共和国同盟成立パーティー、そしてリリアーナの『茶会』から数日たった頃、グラジオ・シンプソンは悩んでいた。悩みの種は当然、彼が世話役として付き添っているアメーリア・ディ・ガスペリの事であった。パーティーでアメーリアが大勢の人々に囲まれ対応している姿を見てから本来の『立ち位置』の差と言う物を思い知らされたのだ。住んでいる場所が、世界が違う。そのことが十分に理解できた。そしてそれだけではない。『茶会』でのリリアーナの発言の事もグラジオを悩ませていた。
『シンプソン姓を名乗り続けるのと、ガスペリ家の一門になる。どちらが好みかしら』
リリアーナの爆弾発言の意味をグラジオは捉えあぐねていた。しかし同時に彼の中である種の期待が生まれてしまったのだ。ガスペリ家の一門になればアメーリアの傍にずっといられるのではないか、そうすれば二度とパーティー会場で味わった痛みとモヤモヤを感じんなくて済むのではないか、そう言った期待が。しかしそれは単純なことではないだろうとも考えていた。自分のような一平民が共和国同盟でも有名なガスペリ家に入るということは自分もアメーリアと同様にパーティー会場の場に立つことになるのではないか? そうなったとき、テオドロやリリアーナ、カルロ、そしてアメーリアのように立ち振る舞うことができるのか? そもそも、自分にアメーリアの傍に居続ける権利があるのか? そのような疑問が脳裏に浮かんでは心を絞めつけてくる。だが誰に憚ることなくアメーリアの傍にいられるようになる。自身の欲求とそれに対する疑問にグラジオは数日間ずっと悩み続けていた。ともすれば仕事中にも関わらず。
「グラジオ君」
そんな彼の耳に少女の囁き声が聞こえてきた。直ぐ近くで。声がした方へ顔を向けるとアメーリアの美貌がすぐに見えた。ほぼ鼻先がくっつくかくっつかないかという距離まで近づかれていた。グラジオは驚き赤面する。
「仕事中に上の空はいけませんよ? 執事長にでも言いつけてしまいましょうか?」
意地の悪い笑みを浮かべながらグラジオとの距離をさらに縮めようとするアメーリアに彼は困惑する。そしてアメーリアの身体の豊かな一部分がグラジオの身体に当たる。それがもともと赤くなっていた顔がトマトのように更に赤くさせた。
「あ、アメーリアさん……、近い……近いから……」
「近いと何か困ることでもありますか?」
「それは……その……」
「近いと何か困ることでもありますか?」
「それは……その……」
アメーリアの問いに口ごもるグラジオ。それを楽し気に鑑賞し、しばらくして満足したのかアメーリアはスッと身を引き、グラジオから距離を置く。グラジオは唐突に残念そうな顔を無意識に浮かべる。そしてそれをアメーリアは見逃さなかった。
「今、露骨に残念そうにしてましたね。先ほどまで恥ずかしそうにしていたのにどうして残念がるのですか?」
「……へ? ……あ、いやそんなことはない……!…………ないはず……」
「……グラジオ君も男の子ですね。さすが一度の会話で十回もちらちらと私の胸を見ていただけはあります」
「そんなに見てないよ?!」
「そんなに? ということは見てることは見てるんですね?」
「え、えっと……それは……その……」
「……へ? ……あ、いやそんなことはない……!…………ないはず……」
「……グラジオ君も男の子ですね。さすが一度の会話で十回もちらちらと私の胸を見ていただけはあります」
「そんなに見てないよ?!」
「そんなに? ということは見てることは見てるんですね?」
「え、えっと……それは……その……」
再び口ごもるグラジオを彼女は更に楽しげに観察する。最近のアメーリアはグラジオをからかうことが趣味になりつつあった。見ていて素直に面白い反応を返してくれるから、それが楽しくてついついからかいたくなるのだ。
「冗談です。いくらなんでもグラジオ君が十回も見てたりしていないことは分かってますから」
「そ、そうだよ。別にそんなにも見ないから……」
「でも時々視線を感じたりしますけど」
「……ごめんなさい」
「そ、そうだよ。別にそんなにも見ないから……」
「でも時々視線を感じたりしますけど」
「……ごめんなさい」
素直に謝る姿を見てアメーリアは「別に気にしていませんけどね」と言いつつくすくすと笑う。そんな彼女の姿にグラジオもつられて笑った。先ほどまでの悩みは気が付けば忘れていた。その後もグラジオとアメーリアの交流は続いた。ただこんな時間がいつまでも続けばいいとお互いに考えていた。御付きのメイドが二人をじっと見つめていることに気づかないでいた。
夜、アメーリアの自室にて。
「やはりグラジオ君はからかうと良い反応を返してくれるから見ていて楽しいですね」
「お嬢様も人が悪いこと……」
アメーリアは就寝前に御付きのメイドと会話をしていた。機嫌のいいアメーリアの様子に御付きのメイドは安堵したような表情を浮かべたと思いきやすぐさま神妙な顔つきに変化する。何か真面目な話をしたいのだなとアメーリアは気づきメイドに話を促す。
「やはりグラジオ君はからかうと良い反応を返してくれるから見ていて楽しいですね」
「お嬢様も人が悪いこと……」
アメーリアは就寝前に御付きのメイドと会話をしていた。機嫌のいいアメーリアの様子に御付きのメイドは安堵したような表情を浮かべたと思いきやすぐさま神妙な顔つきに変化する。何か真面目な話をしたいのだなとアメーリアは気づきメイドに話を促す。
「お嬢様はシンプソン君とどうなられたいのですか?」
唐突かつ直球な質問の意図をアメーリアはつかめたなかった。グラジオ君とどうなられたい? それはどういうことなのか? 何故そんなことを聞くのか? アメーリアの脳内はすぐさま疑問でいっぱいとなる。
「それはどういう意図で聞いてるのです?」
「どういう意図も何も……シンプソン君と将来どうなられたいのか、お嬢様がどう考えてるのか疑問に思ったまでです」
「どういう意図も何も……シンプソン君と将来どうなられたいのか、お嬢様がどう考えてるのか疑問に思ったまでです」
疑問は深まる一方だった。メイドの意図が掴めず深く考え込んでいると彼女の方が先に口を開いた。
「シンプソン君はお嬢様の持病のフォローのためにこの屋敷に招集され今は付き添い役に務めて頂いています」
「……ええ、その通りです。それがどうかしたのですか?」
「お嬢様の持病が将来完治するにしろしないにしろ、いずれはシンプソン君はお役御免となります」
「それが一体……」
「……ええ、その通りです。それがどうかしたのですか?」
「お嬢様の持病が将来完治するにしろしないにしろ、いずれはシンプソン君はお役御免となります」
「それが一体……」
どうしたのか。そう言いかけて気づく。いつかはグラジオがいなくなる。御付きのメイドはそうう言っているのだと。その事実にアメーリアは動揺する。グラジオが自分の傍からいなくなる未来に。
「治療方法が見つかり完治すればシンプソン君はお役目を果たしたとしてアメーリア様の傍にいる必要がなくなります。そうすればシンプソン君とガスペリ家の間で交わされている契約は満期終了となり彼はこの屋敷から出て行く気まりとなっています」
メイドのその言葉を聞いてアメーリアは内心考える。自分の持病の治療方法など見つかるはずがない、このまま治らならければいいのではないかと。しかしそれを口にする前にメイドの言葉が続く。
「治療方法が見つからなければお嬢様はガスペリ家の利益に繋がる家に嫁ぐと仰っていましたが今でもそのようにお考えになられておりますか?」
「ええ、それは今も変わってはいません。このまま病が治る見込みがなければ私はガスペリ家の、一族のために嫁ぐつもりです。貴方は何がおっしゃりたいのですか?」
「ええ、それは今も変わってはいません。このまま病が治る見込みがなければ私はガスペリ家の、一族のために嫁ぐつもりです。貴方は何がおっしゃりたいのですか?」
アメーリアの言葉にメイドは思わず深くため息をついた。余りにも無礼であったために失跡しようと口を開きかけ――――――
「もしそうであればシンプソン君をお嬢様から離さなければなりませんね」
メイドの冷たい言葉にアメーリアは固まってしまった。彼女の言葉の意味が理解できなかった。何故自分とグラジオを引き離さなければならないのか? 疑問を口に出そうとするより前に言葉が続く。
「現在カルロ様やテオドロ様、この屋敷の使用人以外でお嬢様に一番近い位置にいる異性はシンプソン君のみです。それも平民の男です。そしてそんな彼は共和国同盟において、この世界においてお嬢様を一番フォローできる人材です。お嬢様を狙う殿方にとって非常に邪魔になる存在、障害であると判断される可能性があります。きっと手段を選ばず彼を排除する可能性は十分に考えられます」
「そのようなことは……」
「ないと言える可能性は確かにあるやもしれません。ですがそれに期待するのはやめておいた方が良いでしょう。お嬢様を前にして独占欲を抱かずにいられる殿方など考えられません」
「そのようなことは……」
「ないと言える可能性は確かにあるやもしれません。ですがそれに期待するのはやめておいた方が良いでしょう。お嬢様を前にして独占欲を抱かずにいられる殿方など考えられません」
杞憂だと言いたかった。しかし、心の片隅で可能性は十分にあり得るとも考えている自分がいた。なるほど、確かに自分に一番近い異性はグラジオだけだ。他の男にとっては面白くないことだろう。
「カルロ様もテオドロ様もリリアーナ様も、その可能性を考え事前にグラジオ君を引き離そうとするでしょうね。彼自身の安全のためにも。今のガスペリ家はそのような瑕疵を許すとは思えません」
確かにその通りだとアメーリアは考える。父も兄も従妹のリリアーナも、そして自分も一族のために、利益のために、そして心情的にも少しでも不確定な要素を外すこと必ず考えるはずだ。それ故に、グラジオ・シンプソンという異性が傍にいることで発生しうるリスクを、その可能性を排除しようと考えるはずだ。それは即ち、グラジオ・シンプソンの解雇という形で。
「そうでなくてもガスペリ家に、お嬢様自身に気に入られるための手段を模索する可能性はあるでしょうね。シンプソン君を排除に移る可能性よりは実現性が低く、ですがもっとも気に入られる可能性が高い手段ではありますが」
「……それはどのような手段なのでしょう?」
「お嬢様の病の治療法、もしくはシンプソン君抜きでお嬢様をフォローする方法の確立です」
「……それはどのような手段なのでしょう?」
「お嬢様の病の治療法、もしくはシンプソン君抜きでお嬢様をフォローする方法の確立です」
そんなことはあり得ない。そう言いかけるも言葉にすることはなかった。グラジオの排除よりはリスクが低いのだ。ガスペリ家の機嫌を損ねるリスクが。その上、実現すればリターンが大きいのだ。共和国同盟の医療への貢献とガスペリ家の令嬢を救ったという名誉、それによって得られるであろう民衆の支持、そしてそれを成し得た者の元には莫大な利益が、名声と共に手に入るのだ。アメーリア・ディ・ガスペリという花嫁と共に。
「長期的な利益を考えられる方であれば、短絡的な方法で起るリスクを考えられる方であれば後者の方法を取ることでしょうね。先日のパーティーでお嬢様に持病から来る発作があることを見抜いた方はおられることでしょう。今は誤魔化せていても時間とともに感づく方々も出てくるはずです。そしてグラジオ・シンプソンの存在が最も大きな障害であると気づかれるでしょうね。ですからグラジオ・シンプソンを盤面から排除することが最も有効であると判断されることでしょう」
「……そうなれば……きっと……」
「はい、グラジオ・シンプソンとお嬢様が引き離される可能性が高まります」
「……そうなれば……きっと……」
「はい、グラジオ・シンプソンとお嬢様が引き離される可能性が高まります」
それを聞いたアメーリアは顔色を青ざめさせる。グラジオと引き離されることに。そしてその可能性を否定しようとする自分に。とうに自分はグラジオがいない日々を考えないようにしていたという事実に。以前のアメーリア・ディ・ガスペリであればそんなことは考えることすらしなかったはずだった。それが今ではグラジオがいない日々など考えられなくなっている。何故なのか、それはいつからなのか、アメーリアには検討もつかなかった。
「……いずれにしてもお嬢様は考えるべきですね。これからの事を。もしお嬢様が以前のような考えでいるのならグラジオ・シンプソンとは一線を引くべきです。……ですがそうでないのなら……」
そこまで言いかけて唐突にメイドは口を閉じた。まるで自分が言うべきではないと言わんばかりに。
「…………よく考えておいてください。お嬢様が何を選ぶにしても決めるのはお嬢様自身なのですから……」
その夜、アメーリアは一睡もできなかった。御付きのメイドとの会話が頭から離れなかったのだ。そして翌日の朝、彼女は体調を崩した。熱と持病の発作で酷く苦しむ羽目に陥る。そしてそんな状態になればグラジオが付き添わないはずもなく。
「……大丈夫? アメーリア」
グラジオはアメーリアの手を握って力を使い続けていた。彼女の暴走した魔力を鎮めるために。
「……グラジオ君……」
「なに? ボクにできることがあれば何でも言って?」
「…………手を握って……傍にいて……」
「……分かった」
「なに? ボクにできることがあれば何でも言って?」
「…………手を握って……傍にいて……」
「……分かった」
その日はずっとグラジオはアメーリアの手を握り傍に居続けた。アメーリアが望んだために、自身も彼女の傍にいることを望むが故に。そんなグラジオにアメーリアは申し訳なく思いながらも安堵していた。彼が今隣に居るという事実に。
「主を追い詰めるとはとてもいい趣味とは言えませんね」
メリーザ・エル=トリアはアメーリア御付きのメイドと向かい合っていた。先日の夜、アメーリアと御付きのメイドの会話を偶然聞いてしまったのだ。それ故に今日のアメーリアの体調不良の原因について察しがついたのだ。その事に対して御付きのメイドを咎めていたのだ。とはいえ御付きのメイドはどこ吹く風と言わんばかりに平然としている。
「お嬢様にとって必要なことだと判断しました。シンプソン君だけに悩ませるのも問題がありますから。双方悩んでもらう必要があると」
「言いたいことは分かりますがもう少しやり方があったのではないですか?」
「あれが一番の方法だと判断しました」
「……貴女はアメーリアお嬢様にどうしていただきたいのですか?」
「そのような考えは持っておりません。私はメイド長のように忠誠心でお嬢様に仕えているわけではありません。仕事だから仕えてるのです。ただ……」
「言いたいことは分かりますがもう少しやり方があったのではないですか?」
「あれが一番の方法だと判断しました」
「……貴女はアメーリアお嬢様にどうしていただきたいのですか?」
「そのような考えは持っておりません。私はメイド長のように忠誠心でお嬢様に仕えているわけではありません。仕事だから仕えてるのです。ただ……」
御付きのメイドはアメーリアの部屋の方へ視線を向ける。それは明らかに人を心配しているような視線だった。仕事で仕えていると言い放った人間のする目ではなかった。
「ただ、お嬢様がご自身の選択で後悔なさらぬことを祈っているだけです。主人の後悔を傍で見ているのは面倒ですから」