オーギュスタン・ナボール

Augusten.Nebowl

生年月日 花暦2126期(オーリス暦4214年シンテーア暦1720年)開花11花日
出生地 エメロール
没年月日 存命(クローン)
死没地
出身校 コジャ商業大学
職業 実業家
配偶者 フィンガーフート・ナボール
親族 父:ラインホルト・ナボール
母:ミッバー・ナボール

オーギュスタン・ナボールとは、ガイエンの実業家であり、外交代行・貿易・卸売・販売のナボール商会初代会長である。
かつての競合企業であったクレイ商会の社外取締役を務めていたが、1769年に退任した。ガイエン最大の資産家であり、大宇宙長者番付で世界4位。保有資産額は1800年枯死時点で、約40京6,272兆ポッチ)。

略歴

幼少期

ガイエン首都エメロール出身。小さい頃は普通の子で体育の時間など勉強以外の時間が楽しかった。ガイエン独立戦争後復員した父・ラインホルト・ナボールは、オーギュスタンが生まれた1720年に兄が代表を務めるナボール問屋から小売を任され、雑貨小売りの「ナボール商事」を立ち上げた人物。

青年期

オーギュスタンが中学生になるころ、父は地元の自警団と組んで煙草屋の経営にも手を広げ、次第に街の顔役として幅を利かせるようになった。中学校には歩いて1時間かけて通学していた。帰りに手巻煙草を作ったり、吸っていたりしていたという。
中学校では「クラスで後ろから五番目ぐらいの成績」だったという。苦手な数学が入試科目にない大学の中では最難関のコジャ商業大学経済学部経済学科に進んだ。大学時代は、絵画や煙草、葉巻を嗜み、女遊びに精を出した4年間だった。大学2年の夏休みから父の資金援助で200万ポッチ以上かけて惑星一周旅行をし、のちに妻となる女性とめぐりあった。就職活動でクレイ商会を受けたが、ことごとく落ちた。進路の決まらないまま1733年3月に大学を卒業したが、同年蕾、父親の勧めでベリル商会(1800年現在のベリルリテール)に入社。

転機、そして実業家へ

ベリル商会で家庭雑貨卸売場を担当したが、働くのが嫌になり1期で退職、半年程友人の家に居候した後、帰省して実家のナボール商事に入社。当時ナボール商事が展開していた店舗で取り扱っていたのは輸入雑貨が中心であったが、5期経営に携わる間、ナボール問屋のライバル企業であるクレイ商会が卸売業績を拡大したため、安価で手に取りやすい庶民的な商品を中心に交易品を仕入れるよう提案した。庶民的に拘った理由は使い勝手が良ければ売れるという点が自身の性に合ったためという。&br() 1734年、父とその兄の後を受けナボール問屋代表取締役社長に就任。「ナボール商会」と名を改め同年、視察で訪れたインテグラシオンにてその豊富な品揃えとマーケティング能力に感銘を受ける。
ナボール商会の路線が徐々に陽の目を見るようになった1741年、マーカス内戦への物資販売を宣言。参加国の各国に分け隔てなく物資を供給した結果、爆発的な資産を手に入れる。戦争経済の旨味を見つけたオーギュスタンは、兵器産業や機械製造の株を買い占め、戦地への物資や参戦国への資金援助を積極的に行っていった。

神隠しとクローン化

メロア自由連邦の旅客船エスティーア号に乗船。しかし不慮の事故により豪華客船は沈没、命を落としてしまったと思われていた。しかし2期経ったある日、五体満足の状態で戻ってきており惑星中を大いに驚かせた。「不思議な旅をしていた」と語るが、その内容は大宇宙内において有り得ない話が多く、クローンやアース、変身といった訳の分からない言葉に聴衆は首をかしげたという。また肉体に大きな変化が起きており、年齢の進みが遅く、傷の治りが速く、そして筋肉量が大幅に増強されていた。長寿と恵まれた肉体を得た彼は1800年現在も初代ナボール商会会長を勤めている。

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最終更新:2022年03月10日 21:06