松本サリン事件(テロ)

登録日:2011/09/02 Fri 01:13:29
更新日:2024/03/13 Wed 11:02:01
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松本サリン事件は、長野県松本市で1994年6月に発生した、毒ガステロ事件である。

そして日本史上の中でも忘れてはいけない冤罪事件である。*1

【概要】

事件は6月27日の夕方から翌28日早朝にかけて発生した。長野県松本市北深志の住宅街にて、何者かによって毒ガスが散布されたのである。
発生直後は使用された毒ガスがわからず「ナゾの毒ガス」と呼ばれていたがのちに化学兵器に使用される毒ガスのサリンであることが判明した。

死亡者は8人、負傷者は約660人。

事件当時は死亡者は7人であった。だが、
14年後の2008年、事件後ずっと意識不明だった第一通報者の妻が亡くなった為、この事件による死者は8人となった。


【冤罪】

28日に、警察は第一通報者である河野義行さんの家宅捜索を行なった。

ここからが河野さんの地獄の日々の始まりであった。家宅捜索の結果、農薬等の薬品を数点押収し、警察は河野さんを重要参考人として連行したのである。

さらには自らも後遺症に苦しむ河野さんに対し連日に渡って厳しい取調べを行った。
それを報道機関にも「さも河野さんこそが真犯人であるかのように」伝達し、スクープを狙うマスコミもこぞって報道を過熱させたのである。

この警察の取り調べもずさんであった。
サリンは決して農薬等から簡単に合成できる物質ではないのだが、「農薬以外にもまだ隠しているだろ!」などと決め付けて、執拗なまでに捜査を繰り返した。

更に当時「不審なトラック」*2を見かけたという目撃情報を黙殺。

捜査員の一人が「住宅街の近くにあった裁判官官舎を狙ったものだったのでは?」という推測を出しても聞き入れなかったという。

サリンに関しては、当初は農薬の成分からも生成可能とのデマもまことしやかに囁かれていた。

しかし、警察は頑として「河野義行犯人説」を変えることなく、証拠が見つからないのは隠してるからだと決め付け、河野さんとその一家を執拗なまでに捜査した。


そして、これらの情報を受けたマスコミの対応は警察以上に酷いものであった。

前述した通り、専門家が「農薬からサリンを作ることは不可能」と語ったにもかかわらずにさも作れるかのように報道し、
捏造やソースも確定していない話を真実のように垂れ流したりして河野さんを誹謗中傷し、
故筑紫哲也はNEWS23において「火のないところに煙は立たない」などと「多事争論」で書き、
挙句の果てには週刊新潮は河野さんの家系図を持ち出して、「毒ガス事件発生源の怪奇家系図」という記事で晒しあげた。
特に地元の有力新聞である信濃毎日新聞は「サリンは農薬から作れる」という論調で事件を報じ続け、冤罪を助長する原因となった。


これらの報道を鵜呑みにした一般人により河野さんとその家族は、無実であるにもかかわらず誹謗中傷の手紙や電話をかけられたという。

また、河野さんの妻はサリンによる被害者の一人。当時から、既に意識不明でずっと目を覚まさず、河野さんは看病に明け暮れていたという。

愛する妻も被害者であるのに加害者と世間から呼ばれる…地獄のような日々であったのは想像に難くないだろう。


ちなみに、河野さんは一度として逮捕されたことはない。*3


【真犯人の発覚】

事件の同年9月頃のことである。
『松本サリン事件に関する一考察』というナゾの怪文書が、マスコミや警察関係者に出回るようになった。
内容は一連の真犯人がオウム真理教であること示唆したものであった*4

そして翌年1995年3月。
あの地下鉄サリン事件が発生し、ほどなくしてオウム真理教に捜査のメスが及ぶようになった。
その過程でオウム幹部が「松本サリン事件はオウムが起こしたものだ」と自供した。

事件の背景には、オウム本支部の立ち退きを周辺住人が求める裁判で敗訴の見込みが高まったことがあった。

教祖・麻原彰晃(松本智津夫)は教団信者にこの状況を打開する為、裁判の判事の殺害を指示。
皮肉にもかつて捜査員の一人が推測したとおり、住宅街に隣接していた長野地方裁判所松本支部官舎を狙ったものだったのである。

これらの自供や、教団に捜査が及んだ結果河野さんは無実・潔白だと証明され、冤罪は完全に晴れた。


【その後】

当然これらの報道被害により、河野さんに対する謝罪が行なわれるものと思われるだろう。
実際当時の国家公安委員長であった野中広務は直接河野さんの元に訪れ、謝罪をしている。


ところが……
長野県警は6月の会見において「遺憾」の意を表明しただけで、しかも「謝罪というものではない」と、捜査のミスを全く認めず謝罪も何もしなかったのである。

情けない事に本当に謝罪が行なわれたのは河野さんが2002年に公安委員に就任して、謝罪をせざるを得なくなった状況になってからであった。

マスコミ各社は、訂正記事や読者に対するお詫びを載せるだけで終わり河野さん個人に対する謝罪は全くなし*5


前述の家計図を晒しあげた週刊新潮に至っては、河野さんが刑事告訴を考えた際に
「謝罪文を載せるからやめてください」と、宣言したにもかかわらず、

現在に至るまで謝罪文を載せたことはない。

現在も河野さんは「週刊新潮だけは最後まで謝罪しなかった」と、自著などで語っている。
このことは、一部の宗教団体などに週刊新潮への攻撃材料として槍玉に挙げられているほどである。

そして、オウム真理教は事件後にアレフに再編したのち2000年に河野さんへ直接謝罪を行った。

こうして見てもマスコミ、特に週刊新潮の異常さが際立つだろう。


しかし忘れてはいけない


そんなマスコミ報道を信じ、犯人視をして誹謗中傷を行った者が多数いたという意味では、我々一般市民とて冤罪の加害者という面もあるのだ。

今日も繰り返される犯罪報道に一喜一憂しているあなたは、常にこの事件を思い出し、
「自分がマスコミを信じきってしまってはいないか」と自問自答しよう。

なおそんなマスコミ各社の中で比較的マシな報道姿勢を取っていたのは、当時松本市に本社を置いていたテレビ信州(後に長野市に本社を移転)。
同社は「『農薬の調合ミス』説など、裏付けが取れない情報は報じない」「無罪を訴える河野さんの声を積極的に報じ、記者会見では実名・顔出しで報じる*6」などの中立的な報道を続けたが、同局も事件解決後、「第一通報者」として河野さん宅の映像を何度も放送したことなどを理由に、河野さんに謝罪している。
同社がこのように慎重な報道姿勢を取ったのは、後述する富山・長野連続女性誘拐殺人事件の反省が教訓だという。


この事件は現在も語り継がれており、大学等で「冤罪」について学ぶ際に代表例として取り上げられる事例となっている。


2008年8月5日。
前述した河野さんの妻は事件から14年たち一度も意識を取り戻すことなく、入院先の病院で死去した。
死因はサリン中毒による低酸素脳症が原因の呼吸不全であった。
6月には余命3ヶ月と宣告されており、連絡を受けた夫が見守る中静かに息を引き取ったという。


【余談】

河野さんは後に、当時の長野県知事・田中康夫によって県議会が長野県警の公正性を監督する長野県公安委員に任命され、これを1期務めた。
(事件の経験から警察組織への糾弾を期待しての登用であった)

しかし、後に生坂ダム殺人事件の長野県警の捜査ミス糾弾に於いて、
河野さんは感情に流される事も無く「当時の捜査の判断を明確に否定出来ない」との意見を出して、
議会から県警への責任追及の機会を潰し、人権派の田中知事の意にそぐわなかった為河野さんは事実上の更迭をされた。

事件後は、河野さんは冤罪事件等に関する識者として講演や執筆活動を行っているが一貫して権力やマスコミにも公正な判断を以て臨む人物として評価されている。

河野さん自身による事件の数冊の手記の他この事件を題材にした映画『日本の黒い夏─冤enzai罪(監督・脚本:熊井啓 主役:仲井貴一)』が存在する。
監督の熊井啓は子どもの頃、河野義行の自宅の近所に住んでいたという。

2018年に世界仰天ニュースで再現ドラマが放送された。

なお長野県警が起こした著名な冤罪事件は残念ながらこれが初めてではなく、同事件の15年前(1980年)に富山県と長野県で相次いで発生した「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」(通称・赤いフェアレディZ事件)という事件がある。
この事件では犯人である宮崎知子(1998年に死刑が確定したが、刑は未だ執行されていない)と事件発生当時行動を共にしていたが、犯行のことは全く知らないでいた愛人男性のKさん(1992年に無罪が確定)も共犯として疑われた…というより、むしろ彼のほうが主犯扱いされており、
両県警や検察はKさんを「あの時宮崎と一緒にいたお前が事件のこと知らねえはずねぇだろうが!(意訳)」と言わんばかりの苛烈な取り調べを行い、
マスコミ各社もそんな捜査機関の発表通りKさんを犯人扱いするような報道合戦を繰り広げ、「殺人鬼」「典型的な犯罪者」など彼の人格を否定するような報道が繰り広げられた。
……完全にこの事件と同じ構図である。しかも同じくKさんを犯人扱いした富山県警もこの教訓を生かしていなかったのか、氷見事件で同じ過ちを繰り返してしまっている。
この事件ではKさんの母親や彼女が自費で呼んだ弁護士、そして元妻(夫に裏切られていたにもかかわらず、である)による献身的な雪冤活動が行われ、また裁判中に事件への関心を抱いた作家の佐木隆三氏や井口泰子氏による援護射撃(それぞれKさんの冤罪説に立ったノンフィクションを発表)もあり、Kさんは濡れ衣を晴らすことができたものの、その後も就職先をすぐクビになるなど、世間からの偏見に苦しみ続けている。



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最終更新:2024年03月13日 11:02

*1 被疑者の逮捕・告訴・有罪判決等には至っていないため厳密には冤罪ではない、という説もあるが、冤罪の定義自体曖昧でもある。

*2 オウム真理教のものであると推測される。

*3 当然ながら証拠が不十分であった為。

*4 著者は不明だが、公安であるとも、教祖の麻原彰晃に不信感を抱いていたオウム真理教幹部であるとも言われている

*5 こういった訂正記事やお詫びは大抵小さく載せるだけであるため、気付かない読者の方が多い。

*6 匿名にしたり顔にモザイクを掛けたりすると、かえって視聴者に「河野が犯人だ」という印象を与えてしまうという理由から。