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マグラン=ガラン - (2018/08/19 (日) 01:19:43) のソース

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このページは書きかけです。
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#divclass(countryNameJa){トレプガン=&br()ネ=ヤーグテンハウチェ=ファウ=ダ=マグラン=ガラン}
#divclass(countryName){treprran-ne-ia^rrtenhauche-fau-da-magrang-galan}
|生年月日|[[ガールン暦]]4385年&br()1節2月の5週3日|
|出生地|[[チャグマ=ダプラ]]&br()アーフェン|
|没年月日|[[ガールン暦]]4560年&br()4節1月の4週4日|
|死没地|[[ジャフーグ]]&br()ファウ&br()マグラン=ガラン邸|
|次代|[[ウムジェム=ドゥールート=タ=スヤータウ>スヤータウ]]|
|出身校|ガールン遺伝子工科大学ファウ分校&br()(現在の大シャプチ大学ファウ分校)|
|称号|ニーネン=シャプチ建国の父&br()初代星衛主席&br()タイユ=ウェグナ最高総裁&br()シャプチ教創設者&br()ケモ耳大好きマン|
|配偶者|マシャカム=ヒャティ=シチェーミ|
|親族|トレプガン=アーフェニュー=ジャラファ=イ=ゲディ&br()ヤーグテンハウチェ=エナダプラ=シャフィカ|
}}

 &bold(){マグラン=ガラン}(日:&bold(){トレプガン=ネ=ヤーグテンハウチェ=ファウ=ダ=マグラン=ガラン}、[[檀語>ダン=ラ=ハン語]]:&bold(){treprran-ne-ia^rrtenhauche-fau-da-magrang-galan})は[[ニーネン=シャプチ]]及び[[ダン=ラ=ハン帝国]]の革命指導者、政治家、宗教思想家、生物学者である。&bold(){ニーネン=シャプチ}の事実上の建国者([[カプニャーグ博士]]に関しては&bold(){名誉称号}とされており、実際に建国の瞬間に立ち会っているわけではない)であり、同国人民の知名度は非常に高く現代においても人格者として尊敬されている人物として知られる。

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目次
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}
*生涯
**幼少期
 [[ガールン暦]]4385年にダン=ラ=ハン帝国[[チャグマ=ダプラ]]の古都&br()アーフェンで父トレプガン=アーフェニュー=ジャラファ=イ=ゲディと母ヤーグテンハウチェ=エナダプラ=シャフィカの間に生まれる。トレプガン家とヤーグテンハウチェ家の政略結婚だったため両親の仲は良いとは言えず、&bold(){マグラン=ガラン}は疎遠でギスギスした家庭環境で育った。
 そのため、地球年齢6歳の頃、夫婦喧嘩の間に挟まれる&bold(){マグラン=ガラン}を見かねた使用人の長&bold(){ダイユン=フォカ}が&bold(){開拓地貴族指導団}で勉強させることをと夫妻を説得した。これが成功し、&bold(){マグラン=ガラン}は&bold(){ダイユン=フォカ}と共に当時開拓地であったジャフーグのファウにあった別荘に&bold(){マグラン=ガラン}を住まわせた。

**ファウでの日々
 &bold(){マグラン=ガラン}がファウの別荘にいたのは地球年齢6歳から15歳の頃だと言われている。引っ込み思案な性格だった&bold(){マグラン=ガラン}は開拓地の環境になかなか慣れることができず、外出する時はフォカの近くから離れることを嫌った。フォカのいない&bold(){開拓地貴族指導団}では不安のあまり4度にわたって卒倒したと言われている。
 7歳の頃から引きこもりがちになったため&bold(){開拓地貴族指導団}に行かなくなった。困惑したフォカは大学教授や知識人を呼んで相談していたが、その時に&bold(){マグラン=ガラン}は大学教授や知識人と会話を交わすうちに、専門知識に興味を抱くようになった。生理学や遺伝子工学に出会ったのもこの頃だった。そのためフォカは不本意ながら彼らを家庭教師につけ、&bold(){マグラン=ガラン}に教育を受けさせた。&bold(){マグラン=ガラン}は内向的な少年だったが、学問の才能があった。
 しかしその間も相変わらず外に出たがらなかった。
 10歳になった頃には、語学以外の学問、とりわけ自然科学について家庭教師と議論できるまでになり、知識や理論的な思考を吸収する力は別荘の使用人の間で&bold(){神童}と呼ばれるようになった。フォカはそんな&bold(){マグラン=ガラン}の才能をさらに延ばすために、ガールン遺伝子工科大学ファウ分校に彼を入学させることにした。

**楽しい大学生活
 ダン=ラ=ハン帝国時代後期から大学などの教育機関は様々な年齢の支配階級の人間が平等に学ぶ場であった。ガールン遺伝子工科大学ファウ分校に入学した&bold(){マグラン=ガラン}はこの場所で遺憾無く才能を発揮し、充実した日々を過ごした。朝に講義を受け、昼に学生たちと議論を交わし、夕方に教師たち議論をした。夜、別荘に帰ってきたら真っ先にフォカに今日学んだことを話した。フォカは生き生きとした&bold(){マグラン=ガラン}の姿に満足し、嫌な顔せず朝までその話を聞き続けた。
 第3級(大学では学年を「&bold(){級}」で数える)になった頃、当時13歳の&bold(){マグラン=ガラン}は新しく入学してきたファウ開拓地出身の平民階級の少女&bold(){ハプシチャーグ=ユーネン}と出会った。彼女は平民階級にありながら桁外れに聡明だった。年齢が同じだったこともあり、彼女とすぐに仲良くなった。

**彼女の死と挫折
 ある時、&bold(){ユーネン}が&bold(){ダン=ラ=ハン帝国}の悪法と言われた「&bold(){人口調整法}」の対象に選ばれ、薬剤投与によって統制府によって拉致、殺害された。かねてより&bold(){人口調整法}の非人道的行いを嫌っていた&bold(){マグラン=ガラン}だったが、愛する&bold(){ユーネン}が政府の手によって殺害されてしまったことを知り、強い衝撃を受けうつ病になった。そのため、結果として2年の間大学を休学している。
 塞ぎ込んでいた&bold(){マグラン=ガラン}に対し、何とか彼を元気づけてあげられないかとフォカは当時教授職に就いたばかりだった[[ヌスューチ=ラ=ナチェウ=カプニャーグ]]と会わせた。この出会いが&bold(){マグラン=ガラン}にとって非常に重要な転機となった。
 カプニャーグはマグラン=ガランの悲しみに対する良き理解者となった。そのため、マグラン=ガランは少しずつ精神衛生を回復していった。

**帝国への復讐
 自著によれば、マグラン=ガラン本人の精神が復活した最大の理由は、カプニャーグと最初に会ったとされる日に開口一番、「帝国を滅ぼそう」と語ったからだという。カプニャーグは元は貴族の隠し子として平民や貧民の生活をしながら、ダン=ラ=ハン帝国の貧困層の暮らしを目の当たりにして、貧富の格差に疑問を抱いていた。そのため、遺伝子研究の傍ら、弾圧された被差別民族の宗教を調査していた。それによれば、当時、武装や影響力を抜きにして考えても、貧困層のみでは効果的な反乱行為を行うには不十分であった。
 そのため、元々人脈の広いマグラン=ガランが同志として加わることができるようになれば、ガールン人上流階級や中産階級を反乱に動員できると考えていた。
 それからマグラン=ガランはカプニャーグと共謀してガールン遺伝子工科大学内で宗教組織[[シャプチ教]]ならびに科学テロ組織[[タイユ=ウェグナ=クン=シャプチ]]を設立した。

**シャプチ革命
 カプニャーグが軍需産業機関からの不正献金がガールン遺伝子工科大学で発覚し、当局に拘束された後に衰弱死した。
 マグラン=ガランは恩師の拘束の報復のために、急ピッチで革命のための準備を進めていた途中であったが、死に対する報復のためにマグラン=ガラン率いるタイユ=ウェグナは、XXXX年に惑星ジャフーグの首都ファウにて革命を決行。
 プダージ、ヴェシパ、チャグマ=ダプラでもほぼ同時多発的にタイユ=ウェグナ及びそれに率いられたシャプチ教徒が各地で反乱を起こし、ダン=ラ=ハン帝国は大混乱状態になった。
 ジャフーグ戦線では鎮圧に動いた軍隊がタイユ=ウェグナ側についたため、各政府機関、施設の占領をすぐに終え、陥落した。その後スヤータウ、タヒテンパーシら率いるタイユ=ウェグナ幹部がヴェシパを制圧。しかし、予想通りチャグマ=ダプラでは革命軍と帝国軍が膠着状態に陥った。また、プダージではタイユ=ウェグナ幹部及び戦線指揮官の負傷、戦死が相次ぎ敗走した。
 マグラン=ガランにとって、この結果はまずまずであった。最初から懸念事項であったチャグマ=ダプラはともかく、制圧できると見積もっていたプダージに関しては想定外であった。なぜなら、タイユ=ウェグナ最高幹部十二人のうちヴァヤドーとサグナの二人が、戦死したからである。しかしながら、大規模造船基地とダン=ラ=ハン帝国の主力艦隊の大規模艦隊停泊周辺施設を破壊できなかったのは大きな痛手となった。そのため、途中から合流する予定だったスヤータウとタヒテンパーシをプダージ攻略のために向かわせることにして、マグラン=ガランらはチャグマ=ダプラの攻略に着手した。

**帝都サグナシャーグの戦い
 サグナシャーグの戦いでは革命軍23万と帝国軍18万の兵力が衝突した。一時は革命軍のタイユ=ウェグナの最高幹部パラヴァーグが戦死するなど劣勢に追い込まれたが、南地区のトーチカ占領を皮切りに形成が逆転し勝利した。
 サグナシャーグの宮殿では最後までガールン人貴族が抵抗したが、玉座にいた女帝とその側近を除いて衆寡敵せず射殺された。マグラン=ガランらが玉座に突入すると、ダン=ラ=ハン帝国最後の女帝アイニが涙を流しながら己の失政を悔いていた。処置をどうするか下士官がマグラン=ガランに訊ねたところ、「許してやれ」と言い放って玉座を後にした。この歴史的事件は「女帝の落涙」としてダン=ラ=ハン帝国の終焉を象徴する一幕としてよく語られる。

**プダージ星戦
 ダン=ラ=ハン帝国史上初めての軌道外艦隊戦が行われた。スヤータウとタヒテンパーシは主力艦25隻であったのに対して、帝国軍は57隻の大艦隊でこれを迎撃していた。この戦闘は最初散発的に始まり、主力艦の主兵装ヴィドー砲の低い命中率のせいで既に戦闘開始から2週間が経過していたが、革命軍は4隻が喪失したため撤退した。
 その後、サグナシャーグの戦いに勝利したマグラン=ガランや幹部らを引き入れ、二度目の侵攻を行った。今度は革命軍32隻に対して帝国軍61隻とおよそ二倍の劣勢で挑む艦隊戦だったが、途中からヴェシパやチャグマ=ダプラ方面からシャプチ革命義勇軍として宇宙戦闘機隊が援護したことで辛勝した。この第二次プダージ星戦は両軍共に甚大な被害をもたらし、プダージ軌道上に大量のデブリが残存することとなった。そのため、プダージ地表ではその後50年間に及び大型宇宙船が渡航禁止になり、相次いで隕石のようになったデブリの衝突が起こるなど大きな爪痕を残した。

**ニーネン=シャプチ成立
 マグラン=ガランはプダージ星戦の後、帝都サグナシャーグでの[[シャプチ革命終結演説]]を行い、ニーネン=シャプチ政府を樹立した。政府樹立にあたっては、かつてダン=ラ=ハン帝国にやってきたヴァルエルクからの渡来者&bold(){サグページ=トゥーナルン=ナ=レースジェ}の議会民主政治思想を基盤として、シャプチ教徒や解放された民衆からの要望やスヤータウやタヒテンパーシといったタイユ=ウェグナ幹部の案を取り入れ、星衛参事会ならびに星衛評議会、執政院、元老院、天命院を運営する&bold(){二議会三院制}を採用した。
 また、ニーネン=シャプチの憲法の名称を決める際、彼の恋人のユーネンから名前を取って&bold(){ユーネン憲法}と名付けた。これは現代においてもその名は継承されている。数回にわたる憲法改正でも、例えば「&bold(){タルノーによるユーネン憲法}」といったように、改正者の名前を冠するのが通例である。

**初代星衛主席就任
 マグラン=ガランは政府樹立を機に隠居することを計画していたが、民衆とタイユ=ウェグナは初代星衛主席に就任することを強く望んだため、マグラン=ガランは初代星衛主席に就任した。この時の星衛参事会はタイユ=ウェグナ幹部で構成されていた。
 革命後の国内情勢は不安定であり、特にプダージではスペースデブリの落下による災害で危機的状況にあった。マグラン=ガランの星衛主席としての最初の仕事は、これらの状況を安定させることであった。
 マグラン=ガランはまず天命院に&bold(){プダージ救命委員会}を発足させ、プダージの状況を調査するように命じた。同時に、革命により荒廃した諸都市の修繕、復興を行うために、執政院に&bold(){イプカの御足委員会}を設立した。

**イプカの御足問題
 復興が軌道に乗り始める中、イプカの御足委員会内部での階級差別が深刻化し、労働者である旧貧民層による暴動が発生した。これに対して、イプカの御足委員会は私兵集団「委員会軍」を組織して、サグナシャーグ東3地区の貧民層を片っ端から拘束、資材置き場を収容所として監禁していたことが明らかになった。
 マグラン=ガランは元老院に応援を呼びかけ、元老院共和親衛隊を率いてイプカの御足委員会と交渉し、拘束された貧民を全員解放することに成功した。しかし、この問題を巡って何度も議会が紛糾したため、イプカの御足委員会を閉鎖し、事業を執政院に委託した。

**民間企業法問題
 サグナシャーグなど、チャグマ=ダプラの大都市の半数がインフラ整備を完了しつつあった。それぞれの都市は、有力者や手工業者ギルドを中心にして徒党が形成され始めており、効率的な復興のために組織的に活動を行っていた。そのため、星衛評議会ではこれら有力者やギルドを民間企業として独立させるための法律、民間企業法の法案可決を巡って議会が紛糾した。
 マグラン=ガランは星衛参事会の提案した法案ではないため無効と見做していたにも関わらず、星衛評議会のタイユ=ウェグナ議員は「国政のための必要性」を訴えていた。元貴族、知識人階級の議員たちは「国益に反する」としてこれに反対していた。ついにはタイユ=ウェグナで内部分裂が起こり、ニーネヌート派とエフューラフト派に分裂した。

*逸話
・&bold(){マグラン=ガラン}は6歳の頃、断固として引きこもりであろうと努めていた。フォカが無理やり外に出そうとすると、大泣きして叫び、「これ以上外出させようとするならば、僕はこのナイフで腹を切る」と言って下腹部に5針の傷をつけたことがある。これに驚いたフォカはその後外出させることを止め、別荘の中だけで&bold(){マグラン=ガラン}をいかに優秀な貴族に育てるかということに腐心するようになった。

*関連項目
・[[ニーネン=シャプチの歴代国家元首一覧]]