民族とは何か、そして過去の愚行を繰り返させないために何ができるかを考えながらお願いします。

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最終更新:2023年12月14日 09:37