サッカー戦争

登録日:2012/01/12(木) 22:41:14
更新日:2024/02/21 Wed 05:17:33
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『サッカー戦争』とはワールドカップ予選の試合結果を不服としたホンジュラスとエルサルバドルの間で勃発した戦争である。
勃発から5日で終戦を迎えたことから『100時間戦争』ともいわれる。

1969年6月8日、ホンジュラスの首都テグシガルパ。
1970年に開催を控えたワールドカップ・メキシコ大会の出場権を巡りホンジュラス対エルサルバドルの予選第一回が執り行われていた。

試合は荒れに荒れ、スタジアムでは乱闘騒ぎがおこり1ー0でホンジュラスが勝利すると、
熱狂的なエルサルバドルファンだった18歳の少女がピストル自殺をするという事態にまで発展した。
葬儀に大統領が駆けつける等この予選会の行方は両国の威信をかけた一大決戦の様呈とかした。

翌週エルサルバドルの首都サンサルバドルで行われた2回戦においては乱闘も前回以上に更にエスカレートしたという。
結果は3ー0でエルサルバドルが勝利した為プレーオフへともつれこみ3回戦はメキシコシティーで行われた。

この緊迫した状況にメキシコ当局が厳戒態勢で挑んだ為大規模な乱闘には至らず競技は進行、
結局延長の末エルサルバドルが3ー2で勝利、ワールドカップ出場のキップを手にした。






しかし

直後にエルサルバドル政府が外交関係断絶を臭わせ、これに対してホンジュラス政府が外交断絶をもって応じた為両国関係は最悪の事態へと発展する。

そして7月14日、遂にエルサルバドル空軍がホンジュラスの主だった飛行場及び軍事施設への爆撃。陸軍歩兵部隊12000がホンジュラス領内へ侵攻した。

翌日にはホンジュラス空軍が飛行場や石油タンク等に報復の爆撃、以降も両国間による爆撃の応酬は続いた。


事態を重くみた米州機構が調停に乗り出した結果、エルサルバドル陸軍が撤退し停戦が成立した。

約100時間に及ぶ戦闘は双方2000人あまりの犠牲者を出し、その殆どがエルサルバドル陸軍の侵攻で殺されたホンジュラスの農民達であった。

こうして書いてみると戦争の名前通りサッカーの試合結果の果てに起こったように見えるが実のところそうではない


両国間は国境線や不法滞在者など様々な問題をかかえており、元々関係は最悪であった。


ここにワールドカップという国を挙げた一大イベントが重ったことで遂に両国間の摩擦が戦争へと走らせてしまった。
そもそもメキシコシティーでの試合が行われている裏では既に各軍作戦に移っていたといわれている。


しかし結果的にサッカーの試合を引き金として勃発してしまったこの戦争はその名前のみが一人歩きし「世界で最も愚かな戦争」と嘲られている。

またこの時、エルサルバドル空軍の保有する戦闘機はグッドイヤー社FG-1Dコルセア(ボートF4U-D1コルセアをグッドイヤー社がライセンス生産したもの)、
ノースアメリカンF-51Dマスタング(P-51Dマスタングが米国機体命名法 の変更により改称したもの)であり、
対するホンジュラス空軍は第二次世界大戦後に製造されたF4U-4及びF4U-5コルセアを装備し、
このサッカー戦争においてレシプロ機同士による最後の空戦と同機種による空戦が行われた。


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